ノート:日本の国旗/過去ログ1
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フランスによる買収申し出
[編集]『余談としては、明治初期に、日の丸のデザインに惹かれたフランスが(一説にはイギリスが)維新後の財政難の日本政府に対し、当時の金額にして500万円で日の丸を買収したいと申し出てきたことがある。だが日本側は「国旗を売り渡す事は、国家を売り渡す事」と考え、日の丸売却の話は一蹴された。』 を書いた者です。真偽が定かでないということで消されてしまいましたが、コレは事実です。 [参考] http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/hinomaru.html http://hiroshima.cool.ne.jp/kotodama-era/zatugaku_09.htm その他、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』にもこのことに触れた節があります。とにもかくにも以前に何かの本でこの「日の丸売却の話」を確かに読んだことがあるのですが、その本の名前を忘れてしまい、自分の記憶と上記のサイトを参考に書いた次第です。確かな参考文献が示せない以上、消されるのも仕方ありませんが、真実性に自信があるゆえ、ご一考していただければ幸いです。 (Tomomarusan 2005年6月18日 (土) 17:20 (UTC))
- 反対意見が見られませんのでいちおう再掲載させていただきます。:Tomomarusan 2005年6月21日 (火) 16:45 (UTC)
- 山本 茂〔著〕『つい他人(ひと)に話したくなる歴史のホント250 知恵の森文庫』(光文社 ISBN 4-334-78182-9)
- 上記の本の454ページに書いてありました。ここでは「百万フランの譲渡料を提示した」と記されています。O^tsuka 2006年3月14日 (火) 17:15 (UTC)
- 『「日の丸」を科学する』(吹浦忠正著、自由国民社 1995年)では著者が「真偽は不明とはいえ、私は単なるジョークないし外交辞令上のものではなかったのではないかとほとんど無視することにしている」と結論付けています。ただ、ここで取り上げられているのは「島津忠重が松方正義からの話として日清戦争後に英国から買い付けの話題が出たという話」であり上記の通説とはやや異なっていますが、上で挙げられている参考サイトの情報源にもなっている『国旗の歴史』の中に存在する記述になっています。 どちらの説にせよ、フランスやイギリスが国旗を本気で変える気で申し出をしたとは考えにくいのですが。--Momomon 2009年1月15日 (木) 08:52 (UTC)
- それから、下の参考サイトは引用元が明確になっておらず根拠として取り上げるには不十分だと思います。--Momomon 2009年1月15日 (木) 08:52 (UTC)
- Wikipedia:検証可能性には"ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。"とあります。さらに慎重を期すために両論併記にもするわけです。今後は見やすくする努力がなされるべきでしょうね。--Sweeper tamonten 2009年1月15日 (木) 11:42 (UTC)
保護について
[編集]本文履歴を参照すると、以下の編集合戦によって霧木諒二氏が保護しました。できれば保護の際にはこのノートに報告していただければと思います。
- 2006年2月10日 (金) 19:59 霧木諒二 M (保護)
- 2006年2月10日 (金) 19:23 Iosif (rv.)
- 2006年2月10日 (金) 19:03 浮雲 (revert vandalism)
- 2006年2月10日 (金) 18:59 Iosif (rv.)
- 2006年2月10日 (金) 18:49 浮雲 (revert vandalism)
- 以下、多数参加。
ただの編集合戦と言うだけでなく、浮雲氏が関わったことが問題なのでしょうか。保護されて1ヶ月近くたつのに、ノートで何も語られないのはどういうことでしょう。誰もこの項目を見ないのでしょうか。何も知らない人間は戸惑うばかりです。以上。--Mackacka 2006年3月3日 (金) 03:58 (UTC)
- 申し訳ありません、報告が遅れました。保護した理由は単純に編集合戦だったためです。浮雲氏はWikipedia:投稿ブロック依頼/浮雲によって投稿ブロックされているため、Wikipedia:保護解除依頼で解除を依頼すれば解除される可能性は高いと思います。―霧木諒二 2006年3月3日 (金) 04:42 (UTC)
- 解除しました。--三日月 2006年3月27日 (月) 10:11 (UTC)
- 2006年5月28日 (日) 18:21 Nevylax (rv)
- 2006年5月28日 (日) 18:10 利用者:Memorial Day←
- 2006年5月28日 (日) 18:03 Johncapistrano M (rv)
- 2006年5月28日 (日) 18:00 利用者:Memorial Day←
- 2006年5月28日 (日) 03:30 Mackacka M (いたずら)
- 2006年5月27日 (土) 16:57 利用者:USGI←
上記、恐らくは多重アカウント保持者が英文による卑猥ないたずらを連続して投稿しています。保護(半保護)の対象にすべき事案です。--Mackacka 2006年5月29日 (月) 10:21 (UTC)
記事名について
[編集]何故ここだけ〜の国旗という記事名ではないんですか?日本の国旗へ移動を希望します。--Qaz 2006年6月1日 (木) 02:10 (UTC)
- 日本だけではないですね。イギリスの国旗と日の丸が違うようです。星条旗は曖昧さ回避でアメリカ合衆国の国旗へ、太極旗は韓国の国旗、五星紅旗は中華人民共和国の国旗、青天白日旗は中華民国の国旗はそれぞれリダイレクトとなっていますので、移動も然りかも知れません。個人的には正式名のほうが良いと思いますが・・・。--Mackacka 2006年6月1日 (木) 07:58 (UTC)
- 移動しました。--Mackacka 2006年6月27日 (火) 06:51 (UTC)
「日章旗(日の丸)=日本の国旗」という認識はおかしいのでは? あくまで旗が先にあって、その後で日本の(現政権が定める)国旗となっただけであって、項目名が「日本の国旗」となるのは本末転倒ではないでしょうか。「日章旗」が正式名称というのも違和感のある記述です。あくまで法律上そう呼ばれているだけであって、用語例から言えば「日の丸」のほうが古くからあります。--125.192.56.129 2006年7月16日 (日) 08:23 (UTC)
- しかし、日章旗が現在の「日本の国旗」であることに変わりはありません。ウィキペディアでは「○○の国旗」で統一されていますから、このような動きがあるわけです。また、法で定められた正式名称を先に挙げる事はおかしいことでは無いと理解しています。--Mackacka 2006年7月16日 (日) 12:41 (UTC)
日章旗に嫌悪感を持つ国について
[編集]この部分を含むところでRevertが繰り返されていますが、国名を列挙することについて、「列挙基準」を決めるか何かしませんか? 決まらないようなら具体的国名は書かないことにしてはいかがでしょう。放置するとどんどん増えていく(増えても構いませんが)心配をしております。--Panpulha 2006年9月21日 (木) 00:35 (UTC)
