ノート:日本で開催された展覧会の一覧
この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。新しく依頼を提出する場合、以下を参考にしてください。
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これ、毎年、新しい記事を作るんですか?そこまでする必要があるとは思えません。再考をお願いします。秀の介 13:17 2003年9月20日 (UTC)
- しっかりした記事が作成されるならいいんじゃないかと僕は思います。主題の性格上、中立的に書くのがかなり難しいんじゃないかとは思いますが。例えば首都圏に限定するとか、具体的に特定の展覧会に絞ってひとつづつ書いていく方が、年次別に書くよりやりやすいかも知れないですね。
- ただ、しっかりした記事が書けないとしたら、写真関連はこれまでのところ書き手がほとんどいませんでしたし、とりあえず書けるだけ書いておけば他の人が面倒を見てくれる、改善してくれる、というわけにはいかないかも知れないですね。ちょっと調べればいろいろ資料があって誰でも執筆できるというような話題でもなさそうですし。
- あと、記事名にカッコを含める場合は記事名 (分類名)と半角スペースをカッコの前にひとつ入れることになっています。パイプ記号の裏技というのを使えるようにするためです。(Wikipedia:記事名のつけ方などにちょっと説明があります。)既にある分については、いずれ名前を付けかえておきます(Wikipedia:ページ名の変更にある通り、ログインが必要になります)。もちろん、もし既にアカウントを作成されていたら、ログインして記事名を変更して下さっても結構です。Tomos 01:13 2003年9月22日 (UTC)
この項目は、関連項目を含めて、百科事典として不必要なのではないでしょうか? るがこむ 04:05 2003年9月23日 (UTC)
- これが記事として認められると、美術館で行われている○○展がみとめられ、そうなると膨大な○○展を始めてしまう方がいないとも限らないので、記事としては現段階ではしないほうがいいと思われるが。よほど記事として特化し、充実の度合いが増せばまた違う(記事化)と思うが。現時点で写真に関する著作権は殆どがきれていないだろうし、かなり難しいと思うのだが。218.225.178.83 05:29 2003年9月23日 (UTC)
項目名変更
[編集]内容がほぼ、写真展のみですので、このままの「主要な展覧会」ですと、ほかの美術分野の迷惑となりますので、項目名を変更したいのですが構いませんでしょうか?なお、項目名の候補として「主要な展覧会 (写真)」、「写真展一覧」などがよろしいのではないでしょうか。(ほかにもいい案があればどしどしお出し下さい)--Kstigarbha 2005年8月11日 (木) 06:39 (UTC)
- (コメント)「主要な」は、個人の主観が入りますので、客観的・中立的とは言えないような…--Kstigarbha 2005年8月11日 (木) 06:41 (UTC)
- (コメント)「日本の」もしくは「日本における」を付けないとマズイですね。--Kstigarbha 2005年8月11日 (木) 06:47 (UTC)
- こんにちは。利用者のページにメッセージもいただきありがとうございます。確かに、写真展ばかり(というか、そもそも、ほとんど記事が書けていない)という状態でしたので、絵画展を10件ほど追加しました(一部デザイン関係)。建築についても駒はあるのですが、本日はそこまで手が回りませんでした。さて、タイトルについてですが、あまりこだわっておりませんので、写真展とそれ以外に分けていただいても結構です(もともとは分かれていたのですが)。また、「主要な」「日本の」は、個人的には、どうしていいのか、よくわかりません。むしろ、他の方のご意見を待って、その上でタイトルを変更すべきかどうかを決めていただければ幸いなのですが? 別な「ノート」で悪乗りをして時間を使ってしまい、そのノートでは「むしろ記事執筆に時間を割いては?」というようなご指摘があって反省していますので、簡単で申し訳ありませんが、以上にします。よろしくお願いします。20世紀(前半)美術 2005年8月11日 (木) 15:13 (UTC)
Kstigarbhaさんから私の利用者ページにもメッセージいただきましたので、いささか私見を述べます。この項目「主要な展覧会」は、ページ名が不適切な上に、収録内容の面でも偏りがあり、何らかの修正が必要であると思います。
