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ノート:日蓮宗

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分派について

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日蓮入滅後、3年間はそれぞれ活動したが、日興が身延山を離山後分裂が始まった。身延離山について記載した方がいいと思います。それと、日興と5老僧の違いについても記載した方がいいと思います。 日興と5老僧の違いについては、日興上人の富士一跡門徒存知事に記載されています。 --Siranovel会話) 2015年4月27日 (月) 09:16 (UTC)--Siranovel会話2015年4月27日 (月) 09:16 (UTC)[返信]

賛成 日蓮教団最初の分派が富士門流門祖の身延離山であることは論を俟ちません。従って、その表現方法についてはともかく、記載自体には賛同します。
反対 「日興と5老僧の違い」とはいわゆる五一相対のこと、との前提で表明します。これは教団(集団)ではなく、直弟子(個人)に関することではないでしょうか。だとすれば、左記リンク先の移動を含め、記載への賛同は(少なくとも現時点では)難しいと愚考します。なお、異なる切り口をご教示頂ければ幸いです。
--1000dai会話2015年4月28日 (火) 06:23 (UTC)[返信]

日蓮の遺言通り(宗祖御遷化記録)6人の弟子ができ、6人共に日蓮のことを守りましょうと約束(佐渡国法華講衆等御返事)をし著名捺印した。そして、日蓮の骨は、身延山に埋葬された。その後日蓮の墓を守るために輪番制度を導入した。しかし、波木井実長が四箇の謗法を犯したため、日興は身延を離山した。その後、各派に分かれた。 --Siranovel会話2015年4月30日 (木) 05:57 (UTC)[返信]

コメント「四箇の謗法」というのは、宗派日蓮宗では用いられずかつ日蓮正宗で用いられる言葉のようです。その根拠は(薄っぺらくて恐縮ですが)『日蓮宗事典』(日蓮宗事典刊行委員会1981)には見出し・本文ともに記載はなく、『日興上人身延離山史』(富士学林研究科1961 )にはP.125に、『日蓮正宗入門』(宗旨建立750年慶祝記念出版委員会2014)にはP.182にそれぞれ記載されており、ことに前者において『富士一跡門徒存知事』に4つ列挙されている旨、記載されているからです(『富士一跡門徒存知事』について、『日蓮宗事典』P.325には「今日の学界では〔略〕日興の名に仮託して作られたものとされている」とある)。
したがって、例えば「日蓮正宗では、「四箇の謗法」という」といった表現に留めないと中立的とは言えないと愚考します(他の宗派については不透明ですが)。
また、『日蓮宗事典』では、このことを「三箇の謗法」の項目で説明しており(P.505)、別の項目(P.84)でもそう表現しております。また、『日興上人身延離山史』P.127にも「三箇の謗法」との表現があり、これらは何れも『原殿御返事』を根拠としております。従って、「四箇の謗法」と「三箇の謗法」、どちらかと言えば後者の方がより中立的と言えましょう。とは言え、敢えて触れる理由もなく、例えば、「波木井実長の行動が原因で身延を離山した」程度に留めておくのは如何でしょうか。
このこと以外に関しては、配慮のある文章だと感じました(評価してしまい、申し訳ありません)。
なお、重箱のスミをつつきますが、佐渡国法華講衆等御返事→佐渡国法華講衆御返事ではないでしょうか。
--1000dai会話2015年5月1日 (金) 09:09 (UTC)[返信]

五一相対については、日蓮が生きているときの五老僧の活動に関係があると思います。 一番わかりやすいのが、日蓮が佐渡から戻った時に、熱原で日蓮の部下が襲われた(熱原の法難)ときに五老僧たちの行動です。 そのことは日蓮のお手紙書いてあります。 しかし、日蓮が入滅時に、「6人共に日蓮を守っていってほしい」と願った。そのことが佐渡国法華講衆御返事に書いてあります。

佐渡国法華講衆等御返事は、佐渡国法華講衆御返事の間違いのようです。

日蓮正宗が、日蓮本仏としているというのは、おかしい。理由は、以下です。 「日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可しと即ち御自筆の本尊是なり」(1606P) もし、日蓮本仏としているのならば、日蓮正宗第67代日顕の時からだろうと思います。 --Siranovel会話2015年5月2日 (土) 05:31 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

日蓮宗」上の4個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月6日 (金) 09:29 (UTC)[返信]

