ノート:斎藤勇 (イギリス文学者)
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記述をめぐる問題に関して
[編集]親族に殺害された経緯について
- 「斎藤勇(イギリス文学者)の必須記述ではない」
- 「被害者の「知られたくない権利」に相当」
との理由で削除した人がいます。しかし、
1については「Category:殺人被害者」に属する人物のほとんどが該当してしまう。また「必須記述」しか書いてはいけないとの方針はない。そもそも「必須記述」とは何かが明らかでない。
2については被害者は既に死亡している。当時、社会的に広く報じられた事件であり、プライバシー侵害とも言えない。
以上の理由により当該記述はあって然るべきかと思いますが、他の皆様はどのようにお考えでしょうか。意見を募ります。--92.114.246.173 2015年11月23日 (月) 12:03 (UTC)
- 死の経緯が『ドキュメント戦後の日本: 新聞ニュースに見る社会史大事典』(大空社)『時事年鑑』(時事新報社)『近代日本総合年表』(岩波書店)といった信頼性の極めて高い文献に記載されているという事実は、それが斎藤を語る上で必要不可欠であることを明白に示しています。また、これらの文献に記載されていることについて問題視されていないことから、「知られたくない権利」に相当するものではないことも明らかでしょう。これが仮に加害者の実名が書かれていたとか、遺族が死因などについて明らかにしておらず週刊誌レベルの出典しか出てこない、といった状況であれば編集除去に留まらずケースB-2による削除が必要でしょうが、今回の件については除去の必要性は皆無であると判断します。--Claw of Slime (talk) 2015年11月24日 (火) 02:08 (UTC)
- 最初に当該部分が除去されているのを戻した者です。この件については、加害者の実名が記されるか、遺族が非公表にしているのならともかく、加害者の実名は伏せられていますし、記事に提示されたような多くの出典で記載されているということは、そのような要望はしていないと見るのが自然ではないでしょうか。また、その上で「殺害された」というのは人物にとって重要な記述であるわけです。それを、第三者が論拠曖昧のまま「必須ではない」とか「知られたくない」とか判断して除去するのはどうかと思います。それに要約欄では憲法21条を楯にしている人がいますが、この条文は「表現の自由」ですから、それに従うなら逆に除去する方が間違いとなりますが。--松茸(会話) 2015年11月24日 (火) 10:10 (UTC)
私は、今回問題になっている斎藤勇(イギリス文学者)の改訂に際して(2014年12月14日 (日) 13:03)、 問題箇所を削除された執筆者の Suzukityf9 氏へ新しく掲載された肖像写真をお貸ししたものです。(ウキのこのノートへの書き方がよく分かりませんが、以下取り急ぎ、申し上げます。)写真の所蔵者として私の実名が載っていますが、私は、斎藤勇先生の最晩年、親しくさせていただいた弟子(又弟子)の端くれです。遺族を含めて私共関係者は、30年以上経った今も、あの事件と三面記事的報道を含む多くの報道に傷つき続けております。今回も又これです。松茸様はじめ、Claw of Slime さんは、私共の苦しみがおわかりではないのでしょう。それとも、私たちの心情を無視されるのですか。昨年、Suzukityf9 氏から当ウイキ改訂意向のご連絡をいただいた時は、天の助けと思いました。書き上げられた氏の大幅な改訂は、旧来からのものに比べて、全体的にひじょうに充実し学術的にもすぐれたものになっており、にもかかわらず、氏の最終バージョン(2015年3月7日)から8ヶ月も経った今、なぜ蒸し返されるのでしょうか。ウイキ関係者は、どうか、細かいルールより先に、人の気持ちを察せられる方々であってください。daytodayhy
- 2014年12月の時点で、このページの大幅改訂に際して、現在議論になっている当該部分を最初に除去した者です。初心者であるため、このような状況になっていることに気がついた時に慌ててしまい、タグを外して編集し直した結果、お手数をおかけしたことを、まずお詫びします。
- すでに私よりも先に、理由を付して当該部分を除去された人がおられますが、私なりの意見を述べさせて頂きます。
- 著名な学者の記事をウィキペディアのガイドラインに沿って構成する時、言うまでもなくその主体となり重要になるのは、その人物の具体的な業績と活動についての記述です。そうした構成の中では、当該部分は他の部分と異質なものになります。(上に言及されている利用者はそのような意味で必須記述ではないと言われたのではないかと推察します。)特に加害者の孫の経歴や病状についての猟奇的ともとれる長い記述は、ウィキペディアの品位にも関わるような気がします。
