ノート:曺晩植
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ソ連軍政による選定
[編集]ソビエトが朝鮮平定後のリーダーの候補探しの際に、グレゴリー・メクレルソビエト軍特別宣伝部長の面接を受けるが、反共姿勢を見透かされ、リーダー選びから外され、結局、金日成が選ばれた。さらに、
- という加筆を以下の理由でコメントアウトしたうえで、代替案を書き込みました。
- 2006年4月(つい先日)放映のNHKスペシャル「ドキュメント北朝鮮」は上の加筆とまったく同じ趣旨のことを述べていましたが、同番組での説明は端折っているところが大変多くありました(個人的にはひどい番組だと思いましたが、さておき)。端折るのは分かり良い話をするためにとても大事ですが、実際には無視できない相反する材料もあるので、メクレルの証言によって「リーダー選びから外された」と書いてしまうのは時期尚早だと思います。
- ソ連の衛星国については
- ソ連が各衛星国で小スターリンを据えた。
- 小スターリンに選定された人物はいずれも戦争中にソ連領内に亡命しておりそこで教育を受けたと考えられている。
- 衛星国での政権は必ず民族主義政党やブルジョア政党を議会に参加させたうえで、社民との連立政権もしくはときには中央党と社民との連立政権からはじまる(シートン=ワトソンの連合段階分類規定を参照)。
- 連立政権において共産党は首班を担うことはなく警察のみを握り時間をかけて他党派を排除する。
- ソ連に小スターリンとして据えられた人物とその一派はその後に国内の共産主義者を排除する。
- ……という共通点があります。これらは時期まで一致しています。朝鮮半島には、ブルジョア政党や社民政党がないわけですが、おかしなことに東欧と同じようなプログラムを機械的にあてはめたとしか思えないと指摘されており、現に、社民とは呼べない「新民党」を作らせたうえで、労働党との合併などをやっています(徐大粛はこれを「社民」として描く意図があったのか単なる代替物と解釈したのか両方の側面を記述しただけなのか、その解釈を明らかにしていない時期があります……という細かいところが議論になるほど、北朝鮮政治史を説明するうえで小スターリンを据えるプログラムとの関係を疑い東欧と比較する視点は広く見られます(徐大粛『金日成』林茂 訳、御茶ノ水書房、1992年を参照。特に、85頁を参照。連合段階分類の北朝鮮に対する適用については79-84頁を参照)。
- いくつもの要因が重なって金日成が小スターリンとして選ばれていたと解釈するのが現在では主流ですから、将来作る予定でいた親ソ共産党政権の最高指導者として曺晩植が選ばれる可能性があったかのような記述とは真っ向から対立すると思います(もちろん、過渡的に指導者として選定されたこととは別の話です)。メクレルが面接したことと、彼に反共主義者であることを見抜かれたということを疑う理由はありませんが、それをもってして「リーダー選びから外され、結局、金日成が選ばれた」と書くことは時期尚早だと思います。--Iosif 2006年4月30日 (日) 20:29 (UTC)--修正が反映されていないことに1日気付かなかったので、後からで申し訳ありませんが、修正を加えました。--Iosif 2006年5月1日 (月) 06:45 (UTC)
メクレル自身のソ連当局から送られた任務・役割、北朝鮮における活動内容、さらに、メクレル自身の証言があることから、NHKスペシャル「ドキュメント北朝鮮」の「曺晩植に関する候補者選び」の部分に関して、十分信用に足る内容と判断します。--Carl Daniels 2006年5月1日 (月) 03:12 (UTC)
- メクレル証言そのものを疑うわけではありません。それどころか、これまでの情報と矛盾していないと感じています。問題は解釈です。同じ話の繰り返しになってしまいますが、あの証言だけをもって「結果、曺晩植は、候補者選びから外され、当時まだ若い金日成が選ばれることになった」と書くのは行き過ぎだと思います。▼そもそも我々が勝手な解釈を加えるわけにはいかないのですが、Carl Danielsさんの解釈では、これまでの通説を覆すものに近いと思います。メクレル証言が通説を覆すものであったなら、番組がメクレル証言の内容をもっと新発見であるかのように構成されていなければおかしいと思います。また、メクレル証言が「金日成が選定されなかった可能性を意味している」のであれば、それに対する研究者諸氏のリアクションも今後すぐに出てくるはずです。メクレルによって面接されていることは、これまですでに知られていたことですから、ソ連のお膝元で活動したわけでもなければ、共産主義者でさえない曺晩植が、金日成が選定されなかった可能性が生じるほどの有力候補であったと書くのは時期尚早だと思います。もし、メクレル証言が共産党(朝鮮の場合は労働党の)独裁政権の前に予定していた複数党派連合政権の首班候補だったということを意味しているのなら話に整合性があると思うのですが(…というくらいに、いまビデオで確認しても、放送された証言には解釈の余地が残っていると感じますが)。少なくとも、ソ連が曺晩植を小スターリンに据えることを検討するというのは辻褄が合わないと思います。▼いずれにしても、たった一つの証言をもって断定するのは早計だと思います。一応、小此木政夫氏・平岩俊二氏が取材協力者として挙がっているわけですが、彼らとて著作でそう述べているわけではありません。あれが、まったく新しい事実の暴露を含む証言なのだとしたら専門家の検証を待つべきだと思いますが、いかがでしょうか?--Iosif 2006年5月1日 (月) 06:42 (UTC)
- やはり、Nスペ内の数分にまで省略された解説と、そこにはめ込まれた証言一つだけで、新説を採用するのは早計であると考え保留しました。Nスペが過去の解釈(曺晩植と出会う以前からソ連軍政は金日成を小スターリンに据えるつもりだったというもの)を覆す意図をはっきりさせていたとも思えません。誤解である可能性があります(ひどい番組だと思ったと書いたのはこのような点です。他にも曖昧な表現が多くで誤解を招きそうな箇所があり、「我々の取材で明らかになりました」というナレーションが、どこまでを指すのかわかりにくい)。--Iosif 2006年5月1日 (月) 14:14 気付くのが遅すぎましたが署名忘れのため履歴を参照して署名を補います。--Iosif 2006年5月16日 (火) 20:47 (UTC)
改名提案
[編集]Wikipedia:記事名の付け方による漢字の使用制限が緩和され、JIS X 0213第3水準に規定されている「曺」が記事名に使用できるようになりました。よって、曺晩植への改名を提案します。--玄海093(会話) 2020年6月9日 (火) 15:49 (UTC)
- 済 改名しました。--玄海093(会話) 2020年6月18日 (木) 16:03 (UTC)