- 国の数は多ければ多いほど、地域は広ければ広いほどありがたみがある。
- 今の記事のままのほうが良いと思う人は議論に参加してこないだろうよ。リバートするならPanpulhaさんの書き込みの直前まですべきだろうと思う。自分の都合の良いところまでリバートした上で保護とはね・・・ どさくさにまぎれてフィリピンまで追加になっちゃった。--Wuppertal 2006年9月23日 (土) 10:31 (UTC)
(インデント戻します)なかなかご意見が出ないので、下記御提案をいたします。
- 「国旗制定と法制化」の節の中で、3行目「以来、慣習的に国旗として・・・」から7行目「ナショナリズムの象徴として扱われてもいた。」までを削除する。
理由は、
- 日章旗に嫌悪感を持つ国々の列挙基準の策定が困難
- 削除部分の内容はそもそも節表題に沿ったものではない
御意見なければ合意形成として保護解除申請します。 よろしゅうございますでしょうか。--Panpulha 2006年9月24日 (日) 17:45 (UTC)
本日、保護解除されましたので、件の1文を削除いたしました。--220.99.182.196 2006年10月3日 (火) 15:34 (UTC)
国旗は国を象徴するデザインの旗であって、何か新しい国旗のデザインを提案する訳でもなくただ国旗を嫌うってのは国が嫌いっていうのと等しい。それならば別の項目に書くべきこと。この項目自体を削除すべき。
- 「A国民の多くはB国が嫌い」→「A国民の多くはB国旗が嫌い」、などというのは世界中に数限りなく普遍的にみられる現象です。そして、「多くが」を検証することも不可能です。つまり、各国国旗記事中で「A国」を特定して列記しようという試み自体がナンセンス。--Ja001 2007年11月7日 (水) 00:38 (UTC)
同じ理由で保護にならないために
[編集]私の行った1文削除が「乱暴」との指摘を受けましたので、念のため経緯をまとめます。
- 9月21日:半保護、同日保護に変更
- 9月24日:保護解除のための議論として、ノートにて理由を添えて件の1文削除を提案(直上の節を参照)
- (5日間だれからも反対意見なし)
- 9月28日:合意と判断し保護解除依頼提出
- 10月3日:「ノートで解除に異論無し」として保護解除
- 同日:1文削除実行
つまり、この1文削除は保護解除のための合意事項です。このノートと本文両方の履歴を見れば明らかです。
瓦礫さんの行った11月4日の当該文章の復活(および同時に行われた文章の更なる追加)は、上記合意事項を反故にし、保護になる前の「偏執合戦」状態に再び戻るということです。このままではまた保護になるでしょう。--Panpulha 2006年11月5日 (日) 14:59 (UTC)
- 私は当時の編集合戦に参加しておらず、保護解除の議論も後で知りました。保護解除の議論であなたが提示し、実行した手段は、私にはとても建設的な解決策だとは思えません。私と同様にこの「日本の国旗」の記事を新たに閲覧したり編集に参加する人間は、将来的には編集合戦に参加した人の数を上回ることでしょう。あなたは誰かが日章旗の歴史の別の側面に光を当てるたびに、「そこは過去の議論により記述しないことで決定した」と未来永劫言い続けるつもりですか?保護解除に至る経緯は尊重しますが、それでも敢えて私が復活させたのは、丸ごと削除は何の解決にもならずむしろ将来諍いを招くだけだと判断したからです。記述しないことを正とする方針は、まるで爆弾を抱えているようなもので、誰かが書くことでたちまち発火し、再び問題が爆発することでしょう。保護解除の合意事項をパーにすると言われていますが、もともと不適切な処置だったとは考えられませんか?「記述しないことで合意済み」で押し通すことは問題を先送りにするだけで、同じ理由で保護になる恐れは燻ったまま残るでしょう。自分の思想信条と異なっていても、百科事典として残すべき情報は残し加えるべき情報は加えるとお考えを改めていただきたく思います。明治時代に国旗として使われるようになり、平成になって法制化された。この間にどのような歴史があったか、これは必要な知識とは考えませんか?節表題に沿っていないとお考えなら違う節を立てれば良いでしょう。私は現在の節で問題ないと思うし分節するには量的に少ないと考えますが、節を分けるなら異論はありません。なお偏執合戦という当て字を使われていますが、反感を買う恐れがあるだけで何ら有益とは思えないので今後は差し控えてください。瓦礫 2006年11月6日 (月) 22:45 (UTC)
- 私の提案がベストであったなどとは思っていません。それで当時皆さんの意見を募りましたが、賛成も反対も何も無かったのでああなりました。そのことがあとから見る人に判るためにとこのノートに書いています。「最近になって初めて読んだがあの処置はおかしい」との意見が出るのはよくあることです。しかし履歴をみて、それが保護解除のために行われた一連の手続きだと承知されたのなら、まずは「納得がいかないので削除部分を復活させたい」とノートに提案したらよかったのではないでしょうか? そうすれば「別節にしたらどうか」とか「国名列挙の基準を設けましょう」といった意見も出たのではなかろうかと思います。あなたは、私のノートなどに「削除は乱暴だ」との意見はされましたが当該記事(この)ノートには何も書かず、本文をいきなり保護前の状態(プラス加筆)に修正しました。それで私は「このままではまた保護になってしまいますよ」と意見を書きました。
- 私自身の考えとしては、あなたの仰るように、別名で節を立てることに何らの異議はございません。その後はまた異論も出るでしょうが成り行きで議論していくしかないでしょう。
- なお、「偏執合戦」という言葉はこの記事を保護にした管理者がコメント部に記したものです。だから引用の意味で(「」)で括りました。あまり気持ちの良い言葉だとは私も思いません。--Panpulha 2006年11月7日 (火) 00:57 (UTC)
- それで、瓦礫氏が別節を立てるということでよいのかな。--Wuppertal 2006年11月14日 (火) 15:20 (UTC)
- 誰もしてくれないので私がやりました。それにしてもコピペしたこの一文、引用元も参照も何もないのでこのままだと「検証可能性」ゼロです。どなたか加筆訂正お願いします。--Panpulha 2006年11月28日 (火) 08:45 (UTC)
- それで、瓦礫氏が別節を立てるということでよいのかな。--Wuppertal 2006年11月14日 (火) 15:20 (UTC)
(インデント戻します)上記「検証可能性ゼロ」についてさらに。各国に日章旗に対する嫌悪感があるように記述されていますが、これら国々の人たち(一部なのでしょうが)は日本あるいは日本人のしたこと(もしくはしたと信じていること)が憎いので、その象徴として日本の国旗を燃やしたりしているだけではないのかと思います。ですから、たとえ「日本の国旗」が日の丸ではなく何か違うデザインのものであっても同じことをしたのではないでしょうか。そうであれば件の一文がこの記事中に存在する必要はなく、消去するか、もしくは例えば日本あたりにコピペするのが妥当と考えます。もう一案としては、ある国を最大限侮辱したいときに採られる一方法として国旗へコピペというのも考えられます。御意見御願いいたします--Panpulha 2006年12月14日 (木) 01:14 (UTC)
出典を明示しましょう
[編集]- 「要出典」が恣意的に使用されるのは適切とは思いません。Revertしました。瓦礫 2006年11月9日 (木) 12:25 (UTC)