まずページ名についてですが、「主要な○○」という名称は事典の見出し語として適切なものとは思われず、ウィキペディア日本語版でも他に例を見ません。この種のページについては「○○の一覧」というページ名を付すのが慣例となっており、本ページについては「日本で開催された写真展の一覧」あるいは「写真展の一覧 (日本)」としてはどうでしょうか。この種の一覧は、「主要なものの一覧」であることは自明なので、「主要な」という文言をわざわざ入れる必要はないと思います。
次に内容について、具体的にはどのような展覧会をこのページに収録するかという点ですが、写真展なら写真展のみに特化した一覧であれば、それはそれでよいと思います。しかし、2005年8月11日に大幅加筆が行われ、写真以外の展覧会が10件ほど追加された結果、現状では「写真展の一覧」というタイトルを付すわけにはいかなくなってしまい、全体としてはかえって統一性のない一覧になってしまったように思います。一所懸命加筆してくださった方には大変申しわけありませんが、加筆された内容は特定の時代、地域、分野、傾向に著しく偏っており(ほとんどが20世紀前半のモダニズム絵画に関する展覧会)、百科事典の項目としてのバランスを欠いています。解決策としては、2005年8月11日 (木) 11:34 (UTC)の版にrevertした上で、ページ名を「写真展の一覧 (日本)」に変更すれば、ページ名と記述内容にも齟齬がなくなります。20世紀前半のモダニズム絵画の展覧会について、お書きになるのであれば、「20世紀美術」「キュビスム」「抽象絵画」等のページ中に参考事項としてお書きになってはいかがでしょうか。Urania 2005年8月20日 (土) 04:57 (UTC)
移動しました。--Ligar 2005年10月5日 (水) 03:30 (UTC)
表記スタイル
[編集]時系列での表記ではなく、開催地別の表記の方が良いと思うのですが?。ほぼ同じ内容の通年開催の場合もあります。--Gpx 2010年9月7日 (火) 13:27 (UTC)
それとここは、美術分野のみですか?展覧会だと作品・製作物と解釈できますので、他には、菊花展・菓子展覧会・カスタムカーの展覧会(これは、展示会になるかも)など他分野のもあります。--Gpx 2010年9月7日 (火) 13:47 (UTC)
2010年10月になされた全体の削除について
[編集](Wikipedia:削除依頼/日本で開催された展覧会の一覧も参照)
今回の削除は、残念ながら、拙速だったとしかいいようがありません。履歴もすべて消えてしまい、ややこしいことになりました。
- この項目が6年以上の履歴をもっていたにもかかわらず、たかだか1週間で、「全体」の削除を決定したこと。削除依頼が出ていたことに気づかなかった私も馬鹿なのでしょうが、言い訳を書かせていただければ、削除依頼をなさった人がIPの人(利用者:59.133.80.168)であり、その方が削除依頼をなさったときの要約に削除依頼ということを(あまり気づかれないように意図的に?)書いておられなかったのではないでしょうか? もちろん、この記事の履歴も残っていませんので、正確には確認のしようもありませんが、同じ削除依頼のIP氏の他の記事の削除依頼(履歴が残っているもの)ではすべて要約の記載がありません。
- この項目の内容を区分すると、少なくとも3種類あるわけですが(今回積極的に加筆なさったIPユーザー氏の部分は、そのうちの1種類)、削除検討の過程でその3種類の違いに気づいておられないことがうかがわれ、それゆえ当然に、その差異について議論されることもなく、「全体」(IPユーザー氏の加筆とは関係ない部分も含め)の削除を決定したこと。
の2点が総論的な問題ということができます。
各論について考えてみても、
- 基準不明:基準などはじめからできるはずはなく、むしろ逆で、いろいろな展覧会が項目中に記載されていく中で、これが足りない、反対にこれは入れるべきではない、などという議論や修正が出てきて、前に進んだり後戻りしたりという状態が続いて、やがて基準ができていく、というものだと思います。そして、基準ができるまでは、そういう議論が出はじめてから、数年はかかると見なければなりません。さらに、いったん基準のようなものができても、時間がたてば、新しい書き手の方も入ってきて、見直しが必要となるでしょう。この記事については、執筆者がほとんどいないため、今までは基準の議論ができるような状態ではなく(実際に、今まで、議論らしい議論もなかった)、今回のIPユーザー氏の書き込みは、そのような議論への過程として理想的なものだったのですが、議論をすっ飛ばして「全体削除」となってしまったため、そのせっかくの機会が潰えてしまいました。なお、個人的に最も恐れるのは、「IPユーザー氏をWikipediaから追い出した」ことになりはしないかということです。
