ノート:日本書紀
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この「日本書紀」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2004年2月21日 | 秀逸な記事選考省略 | 選考制度以前の認定 |
2. | 2005年6月27日 | 秀逸な記事の再選考 | 維持 |
3. | 2006年12月8日 | 秀逸な記事の再選考 | 除去 |
出典検索?: "日本書紀" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · ジャパンサーチ · dlib.jp · ウィキペディア図書館 |
仮見出し
[編集]説話ごとの詳しい解説は、説話のそれぞれに項目を作っていけば、いいと思います。Stanislaus 14:47 2004年2月9日 (UTC)
外部リンクに「古代史最前線 公式ホームページ」ってのがありますが、これは日本書紀とそんなに関わりのあるリンク先なのでしょうか?先ほど、古代史最前線を見に行きましたが、白河旧事紀が日本書紀の元ネタであるということを主張されている団体のサイトでした。外部リンクとしては不適切な気がします。--おが 2005年3月13日 (日) 01:22 (UTC)
- 私も不要だと思います。他にもあちこちに埋め込まれているようなので、まとめて外します。Kinori 2005年3月13日 (日) 04:01 (UTC)
>『日本書紀』の誤りは、月朔干支(げつさくかんし)の「閏(うるう)」の字を脱落させていることである。 と、ありますが、正確にはどう表記するのでしょう。漢文の知識のある方、補っていただけますか?Revth 2005年3月18日 (金) 04:26 (UTC)
「しかし、歴代の学者には「一書に曰く」というような、引用文献方式の論文形式が好意的に考えられすぎて、神道理解の中心を本居宣長出現まで担っていた。本居宣長は、「人はいろいろ言うけれど自分の目を凝らして真理を見つめなさい。」というメッセージを「古事記伝」に書きとめその後から古事記の地位が高まり、現在までもその抗争が続いている。日本書紀の書かれ方はいかにも現代風で、多くの層が手に入る、書籍がかなりある状態で書かれたようにも見られる。一方、古事記は誰もが手軽に参照できない参考書籍や、口伝をかなり苦心してひとつの物語にしたような時代背景が感じられるというのである。 」
- 何だか変な感じがするんですが?--以上の署名のないコメントは、218.229.174.166(会話/Whois)さんが 2006年8月14日 (月) 12:41 に投稿したものです(クイスギによる付記)。
『緯書』という表記
[編集]<讖緯(しんい)の説>の項に、こういう表記があります。緯書は、経書に対応する、一群の書物を指した普通名詞であり、固有の書名ではありませんので、『』でくくるのは、不適です。『経典』と書いているのと同じです。保護解除後に修正しなければなりません。 --Nakadati 2006年11月27日 (月) 10:20 (UTC)
讖緯説の説明で
[編集]<讖緯(しんい)の説>の項に、「戊辰革運」とあるのは間違いで「戊午革運」ですね。--以上の署名のないコメントは、Murasagi(会話・投稿記録)さんが 2006年12月1日 (金) 09:32 に投稿したものです(クイスギによる付記)。
「文体・用語」の一部を書き直しかけたのですが、ネタ元がNHKの番組で内容もうろ覚えなので、ノートに書くことにしました。
- ところで『日本書紀』は歌謡などを除いて中国語(漢文体)で書かれているが、その中には語彙や語法に「倭習」がみられる(古くは本居宣長も指摘している)。倭習とは、日本語的発想に基づく誤用や奇用のことで、和臭とも書かれる。森博達は『日本書紀』のうち、渡来人が書いた巻と日本人が書いた倭習の見られる巻を区分したが、森によれば、巻二十四、巻二十五は、渡来人が執筆した巻にかかわらず、大化の改新に関する箇所に倭習が見られ、渡来人が書いた巻を後から日本人が加筆修正したのだろうという。(「加筆」が認められれば従来の「蘇我氏逆臣説」を修正する必要があるかもしれない)。