ならばTemplate:Unreferencedを張れば良いのでしょうか。--kahusi (會話) 2006年11月9日 (木) 12:56 (UTC)
買収申し出の件
[編集]#フランスによる買収申し出にあるURI[1]と59.139.180.26氏の編集を比較すると、噂話であるか否かという違いがある様です。どちらも『国旗の歴史』を元にしている様ですが、自分は本を持っていないので判断しかねます。--kahusi (會話) 2006年11月21日 (火) 14:32 (UTC)
Unreferenced テンプレートの置き換えについて
[編集]継続的なご議論に感謝いたします。Wikipedia:井戸端 (告知)などでご存じの方はおられると思いますが、Wikipedia‐ノート:出典を明記する の議論の合意といたしまして、Unreferenced テンプレートの置き換え作業を行っております。私が受けた印象からの提案で恐れ入りますが、現在本記事に貼られております「Unreferenced」テンプレートを 新・「出典の明記」テンプレート に置き換えることは妥当でしょうか。大きな異論がなくば置き換えたく存じます。みなさまのご検討をお願いいたします。--スのG 2007年2月21日 (水) 09:05 (UTC)
- さきほど置き換えを行いました。その作業中に気がついたことで、カテゴリのソートキーが今でも「につしようき」となっていますが、それはそのままでもよろしいのでしょうか。分からなかったため手をつけずにおきましたので、必要があればご変更ください。--スのG 2007年2月27日 (火) 17:20 (UTC)
国旗制定の時期について
[編集]マイペディア(電子辞書版)の項目「日の丸」には「明治3年(1870年)1月27日付大政官布告57号によって、日本の商船は日の丸を国旗として掲げることとし」とありますがこれは明治3年(1870年)1月27日に日の丸が国旗として制定されたという意味ではないでしょうか?もしそうなら制定日を「1870(明治3年)年1月27日」と訂正する必要があると思いますがどうなのでしょうか?--以上の署名のないコメントは、16toki(会話・投稿記録)さんが 2007年3月12日 (月) 04:19 (UTC) に投稿したものです(無言雀師による付記)。
- 商船規則(公布文では郵船商船規則)はその名の示すとおり国家・国民に包括的に適用される法規ではありませんでした。条文中に「御国旗」という表現がありますが、これは同年別の布告で「陸軍御国旗」や「海軍御国旗」が制定されている例から類推すれば「商船御国旗(商船掲揚用国旗)」という限定的な意味しか持たないと考えるのが相当です。商船規則は国旗及び国歌に関する法律附則第2項により廃止されているため、法令作成技術の「廃止・制定」方式の解釈から言えば「商船規則は国旗国歌法により廃止されているのだから、前身・後継の関係にあり、商船規則も包括的国旗の制定をしていた法規と認め得る」と言えなくもないですが、国旗国歌法公布の際の主任の大臣の署名には内閣総理大臣(小渕恵三)だけでなく当時の運輸大臣(川崎二郎)も登場することから、商船規則の所管が内閣官房あるいは総理府ではなく運輸省であった(つまり商船規則は国家全体への効力まではなかった)と考えるのが妥当だと思います。あと、商船規則による国旗は現在では特例の制式とされる縦横比70対100で日章の中心が紐側に100分の1寄ったものであるため、この記事本文の制定日の欄にその日付をそのまま書くのは誤解を招きます。現在の国旗国歌法本則による縦横比2対3の制式の法的制定日はあくまで平成11年8月13日です。どうしても商船規則による日付を付記したいのであれば、アメリカ合衆国の国旗の記事の制定日のように両論併記すべきでしょう。ただこの場合、商船規則の公布日とされている「明治3年1月27日」というのは旧暦である(新暦では2月27日らしい)ので、西暦で記載するのがおおむねデフォルトとなっているウィキペディアでは1870年1月27日と書くのはやはり正確性を欠くことになります。当方個人的には、あくまであの制定日の欄は現状のままでいいと思います。商船規則による制式(現在の特例の制式)については既に記事中に言及がありますから。--無言雀師 2007年3月12日 (月) 08:49 (UTC)
- 補足します。前発言中「つまり商船規則は国家全体への効力まではなかった」と言い切ってしまいましたが、表現として正確ではありませんでした。国旗国歌法により廃止されているこの太政官布告は、そのことから効力としては法律と同等と考えられるので、その意味では、商船に乗っていない者に対しても(将来乗員となる可能性はありますから)潜在的な法的効力は当然あります。ただ、日本国家全体として日章旗を国旗とする、あるいは乗船時以外の場(一般家庭など)においてそれを旗日に掲げる、というような事実上の効力(適用)はなかった。そういう部分は法例により慣習法的なものとして扱われてた面もありましたが、近年に至りようやく明文化した法規ができた。それが国旗国歌法である、ということです。--無言雀師 2007年3月12日 (月) 09:41 (UTC)
- ご丁寧な説明ありがとうございました。たしかに明治3年に制定された日の丸は事実上の国旗として使用されてきましたがそれと国旗国家法で制定された日の丸は微妙に違うものである以上は無言雀師さんのおっしゃるとおり両論併記にとどめるが適切だと思います。よって併記する文章は「明治3年(1870年)郵船商船規則で事実上の国旗」が適切かと思います。なお、日付は失礼ですが念のため記述するのは避けさせてもらいました。--16toki 2007年3月13日 (火) 04:26 (UTC)
パラオの国旗と関連附けるソースについて
[編集]パラオの国旗が日の丸を元にしているというソースが見つかりました。辻原康夫著図説国旗の世界史(河出書房新社)という本のなかでパラオの国旗について日の丸が元になっているとの旨記載されていましたのでここに提示します。同時に本文を訂正させてもらいます。--16toki 2007年3月14日 (水) 02:33 (UTC)
その後ソースの提示に関わらず「フィクションの域をこえていない」などと改定されてしまいましたが、何を根拠にそうおっしゃるのでしょうか?直接ユーザーを指しはしませんがお嫌いになっている名越氏を持ち出したのには明らかに不必要な悪意があると正直感じました。名越氏と辻原氏をならべることで閲覧者は辻原氏も名越氏同様信用ならぬ人物であるとの印象をあたえかねないことを敢えて承知で追記されたのでしょうか?正直この書き方では名越氏がいうからまちがっているのだと暗に洗脳させようという無意味な意図的編集があると考えられます。名越氏が信用ならないだけでは通用しません。「フィクションの域をこえていない」といわれる明解な理由の提示を求めます。--16toki 2007年3月15日 (木) 12:20 (UTC)
旭日旗
[編集]旭日旗と日章旗って、全く関係ないんですか?あったら一言あっても良いのでは--Ks 2007年3月20日 (火) 08:19 (UTC)
記事の順番の変更
[編集]国民感情の項で反対意見が積極的な掲揚より前に来て居りましたので、順番を逆に致しました。
日の丸掲揚の幕府軍艦第一号について
[編集]暉峻康隆『日の丸・君が代の成り立ち』28頁に、第一号は島津斉彬が幕府に献上した昇平丸とあります。その論拠は、『嘉永明治年間録』で、その文章も引用されています。進水は鳳凰丸のほうが最初でしょうが、掲揚はあとなのではないでしょうか?
