コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:日本標準時

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

日本標準時制定記念日の日付は?

[編集]

「日本標準時制定記念日」について、「7月12日」と「7月13日」が錯綜している様ですが、 どちらが正しいんでしょうか? --61.126.136.72 2008年7月12日 (土) 15:58 (UTC)[返信]

どちらとも言い難い、というのが正直なところですね。日本標準時は明治時代の勅令(今の政令に相当)で規定されたので、少々厄介なのです。今は政令への天皇親署と大臣署名の日付は官報掲載日と同じにしてあります(実際はその多くは前日までに署名が終わってるけど掲載当日に署名したことにしている)。しかし旧憲法時代には、実際に署名した日が原本に書かれ、で、今より印刷・通信・輸送技術が劣っていた時代ですから、官報掲載は数日後になることが多かったのです。この場合、原本には「七月十二日」とあるけど、官報公布という形で国民(当時の臣民)に正式に発表されたのは「七月十三日」となります。
こういう場合、法的には署名の日じゃなくて公布の日を「正式な日付」とするようです。たとえば、「勲章制定ノ件」などを見れば、総務省法令データ提供システムでは明治天皇が親署した明治8年2月(日は不明)を用いて「明治八年二月太政官布告第五十四号」とすることなく、官報に掲載された同年4月10日を用いて「明治八年四月十日太政官布告第五十四号」としてますよね。ただ、これはあくまで法的な認識での話であって、たとえば、標準時の制定を祝う任意の民間団体があったとして、その民間団体に「法的には13日だぞ」と強要はできないわけです。人それぞれ考え方がありますから、「畏れ多くも明治陛下が親署されたのは12日だからそちらを尊重する」という方がおられれば、そうですか、と言うしかない。
ですから、こういう旧憲法下の「署名日と官報掲載日がズレている法令」の日付については、法的な解釈は確定しているけど、一般社会で引用する場合にまで強制はできない、ということになると思います。--無言雀師 2008年7月13日 (日) 04:24 (UTC)[返信]
コメント通りすがりの者です。へぇ~、そうだったのですね。僕はてっきり、畏れ多くも天皇がご署名なされた日だと、理解しておりました。
因みに、「法的な解釈は確定している」と書かれていますが、其の根拠となる法令は何でしょうか?其の根拠となる法令を示していただけますでしょうか?まさか、e-Govでの事例のみなのでしょうか?なのであれば、其れは単にe-Govのシステム上の扱いであって、いくら、政府が提供するシステムであっても、其れは若しかしたら、「公式な解釈」には該当するかもしれませんが、法令で明記されていないのであれば、「法的な解釈」とはいえないのではないのでしょうか?
--124.141.13.100 2019年7月21日 (日) 11:03 (UTC)[返信]

法律上,「中央標準時」が天文時である情報源。

[編集]

「日本標準時」を策定している組織のQ&Aにあったので参考までに http://jjy.nict.go.jp/QandA/FAQ/other_qa.html --220.148.235.45 2013年7月30日 (火) 23:48 (UTC)[返信]

「中央標準時」について

[編集]

導入部のTemplate:Redirectの記述によると、どうやら、「中央標準時」は、この記事に転送されているようなのですが、態々Template:Redirectで記述する必要があるのであれば、「中央標準時」は曖昧さ回避ページにすれば良いのではないのでしょうか?
まさか、曖昧さ回避ページ1ページのために、「サーヴァーが!サーヴァーが!!」なんて仰いませんよね?もし、曖昧さ回避ページ1ページのために、このサーヴァーの負荷を気にしていらっしゃるのであれば、「Wikipedia:サーバの負荷を気にしすぎない」をお読みください。
⇒関連(紹介)記事:Wikipedia:サーバの負荷を気にしすぎない
--124.141.13.100 2019年7月21日 (日) 11:40 (UTC)[返信]

コメント 単に「中央標準時」といえば日本標準時のことを指すからリダイレクトになっているのであって、現に曖昧さ回避の対象になるような記事の候補もないので、本件は特に曖昧さ回避する必要はない (WP:NOTDAB) と考えられます。リダイレクトや曖昧さ回避というのは手段であって、目的ではありません。--Doraemonplus会話2019年7月21日 (日) 12:02 (UTC)[返信]

伊能忠敬と天気図の件

[編集]

「標準時の通報の歴史」の節の「標準時の報時のはじまり」の箇条書きの最初の項目として

  • 1883年伊能忠敬が地図の基準を三条西改暦所にしたので、日本最初の天気図にアルファベットでトキオ時、16分遅いトキオ時、24分進んだナガサキ時などが見られる。

とありました。しかし、この内容は標準時の報時と関係なさそうです。また、1883年と伊能忠敬とは関係ないし、1883年の日本(現存)最初の天気図の時刻は Kioto time (京都時) で書かれていて、そこには Tokio 時や Nagasaki 時は見あたりません。このように、意味不明な文なので、消すことにします。--Masudako会話2020年3月28日 (土) 15:50 (UTC)[返信]

もし、「前史」のような一節をたてて、標準時が制定されるまえにどんな時刻体系がつかわれていたかを総合的にのべるのならば、事例のひとつとして「1883年の日本(現存)最初の天気図には京都時がつかわれていた」ということをふくめるのがよいと思います。--Masudako会話2020年3月28日 (土) 16:14 (UTC)[返信]

日本(現存)最初の天気図は、気象庁ウェブサイトの気象庁の歴史のページ にありますが、その同じPDFファイルに収録された「天気報告」の中の「現象及変化」の注記として、Kioto Time と並列にTokio と Nagasaki があることがわかりました。消した文のうち「日本最初の天気図に...みられる」は、「天気報告」を「天気図」の部分だとみなし、最初の「トキオ」を「キオト」となおせば、それ自体は正しいといえます。しかし、標準時の報時の文脈にあわないので、消したままにします。--Masudako会話2020年3月28日 (土) 18:14 (UTC)[返信]