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ノート:新島襄

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今までの記載を削除して、新たに文章を入れました。すると著作権のことで削除され、元のママになりました。どうすべきなのでしょうか?お教えください。--ただなおひこ会話2023年6月24日 (土) 20:26 (UTC)[返信]

ただなおひこ さんのすべきことは、まず『新島襄365』のコピペを投稿するのをやめることです。
ウィキペディアは、一定の条件に従えばその文章を自由に二次利用することができる百科事典を作るプロジェクトです。そんな利用を許諾できるのは通常、文章を書いた人です。ただなおひこ さんは『新島襄365』を出した良心学研究センターの関係の方なのかも知れませんが、この本の文章をどう使うか無断で決めてよいわけではないでしょう。仮に決めてよい契約だとしても、ウィキペディア側からは確認できません。「著作権のことで削除され」ているのはそのためです。
次に、ウィキペディアはあくまで百科事典を作るプロジェクトです。新島襄についてあまり知識がない人が、新島襄とはどんな人か知ろうとこの記事を読むわけです。そんな読者が、新島がニコライに言及すらしていない理由を考えるのが新島研究の課題だ(同志社エピソード6)、なんて言われても困るのではないでしょうか。『新島襄365』は興味深い本ではあるかもしれませんが、百科事典の想定読者が直接読む本ではないと思います。
ですから、繰り返しますが、まず『新島襄365』のコピペを投稿するのをおやめください。そのうえで、新島を理解するならこんな記述も必要なのに書かれていない、とお考えの事項があるならば、その事項に関する文献を参照し、ただなおひこ さん御自身の文章で、どう二次利用されるのかご理解いただいたうえで投稿なさればよいと思います。--西村崇会話2023年7月16日 (日) 17:48 (UTC)[返信]
丁寧なご指導、ありがとうございました。理解しましたので、先ほど「エピソード」のみを削除しました。
「エピソード」の頁の著者とは親しいので電話で引用を快諾して貰っていました。
又、私自身の文章でない、という点で問題があることが今回分かりました。この点について、私は誤解していました。逆に、私の文章では駄目で、出典が明らかな文章をコピペすべきだと判断していました。
今後は私が文章を書いて、その出典として例えば、『新島襄365』を明記すれば良いと言うことでしょうか?その場合、現在の内容を削除しても構わないのでしょうか?お教えください。
今後は、お教えいただく方法で、誤りを正して参りたいと思います。ご指導の程、よろしくお願い申し上げます。--ただなおひこ会話2023年7月16日 (日) 20:00 (UTC)[返信]
最初に、私は単なる一読者ですので、以下は私個人の見解であるとお断りしておきます。
まず、ただなおひこ さんが御自分の言葉で文章を書き、例えば『新島襄365』を出典として示すことでよいか、という点については、はい、そうです、とお答えしておきます。出典とした文献の記述と事実関係が全然違うことが書いてあるなら別ですが、少なくとも、今回問題にされているような、著作権の観点で問題にされることはありません。
次に、現在の内容を削除してもよいか、という点については、御自分で投稿なさった部分については よい と思います。また既存の部分については、注意して行うなら よい と思います。既存の部分を大きく書き換える、特に文章を減らすような編集をすると、内容にかかわらず問題視する人がウィキペディアの中には少なくありません。一方で、出典が示されてない、記述が冗長だ、間違っている、実は文献丸写し、単なる個人の感想、など、問題があるまま放置されている記述も多いのです。加筆にせよ削除にせよ、こうした問題を改善できるのであれば自由にやっていただいてかまわないと思います(Wikipedia:ページの編集は大胆に)。要約欄に削除理由を書いておけばよいのではないでしょうか。--西村崇会話2023年7月20日 (木) 13:28 (UTC)[返信]