- 「斎藤を語る」と言っても、どのような目的と視点で何を語るのかは、ウィキペディア記事とニュース記事をベースとした出典とは当然異なります。したがって、出典にどんなに信頼性があるとしても、ウィキのページで事件のあらましを書くことが不可欠ということにはなりません。そもそも、この部分が欠けるといったい何が失われるのでしょうか。
- 次に、プライバシー保護の点ですが、確かに被害者は故人であり、加害者の実名は伏せてあることから、現行の法令には触れていないと言えるでしょう。しかし、加害者の親族であり、同時に被害者の親族でもある人々の一部はその実名が出ています。この点はどう考えたらいいでしょうか。私には昨今話題になっている「忘れられる権利」が思い浮かびます。現在の日本では必ずしもそれが削除の法的根拠とならないことは承知していますが、遺族やその他の関係者にとっては精神的苦痛を覚える過去の悲惨な事件の記述を、改めて出版物ではなくネット上で広く流布させるのは如何なものでしょう。彼ら自身が声をあげていなくても、こうした点にも配慮した慎重さがあってしかるべきと思います。
- 最後に、ウィキペディアの削除の方針中には、「日本国法の個人情報保護法・民法第709条などを参考にしていますが、法令とは関係なく日本語版Wikipediaは個人のプライバシーや名誉を尊重する方針を採っています。」とあります。該当部分は法令に触れないから問題はないとして掲載するのではなく、法令に触れないけれども、より高次の観点から掲載を控えるという方が、この方針の精神に合った判断だと思います。--Suzukityf9(会話) 2015年11月26日(木)10:15
ウィキペディアは追悼サイトではありませんをお読みください。本件と似たケースに山村新治郎 (11代目)や森安秀光(森安九段刺殺事件)や醍醐忠敬やマーヴィン・ゲイがありますが、殺人被害について「高次の観点から」掲載を控えるべきとのローカルルールは作られたことがありません。また作られるべきでもないでしょう。利用者:Suzukityf9(会話 / 投稿記録 / 記録)さんは「復帰部分にはプライヴァシー保護上、重大な疑義がある」([1])と申し立てておられますが、「宴のあと」事件の判例ではプライバシーの要件として「一般の人々に未だ知られていないこと」が挙げられています。上述の著名人が親族に殺害された事実は既に広く報道され歴史の一部になっている以上、プライバシー問題にはなり得ないというべきです。実話誌だけが報じたようなゴシップ情報とは次元が違います。
いずれにしても、斎藤勇が「Category:殺人被害者」に属することは紛れもない事実ですので、このカテゴリまで外すのは乱暴な編集、私情が入った編集という他ないでしょう。当記事の履歴を見ると、Suzukityf9さんや利用者:daytodayhy(会話 / 投稿記録 / 記録)さんと同じ人かどうかは知りませんが、死の経緯に関する記述を削除したい人が「最高の法規・日本国憲法。特にその21条に抵触する恐れ」、「万一にも憲法問題があるなら、ゼロから、つまり掲載削除から議論を始めるのが常道。ウイキ云々はそれ以下の問題」などと書き連ねており、どう見ても無理矢理で無茶苦茶、支離滅裂の観を免れません。
当該事件が関係者の方々にとって極めて忌まわしい記憶になっているのは理解できます。特に遺族の方々としては、血族に妄想性統合失調症による殺人者がいること自体を伏せておきたいというのが偽らざる本音かもしれません。しかし、そのような私情で記事を編集する行為はWikipedia:中立的な観点に照らして疑問とせざるを得ません。--210.139.72.215 2015年11月26日 (木) 04:07 (UTC)
このページの編集を中断して、ノートでの議論に参加してくださいというタグがあり、議論中であるにもかかわらず、また削除を行った匿名者がいます。フェアでないのではないですか。--Daytodayhy(会話) 2015年11月26日 (木) 17:53 (UTC)daytodayhy
失礼しました。「削除」でなく復活です。そこで、「取消」によって議論中にあった状態へ戻させていただきました。
ついでですが、上の匿名の方 210.139.72.215 へご注意申し上げます。とりわけ、「特に遺族の方々としては、血族に妄想性統合失調症による殺人者がいること自体を伏せておきたいというのが」の部分。直接看た専門医でも「病名」をこう簡単には決めつけないのに、報道か何かを鵜呑みにしたのか。軽率な発言、撤回すべきでしょう。--Daytodayhy(会話) 2015年11月26日 (木) 18:35 (UTC)