2008年5月11日(日)の記事の差し戻しについて
[編集]記述変更の理由
[編集]以下の理由から記事を元に戻しました。
- ①この記事は、あくまでも「日本の国旗」に関する記述なので、琉球王国としての船旗の話については後半にトピックスとして載せるのが妥当であり、記事一貫性が出ると思います。
- ②写真の部分なども単なる薩摩藩との船旗との比較ではなく、当時の社会的状況も踏まえて記述する方が各諸藩(幕藩体制下の日本)と琉球王国との形態の違いを示すことになると思います。
- 記事を差し戻しました。失礼ですが、アルカイックスマイルさんは単発IDであり、この記事以前の投稿記録がほとんどありません。大幅な記事の改編や差し戻しについて、ノートで合意を得てから行ってください。--尚玉 2008年5月12日 (月) 10:54 (UTC)
提案事項
[編集]時代区分についてですが、古代・近世の部分だけでなく、中世も加えた区分にすることを提案します。そもそも「日の丸の歴史」に琉球王国の記述も含めて、現在の日本の国となった日章旗の図版がどのように発生し、どこで?だれが?何のために?どのように持ちいれられてきたか?などのルーツについて詳細に記述する部分だと思います。「日の丸の歴史」の記事には、まとまり感が見えません。中世の区分を追加し、朱印貿易等の記述も加え記事の内容を充実させていった方が良いと考えます。--アルカイックスマイル 2008年5月11日 (日) 23:55 (UTC)
私の方で、全部の記事について目を通したのですが、歴史の項目の部分の内容が、琉球王国と日本国が混同していたりと日本国の国旗に関する記述としてはかなり偏りがあり、一貫性がない文章が羅列した構成で、十分では無いように感じます。そこで以下の3つのことについて訂正を希望します。
- ①歴史-古代の一番上の記述の部分(太陽信仰や「日ノ本」の国という意識などの記述の部分)で、「要出所明記」という部分を見かけたことと、上下の文章のつながりが悪いと感じたので、"太陽信仰や「日ノ本」の国という意識が具体的に記載されている文献を探すと、797年の「続日本紀」の中にある文武天皇の701年の朝賀の儀に関する記述で、正月元旦、儀式会場の飾りつけに「日像」の旗を掲げたとあり、これが日の丸の原型で最も古いものといわれている"という記述を追加することを希望します。
- ②「日本の国旗の歴史」の記述は、あくまで、"現在の日本国の国旗となった日章旗の図版がいつ?どこで?だれが?何のために?どのように用いられてきたのか?などそのルーツについて詳細に記述する"部分であり、朱印貿易等などの歴史-中世の記述(国の判別に日の丸が掲げられていたことなど)も加え、記事の内容を充実図ることが望しいと考えます。
- ③歴史-近世から近代の部分で、琉球王国と薩摩藩との船旗の比較を行っている部分がありますが単に琉球王国の船旗の歴史について記述したり、証明のための比較を行うのではなく、当時の社会的状況(日本=幕藩体制=幕藩(大名)ごとの支配体制=家紋を使用 対 琉球王国=半独立国家=統一された船旗=日の丸?を使用の違い)も踏まえて記述し、トッピクスとして扱うようにした方が良いと思います。そうでないと日本国の国旗に関する記事なのに「琉球ではこうだった-」、「日本ではこうだったと-」と主語が複数ありなんだかわかりにいと思います。あくまで、琉球王国も現在の日本国のひとつの地域でのあり、その事例(接続語を用いて)として扱い記事を記述する方が好ましいと考えます。
☆この提案に関してウェキ投稿者の皆様のご意見をお願いします。☆訂正後の記事です。--アルカイックスマイル 2008年5月12日 (月) 15:03 (UTC)
- 厳密にいえば、日の丸が日本の国旗としての地位を確立したのは幕末が最初であり、近世以前はただ日本で好まれた図案の一つであったというだけで、古代から記述するのもおかしいのではないか?と言うこともできます。→意見1
- 琉球の記述が大切なのは、日の丸が日本の国旗になるきっかけを作ったのが島津斉彬であり、その当時日の丸を船旗として使用していたのは薩摩に服属していた琉球でしたから、島津斉彬の決定の背景を考える上で重要だからです。--尚玉 2008年5月12日 (月) 22:50 (UTC)→意見2
- 尚玉さんへ、返事が遅くなりすみません。
まず、はじめに当時の日本と琉球王国の違いについての確認をしておきたいと思います。
[編集]日本の歴史(本州)を見ていただければわかっていただけると思いますが、そもそも日本は、四方を海に囲まれた島国であり、特に外的に脅かされるわけでもなく、徳川時代まで鎖国、封建制が続いていたという事を忘れてはいけないと思います。日本が国家(日本)という意識を持ち、正式に示す機会(まったく無かったわけではない=下の『記事・注意』を参照)はほとんどなく、幕末にペリーが来航するまで国内(自分の家や一族)のことしか考えないで済んでいたのです。明治維新から日露戦争までの状況を見てみれば理解していただけると思いますが、実際に外交上の危機的状況が生じた時の変わり身(意識や国家体制の整備等)の早さは著名です。(江戸時代に長崎で行われていた貿易は、外国船(商人)との公益ですので注意)
これに対して、琉球王国の歴史は、私は詳しくは知りませんが、三山時代以降は、1つの統一された勢力(本州の場合は天下統一といっても、当地の基本は、大名の集合体であり、朝廷も存在しており、完全な統一は達成されていません)によって統治されていたと認識にしています。また、島国ということもあり、貿易が重要な位置を占めていたこともあり、中国へ朝貢船を出すなど国交を持ち、独立国家としての意識が強かったのだと思います。
記事・注意
[編集]先にも述べましたが、日本という意識を持つ機会や場面はいくつか存在しています。その代表例が、聖徳太子による遣隋使の派遣で、この出来事は、初めて、国=日本?意識が芽生えており、「続日本紀」にも国旗とか国家を制定したとかまでは書かれていませんが、701年の朝賀の儀の際には日の丸の原型だといわれている『日像の旗』の記事などについても記述されています。その後、中国と国交は断行されてしまいましたが、勘合・朱印貿易の際には日本の船を区別するために家紋ではなく、デザインはわかりませんが日の丸が掲げられています。『家紋』でなく、『日の丸』を掲げたのは、家紋は国内では通用するが、外国との外交上では通用しないため、日本を象徴・示す=日の丸が使用されたのだと推測されます。
尚玉さんの意見の回答1
[編集]尚玉さんの投稿文にあった厳密にいえば、日の丸が日本の国旗としての地位を確立したのは幕末が最初であり、近世以前はただ日本で好まれた図案の一つであったというだけで、古代から記述するのもおかしいのではないか?と言うこともできます。という部分ですが、確かに現在日本国と呼ばれている近代国家のフォーマットが成立しかのは、近代以降であり、古代から日の丸という図案がどのように用いられてきたのかという歴史について記述するのは、変かもしれません。しかし、日本の国旗は他の国の国旗とは大きく違うところがあります。それは、国旗の図案です。欧州などの国家を見ていただければわかると思います。欧州は、陸続きで、民族も多種多様で、近世までは、封建制のもと色々な人種を巻き込みながらの覇権を争い、多くの王国が栄枯盛衰を繰り返してきました(日本のグローバル版です。)そんな中、産業革命により、今までの国王が支配する王国から市民(人種や文化圏等)を中心とする国家(国家意識や民族意識)が形成されてきます。(ちなみにこの愛国心(国家・人種)意識は、世界大戦を起こす原因にもなりました)そんな中で、国家を象徴するために造られたのが国旗です。ですので、国旗には、イギリスのように国家内の民族間の融和を示したデザインやドイツのように民族の歴史の中で重要な事柄を選んでモチーフにしたようなもののように、国家創立に際してふさわしい特別な図案が新規に(国家体制が築かれていく中で)考案されています。それに対し、日本の国旗はどうでしょうか?国(日の丸の図案も含め)というイメージは微妙にあったものの、国交も少なく、曖昧な状況下の元、近代まで、バラバラで、ずっと保留されてきて、近代に入って正式に日本を示す旗として日の丸が採用されました。では、国旗となる前の日の丸は、どういうルーツから誕生し、それを使うことにはどういう意味を持っていたのでしょうか?尚玉さんは気になりませんか?。私は、ウィキは、ただの○○書店の百科事典のように定義や意味あいが乗っているのではなく、ある事柄について色々な視点(情報の信頼性や事柄の定義との兼ね合いはもちろん重要で無視はできません!)から事例など具体的な情報を記録できる部分がすばらしいと考えています。島津家のことは知っていましたが、琉球王国の船旗の記事を見た時には、まったく今まで知らなかった情報だったので、とても興奮しました。長くなりましたが、以上の理由から『日の丸』の歴史(事例)記述は必要だと考えます。
