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ノート:日本民族

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琉球民族?

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民族問題から琉球民族に関するものは削除したほうがよいのではないでしょうか。琉球方言のルーツは日本語ですし、文化的にいっても日本のそれと近いものが数多くあります。年中行事でいえば、ひな祭り、端午の節句、七夕、七五三、盆、大晦日、盆(旧盆)、正月、節分などが日本の文化に近いと言えるのではないでしょうか。
あるまじろ 2006年3月9日 (木) 03:40 (UTC)[返信]

言語についていえば、琉球方言と本州方言はともに同じルーツを持つ、というのが正確です。言語的には英語とドイツ語、あるいはフランス語とイタリア語くらいの距離はあります。この共通祖語を「日本語」と呼ぶのは不適切でどちらが正当な後継者である、というようなことはありません。また、文化的にも、独自の宗教と民俗を有しています。おっしゃっている共通部分も存在しますが、それはかなりの部分、仏教と中国からの共通影響によるものです。現在の沖縄では本州とかなりの類似を見せるようになっていますが、それは併合後の同化の問題です。実は現在、テレビなどで沖縄弁とされているものは、テレビの導入以降一般化した、本土方言の沖縄訛りで、本来の琉球方言はもっと本州方言とは異質です。また、民族問題は、民俗・言語の近さとは無関係に起きるので、近さを基準にいちがいには論じられません。もちろん、現在、琉球人のアイデンティティとして日本人というのが一定以上定着し、分離運動的なものもつよくないこと、同化がかなり進行していることは事実ですから、琉球民族を民族として呼称するかどうかは微妙な領域で、とりわけ民族学では帰属意識をもっとも重要視しますから、結局は、沖縄人の意識にかなりの部分かかっています。しかし、ともかく、少なくとも、沖縄処分までは、異なる独立の民族であったことは異論の余地がないと思います。Clinamen 2006年3月9日 (木) 03:52 (UTC)[返信]

ところでこの項目、いろんな意味で気になります。解説というより概念自体の問題かもしれないのですが。沖縄から北海道までの日本が成立したのは江戸期です。つまり、東北征服は平安時代、北海道の支配は中世から近世にかけて、琉球の薩摩による征服は江戸時代はじめです。それで7世紀に日本の領域にいたものを日本民族、という括りは時代錯誤を犯しています。また、アイヌ・ウィルタ・ニヴフを日本民族と呼ぶのもちょっとどうかと思います。民族は帰属意識と文化・宗教と言語を基準にするもので、国籍や居住領域を基準にしたくくりを「民族」と呼ぶのはかなり変です。普通はヤマト民族をさす言葉なんじゃないでしょうか。すくなくともこの「広い」ほうの概念には批判的コメントが必要な気がします。Clinamen 2006年3月9日 (木) 04:06 (UTC)[返信]

もう一点、「似た民族」の項目は、民族ではなく人種について言及しているようにおもいます。「日本民族」がいつのまにか「日本人」にすりかわっているようです。このへんも一行が必要かと。Clinamen 2006年3月9日 (木) 04:14 (UTC)[返信]

他の方も書かれていますが、琉球民族が確定されてない段階(政治家・研究者・住民共)で、文章を構成するのはまだ時期尚早ですね。また、「ウチナンチュー」ですが、もともと沖縄島内の住民を指す言葉で、それが沖縄全体を示す言葉に変化したようです。奄美諸島の住民は、「しまんちゅ(しまっちゅ)」などを使い、「ウチナンチュー」とは言いません。--60.46.87.191 2006年9月6日 (水) 05:25 (UTC)[返信]

琉球民族の存在を否定するコソドロ的な書き換えが目立ちます。 自説に自信があるのなら、動的なIPアドレスを使わず、きちんとアカウントを取得してから編集を行なって下さい。真摯な編集態度を見せて下さい。--Htk5346 2006年9月22日 (金) 16:12 (UTC)[返信]

さすがはHtk5346氏、自分の事は棚に上げて、言うことが違いますね。私は、琉球民族の意見までは否定してません、両論併記を否定し誤魔化す為の方便は止めて下さいね。決めるのは貴方ではなく、貴方の主張によると「琉球民族」である、私や私の集団が「民族」を決めます。貴方の様に、いろいろと工作する人は信用できませんね。--61.207.206.148 2006年9月23日 (土) 11:22 (UTC)[返信]


間違っている人々の立場を記述する必要があるでしょうか?

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「国籍や居住領域を基準にして、北海道、樺太に住むアイヌ、ウィルタ、ニヴフの三つの民族も含めて、一つの「民族」であると主張する立場から、この呼び名が選択されることがしばしばある」と言う記述ですが、「アイヌ、ウィルタ、ニヴフの三つの民族も含めて、一つの「民族」であると主張する立場」をとる人々が間違っているのですから、そっくり削除してよいのではないでしょうか?--210.164.1.71 2007年2月28日 (水) 07:22 (UTC)[返信]

大和民族とくっつけていいのでは?

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めったに聞かない異称で項目を立てとく必要はない気がしなくもない Blueroses5327 2007年3月12日 (月) 00:41 (UTC)[返信]

統合提案

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この記事「日本民族」を、記事「大和民族」に統合することを提案します。 (理由)同一の事物に関して作られた重複記事のため。 (方法)「大和民族」を存続記事とし、「日本民族」という呼称も有り得ることは節として説明します。--Lakebuel 2009年12月19日 (土) 17:20 (UTC)[返信]

報告 提案告知後一定期間を経ましたので、統合を試みます。--Lakebuel 2010年1月6日 (水) 09:03 (UTC)[返信]

「日本人」へのリダイレクト化

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現在のこの記事では、第一義として「アイヌを含む日本人」と書かれていますが、それには何か学問的根拠などがあるのでしょうか。

小熊英二『単一民族神話の起源』は、例えばエドワース・S・モースの日本民族論について述べるさいに、アイヌ民族が日本民族に含まれないことを前提としています(同書20頁)。これは特殊な事例なのでしょうか。そうは思いません。

喜田貞吉「日本民族」とは何ぞや」は、日本民族に「やまとみんぞく」とルビを振っていますから、明らかにこれは大和民族を指しているのかというと、そんな単純な話ではありません。この論説にもあるように喜田貞吉は、日本民族は複合民族だと唱えた人物だからです。そしてアイヌにたいする差別解消のための同化主義を主張したことでも知られています。この喜田の同化論が実際にはアイヌは日本民族に同化されていないという認識を前提にしていることは自明です。

けっきょく、日本民族という言葉をどの範囲に適用するかは個々の論者の民族論とセットになっている場合があり、複雑な問題をはらんでいます。日本人の記事は民族集団としての日本人についても扱っているので、そちらの記事へのリダイレクトにするのが無難であり中立的だと思います。--Doomreaper会話2019年1月25日 (金) 16:00 (UTC)[返信]

報告 反対の意見の方はいらっしゃらないようですので、リダイレクト化を実行しました。--Doomreaper会話2019年2月7日 (木) 14:18 (UTC)[返信]