さらに、斎藤勇先生のお宅へ出入りした人間として申しますが、松茸氏が2015/11/9 に復活させたお孫さんに関するあれこれの記述。どこかの報道を見て書いたのでしょうが、私の記憶を辿るかぎり、一一細かくは書けませんが、事実とは少々違う感じがします。どんな文献にどうあろうと、新たにウエッブのウイキへ載せて広めるほど、細部まで信憑性の高いものではないのは確かです。--Daytodayhy(会話) 2015年11月26日 (木) 19:09 (UTC)
追加します。上の匿名の方が言われるWikipedia:中立的な観点についても、少々拝見しました。ごもっともなのですが、しかし忘れてならないことは、百科事典も所詮、生身の人間が書き・造り、生身の人間が読み感じるものだということです。そこには、豊かな人間性が存在していい。私は、ある拙著の中で次の様に書きましたが、百科事典を書き、読む人にも当てはまる本当の根本ですので、改めてここへ引用させていただきます。
引用: さらに、先ほど「文学」の定義として、「(literature)情緒・思想を想像の力を借り、言語または文字によって表現した芸術作品」とありましたが、文学作品は、多くの場合、この文字――「思想の不完全な表現でしかありえない」といわれるこの文字――を表現手段・媒体として用います。ですから、それが作者であれ誰であれ、一人であれ二人であれ、その性質上、文字によっては思ったこと、言いたいことを完全に表現できるわけではないということ、自筆原稿であれ何であれ、「過去のある瞬間の産物」ともいわれる文学作品の「おおよその姿」を伝えるに過ぎないということを、忘れたくないものです。
中立云々を問題にする方々は、それならここまで、文字を手段とする以上、厳密な意味での中立性など存在し得ない、という根本問題があることに気が付いているか。--Daytodayhy(会話) 2015年11月26日 (木) 22:38 (UTC)
- Daytodayhyさんのおっしゃる「事実とは少々違う感じ」ですが、それがDaytodayhyさんの見聞きしただけのことであるならば、Wikipedia:検証可能性に相反することとなります。Wikipediaの記述は元になった文献等を当たれば誰でも検証可能であることが求められますので、事実と相違することがあったとしても、それが公表されていない事柄であるならば、そのように記述することはできません(独自の取材結果の発表等もWikipedia:独自研究は載せないに反します)。「どんな文献にどうあろうと」とありますが、どんな文献にどのように書いてあるか、それが逆に重要なのです。勿論、Wikipedia:信頼できる情報源である必要はありますし、別の文献によって他の文献の内容が否定されていたりするのならそれを盛り込むこともできますが。
- また、Wikipedia:中立的な観点ですが、個人的には「ある特定の側に肩入れし過ぎない」ということであると解釈しています。Wikipediaの記事では、大言壮語でもって顕彰し過ぎてはいけませんし、逆に悪意を持って非難・批判し過ぎてもいけません。Wikipedia:自分自身の記事をつくらないというガイドラインもあります。今回の件については、関係者の側に配慮し過ぎて「殺害された」という事実すら排除してしまったのがそもそもの問題だったわけです。最初から伏せられていたのならともかく、今回の件は広く報道されたわけですから、それを30年以上経過した今になって伏せようとするのはやや強引ではないでしょうか。それに、今回の件が載っているのはWikipediaだけではなく、多くの書籍・ウェブサイトにもあるようですので、事件のことを伏せたいのなら、Wikipediaにだけ行動を起こしてもあまり意味が無いと思います。
- 付け加えておきますと、Daytodayhyさんは記事当人の実際の関係者の方で著書も出しているようですが、あくまでそれはこのノートに書いた事から推定できるだけのことであり、何らかの外部の媒体で証明できない限りは、Daytodayhyさんが実際にそういう立場であるのかは分かりません(過去の事ですが、全く別の記事上で、「○○家(歴史的に有名な一族)の末裔」を名乗って妙な記述に改変する等の行動を起こした方がいましたが、発言内容に数々の疑問点があり、それらを指摘されているうちに姿を見せなくなったことなどもありました)。よって、現在、実際に遺族・関係者側がこの事件を伏せる意思を見せているのかどうかも分からないということです。--松茸(会話) 2015年11月27日 (金) 03:27 (UTC)
