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ノート:日本の降伏

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出典の明記など2

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利用者:大和屋敷さんによる一連の編集の問題点の第三弾となります:「この通信」としか書いていない小倉さんもよくないのかもしれませんが、「同盟通信により報道された」という箇所についての出典を付けてください。NHKの日本の無条件降伏を「決定前」に伝えた国際放送という記事を読みましたが、報道した主体がわかりませんでした。NHKなので同盟通信の「手柄」を隠したのかなぁという邪推もしていましたが、共同通信の同盟通信は太平洋戦争中どんな報道していた?によると、「1945年8月10日には、政府による「ポツダム宣言受諾」を対外放送で発信。同盟発のこのニュースは、ロイターやAPなどの海外通信社を通じて世界中に流され、、、」とあります。河出書房新社の『昭和二十年生まれ: 1945』1980年の8頁には「同盟通信社・日本放送協会、海外放送でポッダム宣言ロ条件付き受諾申し入れを放送(国内厳秘)」とあります。その他、ちょろちょろ読んでみましたけど、松本外務次官が同盟通信社の送信と日本放送協会の海外向け放送で海外に伝えるよう命令した、多摩送信所が使われた、という感じなのでしょうか。ただ、「ホーチミンがどれをきいたのか」というのが明確に書かれたものは見つかりませんでした。加筆する際は、出典を明記するよう心掛けてください。Takabeg会話2016年1月18日 (月) 13:52 (UTC)[返信]

改名提案

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より正確に表記するという意図により、日本軍の降伏へ改名を提案します。降伏文書には、「日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ聯合国ニ対スル無条件降伏ヲ布告ス[1]」と記されています。--Husa会話2016年5月23日 (月) 10:32 (UTC)[返信]

反対 すでに包括的に記述されており無用の配慮です。また読者の記事に対する期待に応えることを回避することになりかねません。--大和屋敷会話2016年5月23日 (月) 12:10 (UTC)[返信]
反対 本記事は、終戦工作から書き起こされ、ポツダム宣言の受諾を経て、サンフランシスコ平和条約締結時まで書かれております。「降伏文書」のわずか一文をもって「日本軍の降伏」との改名するのは、表題として狭すぎることになると思います。--二林史夫会話2016年5月25日 (水) 15:05 (UTC)[返信]
反対 上記お二人の反対意見に同意し、反対票を入れておきます。なお、改めてテーマを絞って「日本軍の降伏」が別個の記事として立項されることには反対しません。--山田晴通会話2016年5月27日 (金) 11:18 (UTC)[返信]

無条件降伏

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ご存じでしょうが、日本における無条件降伏は論争となっておりますので、「日本の降伏」と記すか、「日本軍の無条件降伏(日本国軍隊の無条件降伏)」などと記すべきです。引用元の書物の表現を写さなくても、同意のことを表現すればかまわないはずです。ご協力をお願いします。--Husa会話2016年5月27日 (金) 16:56 (UTC)[返信]

無条件降伏に関しては、深刻な論争がある主張ですので、事実として記さないでください中立的な観点に反する記述とならないように、ご協力をお願いします。--Husa会話2016年5月28日 (土) 01:16 (UTC)[返信]

別の場所にも書きましたが、日本が無条件降伏したという事実については、学問上の深刻な論争があるという事実について、客観的な根拠を示す必要があります。wikipediaの記事にあったというのは、不十分であると考えます。--二林史夫会話2016年6月19日 (日) 14:06 (UTC)[返信]

無条件降伏#無条件降伏ではないという説をご覧ください。日本の降伏は無条件ではないと主張している法学者もいます。--Husa会話2016年6月19日 (日) 14:17 (UTC)[返信]

上記記事は、かつてそういった発言をした学者が存在したことが書かれているだけで、それがどのような学問的な背景によるものか、それまでいかなる論争があったのか、さらにはどのような形で現在に引き継がれているのか、まったく不明です。要するにHusasさんがかつて書いたように、「国際法学者間で決着のついていない」という事実は全く示されていません。国会における単発の発言と学問上の議論とを同一視してはならないと考えます。再度、客観的な資料の提示を求めます。--二林史夫会話2016年6月19日 (日) 14:35 (UTC)[返信]