- まず私は、日本の国旗として日の丸を採用したのは、すばらしいことだったと思います。ただ「日象」という図柄自体は、日本独自のものではありません。琉球の尚円王の肖像画にも月象とともに、背後の衝立に描かれていますし、広く東アジアに見られる図柄です。高句麗の古墳壁画にも描かれています。つまり日象は東アジアで広く好まれていたデザインの一つに過ぎません。日本を代表する図柄としては、日の丸以外にも皇室ゆかりの菊花紋や五七の桐などがあります。それらではなく日の丸に決定したのは、島津斉彬の働きかけが大きかったからです。--尚玉 2008年5月13日 (火) 14:33 (UTC)
- つまり、琉球の船旗に影響を受けた島津斉彬が働きかけ現在の日本の国旗が誕生したということでしょうか?--アルカイックスマイル 2008年5月13日 (火) 14:41 (UTC)
尚玉さんの意見の回答2
[編集]琉球の記述が大切なのは、日の丸が日本の国旗になるきっかけを作ったのが島津斉彬であり、その当時日の丸を船旗として使用していたのは薩摩に服属していた琉球でしたから、島津斉彬の決定の背景を考える上で重要だからです。の件ですが、私には、どうして、島津家の事柄と琉球の事柄を強調するのか、少し理解ができません。むしろ、島津家と琉球の船旗を比較するよりも先に琉球の船旗が現在の日本国の国旗にどのように影響を与えているのかを具体的な資料も踏めてその経緯等を教えてください(投稿してください)。いきなり、『船旗の家紋と日の丸を比較されても、琉球の方が古いと主張されているようで困りますし、そっちのが私は大変興味があります。今の私の考えでは、直接、琉球の船旗が日本の国旗につながるような痕跡が無いのであれば、後半部にトピックスとして琉球のことを取り扱った方が良い考えます。--アルカイックスマイル 2008年5月13日 (火) 14:09 (UTC)
- 進貢貿易は事実上薩摩の統制化にあり、その詳細については薩摩藩は熟知していました。琉球船がどういった旗を掲揚しているかについては、当然藩主・島津斉彬も知っていたでしょう。それから鎖国体制の日本では、原則として外洋船は琉球船しかありませんでした。つまりそもそも各藩は、日本の船印を掲揚する必要がなかったのです。--尚玉 2008年5月13日 (火) 14:39 (UTC)
- ご指摘ありがとうございます。要約しますと日の丸は古くから日本で、使われていたが、実際に国旗として採用されるきっかけを作ったのは島津斉彬であり、その根底には、琉球王国の船旗があったかもしれないというでしょうか?--アルカイックスマイル 2008年5月13日 (火) 14:50 (UTC)
- その可能性はあったでしょう。実際、島津斉彬は琉球を通じてフランスから軍艦を購入しようとしていましたし、その軍艦は表向き琉球が購入する、ということでしたから、日本国籍を標識する旗についても島津斉彬は早く決定する必要があったわけです。ただお城からみた日出云々という説もありますから(私はこの話の出典はある企業のサイトでしか知りませんが)、そうした逸話をそれぞれ紹介するのはいいと思います。--尚玉 2008年5月13日 (火) 15:01 (UTC)
日本の国旗の歴史記述提案2
[編集]尚玉さんの考えはよくわかりました。これまでの事を踏まえて以下のことを再提案します。
- ①現在の日本国の国旗となった図案のルーツについて詳細に記入する(琉球、勘合・朱印貿易など中世の事柄も含め)
- ②尚玉さんのおっしゃるのも最もで、学術上有意義だと思います。つきましては琉球の記事については、トピックスとして後半の方に記事を移動し、先ほどの内容(島津斉彬と琉球の船旗)を加え、記入しなおしてはどうでしょうか?。上文では、淡々と経過を語り、後半にこの記事があればインパクトも出ます。また、まだ根拠となるような資料が無いのであれば、トピックスとして後半に学説に重要な意味を加え、今後事実がわかり次第訂正を加えていくのが妥当だと思います。また、どうして写真を使って船旗を比較する必要があるのかわかります。--アルカイックスマイル
☆どうでしょうか?--アルカイックスマイル 2008年5月13日 (火) 15:23 (UTC)
- 琉球の記事だけ移動させるというのは、どういう意義があるのでしょうか? 国旗制定に関係している可能性があるなら、歴史の部分で取り扱えばいいわけですし。それとも日本の国旗のルーツが琉球にあるかもしれない、となると、なにか不都合でもあるのでしょうか。--尚玉 2008年5月14日 (水) 13:40 (UTC)
尚玉さんは、現在の文章お読みになって不自然さを感じないのでしょうか?この文章では、閲覧者が読んも真に伝えたい情報が届かないと私は思います。前回も申し上げましたが、尚玉さんの文章では、「古日本と琉球」をはまったくの別物の国として捕らえ、文章そのものがお書きになっています。しかし、現在の文章の配置はそうなってはいないと思います。
もちろん琉球の船旗がたしかに制定に関係している可能性があることについては認めます。ただ、絵図などの参考資料は存在するかも知れませんが、まだ推測の域は出ませんし、直接日本国の国旗の歴史に関係すると書き込むのは、早いと思います(あくまで可能性があるの範囲で明確に主張できません。)もちろん否定をしているわけではありません。今までの討論が私の中も生きています。ですので、文脈を改め、記入する方がベストだと思います。
上記でも述べましたが、尚玉さんが日ごろから大切にする琉球という存在を示すためにも(文章の構成上から考えても)別格として後半に記事を載せるのが妥当だと思います。今回、尚玉さんと討論を行いはじめて「日本国の歴史と琉球(沖縄)の歴史がイコール」ではないことを感じました。このことに気づかせていただき感謝しています。
- 琉球の船旗に関する記事は、「近世から近代」の節の1/5程度、歴史全体の節では1/10程度です。また、琉球は当時薩摩に服属していた事実も述べてあります。決して突出したり、別格扱いしているわけではありません。--尚玉 2008年5月15日 (木) 00:36 (UTC)
そうですか、今後の学術上の観点から以前の話題も加えて琉球の存在を浮き立たせた方が良いと思ったのですが・・・ わかりました。では琉球の下の文章にある「日本では」という書き出だしの部分を訂正し解決を図りたいと思います。よろしいでしょうか?また、同時に朱印貿易等の中世の部分(事例)も追加し訂正を行いたいのですが同意していただけないでしょうか?--アルカイックスマイル 2008年5月15日 (木) 11:39 (UTC)
許可を得たと判断し、琉球部分以外の記事を追加・修正を行います。--アルカイックスマイル 2008年5月17日 (土) 01:50 (UTC)
- まずノートでの議論ですが、これは通常最低数週間から、時には数ヶ月に及ぶ話し合いを経て、合意に達すれば編集するものです。ですので、あまり結論を性急になさらないでください。
- 「日本では」を訂正するのは構わないと思います。ただ朱印船が日の丸を掲げていた、という説は、ネットでは散見されますが俗説の一つだと思います。その証拠に朱印船を描いた江戸時代の絵図には、日の丸は描かれていません。「平」という字の旗などが描かれています。明確な論拠がなければ、訂正したいと思います。--尚玉 2008年5月17日 (土) 04:31 (UTC)