初級者へいろいろなアドバイスありがとうございます。先ほどから投稿していたのですが、松茸さんのとダブったのか、投稿にならず、また書き直しです。
一つ一つウイキのルールを見ていきますが、まずは、検証可能性についてです。以下のように書かれています。
私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。このことをウィキペディアでは検証可能性 (Verifiability) と呼んでいます。
そして、Claw of Slime 氏がつぎのように書いていておどろきました。 死の経緯が『ドキュメント戦後の日本: 新聞ニュースに見る社会史大事典』(大空社)『時事年鑑』(時事新報社)『近代日本総合年表』(岩波書店)といった信頼性の極めて高い文献に記載されているという事実は、それが斎藤を語る上で必要不可欠であることを明白に示しています。
斎藤勇の項は見ていませんが、過去にこれらの文献を参照したことがあります。ときおり不適切、不正確な記述が見つかり、私にはとうてい「信頼性の極めて高い文献に記載されているという事実は、それが斎藤を語る上で必要不可欠であることを明白に示しています」とは思えません。「信頼できるソース(情報源)」といっても、実際にはどれがそうなのか、なかなかむつかしいです。最後は、個々の人間の判断能力でしょう。私自身、独自研究のことをいうわけではないですが、世間的に信頼されていたある有名出版社の文学全集の根本的な不備。間違いを20年ほど前に指摘して、それ以降この全集は、いわゆる定本とは言われなくなったと思います。辞書類にもこの全集の本文が引用されていたのですが、それが全集にあわせていたために、間違いになったわけです。消えないようにここいらでいったん止めてまた書きます。松茸さんへはまた後で。ともかく一点、本文の中の、お孫さんに関する記述は不適切です。--Daytodayhy(会話) 2015年11月27日 (金) 04:28 (UTC)
松茸様
お手数をかけております。見るのもおぞましい不適切で根拠に乏しい記述ですが、以下の箇所:
孫は祖父を殺害後、家族からの通報を受けて駆けつけてきた警視庁機動捜査隊の警部補(当時54歳)を刺殺している。孫は慶應義塾大学法学部卒業後、プリンストン大学聴講生を経て慶大大学院に進学するが中退。宗教への関心から東京神学大学へ入学するがこちらも中退して再びアメリカへ留学するが、極端な菜食主義思想に傾倒し栄養失調で餓死寸前となり、半年ほどで帰国。この頃から統合失調症の様相を呈し、会話では一切英語しか使わず、異端の宗派や神秘学などにも傾倒、支離滅裂な言動を示すようになっていたとされる。結局孫は精神鑑定の結果、責任能力なしと診断されて不起訴処分となり、精神科病院に収容された。なお当の孫とはほとんど会話がなかったとされる。
を何故戻されたのか、その理由を早急にお示しください。検証可能ですか。注がなく、「される」といった憶測的記述が混じった、根拠の乏しいものですよ。あなた様のご見解を待って、私の所信を申し上げます。
上の箇所、署名を忘れました。失礼しました。--Daytodayhy(会話) 2015年11月27日 (金) 06:59 (UTC)
上の引用部分、検証可能かどうか、松茸様以外にここののノートで発言されたお三方も全員、ご説明ください。--Daytodayhy(会話) 2015年11月27日 (金) 07:41 (UTC)
- 戻したのは、理由を表明されることなく除去されていたからです。記事中では提示はされていなかったようですが、恐らくこの記述の元になったであろう外部サイトと、そこに参考文献が記されている事は確認しており、当該参考文献を参照すればこの部分に関して検証可能であると思われます。ただ、確かに、今改めて見ると、孫についての前後関係の詳述は確かに記述の必要性は疑問ではあるように思いました(それでも殺害の件は必要ではありますが)。最低限、殺害事件の事については記述するのを前提に、どの程度まで記述するかを詰めていった方が良いのではないでしょうか。--松茸(会話) 2015年11月27日 (金) 08:04 (UTC)