付記 纐纈論文の引用について、「引用」はwikipediaの編集として認められている手法です。これを取り消すのはおかしいです。--二林史夫会話2016年6月19日 (日) 14:45 (UTC)[返信]

二林史夫氏の使用された出典に関してですが、遠山茂樹・今井清一・藤原彰共著『昭和史』は昭和史論争の渦中の本でもあり、これをメインに地の文の大部分を書かれるべきではないと考えます。--Husa会話2016年6月25日 (土) 17:14 (UTC)[返信]
皆様へ。Husa様の会話ページ、コメント依頼、とノート(ここは本議論に関係あるので御覧下さい)を経由し、ここに来ました。ノート:茨木機関#無条件降伏やコメント依頼でコメントしましたが、出典に記載されていない事を書くのは不適切です。第一段階として、本文中に既に提示されている出典に「日本の無条件降伏」と書かれているなら「日本の無条件降伏[出典]」とすべきです。次に「深刻な論争がある」のであれば、「日本軍の無条件降伏であり、日本の無条件降伏ではない」と書かれている出典を提示し、どうすべきか議論すれば良いと思います。第一段階としては、「出典に書かれていない」という理由であればHusa様を支持しますが、「深刻な論争がある」という理由であれば、支持しません、繰り返せば利用者のコメント依頼が提出されるでしょう(本来はそういうタイミングで出すべきで、現状のは早急)。第2段階としては、Husa様を支持したく思いますが、ノート:茨木機関#無条件降伏に記載した通り、私の信仰に絡む話なのでそこは静観します。--JapaneseA会話2016年6月26日 (日) 06:16 (UTC)[返信]

さて、無条件降伏論争も知らない執筆者がいることに驚きを禁じえません。論争がある以上、「無条件降伏」と注釈なく書かれるべきではありません(ウィキペディアの方針です!)。「無条件降伏」に限らず二林史夫氏の記載はNPOVに悖った記載が目立ちます。--Criteriaire会話2016年6月26日 (日) 11:30 (UTC)[返信]

アカウントを取得してから10日ほどしか経過していない上に碌な編集活動もないような利用者が、いきなりこんなところに顔を出してくることに驚きを禁じえません。あと<ref></ref>タグの使い方もわかっていなかったような人が方針を云々することにも首を傾げざるを得ません。--Alexander Poskrebyshev会話2016年6月26日 (日) 14:38 (UTC)[返信]
(追記)ここで私が挙げた「うさんくさい」という形容詞を実体化したような利用者が、資格もない(アカウント取得から30日が経過していない。標準名前空間の編集回数が50回を越えていない。ついでに言えば行った加筆のうち、出版物を出典としたものはただの一つも存在しない)のにあるブロック依頼に賛否をつけた(無効化された)ことにも大きな疑問を持たずにいられません。--Alexander Poskrebyshev会話2016年7月10日 (日) 14:55 (UTC)[返信]

アカウントの問題は私も問題だと思います。また二林史夫さんの編集にはあまり問題はないと思います。それはそれとして、『「日本の降伏」「日本軍の無条件降伏」とかいても「日本の無条件降伏」と書いても対して変わらないのだから、「日本の無条件降伏」とは書くな(、書いたら全部差し戻し)』という編集について、(Husaさんは出典を明記して編集しておられないので、本来こちらに説明する義理はないと思いますし、あまり気が進みませんが)「茨木少佐はなぜ『日本は無条件降伏した』と機関員に伝えたか」という点から、「日本の降伏」「日本軍の無条件降伏」と「日本の無条件降伏」では意味合いが異なるので、一律に「日本の降伏」に書きなおすような編集をすべきでない、という点をご説明したいと思います。