あと、仏教伝来の年が『日本書紀』(552年)と「上宮聖徳法王帝説」「元興寺縁起」(538年)で異なるから、といって『日本書紀』が改変された論拠とするのは少々違和感あり。 --忠太 2007年2月6日 (火) 16:22 (UTC)
成立過程の項で『先代旧事本記』が偽書と書かれていますが、間違っていませんか?--我是2007年3月23日(金)20:50(UTC)
紀年論のところで、学界で全く相手にされていない珍説を執念深く書き込む人がいますが、そのような独自説を書き込むのは控えてほしい。--123.198.69.183 2008年6月6日 (金) 11:36 (UTC)
①稲荷山古墳鉄剣銘文は「意富比垝(オホヒコ)」から「乎獲居臣(ヲワケの臣)」にいたる8人の系図を記録している。 ②銘文にある「意富比垝(オホヒコ)」を『日本書紀』、『古事記』が記録する第八代孝元天皇の第一皇子「大彦命」であるとする説がある。 ③『本朝皇胤紹運録』によると「大彦命」の孫は「豐韓別命」。 ④「意富比垝(オホヒコ)」と「大彦命」が同一人物なら、『日本書紀』の四道将軍の記事と稲荷山古墳鉄剣銘文の記録が結びつくことになる。
①は事実です。②は事実です。平凡社『世界大百科事典』の「大彦命」の項目(川口勝康先生の解説)、「稲荷山古墳」の項目(岸俊男先生による鉄剣銘の解説)をご参照ください。③安本美典先生の解説によります。倭王武と雄略天皇 稲荷山古墳出土鉄剣銘文 ④意富比垝は稲荷山古墳鉄剣銘文にある人物名、大彦命は『日本書紀』の記す四道将軍の一人ですから、もし意富比垝と大彦命が同一人物を指すなら、四道将軍の記事と稲荷山古墳鉄剣銘文の記録が結びつくことになるでしょう。--黄金もち 2008年7月29日 (火) 14:36 (UTC)
削除依頼が提出された場合に備えて
[編集]八木秀次氏の著書『日本人なら知っておきたい!Q&Aで分かる天皇制度』(扶桑社、2006年7月30日発行)の「古事記・日本書紀とは」(250頁、251頁)の記事はWikipediaの日本書紀の2006年2月27日 (月) 11:02 (UTC) の版とほぼ一致します。削除依頼が提出された場合に備えて、Wikipediaの記事のほうが先に存在していたことを指摘しておきます。扶桑社のホームページのお詫びとお知らせも参照のこと。--まさふゆ 2009年1月19日 (月) 10:19 (UTC)
『百済旧記』をめぐる編集合戦
[編集]『百済旧記』なる書名の掲載をめぐって編集合戦がありましたので、1週間保護しました。聞き慣れない書名ではありますので、掲載しようとする場合には出典を提示して、このノートでどのような形で記載するかを話し合ってみてください。--Kinori 2009年3月20日 (金) 15:45 (UTC)
- とりあえず、Google検索結果です。虚偽の書名と思われます。--松山の暗黒騎士・暗黒な方【話|録】 2009年3月20日 (金) 16:40 (UTC)
- 本記事中で問題なのは『日本書紀』編者が何を参照したのか、であり、『書記』本文にはこれを『百済本記』と明記してますから、仮に『百済旧記』なる書が存在する(した)にしても、該書物が本記事に入り込む余地はないと思います。--胡亂堂 2009年3月21日 (土) 10:54 (UTC)
当時の国際政治的状況との対応
[編集]この項が全般にわたり恣意的すぎると思われます。
・大和の権威を高めるために編纂されたのは周知だが、特に、朝鮮半島関係の造作は著しいと指摘している。 →著しい違いがあるのは三国史記ぐらいだと思います。
・その背景として、日本書紀の編纂が白村江の戦いで新羅に敗れてから間もないため、言葉の上だけでも朝鮮半島に威張りたいという心理があったと指摘する。 →白村江の戦い(663年)、日本書紀(720年)およそ60年ほど離れています。”朝鮮半島に威張りたいという心理”とは?。言葉の上だけであったのでしょうか、違うと思いますが
・大和朝廷が中国から導入した、自身を中心とし周辺国を蔑む天下的世界認識や華夷思想によって、朝鮮半島の新羅を「蕃国」と位置づけたが、このような天下的世界認識は中華文明を同様に受容した新羅にも存在するため、所詮は主観的な認識の次元だと指摘する →新羅・百済が中国・倭の文献において属国として描かれてる以上仕方ないことではないでしょうか。中華思想に原因を求めようとする内容を載せることがこの項目にとって必要か再検討お願いします。特に当時から中華思想の影響が強かったのは中国や朝鮮なのでは?