Daytodayhyさんはストライサンド効果ということを御存じでしょうか。記事本文のアクセス数やこのページのアクセス数を見ればわかりますが、Daytodayhyさんたちが斎藤勇殺害事件の記述を隠蔽しようとすればするほど、逆に注目を集めてしまっているのが現実です。ウィキペディアができる前から広く知られている事件ですので、今更あまり神経質にならない方が良いのではないかというのが私の考えです。Daytodayhyさんたちが躍起になって隠そうとするのを見て「ほう、こんなことがあったのか」と、この事件を初めて知る人も多いでしょう。事件の詳細について誤ったことが世間に報じられている、というのであれば、当事者の立場から「事実はこうだった」と伝えるウェブサイトを立ち上げるなどした方が合理的です。--125.200.203.31 2015年11月27日 (金) 08:46 (UTC)
松茸様
さっそくのご回答ありがとうございます。
当方としては、カテゴリーに殺人被害者を入れるだけで充分と思います。
殺人事件があったことは、引用前の文言で示されています。--Daytodayhy(会話) 2015年11月27日 (金) 09:19 (UTC)
松茸様 Suzukityf9 氏の改訂(2014/12/14)以前をざっと調べて見ましたが、そうした検証可能なデータの記載はありませんでした。 なお、別の匿名の方から、隠匿という穏やかならぬご発言がきていますが、当方としては、上の引用は一一の検証が不可能であり、ウイキのルールにも背くと考えているのです。斎藤勇先生だけでなく、ウイキの名譽のためでもあります。--Daytodayhy(会話) 2015年11月27日 (金) 09:53 (UTC)
『目で見る昭和全史―昭和元年~64年』(読売新聞社、1989年)という大型本の308頁に
- 孫は慶大卒業後、米国に二度留学、1981年に帰国し、被害者たちと同居していた。
- 孫は神秘学に異常な傾倒を示し、日記に英文で「悪魔を殺してやる」などと記していた。
といった記事が、救急車で運ばれる被害者や斎藤邸の写真入りで掲載されています。単なるローカルニュースではなく、昭和史の一コマとして扱われていることが窺えます。--125.200.203.31 2015年11月27日 (金) 10:14 (UTC)
125.200.203.31様 情報のご提供ありがとうございます。引用文をしっかり検証するには、これだけではまだ情報不足のようです。あともよろしくお願い致します。--Daytodayhy(会話) 2015年11月27日 (金) 10:39 (UTC)
125.200.203.31様 改めて先ほどのお礼を申し上げます。お知らせいただいたアクセス数見てびっくりしました。これは私の不徳の致すところです。ただ、悔やむのは、松茸さんが、1年余り削除されていたままものを、突然元にもどされたため、最初それに気付いた方々が大騒ぎしたのです。いつの間にか私がその中心になりました。ベテランの松茸さんですから、今後の学者のウイキを書く見本を書いたとまで評価され執筆者Suzukityf9氏へ前もってご相談いただき、相互で検討すればよかったと思います。そうすれば、私も入らずに済み、もっと穏便に事が行われたと思います。ともあれ、今回の引用の部分は、たとえ全面的に検証可能と証明されても、斎藤勇先生のウイキには不要な記述です。しかしただでさえ頂点の東大の権威失意を狙おうとする動きはありますから、こんな記事は、そうした人達の格好の材料でしょう。 落ちどころをさがして、早く収束させたいですね。--Daytodayhy(会話) 2015年11月27日 (金) 11:47 (UTC)
「執筆者Suzukityf9氏へ前もってご相談いただき」というのは失礼ながら見当違いでしょう。ウィキペディアでは特定の利用者が特定の記事の執筆権を所有しているわけではありません。以前、喜連川騒動関係で似たような勘違いをしている利用者がいましたが、最終的に追放されました([2])。Wikipedia:記事の所有権をお読みください。Daytodayhyさんのおっしゃる「今回の引用の部分は、たとえ全面的に検証可能と証明されても、斎藤勇先生のウイキには不要な記述です」という主張についても合意が形成されたわけではありません。--210.139.70.200 2015年11月27日 (金) 14:43 (UTC)
240F:65:92C9:1:9DCC:78A0:E292:7D46様 このページの編集を中断して、ノートでの議論に参加してくださいというタグがあります。ご覧でしょう。なぜ、2度も繰り返し同じ事をされるとは! 松茸さんの時点までの復活をなさっていますが、すでに松茸さんも、私が引用した上の箇所へ疑問を表明されています。まずはここの議論に加わってください。--Daytodayhy(会話) 2015年11月27日 (金) 16:08 (UTC)
ここにあった無用な記事をいった私から削除しました。--115.163.132.144 2015年11月27日 (金) 21:49 (UTC)
