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ノート:文観

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文観房弘真への改名提案

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内田啓一 『文観房弘真と美術』 法藏館、2006年。pp. 103–104によれば、「文観」という房号(仮名)による呼称は、当時の用法から照らし合わせて適当ではなく、諱の「弘真」を用いる方が正確だということです。当時の律僧は、普通は諱で呼ばれる方が多く、実際今でもたとえば、叡尊(諱)を「思円」(仮名)と呼ぶことや、忍性(諱)を「観良」(仮名)と呼ぶことはまずない、ということのようです。仮名を用いる場合は、文観房や文観上人、文観僧正など、後ろに何か接尾語を付ける方が、当時の用法からして普通であるようです。そのため、内田2006は基本的に「弘真」(あるいは「文観房弘真」)という名称を用いて記述しています。したがって、ページ名の基本として正確性を重視するWP:COMMONNAMEからすれば、「弘真」となるかと思います。ただ、その一方で、現時点で「文観」という名称の方が広く用いられていることは否めず、「弘真」への改名ですと、WP:CRITERIAの「1. 認知度が高い」に抵触することになるかと思います。したがって、正確性と認知度の折衷として、房号と諱を合わせた「文観房弘真」というフルネームへの改名を提案いたします。1週間の間に特に反対意見がなければ、文観房弘真へのページ移動を実施したいと考えております。--Senu会話2020年7月3日 (金) 10:54 (UTC)[返信]

消極的反対です。彌永信美氏の『立川流と心定『受法用心集』をめぐって』でも「文観」と表記されていますし、浄土宗の開祖である法然房源空は「法然」をページ名にしています。なにより後世の呼び名で表記される日本史の人物は沢山いますので、必ずしも当時の用法に拘る必要はないと思われます。--Ryo 625会話2020年7月3日 (金) 13:21 (UTC)[返信]
コメント感謝いたします。彌永氏の一連の論文は、確かに髑髏本尊教団・立川流・文観をそれぞれ切り分けるという点においては重要度の高い業績ではあるのですが、文観そのものへの研究という点では、周辺研究になるかと思います。文観そのものに対する研究で中心的業績を果たしたのは内田氏で、文献一覧にもあるように、内田氏は著書・論文のタイトルではほぼ一貫して「文観房弘真」を用いています。次に多く文観の業績に関する研究を行っているのが、阿部泰郎氏やガエタン・ラポー氏で、阿部氏は「宝珠の象る王権--文観弘真の三尊合行法聖教とその図像」や「中世密教聖教の極北 —— 文観弘真の三尊合行法テクスト」など、タイトルでは房号+法諱を使っているかと思います(「房」字が無いですが)。ラポー氏は、論文のタイトルでは「文観房弘真」と「文観」は半々ぐらいの印象です。ただ、本文での略称的な書き方については、ラポー氏も初期は内田氏に倣って「弘真」を使うこともあったようですが、後から認知度の高い「文観」を使うようになっています。ですので、ページ名としては文観房弘真を用い、本文では文観を用いるのが、現代の用法においても「信頼できる情報源において最も一般的に使われており」という点を満たすのではないか、と考えます。 --Senu会話2020年7月3日 (金) 15:22 (UTC)[返信]
(彌永氏のような)文観房弘真の非専門家にも共有されている呼称という点で、「文観」という呼称はまさに一般的なのではないですか。認知度の高い「文観」をページ名にすることで何か問題が生じるでしょうか。再度述べますが、「当時の用法によってページ名を決めなければならない」というガイドラインのようなものがあるのであればご提示願います。実りのある議論になりますように。--Ryo 625会話2020年7月3日 (金) 19:26 (UTC)[返信]