・沈仁安は朝鮮の正史である三国史記を以て日本書紀の記述を訂正することは相反しないと指摘する。 →日本書紀(720年)、三国史記(1145年)。そもそも三国史記こそ後年に記されたものであり根拠とする資料が逸失書や中国との文献とも合致しない部分が多い。三国史記が製作された目的がそれこそ自分たちとって都合のいいものを作ることではないのかとその当時から言われ続けてきたものです。朝鮮の正史であることが正しいものであり、日本書紀の問題点に繋がるというのはあまりに酷い。
・本書紀の編纂意図について、日朝関係を中国と周辺国間の朝貢関係に類似したようなものに作り上げようとしたと指摘する。 →少なくとも7~8世紀以前に朝鮮(ツングース系中国人・百済、朝鮮人系・新羅)からの朝貢はあったとされていると思うのですが?この手の内容の連投が目立ちます。
・倭王権の派遣軍は百済の傭兵的性格を帯びていたという事実が誇張・拡大されて、「任那日本府」の存在や、倭王権の「官家」たる百済・「任那」の従属を核とする内容の史的構想が成立したとする →倭が百済の傭兵的性格を帯びていたとはどういうことでしょうか?百済が官家?臣のことでしょうか?
・何もかも失った大和とは対照的に、新羅は唐をも破って朝鮮統一をしてしまったために、大和は新羅から先進的な政治体制や文化を学ぶ一方で相当な危機感を持っており、こうした危機感から生まれたナショナリズムが日本書紀編纂の際に形となって表れたと指摘する
→自国で戦争したわけではないのに何もかも失った大和。唐を直接破っていない。新羅からの先進的な政治体制や文化とは?文化なら百済・高句麗の中国系ならまだ分かりますが・・・。危機感から生まれたナショナリズム(この項目全体で朝鮮人の方と思われるナショナリズムで投稿されている下りがあるように思います?この点につき他の方の意見おねがいします)
--ここぞ 2009年11月21日 (土) 13:41 (UTC)ここぞ—122.27.1.205(会話・投稿記録)による偽署名、投稿日時は2009年11月21日 (土) 04:41 (UTC)。
- どうか下記されている参考文献の著者の方に言って下さいな。--211.175.145.220 2009年11月22日 (日) 11:34 (UTC)
画像資料の収蔵施設を知りたいのですが・・・。
[編集]冒頭に画像として掲載されている日本書紀(平安時代の写本)は、どこの施設に収蔵されている資料なのか、わかれば教えてください。--59.86.7.197 2011年1月18日 (火) 02:38 (UTC)
「『日本書紀』目次」節についての質問
[編集]現在「『日本書紀』目次」節の「卷第十七」の項において二度「近江野毛」という語が出てきます。これは2011年9月18日 (日) 07:55(UTC)の編集 において水平芳さんが追加された部分です。しかし実際に『日本書紀』を読むと、「野毛」ではなく「毛野」となっていますし、Wikipediaの該当記事名も近江毛野となっています。「野毛」というのは誤記ではないでしょうか。それともそのように表記する場合があるのでしょうか。水平芳さんは2011年10月31日 (月) 15:23(UTC)に無期限ブロックされていますので対話は困難と思いここに書かせていただきます。1週間待って修正反対での合意に至らなければ、修正編集を行いたいと思います。--61.125.219.213 2018年6月20日 (水) 23:47 (UTC)
- 1週間経過しましたがご意見がないので、修正させていただきたいと思います。--61.125.219.213 2018年6月28日 (木) 09:13 (UTC)
- 完了しました。--61.125.219.213 2018年6月28日 (木) 09:17 (UTC)
§倭奴国・帥升と『日本書紀』・§高句麗の建国の記載について
[編集]- 直近で追加されたこちらの節の中で「奴国王は垂仁天皇、大夫は田道間守、107年の倭国王帥升は景行天皇またはヤマトタケルと編者が考えていたことが推測される」とあるのですが、これは明確な出典が必要な推測と思われます。管見の限り、紀年論を取り扱ってる概説や研究史のまとめの中で、奴国王と天皇の年代対応を行っている重要な研究を確認できず、上記の記述の出典を追加いただければと思います。また、倉西のまとめによる限り、紀年論の主要論点の研究史中にも景行天皇とヤマトタケルの年代設定は含まれておらず、出典を付した上で注釈等で記載するべき話かと個人的には考えます。
- また、§高句麗の建国について、についても「『日本書紀』崇神天皇紀に高句麗の記事は無いが、蘇那曷叱知、都怒我阿羅斯等、天日槍と半島関連記事が崇神末から垂仁天皇初期に集中していることは注目される。」とありますが、この記述にも出典が必要なものと思われます。この節についても、『日本書紀』自体の解説とは関係が薄く、どちらかというと高句麗や『三国史記』の記事で注釈的に触れるべき内容と考えますがいかがでしょうか。--TEN(会話) 2020年11月22日 (日) 02:29 (UTC)
- ご指摘ありがとうございます。これは出典を欠く独自研究に該当すると思うので、時間があるときに除去します。先に除去して頂いても構いません。--Capellanor(会話) 2020年11月22日 (日) 03:43 (UTC)