すでに削除されていますが、私に関して先ほどまで、115.163.132.144 から、ここのノートへ関係しない私の誹謗記事が載っていました。記録に残っています。上へ「東大の権威失墜」等私が余計なことを書いたのが、原因になったのかもしれませんが、こんな騒ぎにまでなったことは、私から読者へ深くお詫びします。これまで私への誹謗中傷は数知れないのですが、今回はさすがにびっくりしました。
私がここで、斎藤勇先生のウイキの不適切さを指摘していることと、私個人の事情とは関係ありません。私は、ウイキの肖像写真所有者本人で、晩年の斎藤勇先生からいろいろとお教えいただいていたまさに恩師にあたる方、ある意味、最晩年の斎藤先生と一番多くお会いした若手研究者の一人だったかもしれませんが、特別私情に基づくとか、ましてや、大学出身云々で、斎藤先生の事件を覆い隠そうなどという低次元なことはしておりません。客観的に見て記事が不適切に尽きるからです。
私は、英国の詩人エドマンド・スペンサーの校訂本を英国ロングマン社から出した日本人として知られ、日本では、漱石についていろいろなものを書き出版しています。私のホームページをご覧ください。「漱石 山下」の検索でトップに出てきます。関連する私のライブドアブログには、「夏目漱石と斎藤勇(イギリス文学者)」という文を掲載しています。検索されれば出て来るでしょう。そこでも、2000年にある一流学術出版社から出た本に、不適切に斎藤勇先生を批判した箇所があり、その本を批判しつつ、斎藤先生の偉大さを私の視点から考察しています。これは、他の方が勇気を持ってやってくださらないから、端くれの私がしていることです。今回のウイキで斎藤刺殺事件が、事細かに書かれている背景には、それとは又別でしょうが、一般の方々にはおわかりにくい不自然なものが察しられます。
いずれにしろ、今回の騒ぎは遺憾なことです。--Daytodayhy(会話) 2015年11月27日 (金) 22:51 (UTC)
上に言及した私への誹謗記事を2回にわたり載せたのは、41 32 59 151 氏で、115 163 132 144 さんはそれを削除してくださった方です。お詫びして訂正します。--Daytodayhy(会話) 2015年11月27日 (金) 23:11 (UTC)
- 報告 利用者:190.45.26.222により、他利用者の個人情報を探ろうとする編集がありましたので、差し戻しの上、緊急版指定削除を行いました。状況を確認はしていませんので、これを確認することが、項目の編集に必要なことであれば、その必要性を明記してください。KMT(会話) 2015年11月28日 (土) 06:11 (UTC)
管理者に私の意図を誤解されたようですが、私が確認したかったのは「現在の状況は、記事の主題人物に個人的な恩顧のある利用者が伝記上の著名かつ重要な情報を出典もろとも消そうとして躍起になっているというものではないか」ということです(彼らは「殺人被害者」のカテゴリ付与さえ最初は拒否していました)。これは記事の私物化というべき行為です。彼らは「私情からではない」と申し立てていますが、客観的に見て明らかに私情です。こんなことでWikipedia:中立的な観点が担保されますか? Daytodayhyさんは「厳密な中立性など存在し得ない」と開き直っていますが、仮にそうだとしても中立性を求める努力を放棄する理由にはなりません。--190.45.26.222 2015年11月28日 (土) 06:27 (UTC)
議論のまとめ
[編集]斎藤勇の門弟を自称する利用者たちの主張を追ってみると、まるで首尾一貫しておらずメチャクチャだということがわかります。削除という結論を最初に決めた上で適当な理由を探しているからこうなるのです。
- 「削除に賛成。最高の法規・日本国憲法。特にその21条に抵触する恐れ」→(表現の自由にかかわる条文で本件とは何も関係がない、むしろ削除側にとって不利な条文である)
- 「復帰部分にはプライヴァシー保護上、重大な疑義があるため、削除が妥当」→(この段階ではプライバシーを根拠にしている)
- 「プライバシー保護の点ですが、確かに被害者は故人であり、加害者の実名は伏せてあることから、現行の法令には触れていないと言えるでしょう。しかし」→(プライバシーの主張が無理だとわかると突如としてこれを放棄し、別の理由に乗り換える)
- 「上の引用部分、検証可能かどうか(略)ご説明ください」→(この段階では検証可能性を要求している)
- 「たとえ全面的に検証可能と証明されても、斎藤勇先生のウイキには不要」→(突如として要求を翻し、検証可能性の有無を問わず掲載するなと言い始める)
