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ノート:春日神木

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神木動座における神鏡の動向について

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どうでもいい超微追筆をさせていただきましたついでに質問させていただきます。

  1. 「神木を大社本殿脇の移殿へ移す遷座の儀」とは、神木を移殿へ安置し、「御神体である神鏡」を神木に懸ける行為で、「神木動座の強訴」が成功した場合には、神鏡を本殿に戻すという解釈でいいのでしょうか。
  2. 定義から、(普通の)神木+春日大社の神鏡=春日神木と理解したのですが、「神木を放置して奈良に引き上げる」場合(「振棄て」の場合)、神鏡は一体どうなるのでしょうか。

もちろん、掲示された参考文献に自らあたればいいだけの話なのですが・・・--胡亂堂 2009年2月23日 (月) 23:05 (UTC)[返信]

私が主たる参考文献に挙げた2書を読んだ限りでは、1については本来は本殿を始とする各社殿に安置されているものなので、移殿へ移す遷座の儀の後に上洛することなく目的を果たせれば、当然鏡は本殿に戻されると思われます。2ですが振棄ての場合でも京都においては御所前に寄せて威圧する場合があっても原則的には神木は氏院である勧学院(藤原氏の施設)に安置されるものですから、一旦振棄てが行われた場合でもあくまでも神木を京都の勧学院に置き去りにするというだけで、道端とかに放置するという意味ではないと思われます。ただ、本当にそれで正確な理解を満たしているかについては、更なる加筆の余地はあるのかも知れません--水野白楓 2009年2月24日 (火) 03:41 (UTC)[返信]
(追記)両書の該当部分のみを引用させていただくと、以下のようになっています。
  • 「……決行が可決されると、興福寺と一体化していた春日社の社司に命じて神木をしつらえ移殿に動座せしめる。神木動座の嗷訴である。なお動座によっても嗷訴の目的が達成しない場合、神木を興福寺金堂に移すとともに(中略)嗷訴に対する裁許がおくれると神木を入洛せしめる(神木入洛)。勧学院に神木を入れるのが例だが、御所の陣頭にかざすこともあった。なお裁許がないと社司らは神木を放置して奈良に帰る。これを「振棄て」という。春日神木の動座や入洛に際しては廃朝となるし、藤原氏氏人の廷臣らは謹慎した……」(仏教史)
  • 「……朝廷や幕府に諸種の要求を受け入れさせる手段として、これらの鏡を出して神木を仕立て、強訴を行った。これを神木動座という。その順序はまず神木を本殿脇の移殿に移して公武の政権を威嚇する(遷座)。これで願いがかなえばもとに帰るが、かなわない場合、次の段階として神木は興福寺の金堂に移される。(中略)ここに至っても要求がいれられない場合、いよいよ京都に入ることになる(入洛)。京都では藤原氏の勧学院に安置された。氏神である春日明神の入洛によって藤原氏は謹慎・籠居を余儀なくされ……」(日本史)。
先と重複する部分もあると思いますが、これを読むと、1は移殿の段階で要求が認められれば、神木は不要となるため、神鏡は元の場所に帰ると考えられます。2については、やはり神木は基本的には京都にある勧学院に安置され、「振棄て」が行われた場合は神木が本来あるべき奈良ではなく勧学院に安置された状態のまま、神木を扱える社司が奈良に帰ってしまうということになると思われます(その結果、藤原氏廷臣の謹慎は社司が再び入洛して神木が勧学院から引き上げられて奈良に戻るまで続くことになるのだと思います)。ただ、勧学院は鎌倉時代には衰微しているため、南北朝期には別の場所に安置されたと思われますが、そこまでは分りませんでした(小川剛生氏の『二条良基研究』P68に応安4年の入洛の際に後光厳上皇が神木を藤原氏ゆかりの大原野神社に移すように衆徒に命じて拒絶されたとあるため、藤原氏や興福寺と関係の深い施設に安置されていたと推測できるのですが、具体的な資料が見つかりませんでした)。--水野白楓 2009年2月24日 (火) 11:02 (UTC)[返信]

(インデント戻します)ご回答ありがとうございます。神鏡の動向については結局、

  1. 神鏡をつけたまま「振棄て」=その間、春日大社では神体不在
  2. 神鏡は取り外して、大社に還御
  3. 神鏡が衆徒につきあうのは、「動座」もしくは興福寺金堂までで、入洛はしない
  4. 神木に懸けるのは、神鏡の複製品

の可能性がある訳ですね。当方も折を見て調べてみますが、1以外であって欲しいです。お手を煩わせてしまって済みませんでした。--胡亂堂 2009年2月25日 (水) 12:34 (UTC)[返信]

私自身は神体である神鏡が京都に入ることによる政治的・心理的に与える影響力があるからこそ、神木入洛の意義があるわけですし、「振棄て」が行われた場合にも藤原氏の施設内に安置されていると考えると、「振棄て」の名の下に放置されることそのものが一種のパフォーマンスであり、神木を神鏡に付けた状態のまま京都に安置していても一応は安全な体制が取られている(それが衆徒・社司側、公武側いずれの責任によるかは不明ですが)のではないかと考えるのですが、それについては更に調べる必要があると思われます。--水野白楓 2009年2月25日 (水) 15:31 (UTC)[返信]