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ノート:日独伊三国同盟

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項目の名称が間違っている件(署名不備群)

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項目の名称は間違っています!!!!!!!! 1940年には「日独伊三国同盟」が結ばれたけど、「軍事」は入っていない。 軍事同盟が結ばれるのが、1942年1月18日です!!!!!!--以上の署名のないコメントは、210.224.38.211会話/Whois)さんが 2005-07-11T01:03:32(UTC) に投稿したものです。

はい、たしかに。間違っています。日本語のWikipediaって、なかなか役立たずだな。このような間違いが多いよ!誰か直さないの?だれも見ていないの、このような書き込み?英語、ドイツ語ならすぐ直されるけど。--以上の署名のないコメントは、HistorianJapan~jawiki会話投稿記録)さんが 2006-07-26T08:58:31(UTC) に投稿したものです。

こういうことを書いて、もう何ヶ月経っているけど、だれも気にしないよね。本当に最悪だね、日本をWikipedia,,,--以上の署名のないコメントは、HistorianJapan~jawiki会話投稿記録)さんが 2006-08-22T12:04:35(UTC) に投稿したものです。

記事の正確さタグについて

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すでに貼付けられていた「改名タグ」に加えて、「記事の正確さ」タグを追加されておりますが、具体的にはどこが不正確なのでしょうか。その点について指摘して頂けると、記事の改良につながります。---Redattore 2006年10月10日 (火) 16:27 (UTC)[返信]
Redattoreさんの 2006年10月10日の問いかけから既に一ヶ月以上が経過しておりますが、回答がありません。11月18日までに回答がなければ「記事の正確さ」タグ を外します。Hartmann 2006年11月12日 (日) 02:09 (UTC)[返信]

項目名について

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多少気になったので調べてみました。

  • 「新しい歴史教科書 市販本」、扶桑社では、p.273に「(1940年に)日独伊三国軍事同盟を締結した」とありました。
  • 「日本史事典」(角川出版)では日独伊三国同盟の項で「ファシズムによる世界制覇を目指した…軍事同盟条約。1940年…」とあり、42年の協定については「42,1月軍事協定を調印したが」とだけありました。
  • 「日本史広辞苑」(山川出版)では、日独伊三国同盟の項に「1940年…三国間に締結された軍事同盟」とあり、42年の協定については何も触れられていませんでした。
  • 「世界大百科事典」(平凡社)では、日独伊三国同盟の項に「1940年…軍事同盟」とあり、やはり42年の協定については触れられていませんでした。

以上から、記事の名称としては「日独伊三国同盟」、定義としては「日本、ドイツ、イタリアによる軍事同盟」であると書くのがふさわしいのでは。42年の協定については本文で触れられていればよいと考えます。---Redattore 2006年8月23日 (水) 07:00 (UTC)[返信]

もし日米安保条約のように条約名そのもの(の日本文表記)を項目名とするなら「日本国、独逸国及伊太利国間三国条約」になりますね。国立公文書館のページあるいは東京大学東洋文化研究所・田中明彦研究室などを参照ください。なお、項目名の如何にかかわらず、実態としてこれは軍事同盟であったということを定義文に盛り込むことに関して私は賛成です。--にごう 2006年8月23日 (水) 14:23 (UTC)[返信]

もちろん、三国同盟の「解釈」に関して様々な意見があるだろうが、とにかく名称は間違えなく「軍事」ぬきの「三国同盟」になっているので、項目もそのようにしないと。 「解釈」だけど、やはり1940年の三国同盟は軍事同盟ではなかったから、1942年1月の「軍事同盟」が結ばれたのでは、、、三国同盟の内容をみてみると、軍事作戦に関わる項目もなく、ただ「勢力圏」を決めて、英米を脅かすための政治的条約だった。 『ナチスドイツと軍国日本 : 防共協定から三国同盟まで』テオ・ゾンマー著 金森誠也訳 で明らかにされているように、三国同盟とは「同盟者なき同盟」だったし、中身はほとんどなかった。 以上の署名の無いコメントは、157.82.55.76(会話履歴)氏によるものです。2006-10-10 17:02:17 JST