「執筆者Suzukityf9氏へ前もってご相談いただき」という発言が、彼らの本音を吐露しています。要するに彼らの間で記事を私物化し、検閲したいのです。利用者:喜連川一色家と同じ性格の問題を持っていると判断せざるを得ません。--190.160.142.109 2015年11月28日 (土) 07:03 (UTC)
大きな段階に来ておりますので、端的に、以下の箇所を再度引用します。
孫は祖父を殺害後、家族からの通報を受けて駆けつけてきた警視庁機動捜査隊の警部補(当時54歳)を刺殺している。孫は慶應義塾大学法学部卒業後、プリンストン大学聴講生を経て慶大大学院に進学するが中退。宗教への関心から東京神学大学へ入学するがこちらも中退して再びアメリカへ留学するが、極端な菜食主義思想に傾倒し栄養失調で餓死寸前となり、半年ほどで帰国。この頃から統合失調症の様相を呈し、会話では一切英語しか使わず、異端の宗派や神秘学などにも傾倒、支離滅裂な言動を示すようになっていたとされる。結局孫は精神鑑定の結果、責任能力なしと診断されて不起訴処分となり、精神科病院に収容された。なお当の孫とはほとんど会話がなかったとされる。
松茸様は、さすがにご見識があり、「ただ、確かに、今改めて見ると、孫についての前後関係の詳述は確かに記述の必要性は疑問ではあるように思いました」とお答えいただきました。この伝聞調の文章、ウイキが謳われる「検証可能性」にはほど遠い文体で書かれています。私に反対する複数の方が、これをそっくり戻そうとされていますが、無理だと思います。--Daytodayhy(会話) 2015年11月28日 (土) 11:22 (UTC)
「見るのもおぞましい不適切で根拠に乏しい記述」と言いつつ、その記述をこれでもかとばかりに何度も貼りつけているのが矛盾しており不可解です。本当に事件を風化させたいのであれば、およそ学術研究者だったとは思えないほど愚かな行動ですね。本当は斎藤一族に対して何か恨みがあり、善意を装って復讐しようとしているのではないか、と勘繰りたくなるほどです。--113.11.11.97 2015年12月25日 (金) 10:57 (UTC)
繰り返し引用しているのは、この文章の異常さを広く知っていただくためです。そのために私は、自分の実名をさらしてでも信じることをしたつもりです。罵倒されるのはけっこうですが、匿名で勘違いなことを言われるのはフェアではないですね。それに私、まだ現役ばりばりの学術研究者の端くれです。--115.163.132.144 2015年12月25日 (金) 12:59 (UTC) ログインしていなかったので、ウイキペヂア名を入れます。--Daytodayhy(会話) 2015年12月25日 (金) 13:03 (UTC)
現在編集保護中の「斎藤勇 (イギリス文学者)」は、Suzukityf 氏によって大幅改訂され、それがほぼ現在へ続いております。改訂後、方々の知り合いから、今後のこの方面の執筆に大きな參考になるという評価がありました。私も評伝としてすぐれていると思います。現状を先入観なしに読んでいただければ、あと追加するものとしては、カテゴリーへ「殺人被害者」を加えるだけで充分ではないか、というのが私の見解です。識者の方々のご意見をお願いしたいと存じます。--Daytodayhy(会話) 2015年12月25日 (金) 15:06 (UTC)
Daytodayhy氏による自作自演
[編集]このノートの議論を見ていて気付いたのですが、利用者:Daytodayhy(会話 / 投稿記録 / 記録)氏は面白いことをやらかしていますね。以下の差分を、よくご覧ください。
- Daytodayhy氏の経歴に触れた書き込みを「無用な記事はいったん私から削除します」とIP:115.163.132.144が削除。
- その直後にDaytodayhy氏が「115 163 132 144 さんはそれを削除してくださった方です」と説明。この段階では、IP:115.163.132.144が他人であるふりをしている。
- するとIP:115.163.132.144が再び登場し、「私は、自分の実名をさらしてでも信じることをしたつもりです」「私、まだ現役ばりばりの学術研究者の端くれです」と発言。
- その直後にDaytodayhy氏が現れ「ログインしていなかったので、ウイキペヂア名を入れます」と、IP:115.163.132.144が自分であることを認めてしまう。
