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ノート:暴力革命

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とりあえず武力革命武装革命をリダイレクトにしてみましたが、どれが項目名として(そしてどれをリダイレクトにするのが)適切なんでしょうか? 516 2007年1月26日 (金) 01:26 (UTC)[返信]

日本の新左翼と暴力革命

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  • 新左翼と暴力革命について、Rabit gtiさんのコメントは、3点特徴があります。
  • 1.暴力革命は新左翼の全部ではない。
  • 2.暴力革命はレーニン主義の原則。
  • 3.暴力革命の失敗を記述するのは、非客観的。
  • 1.ですが、新左翼は、革共同系、解放派系、構造改革派系、中国系などがありますが、1960年代~1970年代は基本的にすべて暴力革命を主張しており、それが新左翼の特色になっていました。Rabit gtiさんは、暴力革命は新左翼の全部ではない、と言われますが、逆に暴力革命を主張しなかった新左翼党派を具体的にご指摘いただければ幸いです。本文では、より厳密にするため1960年代~1970年代を加えました。この時期は、新左翼の創立時の特徴が最もよく発揮された時期だからです。(日本共産党を批判した勢力で暴力革命を主張しなかった勢力をあえて言えば、日本のこえ、民学同でしょうが、彼らは新左翼とは言いがたいと思います。)
  • 2.ですが、社会党系の社会主義協会派のように、レーニン主義を主張しながら、暴力革命を否定した集団もあります。だからレーニン主義を削りました。
  • 3.ですが、かつて暴力革命を主張した集団、個人の中にも、日本ではその条件がなかった、と総括して、暴力革命を放棄した集団、個人も存在しています。ですから、暴力革命の失敗を記述することが非客観的だとは思いません。しかし明確な出典を示したいのですが、周知の事情で図書館が使えず、適切な出典をいま示すことができません。そのため、この点は意見を保留し本文の記述に留めました。以上、私の本文改定の理由とこの問題についての意見です。--無名氏会話2020年5月3日 (日) 08:24 (UTC)[返信]

コメント こんにちは。私のコメント[1]について。無名氏さんとは大筋の認識相違は少ないようですが、細部について。まずウィキペディアでは中立性の観点より、信頼できる出典より客観的な事実を記載し、編集者の解釈(独自研究)は避けるべきと思っています。また(私も書いてしまいましたが)ここは「暴力革命」の記事なので、日本の新左翼の詳細の記載は最低限にすべき(詳細はリンク先参照)と思います。(1)「新左翼」は「既成左翼」に対する分類で、明確な定義や範囲がある用語ではありません。大多数は反スターリン主義ですが、中には毛沢東主義など本家本元のスターリン主義も含みます。「暴力革命は新左翼の全部」「基本的にすべて暴力革命を主張」や「平和革命を否定し」や「日本のこえ、民学同でしょうが、彼らは新左翼とは言いがたい」などの信頼できる出典はありますか。警察や公安の分類では新ソ派も新左翼です。「平和革命」は日本共産党が野坂参三の路線を批判的に言及する際には使われています。(2)暴力革命不可避論は多くの出典でレーニンの主張とされています[2][3]共産主義者同盟(ブント)のスローガンの1つは「マルクス・レーニン主義の復権」です。しかし日本の各派がレーニンの各主張のどれをどれくらい取り入れたかは、時期・党派・人物にもよります。例えば解放派は「反レーニン主義」とも呼ばれますが、それは前衛党論などの事で、レーニンの主張を全て否定している訳ではありません。つまり出典なく「全部」と編集者が安易に断定するのは独自研究です。(3)「暴力革命の失敗」は独自研究です。新左翼各派が「日本に暴力革命の情勢が到来した」と記した出典はありますか。軍事路線の赤軍派すら前段階武装蜂起論(本格的な革命前の武装蜂起論)です。仮に一部が主張しても極左冒険主義と批判されたでしょう。理論的・将来的な暴力革命論と、各闘争での実力闘争(火炎瓶等)は異なります。無名氏さん修正後を拝見すると(1)「ぼぼ」が付いたのは賛成。「平和革命を否定」は独自研究。(2)暴力革命不可避論はレーニン主義の一部(マルクス主義との重要な相違でもある)(3)「ほぼ見られなくなった」などは独自研究的、と思います。--Rabit gti会話2020年5月3日 (日) 13:23 (UTC)[返信]


Rabit gtiさん、コメントありがとうございます。私宛の質問にお答えしますが、先に述べたように図書館が使えず、今日は記憶に頼ってお答えすることになります。ご了解ください。