茨木少佐が機関員に「日本は無条件降伏した」と伝えた1945年8月16日頃、連合軍(アメリカ軍)はグアム、サイパンからフィリピンを落として飛び石的に日本本土を空襲していましたが、南方軍占領地域には日本軍が80万弱残っていました(本田忠尚『マレー捕虜記』p.9)。シンガポールでは第7方面軍・板垣征四郎司令官が「たとえ日本が降伏しても、徹底抗戦する」と言って玉音放送のことを数日間伝えさせませんでした(里見脩 『ニュース・エージェンシー-同盟通信社の興亡』 pp.165-166)。この状況下で「日本は降伏した」という言い方は、「条件付きの降伏であり、日本は降伏したけど南方軍は降伏しない」といった意味にもとることができ、必ずしも「ポツダム宣言を受諾した」とか「海外領土全部喪失」という意味合いでは受け取られませんでした。だから「ポツダム宣言を受諾した」「南方軍も抗戦やめ」という意味合いをはっきり伝えるためには、「日本は無条件降伏した」と言った方がニュアンスがよく伝わったわけです。

また「日本軍の無条件降伏」ではなく「日本の無条件降伏」という表現である、という点については、本田忠尚『茨木機関潜行記』p.67では、

(私たちは、日本軍ではなく日本国が無条件降伏したと聞いていた。そのころ、日本国の無条件降伏か、日本軍の無条件降伏かを詮索する者などいなかったし、ポツダム宣言を読んだ者もいない。また聞きの連続だから、何となく日本国が無条件に降伏したのだと思い込んでいた。)

とあり、本田が表現の差異を認識した上で、伝達内容が「日本軍の無条件降伏」ではなく「日本の無条件降伏」だったと記していることは明らかです。

或いは中西『諜報部員脱出せよ』では、茨木少佐は「わが国は残念ながら無条件降伏した」と伝えたとされており(p.140)、また中西は「天皇の無条件降伏のラジオ放送があった。…」(p.196)「我が国は無条件降伏を受諾して、謝った」(p.227)のように、ほとんど「ポツダム宣言受諾」と同義で日本や天皇を主語にしてこの語を用いています。

このように、「日本の無条件降伏」という言い方は、細かいことは気にしない著述家ないし利用者:JapaneseAさんが崇拝しておられるという「英霊」になりそこねた人々によってWikipedia:信頼できる情報源においてしばしば使用されていますので、これを一律に排除するような編集は控えていただけないでしょうか。--宇井木辺出夫会話2016年8月9日 (火) 11:08 (UTC)[返信]

  • 百科事典の項目「日本の降伏」の解説に、個々の兵士のエッセイを出典として持ちよるのは不適切ではありませんか?そのようなエッセイを直接の研究対象とし「日本人の捉えた降伏過程」等について論述した2次文献があれば、そのような研究資料は一項目として百科事典として紹介することはできると思いますが。--大和屋敷会話2016年8月9日 (火) 15:24 (UTC)[返信]
当事者の回想録(エッセイとは少し違うと思います)は一次資料ですが、信頼できる信頼できる出版元から公刊されていればウィキペディアの記事で使ってよいとされています(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源)。それに、本田『茨木機関潜行記』は単なる個人の回想録というわけでもなく、機関員の手記をまとめて、時代背景とか色々と調べた上で書かれており、もともと特務機関は記録を残していませんし、日本軍は終戦の際に記録文書を燃やしてしまいましたし、茨木機関は目立った戦功がなかったので中野学校の本にもほとんど何も書かれていませんので、茨木機関にとっては本田の本は「正史」と呼んでもいいものだと思っています。中西の本は、本田の本を読んだ上で、自分の記憶と違うところや書いていないことを補完するような形で書かれているので、この2冊を読んで差異がなければ、Wikipedia:中立的な観点について一定の保証は得られると思います。ローカルな話題を扱った書籍ですので、読んでくださいとは申しませんが、それなりに尊重していただいていいと思っていますし、どちらを読んでも(降伏文書には「日本軍の無条件降伏」と書かれていると分かっていても)「日本の無条件降伏」という表現を使うことに、何の躊躇もないわけです。--宇井木辺出夫会話2016年8月13日 (土) 13:28 (UTC)[返信]
特にこれ以上ご意見ないのであれば、下記により議論を総括させていただきたいと思います。ご異議がございましたら、およせください。--宇井木辺出夫会話2016年8月20日 (土) 06:29 (UTC)[返信]
「日本(国、政府)は、ポツダム宣言を受諾したが、降伏文書では『日本軍の無条件降伏』と記されている」ことは承知している。にもかかわらず、Wikipedia:信頼できる情報源において「ポツダム宣言の受諾」とほぼ同義で「日本の無条件降伏」という言い方はしばしば用いられている。信頼できる情報源において、「日本の降伏」と「日本の無条件降伏」は必ずしも同義では用いられていない。「日本の降伏」という表現は、条件付降伏すなわち「日本本土は降伏しても、中国・南方では徹底抗戦する」のか、「ポツダム宣言を受諾し全海外領土の喪失を認める」のかが曖昧な表現であることから、ポツダム宣言を受諾したという意味合いを強く出すために「日本の無条件降伏」という表現が敢えて用いられている場合もある。このため、一律に「日本の無条件降伏」という表記を「日本の降伏」に書き換えるような編集をすべきではない。あくまで各記事の文脈と、典拠としている信頼できる情報源の記述を確認し、出典の意味するところを逸脱しないように編集すべきである。
チェック ご異議ないようですので、上記まとめにより、HusaさんがWikipedia:出典の明記によらず一律に「日本の無条件降伏」という語句を「日本の降伏」に書き換えた記事については、元記事の出典の記述に即して適宜差し戻し・書き換え等の編集をさせていただきたいと思います。--宇井木辺出夫会話2016年8月27日 (土) 15:08 (UTC)[返信]