- 「単なるデータベース化」「とてつもない分量」「際限がなく」:この点は、少なくとも現時点では杞憂だとしか思えません。そうでなければ、申し訳ありませんが、今回のIPユーザー氏の書き込み内容を具体的に見ておられないご意見ということでしょう。もし、「全部」の展覧会を網羅しようなどと考えたら、すぐお分かりのように、1年間で500件を超え、小さなものを加えたら1000件に達することでしょう。そんなものを独力で網羅しようと考える人など想像できません。仮にいたずらでそういうことをしようとしても、それだけの労力を使う人などいないでしょう。労力に対して効果がなさ過ぎてばかげています(ほかのいたずらをしたほうがよほど割が合う)。そして、今回のIPユーザー氏の加筆後の本項目を見ても、多い年でも、せいぜい20~30展覧会しか挙げられていません(20~30はIPユーザー氏により追加された数とは限りません)。これでは、網羅などにははるかに及ばない。ここから、「網羅」などという言葉を思い浮かべられるはずはない。しかも、具体的に追加なさっている展覧会は、私のわかる範囲では、(上からの言い方のようで失礼で申し訳ありませんが)追加すべきでないようなおかしな展覧会ではないと思います。では、今後、このIPユーザー氏が「暴走」して、20~30が50になり、100になり、200にならないと保証できるのか、今のうちに、その危険を排除すべく記事「全体」を削除しておくべきではないか? というお考えもあることでしょう。しかし、私は、そこまでになるとは思いません。仮になったとしても、例えば、100を超えてもIPユーザー氏の加筆にとどまる様子がない、などとなったらそこではじめて動けばいいと考えていました。それも、「削除依頼」という方法ではなく、このノートにてIPユーザー氏と議論をするという方法で。なお、補足ですが、個人的に、ここで実現してほしいと期待しているわけではありませんが、「網羅的な展覧会の一覧」(しかも、1件ごとに簡単な解説付き、すなわちデータベース以上のもの)、世の中のどこにもありません、でもどこかにあれば、こんなに便利なものはない、そして、将来的にありうるとしたら、Wikipediaだけでしょう。
- 最後に、「○○が抜けている(から全体を削除すべき)」というご意見は、失礼ながら、理解できません。「○○が抜けているから、その展覧会を記事に追加します」という(それも、「ご意見」ではなく)具体的な行動が、Wikipediaでは望まれるのだと思います。不思議なことに、一般的に、一覧記事には抵抗を感じる方が多いようで、「この一覧記事をよくしていこう」という建設的なご意見はほとんど聞かれないようです(たいてい、「一律に全体を削除せよ」という破壊的なものばかり)。しかし、先にも書きましたように、特にこの展覧会一覧の記事の執筆者はほとんど限られており(もう履歴が確認できなくなっていますが)、抜けている展覧会などいくらでもありました。開催される展覧会の内容があまりに多岐にわたっているため(絵画、デザイン、彫刻、建築、写真等のメディア的にも、時代的にも、地域的にも)、少数の人間では、この記事に記載「すべき」展覧会だけであっても、とても把握しきれる状態ではない。そのため、IPユーザー氏が加筆なさる前のこの記事は、かなり偏った内容でした(このノートでも、その点のご批判があります)。個人的に、その偏りを直そうという動きもとっていましたが、ひどく限界があったため、どなたかが加筆してくださるのを待っていたのです。それゆえ、現時点では抜けている展覧会などたくさん存在する、発展途上の記事であるわけです。
以上から、全体の削除をなさった理由はなきに等しいと思います。誤解を恐れずに申し上げるならば、加筆なさった方とはまったく別のIP氏「利用者:59.133.80.168(投稿記録)」の削除依頼に早く対応しすぎたのではないかと思います。その人の投稿履歴によれば、この人は、2010年9月25日のみの投稿(20件弱)、そのうち1件以外はすべて削除依頼関係で、本記事を含めて6件の立て続けの削除依頼。何か訝しいですね。しかし、個人的には本件関連のトラブルは避けたいので(過去にありましたが、このページと美術書のページに関する存続すべきかどうかという議論を行った結果、私は周りの方とノートで議論するということに正直懲りました。あまりに時間とエネルギーが必要なので、議論自体に深入りしたくないと考えております)、ページの全部を戻すようなことは希望いたしません(復帰依頼はいたしません)。他の記事との関係で必要だと考える、ごく一部分のみをとりあえず戻すことにしました。