お話し合い中の「近世から近代」について、内容的に沖縄史を元にした独自研究ぽく感じましたので、「独自研究s」を付けさせていただきました。不適切であればお取り下さい。--ちんぷい 2008年5月17日 (土) 13:11 (UTC)
- 日の丸が進貢船に掲揚されていたということは、沖縄学の研究者には知られた事実ですので、それを記述することは独自研究ではありません。失礼ですが、ちんぷいさんは琉球史に関して知識がないのではないでしょうか?独自研究の独自研究という気がしました。--尚玉 2008年5月17日 (土) 13:51 (UTC)
「島津斉彬が進言した理由は、俗に鹿児島城内から見た桜島から昇る太陽を美しく思い、これを国旗にしようと家臣に言ったといわれてるが、実際には琉球王国の船旗をそのまま借用したとも考えられる。」この部分が独自研究のように感じましたので付けました。
一般的に知られていないような事柄につきましては、出典の明記をされると親切かと思います。なので、出典が明記されるまでは「独自研究s」を付けておくのがよろしいかと思います。あと、日章旗をなぜ琉球王朝が使うようになったんでしょう。そこら辺も調べてみると面白いかもしれませんね。ただ、日本の国旗とは関係ありませんけれど。失礼いたしました。--ちんぷい 2008年5月18日 (日) 05:44 (UTC)
- まずノートで合意に達してから、テンプレを張ってください。--尚玉 2008年5月18日 (日) 09:58 (UTC)
- 追伸。ご指摘の文章ついては、絵図を見れば明らかであり十分合理的なもので独自研究ではないと思いますが、編集合戦を回避するために削除しました。--尚玉 2008年5月19日 (月) 02:32 (UTC)
本文の履歴を見ましたが、尚玉さんご自身が「独自研究」テンプレートについて独自のご判断で貼ったり削除されたりしているようです。「出典の明記」についても削除されています。ですので、問題ないと思われます。
「告知」「出典の明記」「独自研究」のテンプレートを貼っておきました。--ちんぷい 2008年5月18日 (日) 17:36 (UTC)
- 本文の履歴をみれば分かりますが、この記事の参考文献の節を設けたのは私であり、そこに示された参考文献はいずれも私が記述したもので、参考文献の明記とともに、私が独自研究のテンプレートを外しました。それと、あなたの行為はテンプレートの乱用であり、節全体ではなく、特定の行について出典を知りたい場合は[要出典]のタグを張るべきです。--尚玉 2008年5月18日 (日) 21:02 (UTC)
誰が編集したのか、誰が節を付けたのかは関係なくはありませんか?尚玉さんご自身が「テンプレートを貼る時はノートで合意を」と言いながら、ご自身は自分の判断でテンプレートを貼り、削除しています。
それと、「要出典」を付けての「出典の明記」テンプレートでした。
尚玉さんの問答無用のリバートは、内容の改変を許さない、自身への意見を認めないとも取られかねません。お気をつけ下さい。--ちんぷい 2008年5月19日 (月) 01:00 (UTC)
告知・出典の明記・独自研究のテンプレートの貼り付けについて
[編集]尚玉さんは反対されていますが、これらは必要なテンプレートだと思います。ここ最近の編集は、尚玉さんの独自の研究による内容に変わっているのは、履歴を見ても、上記の尚玉さんの発言やそれに伴う議論からも明白であると思われるからです。
発言の内容から尚玉さんは少々独善的であるように感じますし、このままでは編集合戦に発展しかねない雰囲気すらあります。保護等の非常手段にならないためにも、ここでの合意形成が終わるまで、これらのテンプレートは付けておくべきものであると思います。--ちんぷい 2008年5月19日 (月) 01:00 (UTC)
- 編集合戦以前に、そもそもちんぷいさんは記事の編集に参加しておらず、ただ独善的にテンプレートを張っているだけではないでしょうか。それから私がテンプレを削除したことをやり玉に挙げておられますが、私が削除したときは、どなたからも異論は出ませんでした。もちろんそのとき異論が出れば、ノートで議論して合意の上でテンプレートを削除するのが筋です。それから、出典の明記関連のテンプレ、タグの乱用に関しては、過去に何度も問題視されていて議論されています。一切編集に参加せずに、ただテンプレートを貼り付けておく行為は、荒らしと見なされるおそれがありますので、ご注意下さい。--尚玉 2008年5月19日 (月) 02:08 (UTC)
- 論点をずらした人格攻撃ともとれるようなことはお止めいただけませんか?折角博識な尚玉さんが酷い人のように見えてしまいます。尚玉さん自身が、テンプレートを貼る時には「ここで議論をしてから」とおっしゃっていました。しかし、ご自身は「自分の判断で」行っています。矛盾していませんか?なぜ、尚玉さんの編集は許せて他人がするのは許せないのでしょうか。異論が無かったとおっしゃいますが、頻繁に編集されるようなページではないので、それは当たり前ではありませんか?そして、今、異論が出たと解釈できませんか?尚玉さんが過剰編集を始める以前に、少しですが編集にも参加しています。この、尚玉さんの「独自研究」発表を知ったのも、アルカイックスマイルさんのお知らせがノートにあったためです。誹謗中傷とも相手に取られかねない発言はどうかと思います。--ちんぷい 2008年5月19日 (月) 06:15 (UTC)
- それからちんぷいさんの投稿履歴を拝見しましたが、アカウントを作ってまだ三ヶ月程度で、投稿回数も50回程度のようですが、そのわりにはテンプレなどの知識には詳しいようです。複数アカウントはもちろん認められていますが、捨てアカウントのようなものでテンプレを張りまくっているのではないかと、正直こちらも疑心暗鬼になります。記事をよりよくしたいのでしたら、積極的に出典や参考文献を明記して、記事の編集に参加してください。--尚玉 2008年5月19日 (月) 02:23 (UTC)
- 残念ながら、このアカウントでしか活動しておりません。申し訳ありません。尚玉さんの書き込み、その他の方々の書き込みから、色々と調べ勉強しながら書き込んでいます。少し詳しくなったのも、この尚玉さんの一連の発言のおかげと思います。その点、御礼申し上げます。
- あと、アカウント作成3ヶ月とか、投稿回数50回以下とか、沖縄学に詳しくないとか、他人を下に見るような発言を控えた方がよいのではないかと思います。尚玉さんとちんぷいでは編集の仕方が違うのだ、と解釈できませんか?自分は、何度もプレビューして書き込むスタイルですので…。1度で済むなら1度で済ませた方が編集も履歴も綺麗だと思っております。確かに細かい編集を行えば投稿回数は増えるとは思いますが…個人的にそういう編集スタイルはあまり好きではない、ただそれだけなのです。
- 尚玉さんの編集に関して「出典があれば明記してください」とお願いしましたがスルーされてしまったのですが…。結局該当部分は削除されたようですけれど…。新たな情報を元に書き込むだけが編集に参加している、とは自分は思いません。記事を整理したり、疑問を付けてみたり、ページを整えてみたり、も過剰でなければ立派な編集作業だと思っております。--ちんぷい 2008年5月19日 (月) 06:15 (UTC)
- 残念ながら、このアカウントでしか活動しておりません。申し訳ありません。尚玉さんの書き込み、その他の方々の書き込みから、色々と調べ勉強しながら書き込んでいます。少し詳しくなったのも、この尚玉さんの一連の発言のおかげと思います。その点、御礼申し上げます。
このままでは尚玉さんと自分との編集合戦と尚玉さんによる不毛な言い合いのようになってしまいそうですので、自分はここでこの議論から引こうと思います。
最後に、告知のテンプレートまでご自身の意に添わないからと一律に削除してしまうのはどうかと思います。残念です。尚玉さんはこの議論を人目につけることがお嫌なのか、と尚玉さん風にいうと解釈できてしまいます。独自研究では、との疑問はアルカイックスマイルさんも以前呈しておられましたし、自分の独善的なものでは無いと思います。これも尚玉さん風にいうと、それらのテンプレートに気分を害しているのは尚玉さん1人、という風にも解釈できてしまいます。
尚玉さんの過剰に削除した部分を戻して、終わりにいたします。
