ノート:日本の宗教
- 「ちなみにキリスト信徒が増えない理由は、入信者が少ないのではなくて、多数いる入信と同時に多数の脱会が出るからである。」
- キリスト教徒がふえないのは本当にこのような理由によるものなのでしょうか?そもそもキリスト教における「入信」と「脱会」とは具体的に何を指しているのでしょうか?新興宗教のように「脱会」するという概念は伝統的なキリスト教にはないのでは?また、「多数の入信がいる」というのはなにか具体的な数字の裏づけがあるのでしょうか?
- 「西欧諸国のキリスト教団体は、いくら資金を投資、寄付をしてもさっぱり効果が上がらないので、日本の事を「悪魔の島」とも形容する。」
- ・・・・どなたが言われたのでしょうか?
二点気づいたことを書いてみました。POVの点からもどうかと思っています。Gakuinryou 2005年5月24日 (火) 14:52 (UTC)
- 除去済みです --Tonbi_ko(会話) 2014年7月3日 (木) 11:12 (UTC)
- 「国家神道や学校教育の年中行事の影響で、多くの日本人が七五三や初詣、あるいは季節の祭りを神社で行い、江戸時代の寺請け制度の影響で、葬式や盆などを仏教式で行うなど、複数の宗教にまたがって儀礼に参加している」人を神道や仏教の信者として数えるなら同様にクリスマスやバレンタインなどのイベント参加者はキリスト教の信者として数えるべきでは?
初詣・七五三は神社へお参りに、葬式や盆は仏壇や墓へお参りに行きますけど、クリスマスやバレンタインで教会へお参りに行くのは一般的ではありません。 日本のクリスマスやバレンタインはキリスト教の神を無視したイベントなので宗教行事には含まれません。 よって信者として数えるのは不適切です。
数値は各宗教団体が発表しているものでしょう。宗教団体によって数え方が違うことも各宗教の思想の違いを反映しているとして捉えるしかないのでは?Stanislaus 2005年7月14日 (木) 11:09 (UTC)
- この版[1]にて出典をつけ明確にしました。 --Tonbi_ko(会話) 2014年7月3日 (木) 11:12 (UTC)
以下の文章は価値判断を含んだものであり、客観的な記述ではないので本文より削除しました。Stanislaus 2005年7月14日 (木) 11:09 (UTC)
日本で特に強い批判の対象となっているのはこの新宗教(新興宗教)であることが多い。若い世代では宗教に対する知識がほとんど無く、カルト的宗教に埋没するものも少なからずおり、オウム真理教のような新興宗教に帰依してしまう事となった。知識不足の背景には、核家族化による風習の伝達不足のほかに、学校で宗教教育が行われないことも挙げられる(大戦後の教育者は共産主義的な思想と戦前の国家神道への拒否感から、宗教教育への理解がほとんど無い)。宗教学科を置いてある大学も宗教系大学を除くと珍しく、正しい宗教と邪教の違いを分からせる宗教教育が必要だとの意見がある。
Hello moto! 201.44.207.3 2006年5月6日 (土) 04:37 (UTC)
アニミズムに関する記述も必要なのではないでしょうか。また、「罰が当たる」「困った時の神頼み」などの神は、神道や仏教といった特定の神ではなく、名前のない《神様》である点も記述の必要があると感じます。棚旗織 2007年2月18日 (日) 08:37 (UTC)
- 「小説家の井沢元彦は、日本には無意識の強烈な「怨霊」信仰と、怨霊を発生させない「和」への信仰があり」がその説明にあたりますね。 --Tonbi_ko(会話) 2014年7月3日 (木) 11:12 (UTC)
出典を明記しましょう
[編集]「Wikipedia:独自研究は載せない」はすでに公式方針ですので、今後加筆する人は、原則的に出典を明記しましょう。<ref>著者名『文献名』</ref>形式で。出典を明記しない加筆は、すげなく消去されても本来 文句は言えません。
過去に加筆した人も、遡って出典を加筆したほうが良いでしょう。 (本来、義務があるのは当然投稿した人ですが)芥川龍之介と井沢元彦の分は、私がサービスで加筆しておきました。--Rlgn 2007年6月6日 (水) 18:54 (UTC)
210.131.1.37 さんが 2007年9月13日に出典を欠如した投稿をしましたが、そのような投稿はもう認められません(上に警告してあります)。しかも、文章内の表現や論理展開などを分析した結果、独自の研究が混入していると判断されます。 過去に書かれた文章ですら、出典が無くて問題があり、不正確な記述や独自の研究が紛れ込んでいるのに、これ以上出処のはっきりしない文章を増やすわけにはゆきません。すでに警告したとおりに厳格に対処してゆかざるを得ません。Wikipedia:独自研究は載せないはすでに公式ルールとなっているのです。
また、記述の位置ですが、宗教観の節に書き込みましたが、むしろ歴史に分類したほうがよい記述が多いので、分割した上で、コメントアウトなどすることにします。どうやらこの項に「歴史」という節が無いため話が脱線してゆくようなので、新設することにします。
210.131.1.37さん、もしこのノートを見ましたら、出典を明示し、参考にした著書・著者が言わんとしていることをできるだけ忠実に記述して下さい。それと、ログインしてから投稿して下さい(アカウントを取得していないなら取得して下さい)。そうでないと会話ができないので、なおさら "荒らし" としてしか扱えなくなります。--Rlgn 2007年9月16日 (日) 15:39 (UTC)
歴史の節
[編集]歴史の節を新設しましたが、できるだけ百科事典らしい、控えめな記述にとどめたほうが良いでしょう。中立性にも十分留意して下さい。基礎となる資料は、できるだけ教科書的な資料、事実だけを 抑えめな表現で淡々と記述した資料、解釈や価値付けを排除した資料、つまり学者などが学問的な態度で書いた、そっけない(味気ない)くらいの資料を選ぶほうが無難です。
作家や評論家などの手による、デフォルメ等の文学的技法を活用したものや特定の切り口を強調した書籍などは、読者に面白みを感じさせるという点で(あるいは踏み込んだ記述もあるという点で)単体の読み物としては優れているのですが、主観的な解釈や価値付けが多く混入してしまっているので、Wikipediaのような百科事典の記述として転用すると何かと物議を醸し出し、反論に反論が書き足され、記述が際限なく混乱・混線してゆく結果を生むことが多いので、基本的に避けたほうが無難です。
書き込みたい人は、たとえ面倒でも、まず教科書的な本を改めて読んでみましょう。そして出典情報は必ず最初から明記しましょう。出典が明記されていないものは、コメントアウトか削除されることになります。--Rlgn 2007年9月17日 (月) 03:54 (UTC)