なお、この項目に関して、個人的な将来の予想としては、今後は、ある程度情報が増えたところで、別途、もともと1年ごとに記事化が想定されている「XXXX年の芸術」(例えば、2006年の芸術、2008年の芸術、2009年の芸術という記事はすでに存在します)において「展覧会」という節ができて、そこに吸収されていくのではないかと思います。この記事に加筆していただいていたIPユーザーさん、もし、もうこの記事に加筆なさるのはこりごりだ、ということであれば、そちらの項目に執筆なさってはどうでしょうか? 1年につき、20~30件程度であれば、問題にはならないと思います。個人的には、50件でも問題ではないと思います。よろしくお願いします。
ところで、この記事の「履歴」だけでも復活させることはできないのでしょうか? 記事自体を復帰させないと、おそらく無理なんでしょうね。
以上、よろしくお願いいたします。- 20世紀(前半)美術 2010年10月2日 (土) 14:32 (UTC)
- コメントいったん削除された投稿の復帰を望まれる場合は、Wikipedia:削除の復帰依頼に申し出てください。今回の投稿は残念ながら即時削除の対象となってしまっていますので、いったん削除といたします。--VZP10224 2010年10月2日 (土) 14:56 (UTC)
- ご連絡ありがとうございます。内容承知いたしました。個人的には即時削除に納得いかないのですが(今度は、展覧会を極端に絞って、かなり高いレベルの基準を設定した「削除されたものとは違うもの」のつもりなのですが)、負担が大きいので本件についてさらに動くかどうか迷うところです。復帰依頼をするかどうかについては、別途検討したします。よろしくお願いします。- (微修正)20世紀(前半)美術 2010年10月2日 (土) 15:10 (UTC) - 20世紀(前半)美術 2010年10月2日 (土) 15:13 (UTC)
コメント20世紀(前半)美術さんのご意見について、私なりの意見を述べさせていただきます。なお当方は美術に関しては全くの門外漢ですので、そのあたりは考慮して読んでいただければと思います。
- 掲載基準について。「主要な」展覧会の一覧とのことなのですが、「主要」とみなされる基準について執筆者の間で議論を行って基準を作るのは、ウィキペディアでいう「独自研究」に該当するのでは、と考えます。アカデミックな分野ではそもそも閲覧する人が少ないのか、編集しようとする人が少ないだけなのか、編集回数もそんなに多くはないようですが、すべての記事があらゆる人によって編集可能なウィキペディアでは、「主要」とみなされる基準について美術にあまり詳しくない人でも判断可能な、ある程度客観的な基準が求められると思います。そこで重要になるのが、「主要」であるための基準を決めた文書が検証可能性を満たす信頼できる情報源として公開されているかどうかなのですが、初版から相当な期間が経過しているにもかかわらず、そうした情報源に関する追記がなかったことを見ても、そのような文献は存在していないのかもしれません。そうなると、主要であるための基準をウィキペディア独自で作るしかなくなり、それはウィキペディアオリジナルの見解を生み出すことになり、方針違反となることでしょう。あえて申し上げますが、基準を作成するために専門家以外は議論してはならないというルールがない以上、美術に関する素人が4~5人集まって話し合って作成した基準であっても合意が形成されている限り有効です。
- 上記から、主要である基準が存在しないとなると、最終的には日本で開催された「展覧会と名のつく展示会」を全列挙することになります。もしかしたらこういうところが開催しているものも対象だ、と言い張る人が現れる事態になるかもしれません。そしてそういう人は自分にとって都合の良いウィキペディアの方針を持ち出して、記述から省こうとする行為に対して抵抗を見せる場合が多くあります。そうなったときに疲弊してしまうのは、それまでこつこつ充実のために取り組んできたこれまでの執筆者であることが多いようです(いずれも具体例を挙げて説明するのが困難なことご容赦ください)。
- 削除依頼の依頼者について。管理者という立場上、削除依頼を多く見てきていますが、依頼者の依頼事由や議論参加者の意見が論理的に破綻していたり、方針にそぐわないものであった場合、早い段階で反論意見とともに存続票が入れられています。今回はそういう意見が出なかったということで、議論の内容に納得していた、すくなくとも異論をさしはさむ必要を感じなかった人が多かったということなのかもしれません。