  • オリジナル条約原文は「日独伊三國間條約」「Deutschland,Itarien,und Japanischen dreimeichitepakt」と銘をうっており明らかに軍事同盟なるタイトルは存在しません。日本の教科書の記述のミスは今日昨日はじまった事では無いのですが充分に再考の余地があると思います。--Ouverture 2006年11月12日 (日) 21:35 (UTC)[返信]
  • いえいえ。三国同盟のドイツ語テキストにも「軍事」なる表記一文は一切存在していなかったと言う意味でコメントをさせて頂きました。文書が舌足らずになり申し訳ございませんでした。--Ouverture 2006年11月16日 (木) 22:02 (UTC)[返信]
    • 「改名タグ」についてお尋ねします。1942年1月18日の「軍事同盟」があったとして改名を要請されていますが、1942年1月18日の「軍事同盟」とは何でしょう?Full text を11月26日までに回答ください。Hartmann 2006年11月19日 (日) 13:20 (UTC)[返信]
  • 横から失礼しますが、「条約そのもの」とその結果としての「同盟状態」とを区別して論じたほうが妥当かと思います。本項を条約について説明するページとするのであれば正式名称は「~三国間条約」であり軍事の文字は直接はありません。同盟について語るのであれば、正式名称はありませんし、内容としては軍事同盟として評価されても誤りではないと思います。42年1月18日、というのは何でしょうかね?とりあえず当面忘れてもいいように思いますが。。--磯多申紋 2006年11月30日 (木) 21:11 (UTC)[返信]
「~三国間条約」と「単独不講和協定」は一連の合意としての性質を有していますので一つの記事のほうが良いと思います。項目名は現在のまま同盟状態についてとし、開戦に関する条約である「~三国間条約」と、講和に関する協定である「単独不講和協定」をその内容として記載すればよいように思います。現状から項目名と構成は大きく変える必要はなく、あまり詳しく論じられていない「単独不講和協定」に関する部分を適宜膨らませていけばよいように思います。如何でしょうか。--磯多申紋 2006年12月1日 (金) 03:26 (UTC)[返信]

改名に関するテンプレートを本文から外しておきます。--磯多申紋 2007年3月6日 (火) 20:11 (UTC)[返信]

日本の降伏

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同盟の消滅「8月15日には日本が降伏し、三国軍事同盟は消滅した。」という記述がありますが8月15日に日本が降伏したという考え方もできますが正式には9月2日と記すべき ではないでしょうか?

2023年5月14日 (日) 08:24‎時の編集について

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2023年5月14日 (日) 08:24‎時に行われた編集のうち過去合意違反となる「日本」→「大日本帝国」編集部分について差し戻しました。同合意で戦前の日本の表記は「日本」で問題ない点が確認されており、出典として付されているコトバンクの各事典もどれも「日本」と定義していますので変更の必要性がありません。--mona会話2023年6月28日 (水) 10:22 (UTC)[返信]

2024年7月21日 (日) 以降の、「軍事同盟でなく相互援助条約である」趣旨の編集について

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とある著名なX(Twitter)ユーザーの発言以降、同趣旨の編集が連続しています。 (現時点での差分は こちらです) 有効な出典を付与したうえで投稿してください。

出典についてはこちらを参照してください。 Wikipedia:出典を明記する

Wikipedia:検証可能性--DirectHack会話2024年7月23日 (火) 11:18 (UTC)[返信]

利用者:時世 について、7月21日 以前の編集も確認したところ概ね同様の趣旨に基づく変更があったため、こちらもロールバックしました。
検証可能性がある状態や、このように著名かつ歴史的な条約にはコンセンサスのある文言を用いることが好ましいです(例えば、往時にどのように呼ばれていたとしても現代の外務省や防衛省が使っている名称を用いるなど)。--DirectHack会話2024年7月23日 (火) 11:36 (UTC)[返信]
編集差分が2件にわたってしまったため、議論になっている版を一つに統合しました。
「取り消し」が多発し混乱することを防ぐためです。
議論の版の差分はこちらから確認してください。
https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E6%97%A5%E7%8B%AC%E4%BC%8A%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8C%E7%9B%9F&diff=prev&oldid=101213091
私の独自の編集はありません。7月21日〜22日にかけての投稿、および "時世" 氏の投稿について差し戻しただけのものになります。--DirectHack会話2024年7月23日 (火) 18:08 (UTC)[返信]


こんにちは。あなたは「条約本文は出典ではない」と主張していますが、ウィキペディアでは公文書は出典として認められています。歴史的条約の名称や本文に全く存在しない文言の掲載は不適切であり、独自研究にあたるため認められないです。

また現在の呼び方が、出典の内容を変更するまで優先される理由がないです。(記事タイトルのみの話です) 出典(公文書)を削除する行為は荒し行為にあたるため、以後気を付けてください。 あなたにも私にも「出典の採用、不採用を決める」という権限は認められていないことに気を付けてください。 --時世会話2024年7月23日 (火) 15:49 (UTC)[返信]