  • 1.新左翼の定義は、荒岱介『新左翼とは何だったのか』(幻冬舎新書、2008年)や蔵田計成氏、高木正幸氏の著書にあったと思います。それによれば、新左翼は「基本的にすべて暴力革命を主張」「平和革命を否定」と記憶しています。平和革命と暴力革命の根本的な相違は、議会で多数を占める、つまり選挙によって社会変革ができるかどうかです。
  • 2.暴力革命不可避論は多くの出典でレーニンの主張とされています、とRabit gtiさんは言われます。そう言っている論者がいることは知っていますが、そうではない例もいくつも見つけられます。先に社会党系の社会主義協会派を挙げましたが、日本共産党も1961年綱領決定時はマルクス・レーニン主義でした。1960年代の日本共産党は暴力革命不可避論だったでしょうか。また、ソ連共産党は1950年代後半からマルクス・レーニン主義を掲げたまま平和革命の可能性を主張し始めました。マルクス・レーニン主義を主張する政党が必ずしも暴力革命不可避論ではないことがわかると思います。
  • 3.新左翼各派が「日本に暴力革命の情勢が到来した」と記した出典はありますか、について。本文でも引用されている中核派の2009年綱領草案には「プロレタリア世界革命を実現する歴史的条件はすでに圧倒的に成熟している。」とあります。そして中核派は革命は暴力革命と主張しているのですから、中核派は暴力革命実現の条件は圧倒的に成熟している、すなわち「日本に暴力革命の情勢が到来した」と認識していることになるでしょう。私の記憶ではこの、革命情勢はすでに成熟している、という規定は新左翼の重要な源流の一つである安保ブントの綱領にすでにあったと記憶しています。革命情勢はすでに成熟(それなのに革命が起こらないのは日共スターリニストと社民ダラ幹が裏切っているからだ)という認識は、安保ブント系新左翼に共通のものとなりました。1960年代~70年代の中国系諸派は、文革期の中国共産党の路線を受け入れていますから、当然暴力革命不可避論です。共労党、フロントなど構造改革派も、1960年代後半から70年代は暴力革命の立場を取りました。解放派はソビエト革命論の筈ですから、当然暴力革命論です。いまは出来ないのですが、1960年代~70年代初頭の新左翼各派の綱領的文書にあたれば、暴力革命必然論の表現は容易に見つかる筈です。日本のこえが新左翼とは言いがたいと言ったのは、暴力革命必然論に立っていないからです。これも、彼らの文書をみれば引用できると思います。
  • 日本に暴力革命の条件はない、暴力革命の試みは失敗、が独自研究という点について。もともと暴力革命必然論に立っていなかった日本共産党や旧日本社会党は繰り返しこの点を述べていますし、関連文書も簡単に見つけられます。1960年代~70年代初頭に暴力革命の立場に立っていた人、集団で、それは日本では誤りだった、と総括した文書も読んだ記憶があります。従って、日本に暴力革命の条件はない、暴力革命の試みは失敗、は決して独自研究ではありません(今日は具体的に引用出来ないのですが)。もっとも、現在でも日本に中核派のような集団がいることも確かですので、今日の日本では暴力革命の条件はないということは社会主義運動に関わる人の間で多数意見になっているが、一部には暴力革命堅持を主張する集団も存在している、としておいてもいいと思います。念のために述べておくと、ここで述べたのは日本での暴力革命の問題であり、暴力革命一般ではありません。アジア、アフリカ、ラテンアメリカでは、暴力革命の可能性のある国もあるでしょう。

とりあえず、今日のところのお答えです。--無名氏会話2020年5月3日 (日) 15:41 (UTC)[返信]


コメント 無名氏さん、詳細な情報ありがとうございます。しかし私の趣旨は以下です。(1)「新左翼はすべてXXX」という表現は不適切。「日本人は皆礼儀正しい」や「日本の左翼は大きい政府指向で平和主義」等と同様、出典多数でも不正確でレッテル張り的です(アナキズムや軍事主義もある)。また当事者による出典は一次資料です。「主な新左翼党派のA,B,C,DはXXXと主張」ならば良いと思います。(2)マルクス主義とレーニン主義とマルクス・レーニン主義を同一視していませんか。更に「主義」は解釈を含みます。同じ「マルクス・レーニン主義」と掲げても、暴力革命不可避論も平和革命論も、一党独裁論も議会制民主主義論も、一段階革命論も二段階革命論もあったのが実際でしょう。また「XX革命」も、社会主義革命全般の話か、日本固有の話か、現状だけか将来もか、目標なのか全可能性なのか(平和革命を目指すが場合によっては流血もあるとの主張も暴力革命革命論なのか)。特に「ZはXXXなので新左翼と呼べない」は独自研究です。ここは「正しい」主張を議論する場ではありません。(3)それらは「既に革命の時代だ、目前だ」とのアジテートではありませんか。新左翼は暴力革命に向けた武装決起を実際に開始したのですか。各党派や各活動家の主張は(一次資料ですが、事実としてではなく、主張の事実として)各記事に記載すれば良いと思います。(共通)Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:中立的な観点の理解をお願いします。--Rabit gti会話2020年5月4日 (月) 04:12 (UTC)[返信]