以上、個別に20世紀(前半)美術さんの会話ページに書き込んだ内容とかぶる部分もあるかとは思いますが、意見してみました。「どなたかが加筆してくださるのを待」つのではなく、一覧作成に有益な文献を探し出してくるのが本記事を充実させる早道だったのかもしれません。--VZP10224 2010年10月2日 (土) 16:33 (UTC)
- ご助言ありがとうございます。「出典」という視点から考え直してみたいと思います。-- 20世紀(前半)美術 2010年10月3日 (日) 04:44 (UTC)
出典について
[編集]本項目について、「出典」の観点から、以下のように考えてみました。ご意見ありましたら、よろしくお願いいたします。
- 今後、展覧会を追加する場合には、展覧会内容の末尾に出典を必ず明記する。(出典を明記しないで追加することはできない)
- 出典は、当面、日本の新聞の全国5紙(朝日、産経、日本経済、毎日、読売)に限定する。これらの5紙のいずれかに紹介記事が掲載されたことを条件とする。
- ただし、以下の記事等は、出典と考えない(したがって、これらを出典として本項目に追加することはできない)
- 広告。ただし、当該新聞が主催する展覧会の場合、新聞の中の大きなスペース(例えば、1つのページ全体)を用いて、展覧会を紹介する場合があるが、そのような記事は広告類似ではあるが、出典として認める。
- 当該新聞が主催する展覧会に関係した、「本日(or昨日)、開始日前日の招待日で、○○(著名人)が来場した」、「本日(or昨日)、展覧会開幕日で、○○(著名人)が来場した」、「昨日、展覧会の会期が終了し、入場者数が〇万人にのぼった」といった小さな記事【広告類似のため】
- 毎週定例的に掲載されるような、個別の展覧会の紹介記事(複数の展覧会を列挙した表や小さな記事)【1回に掲載される展覧会の数が多く、また、展覧会の「内容」の紹介というよりは開催されているという「事実」のみの紹介が多く、出典という意味が弱いため】
- 出典の記載方法は、かっこ書きで、「新聞名(夕刊の場合には夕刊と記載)、新聞の日付、文化面・社会面・一面・全面紹介記事等の記事の位置」の3項目。
これに基づき、実際の運用がどうなるかの実験の意味合いも含めて、1~2週間後には暫定的に動き始めたいと思いますので、ご意見をよろしくお願いいたします。もちろん1人で全ての新聞を網羅的にチェックするのは無理ですので、動き始めた場合には、皆さんのご協力をお願いしたいと思います(いずれにしても、かなりの時間がたたないと網羅的にはならないと思っています)。また、件数としては、おそらく、多くても年間で50件~100件の間に収まるのではないかと思いますが、これはためしに実施してみなければよくわかりません。なお、私は、この方法がこの項目の質を高めることにとっては最も理想的とは思っておりませんが、「出典」「基準」の観点から考えられる1つの方法としては妥当かなと思っています。よろしくお願いいたします。-- 20世紀(前半)美術 2010年10月11日 (月) 08:06 (UTC)
残念ながらご意見をいただけておりませんが、しばらく時間がたちましたのでとりあえず走ります。よろしくお願いします。-- 20世紀(前半)美術 2010年11月7日 (日) 13:12 (UTC)
- お返事が遅くなりまして申し訳ありません。おおむね妥当な基準ではないかと思います。今後ほかの方からの意見やご協力も取り入れて、より良いものにしていただければと思います。--VZP10224 2010年11月20日 (土) 03:09 (UTC)
- いえいえ、遅いなどということは決してありません。むしろ、わざわざフォローのコメントをいただきありがとうございます。もちろんこの基準で確定ということでもありませんので、書いておられるとおり、今後も必要に応じて修正等をしていきたいと思います。-- 20世紀(前半)美術 2010年11月20日 (土) 10:30 (UTC)
「Wikipedia:削除依頼/日本で開催された展覧会の一覧 20120901」について
[編集]まずは、削除依頼自体の「参照読み込み」をいたします。
日本で開催された展覧会の一覧 - ノート
[編集]上記「Wikipedia:削除依頼/日本で開催された展覧会の一覧 20120901」については、以下の議論を検討する際に、いちいち、別なページを参照しなくてもすむように、あえて「参照読み込み」をしております。このノートでの議論なしに「参照読み込み」を通常のリンクに変更なさらぬよう、よろしくお願いいたします。--20世紀(前半)美術(会話) 2012年9月7日 (金) 13:16 (UTC)