> あなたは「条約本文は出典ではない」と主張していますが
おそらく、私はそのような主張をしていません。
「三国同盟」の名称については、前記のとおり、外務省に当時(昭和15年)の記録から、現在にいたるまで「三国同盟」の名称が用いられています。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/st-12.html 他多数。
防衛省のサイトにもそのような記述が多く見られます。
また、教科書にどのように書いてあるかはこのノートの上の方にまとめがあります。ご確認ください。--DirectHack会話2024年7月23日 (火) 17:13 (UTC)[返信]

「現在にいたるまで「三国同盟」の名称が用いられている」ことと「条文そのものに同盟の単語が一切使用されていない」ことはわけて考えるべきではないですか?  法律も、通称や略称がつかわれ正式名称は使われませんよね。  つまり、通称と法的効果は全く別のものです。通称で同盟が使われていた事実は事実として明記し、法的効果として同盟が無いことはわけて考えるべきですよ。  また、条約本文よりも、どこかの防衛省や外務省にかいてあるということは「通称」の問題であって、省庁のどこかにかいてあるからといって「法的効果」が発生するわけではないからです。ご理解いただけましたか。「通称」と「法的効果」は全く別物です。--時世会話2024年7月23日 (火) 21:01 (UTC)[返信]

 議論を一元化するため以下「同盟と相互援助について」にまとめてレスポンスくれたら嬉しいです!--時世会話2024年7月23日 (火) 21:21 (UTC)[返信]

相互援助と同盟の違いについて

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 日独伊三国条約の名称および本文には「同盟」の文言は全く存在しないため、この記事中に「同盟」の語句を使用するのは、その当時およびそれ以後の「民間」や「俗称」として使用されていたという事実のみを記述すべきであり、条約の効力自体が「同盟」であったとする出典が無い以上、認められないと考えますが、皆様のご意見をお聞かせください。オリジナル条約原文は「日独伊三國間條約」「Deutschland,Itarien,und Japanischen dreimeichitepakt」であり、名称および本文中にも「同盟」の語句は存在しません。(一方で、ドイツイタリア間の鋼鉄協約には、条約タイトルと本文にも同盟の文言があり、対照的です。) --時世会話2024年7月23日 (火) 16:19 (UTC)[返信]

外務省の昭和15年の文書にも、「日独(獨)伊同盟条約締結要録」」とあるように、当時から現在に至るまで同条約が「同盟」と称されていたことは確認できます。
また、百科事典、書籍、防衛省資料、各種の教科書、新聞報道、諸々の外交研究に至るまで「三国同盟」の語句を用いており、個別に出典を貼るまでもないと思いますが
時世 さんが言うような「(仮に現代過去にわたり同盟と称されようとも) "条約の効力自体が「同盟」であったとする出典が無い" 」 という主張にこそ、出典を付与して主張されるべきです。
条約原文はそれぞれ
- three powers pact : 交渉上の正文、英語。(上記外務省文書 "第七、条約文及附属交換公文(PDF)" から確認できる)
- 三国条約:日本語。(同上資料)
- dreimeichitepakt:ドイツ語は専門外ですが、英語と同意。
さて、PACT これ自体は条約と訳すことは妥当のため、またAllianceに類する語もありません。
このことをもって、「交渉要録や往時の報道、政府文書、現代の教科書に至るまで"同盟"とあるが、条約本文には"同盟"とは書いていない」旨を記述することは可能でしょうか?
- Wikipedia:信頼できる情報源 をご参照いただきたいのですが、条約本文は「一次資料」になります。
- Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料 もご参照いただきたいです。「条約本文(一次資料)に〜〜と書かれているから、〜〜だ!」というのは一次資料を直接参照しています。もちろん、必ずしも禁止ではないものの、望ましくはない状態です。二次資料の出典の明記により「〜〜(学者等)による条約解釈によると、〜〜とされてる」といえるような状態が望ましいです。
さて、そこで大変恐縮なのですが、そのような出典の付与は可能でしょうか?
(補足的に、独自研究に対しての反論のようなので捨て置いてくださっても構いませんが「鋼鉄協約には同盟の語句があるが三国同盟には語句ないため同盟でない」旨の主張に対して反論を提示いたします。日米安全保障条約について、またはNATOの根拠である北大西洋条約について、明らかに軍事同盟ですが同盟の文言はありません。)--DirectHack会話2024年7月23日 (火) 17:53 (UTC)[返信]