コメント Rabit gtiさん、再度のコメントありがとうございます。しかし論点をずらしていませんか。このノートの議論は、よりよい本文を作るためのものです。

1.私は新左翼の定義については、荒岱介『新左翼とは何だったのか』(幻冬舎新書、2008年)や蔵田計成氏、高木正幸氏の著書に合った筈、と言っております。追加すると、蔵田氏は『新左翼運動全史』 流動出版、1978年、高木氏は『新左翼運動全史』 流動出版、1978年です。荒氏も含めて、これらの人々には新左翼に関して他にも著書があり、ウィキペディアでいう信頼できる情報源といっていいでしょう。しかし、いま図書館が使えず、引用できません。ですから、今日のところのお答え、と書いて判断を保留したわけです。

2.マルクス主義とレーニン主義とマルクス・レーニン主義の関係については、私なりの考えはありますが、いまここでそれを展開しようとは思いません。Rabit gtiさんは「同じ「マルクス・レーニン主義」と掲げても、暴力革命不可避論も平和革命論も、一党独裁論も議会制民主主義論も、一段階革命論も二段階革命論もあったのが実際でしょう」と言われます。私はこのお考えに賛成です。ですから、「暴力革命はレーニン主義の原則」というRabit gtiさんの5月3日 (日) 03:52付書き込みは不適当と考え、本文からレーニン主義を削ったわけです。

3.Rabit gtiさんは、新左翼は暴力革命に向けた武装決起を実際に開始したのですか、と問われます。これは、荒氏、蔵田氏、高木氏の著書が書いている筈です。Rabit gtiさんは、中核派の綱領草案について「それらは「既に革命の時代だ、目前だ」とのアジテートではありませんか」と言われますが、政治党派の綱領はそんなに軽いものでしょうか。これこそRabit gtiさんの独自研究ではありませんか。

赤軍派の前段階武装蜂起論にしても、それが革命情勢を切り開くという位置づけですから、暴力革命に向けた武装決起と言ってよいでしょう。「理論的・将来的な暴力革命論と、各闘争での実力闘争(火炎瓶等)」の関係も、同様です。暴力革命を展望していなかったら、火焔瓶などの実力闘争はありえないでしょう。

討論の焦点は、1960年代~70年代初頭の「新左翼は“ほぼ”暴力革命を実行し失敗した」と「新左翼は“ほぼ”平和革命を否定した」を本文に書き込む是非です。この点は、“信頼できる情報源”をいまは見ることができないのですから、これ以上は水掛け論です。図書館等が使えるようになるまで、私はとりあえずこのノートでの議論はここまでにしたいと思います。--無名氏会話2020年5月4日 (月) 06:21 (UTC)[返信]

コメント 無名氏さん、コメントありがとうございます。「ノートでの議論は記事の改善のため」および「同じ〇〇主義を掲げても内容(解釈)は多数ある」との2点は共通認識できたと思います。しかし他は理解して頂けておらず残念です。(1)荒岱介や蔵田計成は共産主義者同盟(ブント)活動家で、当事者による主張は一次資料です。Wikipedia:信頼できる情報源を熟読ください。(3)私の「アジテート」は確かに独自研究的です(私は記事に書いてはいませんが)。しかし「新左翼は暴力革命に向けた武装決起を実際に開始したが失敗した」では明白な独自研究(当事者の主張)です。パリ・コミューンスパルタクス団蜂起のような歴史的事件が発生したのですか。新左翼全派が一斉蜂起したのですか。綱領が重いならば、何年開始、何年中止(失敗と判断)と綱領に記載ですか。単に「今は革命の時代だ、闘争を日本革命、更に世界革命につなげるべきだ」との主張ではないのですか。革マル派と中核派は内ゲバで「戦争」宣言しましたが、これはウィキペディアで「戦争」と扱うべきものですか。現実には各派が公然活動と並行してゲリラ事件など非公然活動を時々行った形で、時期も内容も各派で異なり、相互に極左冒険主義などの批判もしています。(4)複数回説明済の修正を反映しました[4]--Rabit gti会話2020年5月5日 (火) 10:23 (UTC)[返信]

コメント レーニンや新左翼複数党派のを追加しました[5]。別の翻訳ではレーニンが「暴力革命の不可避性」と複数箇所書いており[6]、「暴力革命不可避論がマルクス・レーニン主義の全理論の根底にある」との解釈もあります[7]。また「暴力革命」を掲げても実質的には平和革命の可能性も認めるような、JRCL(第四インター)や革マル派(個人ブログで信頼できる出典とは言えませんが「「暴力革命」実行の可能性に対する立場は、一昔前の日共の「敵の出方による」論に近いと言える。」、[8])との見方もあり、やはり単純に「新左翼は全て平和革命を否定して暴力革命。暴力革命でないものは新左翼では無い」との見解は独自研究(単なる一見解)で、「誰が何を主張したか」を具体的に併記すべきです。--Rabit gti会話2020年5月5日 (火) 14:23 (UTC)[返信]