それでは失礼いたします。--ちんぷい 2008年5月19日 (月) 06:15 (UTC)
一ヶ月以上議論がなされていないので、タグを外します。--尚玉 2008年6月20日 (金) 01:05 (UTC)
出典の記載と信頼性
[編集]出典の記載の仕方としては、段落毎に出典を記すのが検証が容易であると考えられます。
さて、2008-12-02T10:19:37UTCの版を初めとした幾つかの編集で、外部リンクを出典として記述が追加又は変更されましたが、個人サイトや掲示板に類する記事を出典とするのは、Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源により、不適当でしょう。また動画投稿サイトの場合に、その動画が合法的に掲載されているか疑わしいものを出典とするのが良いのか何うか。此等に就いてはWikipedia:信頼できる情報源も御参照下さい。動画サイトの動画曰く、So-TVから転載した様ですが、有料の動画配信サイトを出典に出来るかに就いては、議論が何処かにあるかも知れません。 この出典が許容されたとしても、論が一般に広まっていない限り、誰某がそう主張していると記述する必要があります。これはWikipedia:中立的な観点に依ります。--kahusi (會話) 2008年12月4日 (木) 13:05 (UTC)
- Wikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くなからすれば誰が、あるいはどんな人たちが主張しているかを示すべきでしょう。Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源には「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。」とあるので問題はないと考えています。有料の動画配信サイトについて問題があるかどうかについては知りません。この問題は動画サイトの存在が大きくなった現在有意義なもので利用の指針となる議論を期待しています--Sweeper tamonten 2008年12月4日 (木) 15:49 (UTC)
- 誰が主張しているかに就いても検証可能性を充たす必要があります。例えば現在の版から引くと、「日教組、日本共産党、朝日新聞が代表的な勢力」や「自民党など保守派」といった記述では、出典も無く、検証可能性を充たしていませんし、そもそもこの段落自体に出典がありません。
- 「例外となりうるのは~」に就いてですが、2008-11-29T08:57:51UTC以後に追加されたURIのうち、YouTube以外のURIは[2], [3], [4], [5]の計4件ですが、何れも「例外となりうるのは~」に該当しないと考えます。--kahusi (會話) 2008年12月5日 (金) 10:23 (UTC)
- 上に記した「例外」たり得ないものを出典としている記述は、異論が無ければ1-2週間を目処に削除しようと思います。動画に就いてですが、Wikipedia‐ノート:検証可能性#投稿された動画にて議論があります(した)。話の流れでは、「公式動画」ではない、及び不法に投稿された動画はWikipedia:信頼できる情報源たり得ない事、検証し辛くとも検証可能であれば検証可能性は充たされるとの意見、及びWikipedia:独自研究は載せないに抵触しない、といった事が言われています。御参照下さい。--kahusi (會話) 2008年12月8日 (月) 09:58 (UTC)
- それが出典なのか単なる外部リンクなのかで判断が異なると考えています。つまり、その外部サイト自体は情報のより良い形での提供が行われ、情報の信頼性は別に指示したサイトによるなら問題ないと考えています。本来の出典は動画情報であって、その確認に時間を要し、そのため問題のコメントが文字に変えられているサイトがあるならば信頼性と利便性を補完しあっていると思えます。--Sweeper tamonten 2008年12月8日 (月) 14:13 (UTC)
- そもそも、先の4件にある内「利便性」の文脈に合うであろう[6]は適法なのかという問題があり、不法ならば「より良い形」以前の問題になるでしょう。何れにせよ、「利便性」のある外部リンクだけでは――適法であろうとも――出典たり得ない事は重ねて申し上げておきます。現状では信頼できる「別に指示したサイト」の提示がありませんし。--kahusi (會話) 2008年12月9日 (火) 06:54 (UTC)
- 「利便性」が認められるサイトについてはその価値を認められているようですね。問題は出典となりうるサイトを示せるか否かです。出典としての価値のないサイトが脚注で示されるような場合には利便性が認められるものの出典としては不適格との表現を示して妥当な出典を広く求めるか、利便性のあるサイトをコメントアウトするかのいずれかではないでしょうか。Wikipediaにとって価値を持つ可能性のあるものをできるだけ排除しないようにしようとする考え方です。これに対する反対意見はより厳しい判断を求めるものとして価値がありますのでやはり歓迎します。本来は出典として満足できるものが望まれますので、多くの選択肢が並べられる際にはより鋭い見方をすることができるのではないかとの期待もあります。コメントアウトの形なら一般利用者にはより安定した内容を提供し、編集者には記事の質を高める為に必要なキーワードを渡せるものと考えます。--Sweeper tamonten 2008年12月9日 (火) 17:24 (UTC)
- そもそも、先の4件にある内「利便性」の文脈に合うであろう[6]は適法なのかという問題があり、不法ならば「より良い形」以前の問題になるでしょう。何れにせよ、「利便性」のある外部リンクだけでは――適法であろうとも――出典たり得ない事は重ねて申し上げておきます。現状では信頼できる「別に指示したサイト」の提示がありませんし。--kahusi (會話) 2008年12月9日 (火) 06:54 (UTC)
- それが出典なのか単なる外部リンクなのかで判断が異なると考えています。つまり、その外部サイト自体は情報のより良い形での提供が行われ、情報の信頼性は別に指示したサイトによるなら問題ないと考えています。本来の出典は動画情報であって、その確認に時間を要し、そのため問題のコメントが文字に変えられているサイトがあるならば信頼性と利便性を補完しあっていると思えます。--Sweeper tamonten 2008年12月8日 (月) 14:13 (UTC)
- 上に記した「例外」たり得ないものを出典としている記述は、異論が無ければ1-2週間を目処に削除しようと思います。動画に就いてですが、Wikipedia‐ノート:検証可能性#投稿された動画にて議論があります(した)。話の流れでは、「公式動画」ではない、及び不法に投稿された動画はWikipedia:信頼できる情報源たり得ない事、検証し辛くとも検証可能であれば検証可能性は充たされるとの意見、及びWikipedia:独自研究は載せないに抵触しない、といった事が言われています。御参照下さい。--kahusi (會話) 2008年12月8日 (月) 09:58 (UTC)
(「インデント」戻し)Wikipedia:検証可能性#方針に依ると、コメントアウトされた記述でさえ除去しても方針に反しないと考えられます。本来は全うな出典を投稿者が示すべきですが、不確かな情報に対する信頼できる情報源を捜索する際には、ノートに記した方が妥当なのではないかと考えます。この項目での不確かな出典による記述に対しても同様です。--kahusi (會話) 2008年12月10日 (水) 11:11 (UTC)
- 不確かな出典のみによる記述は閲覧者に有害ですので積極的な処置が必要です。さらにその記述を裏付けるまともな情報源を探すのか否かですがケースバイケースなのかなと考えています。--Sweeper tamonten 2008年12月10日 (水) 11:31 (UTC)
日章旗とデザインが似ている旗について
[編集]現在の版に告知をつけました.編集合戦を行う前に論争はこちらでお願いします.
