ノート:改元
メモ
[編集]江戸時代には改元の主導権は幕府に握られていた。特に幕府に正式な改元の書類が通達される「公達日」(改元日から約10日後)までは、公的に新元号を使うことは許されず、更に京都を含めた諸国には幕府からの使者が各地の藩や幕府官吏に伝えて彼らの手で公表されると言う形式をとっていたため、宮廷のある京都では改元の事実が直後には町中に広まっていたにも関わらず京都町奉行が改元を公布する日(2週間から1ヶ月後)以前に宮中の外で新元号を使うと偽の年号を使ったとして処罰されるという奇妙な現象が生じた。--水野白楓 2006年10月30日 (月) 17:05 (UTC)
改元の基準点について
[編集]- 端的に言うと「所論争論があって統一見解などない」と言う事だそうです(各文献や関連サイトを当たってみた所)。
- あといま時点で令和はまだ始まってないので、令和が踰月改元と言うのは出典を自明的に欠くことになります。よって形式的ですが要出典を付けました。令和改元に伴い、改元後しばらくすれば、また色々議論や研究は出てきそうなのでそれを貼ると良いと思います。
- 「時刻レベルで改元時点を確定する必要」と言う記載は、下の方に追記した「即時改元」説との絡みがあるのでしょうか。気になるので要検証範囲を付けました。
--Kyuri1449(会話) 2019年4月2日 (火) 23:25 (UTC)
踰年改元について
[編集]本稿の参考になっている文献を含めて各種文献を当たってみたところ、「踰年改元」という言葉の意味に微妙に違いがあるように感じています。本稿では「踰年改元」を「(改元の)布告の年の末日までを旧元号とし」とありますが、例えば
http://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/kankou/kankou-pdf/ronsyuu6/18dobashi.pdf
https://core.ac.uk/download/pdf/230838575.pdf
のような文献では「踰年改元」は「即位の年の末日までを旧元号とする」ものとして記載されており(前者の文献では正確には踰年称元と記載されていますが、本稿の参考文献1では「一般には『称元』を指して『改元』の語が用いられている」とあるため同じ言葉と判断します)参考文献1と比して「踰年」の基準点が異なっているのではないかと思います。
もしかしたら参考文献1の著者は法学者であり、上述した2文献の著者が史学者であることと関係があるのかもしれませんが、その場合は立場の差を明確にした方がよいのではないでしょうか?--2001:268:C20E:978A:85A0:A678:9ACF:1615 2023年3月23日 (木) 01:29 (UTC)