ノート:朝熊山
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アジールの地について
[編集]九鬼嘉隆の記事は数日前に修正してありますが、遺骸が葬られたのは離島の答志島で朝熊山ではありません。そして、これらの例の「朝熊山」はおそらく金剛證寺の意味(比叡山で延暦寺を指すのと同様)ですから、金剛證寺の記事に記載すべき内容に思われます。金剛證寺の説明に一例を加え、他は金剛證寺の記事に移動させることを提案します。N yotarou 2006年8月18日 (金) 04:17 (UTC)
- 失礼しました。よろしくお願いいたします。--タビックスJapan 2006年8月18日 (金) 09:00 (UTC)
- 加筆のお礼を忘れたことをお詫びいたします。九鬼嘉隆の墓の件はWPで長期間放置されていましたので誤解する人がいても仕方がないでしょうね。アジールの件はもっとも適切に思われた尾藤知宣を残しました。金剛證寺には九鬼嘉隆が逃げ込んだとかアジールとしての例が他にもあるようですが、歴史は苦手で加筆できません。金剛證寺の方にも歴史の話を加筆いただければ幸いです。N yotarou 2006年8月18日 (金) 09:51 (UTC)
- 気になったので少し調べてみたのですが、鳥羽側の山麓にある常安寺という寺が九鬼嘉隆の菩提寺になっており、守隆が嘉隆の菩提を弔うために石灯籠を寄進し、これが墓と解釈されている場合があるようですね。N yotarou 2006年8月18日 (金) 18:35 (UTC)
移動して頂き、ありがとうございました。私は秋田実季の例を知っていただけで、土地勘もなく、あとはその後調べたものです。浅いリサーチで失礼しました。尾藤知宣の例はアジールといえると思いますが、そのほかの「墓がある」「切腹した」というのはアジールの苦しい解釈かも知れないので「アジール的空間」としました。ただ、北条氏直が蟄居させられたり豊臣秀次が自害している高野山を類例とすれば、この定義で問題はないかと思います。もっと適切な語があればお教え下さい。今後ともよろしくお願いいたします。--タビックスJapan 2006年8月18日 (金) 19:40 (UTC)
岩中ほか(1992)
[編集]出典として「岩中ほか(1992):○ページ」と脚注にありますが、参考文献節に書名が記載されていません。岩中淳之氏の共著でしょうか。--ベイシティ(会話) 2015年4月3日 (金) 07:22 (UTC)
- 当該加筆編集者様によって書名が追記されました。ありがとうございました。--ベイシティ(会話) 2015年4月20日 (月) 15:39 (UTC)