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ノート:月輪陵・後月輪陵

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記事名について

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本記事を立項したものの、記事名について少し迷いがあるので相談させていただきます。

本記事は、月輪陵・後月輪陵と同じ墓域にある5灰塚・9墓(以上をこのノートで「本陵墓」と仮称します)を一括りにして立項しました。本陵墓を1記事に纏めて立項することについては、参考にした大角修(2017)・藤井利章(1990)・梅原猛編(2008)に「二十五稜五灰塚九墓」などと書かれていることや、的場匠平(2017)は本陵墓を対象として近世天皇陵の研究としていること、あるいは現地に宮内庁が置いている制札でも本陵墓をまとめて列記していることからも問題ないと考えます。墓域全体の配置は[1]の289コマ、現地の制札や墓域の写真については[2]も参考にしてください。

問題は、記事内でも触れているように陵は天皇・皇后・上皇(法皇)・皇太后の墓所であって、灰塚や皇族の墓はこれに含まれない事です。具体的には月輪陵は20陵、後月輪陵は5陵を指すもので、灰塚や墓を含めた本陵墓を意味する用語が調べた限り存在しませんでした。ちなみに、的場は「月輪陵域」という用語を用いて説明していますが、冒頭で断りを入れているので研究上の仮称と思います。

以下ネットで確認した範囲です。

  • レファレンス共同データベースによれば、『宮内庁書陵部陵墓地形図集成』のタイトルは「四條天皇月輪陵外二十四陵 後土御門天皇灰塚他四 温仁親王墓外八墓 之圖」、『古事類苑 [9] 帝王部』のタイトルは「泉涌寺月輪御陵圖」、『歴代天皇御陵』のタイトルは「泉山月輪陵域内御陵及灰塚圖」
  • 泉涌寺HPではタイトル「月輪陵・開山堂」として説明文は「霊明殿の東に鎮まる陵墓は月輪陵(つきのわのみさぎ)・後の月輪陵と呼ばれる。四条天皇をはじめ後水尾天皇から仁孝天皇までの25陵、5灰塚、9墓が営まれている。」
  • ニッポン旅マガジンではタイトル「月輪陵」として説明文は「京都府京都市東山区泉涌寺山内町、真言宗泉涌寺派の総本山の寺、泉涌寺(せんにゅうじ)の旧境内にあるのが、宮内庁が管理する皇室の陵墓、月輪陵(つきのわのみさぎ)。月輪陵と後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)には合計で25の陵と9つの墓があり、後月輪東山陵は孝明天皇陵。」

などとなっています。また、他言語版にはすでに本記事の内容が立項されているのですが、en:Tsuki no wa no misasagifr:Tsuki no wa no misasagizh:月輪陵など、月輪陵の記事名で立項されています。(内容には不正確な部分もあるようですが)

以上が問題点と調査内容です。私は記事名を月輪陵・後月輪陵とし、月輪陵および後月輪陵をリダイレクトページにする予定で立項しました。

以上の方針についてご意見をお願いします。--あずきごはん会話2022年10月22日 (土) 14:25 (UTC)[返信]