出典の基準について
[編集]篠岡さん、「基準」についてご意見いただきありがとうございます(VZP10224さんに次いで、「基準」についてはお二人目のご意見となります)。篠岡さんのご意見に対して、一部回答、一部質問を差し上げます。
- 1.「地方によって紙面が異なる場合が多いので、出典とするならば脚注の形式で、なおかつどの地方版の何面かをはっきり書かないといけない」とあります。そこまで必要であれば、基準をそのように変更することもやぶさかではありませんが、以下質問です。
- 1-1:一般にWikipediaにおいて新聞記事を出典とする場合(URLでない場合)の参照方法はどうなっているのでしょうか? 基本はそれに従うべきだと思います。新聞記事の参照方法について、Wikipedia上の基準を私も探してみたのですが、見つけることができませんでした。申し訳ありませんが、ご存知であればご教示ください。
- 1-2:仮に、「どの地方版」を実際に記載するとした場合には、どのように記載すれば足りるとお考えですか? 例えば、「東日本版」「関東版」「首都圏版」「東京都版」(都道府県別?)など、実施可能な具体例をお示しいただければありがたいです(ちなみに、新聞の各ページには地域については何も記載されていないようですが、どの部分を見るとわかるのでしょうか?)。また、新聞の「どの地方版」なのかについて記載のあるWikipediaの記事の例をご存知であれば、お教えください。
- 2.URLによる表示ですが、古い新聞記事については消去されてしまう可能性があるのではないかと危惧します。しかし、便利な方法ですので、基準上、原則は「紙媒体の新聞の表示(+URL)」、代替的に「URLだけでもいい」としてはどうかと考えています。なお、「URLだけ」しか記載していなかった場合は、いざリンク先(URL)の記事が削除されてしまうと、時間的に遡って、紙媒体の新聞の掲載状況を確認する必要が出てきて、その時点で適切な記事を発見できない場合には、その展覧会の部分については、削除しなければならない、という結論になるかと思います。以上につき、ご意見いただければ幸いです。
- 3.「一面広告」についてですが、すみませんが、「基準」における私の書き方が紛らわしかったかもしれません。あくまでも「広告類似」であって「広告」ではありません。「広告」の場合には欄外上部に「全面広告」「広告のページ」等と表記してあるのに対して、このような紹介ページの場合には欄外にも「全面広告」等とは表記しておりませんので、形式的にも区別は明確です。ただ、「広告類似」と書きましたのは、展覧会をよくご存知の方であればすぐおわかりかと思いますが、新聞社が展覧会(美術展など)を主催(や協賛)していることはかなり多く、そのような場合に、その展覧会を新聞の1ページ全面(または見開き二面)を使って紹介することがあり、これは自社が主催している展覧会の紹介を自社の新聞に掲載することになりますので、あえて「広告類似」と書いた次第です。さらに、この「広告」と「広告類似」とは、実質的にも大きく異なり、「広告」の内容については、掲載したその新聞が内容について責任を負うことはありませんが、「広告類似」については、当然ですが、掲載したその新聞が内容について責任を負うことになります。したがって、「広告類似」ではあっても、「基準」に含めたわけです。このような点について不明確であれば、「基準」に説明を追加するようにいたします。また、もし、今までそのような「全面記事」をご覧になったことがなければ、この機会に、この「日本で開催された展覧会の一覧」でいつの日付でどの新聞に「全面記事」の例があるかがご確認いただけますので、実物をご覧いただければと思います。
以上になりますが、ご回答方、また、さらなるコメント(基準についての他の問題点など)がありましたら、よろしくお願いいたします。--20世紀(前半)美術(会話) 2012年9月7日 (金) 13:16 (UTC)
「一覧記事」の問題点と「○○○○年の芸術」への分割について
[編集]とりあえず、節を作成しました。この記事を「○○○○年の芸術」へと「分割」するという結論もありうると思います。なお、この点につきましては、過去の議論についてノート:東京都写真美術館の展覧会/削除を、および、類似記事である2012年の日本公開映画などの年度別日本公開映画も、それぞれご参照ください。また、分割も視野に入りますので、他の「○○○○年の□□」(例えば、「2012年の映画」「2012年の文学」など)もご参照ください。--20世紀(前半)美術(会話) 2012年9月7日 (金) 13:16 (UTC)