さて,まずこの項目の存続を支持されている方は何を以って似ていると判断されているのでしょうか.独自研究ではないのであれば,現在「信頼出来ない出典」としてコメントアウトされている日章旗のデザインに影響を受けた云々のように,「似ている」という出典を示していただくようお願いします.--UNIPUMA 2008年12月18日 (木) 11:16 (UTC)
- 一見すれば似ていると誰でもわかるし、このくらいのことで出典を求めるのはどうかと思う。パラオの国旗が日本の国旗に似ているという書籍を以前みかけたことがありますが、なにせ5年以上も前のことなので探すのは困難です(汗)--akane700 2008年12月18日 (木) 13:05 (UTC)
- や,バングラディッシュ程度であれば確かにいいんですけど(色と丸の位置の差のみという点で),それに模様が入っているものまで「似ている」とするのはいささか乱暴ではないでしょうか(それこそ○が入っていたら似ているとするぐらいに).私としてはこの項目単体では出典の有無に関係無く特筆性に欠けるかなとも思うのですが,現在コメントアウトされている「日章旗のデザインが取り入れられて作られた旗」の項目にちゃんとした出典が出てきた場合には,日章旗とそれらの旗の比較を行うという意味でこの項目の存在意義が出てくるのではないかなと期待しています.--UNIPUMA 2008年12月18日 (木) 14:43 (UTC)
- たしかに模様があるものを似ているとするのは乱暴ですね。円が完全に太陽の絵になっているようなものはさすがに似ているとするには難があるように思います。となると、現在の例で十分なのかな。--akane700 2008年12月18日 (木) 23:53 (UTC)
- 横からですみません。 本文中にも「世界的・歴史的に太陽が赤で描かれることは珍しく」「なお日本では紅白がめでたい色とされており、日章旗が定着していった事実は日本人の色彩文化を知るうえで興味深い。」とあり、色彩の比較としても、同じ太陽を題材にした「旧中華民国」の旗を加えるのには妥当性があるように思われます。 気になるのは、日章旗と旧中華民国の旗を結び付けられたくないという、「神学論争」的な視点からこの議論がなされているのでは?という点です。 そう云ったことは、中立的な態度を誤らせるような気がしています。 もし、少しでもそのような「感情」があるのであれば、少し立ち止まって考えて欲しい気はしてます。--山本山815 2008年12月19日 (金) 19:43 (UTC)
- 「神学論争」という言葉はいまここで初めて聞きました。私としては無地に円というものを似ていると判断すれば問題ないと思うのですが。--akane700 2008年12月20日 (土) 00:03 (UTC)
- 何処をどう読めばそうなるのか解りませんが...現在のところ私はこの項目を(一時的に)コメントアウトすべきではないかと考えていますが,それは「似ている」という定義が曖昧であること,または似ているという出典が出てこないこと,そして特筆性に欠けるという点をクリアできていないからです.
- さて,山本山815さんの主張なさっている
- >色彩の比較としても、同じ太陽を題材にした「旧中華民国」の旗を加えるのには妥当性があるように思われます。
- ですが,同じ題材をモチーフにしたというだけでそれらの旗を列挙する事は妥当性があるとは思えませんし,下手をすると独自研究扱いされる恐れもあります.また,(仮に妥当性があるとして)これを国旗の項目で行う必要があるとお考えでしょうか.どちらかというと,新しい項目として「太陽を題材とした国旗」としてまとめみてたり,色に関して言えば太陽の色の項目に追加したりとここ以外で纏められる方が良いと考えられます.余談ですが国旗の一覧を眺めていると太陽・月・星をモチーフとしている国旗って相当多いので新しい項目,もしくはカテゴリとしてまとめるのも面白いかもしれませんね--UNIPUMA 2008年12月20日 (土) 04:52 (UTC)余談の位置修正--UNIPUMA 2008年12月20日 (土) 08:16 (UTC)
- もちろん、akane700氏(先日はありがとうございました)や、UNIPUMA氏はそんなことはないのでしょうが、「神学論争」的と書いたのは、抜きがたく「愛国・嫌韓嫌中」という考えの方がいらっしゃるからです。 残念ながら論理の入りにくい領域なので、「神学」=「信仰」的と書かさせてもらいました。(もちろんその逆もあります。) 大阪大学大学院准教授の辻大介氏は、「愛国・嫌韓嫌中」=ネット右翼の存在はインターネット利用者の1.3%に過ぎず、一般的には「愛国」=「親韓親中」の場合も多く、「愛国」=「嫌韓嫌中」とは直ちに結びつかないと分析しました。(インターネットにおける「右傾化」現象に関する実証研究) そして、その「神学」的部分を取り除き冷静に見たとき、「無地の上で、中心に太陽をモチーフにした国旗」はそう多くはないので、比較の意味も含め、載せる妥当性はあるのではないかと書いたわけです。--山本山815 2008年12月20日 (土) 07:40 (UTC)
- えっと正直申しまして私は嫌韓等の話題は大嫌いです.ある論争の所にその話題を持って行くと論争の中心がそっちに移ってしまい感情的な言い合いになる事が多々見受けられ,正常な議論の妨げとなるからです.ですのでこの話題を続ける事を私は望みません.さて,私のこの項目のコメントアウト化に対する根拠は上記に述べた通りでありますが,先述の山本山815さんが仰るように妥当性があるとお考えでしたら草案として作ってみてはいかがでしょうか?勿論,独自研究では困りますが...--UNIPUMA 2008年12月20日 (土) 08:16 (UTC)
- もちろん、akane700氏(先日はありがとうございました)や、UNIPUMA氏はそんなことはないのでしょうが、「神学論争」的と書いたのは、抜きがたく「愛国・嫌韓嫌中」という考えの方がいらっしゃるからです。 残念ながら論理の入りにくい領域なので、「神学」=「信仰」的と書かさせてもらいました。(もちろんその逆もあります。) 大阪大学大学院准教授の辻大介氏は、「愛国・嫌韓嫌中」=ネット右翼の存在はインターネット利用者の1.3%に過ぎず、一般的には「愛国」=「親韓親中」の場合も多く、「愛国」=「嫌韓嫌中」とは直ちに結びつかないと分析しました。(インターネットにおける「右傾化」現象に関する実証研究) そして、その「神学」的部分を取り除き冷静に見たとき、「無地の上で、中心に太陽をモチーフにした国旗」はそう多くはないので、比較の意味も含め、載せる妥当性はあるのではないかと書いたわけです。--山本山815 2008年12月20日 (土) 07:40 (UTC)
- 横からですみません。 本文中にも「世界的・歴史的に太陽が赤で描かれることは珍しく」「なお日本では紅白がめでたい色とされており、日章旗が定着していった事実は日本人の色彩文化を知るうえで興味深い。」とあり、色彩の比較としても、同じ太陽を題材にした「旧中華民国」の旗を加えるのには妥当性があるように思われます。 気になるのは、日章旗と旧中華民国の旗を結び付けられたくないという、「神学論争」的な視点からこの議論がなされているのでは?という点です。 そう云ったことは、中立的な態度を誤らせるような気がしています。 もし、少しでもそのような「感情」があるのであれば、少し立ち止まって考えて欲しい気はしてます。--山本山815 2008年12月19日 (金) 19:43 (UTC)
- たしかに模様があるものを似ているとするのは乱暴ですね。円が完全に太陽の絵になっているようなものはさすがに似ているとするには難があるように思います。となると、現在の例で十分なのかな。--akane700 2008年12月18日 (木) 23:53 (UTC)
- や,バングラディッシュ程度であれば確かにいいんですけど(色と丸の位置の差のみという点で),それに模様が入っているものまで「似ている」とするのはいささか乱暴ではないでしょうか(それこそ○が入っていたら似ているとするぐらいに).私としてはこの項目単体では出典の有無に関係無く特筆性に欠けるかなとも思うのですが,現在コメントアウトされている「日章旗のデザインが取り入れられて作られた旗」の項目にちゃんとした出典が出てきた場合には,日章旗とそれらの旗の比較を行うという意味でこの項目の存在意義が出てくるのではないかなと期待しています.--UNIPUMA 2008年12月18日 (木) 14:43 (UTC)