以下は、2019年9月9日 (月) 05:48‎ にDalaibaaturの会話ページに「Dalaibaatur氏の根拠なきリバート行為について」と称して投稿されたryo-625氏の文章‎

何度も要出典テンプレートをrev.と称してこっそり削除されていますが、どういう理由でしょうか。--Ryo 625会話2019年9月8日 (日) 20:48 (UTC)[返信]

(以下、このノートページで応答)典拠を示したため。--Dalaibaatur会話2019年9月8日 (日) 21:49 (UTC)[返信]

コメント 個別的な例を列挙することは総論として断言する根拠にはなりません。--Ryo 625会話2019年9月9日 (月) 23:17 (UTC)[返信]
この編集で追加した資料や「日蓮宗寺院大鑑」という資料は「個別的な例を列挙」には該当しません。また、「個別の事例」の集積は、「宗教法人・日蓮宗において当該の神々が信仰されていること」、「当該の神々の神札が檀信徒に対して発行、授与されていること」の典拠となります。--Dalaibaatur会話2019年9月10日 (火) 02:04 (UTC)[返信]
「日蓮宗寺院大鑑」は、刊行の1981年の時点で宗教法人・日蓮宗に所属していた全ての寺院について、所定のフォーマットに基づいて紹介する日蓮宗寺院の大辞典です。この辞典で、各寺院の「本尊」の項目をみると、「宗教法人・日蓮宗」に所属する寺院の本尊の形式について理解できます。--Dalaibaatur会話2019年9月10日 (火) 02:34 (UTC)[返信]
それは出典の記述を総合したDalaibaatur氏の独自研究ではありませんか?一次資料の記述を合成して貴方が独自の結論を出すのではなく、専門家の出典を提示してください。(WP:PSTS)--Ryo 625会話2019年9月10日 (火) 03:22 (UTC)[返信]
「日蓮宗寺院大鑑」は、専門家による二次的な編纂物です。--Dalaibaatur会話2019年9月15日 (日) 17:24 (UTC)[返信]

(インデント戻す)

返信 「何寺の本尊は〇〇」という個別的な情報を合成して「檀信徒に神札を授与する事例が広く見られる」等の貴方の見解を出さないでくださいということです。 「独自研究は載せない」の一次資料と二次資料から引用します。

一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません。代わりに、そのようなことをしている二次資料を出典としてください。

日蓮宗の寺院について本尊を列挙してある資料から貴方自身の分析、評価を下して独自研究を載せている状態です。貴方の分析ではなく、客観的な専門家の評価を出典にして下さい。--Ryo 625会話2019年9月19日 (木) 17:45 (UTC)[返信]

コメント
「日蓮宗寺院大鑑」は、専門家による二次的な編纂物です
こちらも引用しておきましょう
ある資料が一次資料であるか二次資料であるかは、文脈によって変わります。軍事歴史家によって著された第二次世界大戦についての本は、この戦争についての二次資料となるかもしれませんが、もし著者の戦争体験が含まれているのであれば、その体験についての一次資料となるでしょう。
二次資料に含まれる本尊についての一次資料は独自研究を支持する出典とはなりえません。--Ryo 625会話2019年9月19日 (木) 17:59 (UTC)[返信]
  1. 「日蓮宗寺院大鑑」の「凡例」は、同書の編纂委員会の手になる記述です。
  2. 「日蓮宗寺院大鑑」が「凡例」の各「項目」に即して提示した各寺院の「本尊の形式」や、「祭祀する諸天善神」は、当然ながら「一次資料」ではありません。
  3. 松ヶ崎大黒天で大黒天、柴又帝釈天で帝釈天やその他の諸天善神を祀り、神札を配布している(その他の各自でそれぞれの護法神をまつり、神札を授与している)のは、私が「独自」に「合成」した「研究」ではありません。--Dalaibaatur会話2019年10月1日 (火) 14:58 (UTC)[返信]
コメント すいませんが、もう一度「ある資料が一次資料であるか二次資料であるかは、文脈によって変わります。」という意味を考えてください。
どこどこのお寺の「本尊の形式」や、「祭祀する諸天善神」が何であるかをいくら列挙したからといって、「事例が広く見られる」という結論を出して記述して良いのはあなたではありません。「日蓮宗寺院大鑑」の著述者がそのような記述を書いて初めてそのような結論の根拠になるのです。--Ryo 625会話2019年10月3日 (木) 18:45 (UTC)[返信]