コメント 宇井木辺出夫さんは、私や大和屋敷さんの意見に反論をしておられません。日本における無条件降伏は論争となっているという事実を覆すことのできる材料の提示もありません。すでに異議を述べているのに、その異議をなかったことにしないでいただけますでしょうか。まず、私や大和屋敷さんの意見にしかるべき反論をするのが筋だと考えます。また、上記の引用部はなにを引用しているのか不明であり、かつなんの総括にもなっていないため、なにを意図しておられるのか不明です。そのため、上記の引用部についてなにもコメントすることはありません。宇井木辺出夫さんにとって、Wikipedia:中立的な観点を読んで頂くために十分な時間があったと思いますが、まだ正確にご理解されていないのでしょうか。Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:中立的な観点よりも上位の方針であり、Wikipedia:中立的な観点は「絶対的で交渉の余地のないもの」とされています。日本における無条件降伏は論争となっているため、Wikipedia:中立的な観点から史実として記すことはなさらないで下さい。--Husa会話2016年8月27日 (土) 20:27 (UTC)[返信]

2016年1月1日(金)01:55版から2016年6月21日(火)13:46版までの削除‎

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  • 今般の検討の結果として複数版削除となりましたが、内容的には惜しい記述が多々あり【著作権に十分配慮した上で】再チャレンジ頂きたい所であります。個人的には当方のみっともない独自研究の投稿記録とそのリバート記録までもが巻き込み削除となってしまったのは幸運だったとの感想をもっております。さて、ところで、著作権の観点は措くとして【日本(国)の無条件降伏】【日本国政府の無条件降伏】なる表記・表現についてですが、日本国政府は無条件降伏などしておらず無条件降伏したのは軍隊だけであり、日本国政府はGHQの指令にも関わらず<軍票を換金すべき、戦争被害者に賠償すべき、旧領土撤収民に賠償すべき、慰安婦に賠償すべき、公務員労組の解散命令を無効にすべき、農地改革措置の無効を確認すべき、ソ連抑留者に賠償すべき、等々>なる訴訟が大量に提起され、これに対し日本政府が<日本国の無条件降伏>を主張し勝訴してきた経緯があり、あるいは領土問題において民社党国会議員の西村栄一議員による『日本国民は無条件降伏を条件とされていないのであるから領土を含む講和条約に発言権が認められる』なる主張に、吉田茂「日本国は無条件降伏をしたのである」と明言した経緯、あるいは1978年の江藤淳と本多秋五との間の「無条件降伏論争」などもありまして、wikipedia上では確定的に「日本国、日本国政府は」「無条件降伏をした」「無条件降伏をしていない」なる記述をおこなうことは、ある種の信頼できる情報源に対してwikipedia読者がアクセスすることを排除しかねない可能性があり、むつかしいのではないかと考えます。より無難な表記として【日本の降伏】なる表記は、いずれの立場に立つにせよ、差しさわりのないものではないかと考えます。--大和屋敷会話2016年8月9日 (火) 20:44 (UTC)[返信]
節を分けたのには何か意味があるのは何故でしょうか?関係各位が「再チャレンジ」する気にはなれないかもしれませんし、「惜しい記述が多々ある」のでしたら、Wikipedia:削除の復帰依頼の方でご提案された方がいいと思います。
上の話題の続きについては、Wikipedia:コメント依頼#議論活性化のためのコメント依頼の方で宣伝しておりますので。場所を上に移していただけると有難いです。--宇井木辺出夫会話2016年8月13日 (土) 13:43 (UTC)[返信]
(表現を若干修正しました。節を改められた内容に関しては、場所を移していただけなかったので、別の話題として取り扱うようにします。)大和屋敷さんからのご意見は、「日本政府は『日本国は無条件降伏した』という見解を示しており、それに異議を唱えている人もいる」ということですね。日本政府の見解は、「日本の無条件降伏」という表記をしてもよい、ということの1つの根拠になると思います。また「日本の無条件降伏」と記すことの弊害について、「ある種の信頼できる情報源に対してwikipedia読者がアクセスすることを排除しかねない可能性」がある、と記されていますが、もう少し分かりやすくいうとどんな害があるということでしょうか。「日本の無条件降伏」と記しても特に害はないと思いますが、何が問題なのでしょうか。--宇井木辺出夫会話2016年8月20日 (土) 06:44 (UTC)[返信]

