ノート:早慶同/削除
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< ノート:早慶同
教科書に載っているとのことですが、具体的にお示し頂けますでしょうか(私は見たことがないし、にわかに信じがたいので…)。また、「言わずもがなである」といった表現は明らかに百科事典としての正確性に失するものではないでしょうか。観念論やこじつけの事実のみで、三大学の関係については辛うじて述べているものの、早慶同という「言葉」の歴史的背景や必然性に何ら触れていないものに思われます。--Gleam 2004年11月13日 (土) 15:27 (UTC)
慶應義塾、同志社英学校、東京専門学校の3校は日本史の教科書において通常掲載されていると思いますが、日本三大私学という言葉は使われていないと思います。なぜ慶應義塾、同志社、早稲田という括りがなされるかというと、この3校の創立者が共通して“学問の国家からの解放”を建学理念として掲げたことにあると思われます。すなわち福沢諭吉は独立自尊を唱え政府からの仕官要請を拒否し、大隈重信は学の独立を標榜し、新島襄は政府の手によらない国民の手による大学をと訴えました。彼らの建学理念が今日においても高い評価を受けていることが三私学とされる所以であるように思います。実際東京専門学校が同志社英学校の大きな影響を受けていたのは事実であり、早稲田の“在野反骨の精神”と同志社の“自治自立の精神”はその理念において共通の校風であるとされています。もちろんこの3校が明治・大正期において優れた人材を輩出したことも見逃せない事実です。私自身教育史の専門家ではないので不正確な点もあるかもしれませんが、歴史的評価において早慶同という括りは間違っていないと思います。
- 私が教科書に云々というくだりに注目したのは「日本三大私学」という言葉が存在するのか否か、という点の確認をしたかったからですので、お話は大変参考になりましたが、それでしたら「早慶同」という項目に書くより、大学あるいは私立大学、各大学の項目に段落を設けて書く方が妥当ではないでしょうか?それらの事実は「早慶同」という出所不明の言葉の妥当性を示唆するために書かれるべき内容ではないように思います。--Gleam 2004年11月14日 (日) 16:13 (UTC)
- 私がこの項目をつくったわけではないので何ともいえませんが、おそらく「日本三大私学」という言葉は存在するのではないかと思います(日本史の教科書に登場する私学は通常慶應義塾、同志社、早稲田のみだと思います。ただし確認していないので間違いかもしれませんが)。ちなみに1998(平成10)年には早稲田大学で「慶應義塾・同志社・早稲田三大学シンポジウム知の交流」という催しが開催されています。ただ一般的にはあまり認知されていないようなので削除するのが妥当なのかもしれませんね。