ノート:朝貢
表示
この記事は2009年8月25日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
西アジアの朝貢
[編集]オスマン帝国はクリム汗国に朝貢させていました。それにティムールはモンゴル帝国に朝貢していたそうです(のち皇族間で内紛が起こると朝貢を止め、オトラルにまで進攻したがそこで酒を飲み過ぎて死去)。スペインのムスリム王朝はカスティーリャ王国に朝貢させていました。これと東アジアの「朝貢」とどうちがうのでありましょうか?
言語間リンクを貼る時に、朝貢か冊封のどちらかで迷いました。なぜなら、中国語版では、記事名が朝貢体系となっており冊封はその中に書かれているためです。言語間リンクが不適当だと思われる方は、中国語版wiki zh:朝貢体系 を確認し、議論の後、変更して下さい。Amanatsu 2006年7月22日 (土) 19:51 (UTC)
- 冊封体制論は、主に日本で支持されている学説なので、「朝貢体系」に言語間リンク貼ってもよいのでは、というのが私見です。--獨頭 2006年7月23日 (日) 14:47 (UTC)
朝貢の損益と海禁に付いて
[編集]朝貢の損益が海禁政策および永楽帝以降の海外消極策に影響を及ぼしたということは何か研究に基づいたものでしょうか。私の認識で言えば海禁政策はまず倭寇を取り締まるためという意味が重点であり、経済政策としては付随的なものと考えていたのですが?--らりた 2008年9月26日 (金) 12:05 (UTC)
- (追記)鄭和のような大航海が取りやめられたのはこれは大航海自体の費用の問題であって朝貢貿易とは関係がありません。--らりた 2008年9月26日 (金) 12:06 (UTC)