他人を装って「115 163 132 144 さんはそれを削除してくださった方です」と発言した後で、同じIPから「私は、自分の実名をさらしてでも信じることをしたつもりです」「私、まだ現役ばりばりの学術研究者の端くれです」と謎の釈明をしてしまう。自分で削除したのだから「削除してくださった」もへったくれもない。自作自演にしてもずいぶん間抜けなやり方というべきではないでしょうか。--132.251.253.155 2015年12月26日 (土) 09:40 (UTC)
このIPアドレスとdaytodayhy は、間違いなく私、同一人です。しかし特別自作自演などではありません。慣れていないので、ログインを忘れた結果、こういうことになりましたが、特別不正なことでしょうか。それよりも、名前を隠して私をさらし者にしようとする人間がいることの方が問題だと思います。今ウイキで大事なのは、上の引用部分をどうするかの問題だけです。私がどうのこうのだということではないでしょう。--Daytodayhy(会話) 2015年12月26日 (土) 10:49 (UTC)
凄まじい開き直りですね。あきれました。「115 163 132 144 さんはそれを削除してくださった方です」という発言は「慣れていないので、ログインを忘れた結果、こういうことになりました」では説明がつきませんよ。ログインを忘れたらどうして自分を「さん」付けで呼ぶことになるのかご説明ください。--132.251.253.155 2015年12月26日 (土) 11:07 (UTC)
いちいちご説明などしません。それよりも、記事に決着を付けてください。--Daytodayhy(会話) 2015年12月26日 (土) 11:12 (UTC)
Wikipedia:投稿ブロックの方針をお読みください。対話拒否は最も一般的なブロック理由の一つです。もう一度お訊きしますが、ログインを忘れたらどうして自分を「さん」付けで呼ぶことになるのですか? --132.251.253.155 2015年12月26日 (土) 11:16 (UTC)
- 説明聞かなくてもわかってるでしょ?そんなに追い込んで何になるんですか?話を先に進めましょう。--Xx kyousuke xx(会話) 2015年12月26日 (土) 11:38 (UTC)
斎藤勇 (イギリス文学者)をひとまず決着させるために
[編集]これまで、匿名者を中心に多数の方が発言してこられましたが、その相当数が本筋からずれていて、なかには私への名誉毀損にもなりかねないことを書き込む人まで現れました。管理者によって、「緊急版指定削除」が行われたケースまでありました。しかるに、私の未熟さ・不徳のいたすところは多々ありますが、このノートで禁じられているはずの「個人攻撃」はやみませんでした。どうか、本筋へもどってください。 問題の本筋は、私が2回にわたり引用した箇所を、松茸様が復活させたように元へもどすのか、それともその復活を不適切・不要として、現在あるかたちで一件落着させるのか、の議論に尽きるように思います。それとも、第三の解決策はありますか。あれば、具体的に提示してください。私の見解はすでにかいてあるとおりですので繰り返しません。改めて、松茸様をはじめとするベテランの方々のご見解をおうかがいしたいと存じます。--Daytodayhy(会話) 2015年12月26日 (土) 20:36 (UTC)
- すでに第三の解決策として「斎藤勇東大名誉教授惨殺事件」が立項されています。--Xx kyousuke xx(会話) 2015年12月26日 (土) 23:59 (UTC)
- この方の人生を語る上で、実の孫に殺害された事件は記載を欠かすことのできない事項であることは論を俟ちません。本来であれば本記事で詳細を記述すべきであると考えますが、執拗に編集除去を繰り返す方がいらっしゃいますので、次善の策として別記事への誘導という形を取っていますが、それさえも読者の目に届きにくいように修正を繰り返すIP氏が出現しました。もはやこれは荒らしにも似た行為であると思料します。--Xx kyousuke xx(会話) 2016年1月2日 (土) 13:40 (UTC)
- 「本来であれば本記事で・・・」ということですが、独立した項目ができたので、それを「関連項目」へ入れ明記するのが最善では?素朴にそう思います。何故荒らしになるの?これ以上関わりたくないですが、今の「参照 云々」よりは記事としてまともなページになるのでは?
土井光知→土居光知
[編集]文中に「土井光知」と書かれていますが、正しくは「土居光知」です。202.213.48.8 2019年3月9日 (土) 23:12 (UTC)
- 修正しておきました。日本英文学会のサイトも確認しましたが、確かに第2代会長のお名前は「土居光知」さんですね。--がらはど(会話) 2019年3月10日 (日) 00:02 (UTC)