ある日本国政府の代表による発言が、歴史項目を扱う百科事典の記述について確定的な内容を与えるわけでは必ずしも無いという ことです。先述した内容にも関わらず、2007年に安倍内閣は衆議院質問答弁書で、無条件降伏の定義について一概に述べることが困難であるということもあり(日本国が無条件降伏したか否かについては)様々な見解があると承知している、と答弁しています。titleとして利用する表現は幅広く慎重に扱うべきだと言うことです。「日本の無条件降伏」というtitleのばあいタイトルに結論を含意しており、中立的で幅広く情報を紹介するwikipediaの編集方針の観点に沿ったものとは言えません。--大和屋敷会話) 2016年9月8日 (木) 00:37 (UTC)「節」を区切ったのは著作権案件で大量の情報が削除されてしまったことを受けてのことですのでtitle選定案件とは別の案件での編集議題の提起ということで宜しくお願いいたします。今般の検討の結果として複数版削除となりましたが、内容的には惜しい記述が多々あり【著作権に十分配慮した上で】再チャレンジ頂きたいところであります。--大和屋敷会話2016年9月8日 (木) 00:46 (UTC)[返信]

記事名に対する違和感

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もしかしたら問題を蒸し返しているのかもしれませんが、記事名に対する違和感が拭えません。

まずは主題が抜けています。何に対しての日本の降伏なのか。そして降伏という行為はあくまで戦争という行為に紐付いた結果であり、降伏そのこと自体を主題とするならば、それは独立記事たり得るのか。「日露戦争に対する日本の戦勝」なんていう独立記事はあり得ず、それは日露戦争の記事の中で触れられることですよね。それと同じかと。

もちろんそれだけのことではないからこそ今現在、「日本の降伏」という記事が独立記事として存在しているのだと思いますが、その理由を考えるに、それが日本という国にとって他国に降伏し占領統治を受けた過去唯一の事件であり、降伏した結果として受けた占領統治が現代の日本という国の体制を形作る端緒になっているからだと思います。しかしそれはあくまで主題は「降伏」ではなく「占領統治」ですよね。同じ降伏でも、占領統治を伴わない、ただ外地の権益放棄と賠償金の支払いだけに終わっていたとしたらこの記事は独立記事として存在したでしょうか?

記載されている内容が第二次世界大戦(太平洋戦争)の終結処理と、その後の占領統治に関することである以上、これは「第二次世界大戦」(ないし「太平洋戦争」)と「連合国軍占領下の日本」に書くべき内容、もしくはこれらとすでに重複した内容ではないですか? Fsk-goto会話2018年11月30日 (金) 06:30 (UTC)[返信]