日独(獨)伊同盟条約締結要録は、本のタイトルだけに同盟の語句が使われていますが中身には無いですよ。 一次資料、二次資料とは「資料」の話で、今回は、法律(条約)の話ですから、まず条約の内容を記載し、それからその条約をどのように表現していたか、という事実を記載すべきですよ。あなたの「同盟だと言われていた」という事実はわかりますが(新聞等。ですから記事タイトルも新聞に準拠)、通称で法的効果(事実として同盟だったか)は別です。法文に存在しない文言を法文に存在するかのように書くことは認められないと思いますよ。また、一次資料は望ましくなく二次資料は望ましいというのはあなたの主観だと思います。二次資料は一次資料が何らかの理由で利用できない場合に使用されます。

 日米安保には明確に「防衛」という兵力を伴う集団的自衛権の規定があり、北大西洋条約機構も同様です。「防衛」とあり「援助」とはかいていませんよ。よって比較になりません。  一方で、同時期に締結されたタイとの条約では明確に「同盟」とかいてある。  あなたの理屈ですと、日露協約(二次)で、日本とロシアは相互援助するとかいてあるから、日露戦争後に日露同盟が成立したことになってしまいますよ。  条約そのものをを改ざんすることはしては駄目です。

以上から、「交渉要録や往時の報道、現代の教科書に至るまで"同盟"とあるが、条約本文には"同盟"とは書いていない」と正しく書きましょう。 何度も言いますが、「条約本文」という「出典」を否定したり削除するあなたの行為は、認められませんよ。 条約に書いてあるのですから、それが間違っているというならば大審院または最高裁判所の判決、国際司法裁判所の判決をだしてくるべきでしょう。 --時世会話2024年7月23日 (火) 21:00 (UTC)[返信]


 多分議論が交差するの箇条書きにしますね。

 ➀通称として同盟の語句が社会一般使用されていたことについて→ 合意

 ➁法的効果として同盟があったかについて→ 出典なし

 ➂ほかの条約が「同盟」と「相互援助」を使い分けている事実について「差はない」とする主張について→ 出典なし

  日泰攻守同盟条約  →同盟と明記 →実際に宣戦布告(タイからアメリカ)

  日英協約(日英同盟) →同盟と明記 →実際に宣戦布告(日本からドイツ)

  日露協約(第二次)  →相互援助と明記 →宣戦布告の規定なし

  日独伊間三国条約  →相互援助と明記 →宣戦布告の規定なし

 このあたりを整理するとわかりやすいのではないでしょうか。--時世会話2024年7月23日 (火) 21:20 (UTC)[返信]

「条約本文には"同盟"とは書いていない」ことは「条約に書いてある」ことではありません。条文に同盟の語が登場するかどうかと、実際に同盟として機能したかは別問題です。機能しなかったというならそういう出典も必要です。--フューチャー会話2024年7月23日 (火) 21:41 (UTC)[返信]
「相互援助か同盟か」について、ここで議論することは本来好ましくありません
Wikipedia:信頼できる情報源を併記したうえで編集していただくことが好ましいです(再度お読みになってください)。
つまり、あなたの主張ではなく、情報源の主張を載せてください。
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そのうえで、まだこのページでの議論が必要でかどうかについて検討しましょう。
たとえば、三国条約の第三條には『何レカノ一國ガ…攻擊セラレタルトキハ…有ラユル政治的、經濟的及軍事的方法ニ依リ相互ニ援󠄁助スベキコトヲ約ス』とあり、北大西洋条約の第五条も『(略:締約国は、武力攻撃を受けたときは)…その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する。』とあります。
文面は一見すると似ています。
これは自明でしょうか?北大西洋条約が軍事同盟であるなら、三国条約もまた軍事同盟でしょうか?
結論としては、ここで議論するべきではありません
条約の文面が一見して似ているから(または似ていないから)、〜〜である、というような主張は、専門家による高度な議論の対象であり、Wikipediaはその場ではないからです。
一見して自明でないことを議論して決める場ではありませんWikipedia:ウィキペディアは何ではないか の、 ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません が短くまとまっているのでお読みください。
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こちらについても補足します。
> 一次資料は望ましくなく二次資料は望ましいというのはあなたの主観だと思います。二次資料は一次資料が何らかの理由で利用できない場合に使用されます。 --時世(会話) 2024年7月23日 (火) 21:00 (UTC)[返信]
私の主観ではなく、20年近く前からのWikipediaの基本方針です。
再々々掲かな。 Wikipedia:信頼できる情報源 および Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料 をお読みください。
> 解釈を含む主張や分析、総合的判断を含む主張は、いずれも二次資料を出典とすべきであり、それらの記述に際して一次資料をウィキペディアンが独自に分析してはなりません
--DirectHack会話2024年7月24日 (水) 01:09 (UTC)[返信]