コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:支那/過去ログ2

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

アーカイブ化

[編集]

本日現時刻までの過去ログについてアーカイブ化いたしました。以後の論議については可能な限り建設的かつ責任を持って行ってください。--Carpkazu 2009年8月29日 (土) 16:12 (UTC)

参考文献

[編集]
「…今後支那国ヲ表示スルニ付テハ条約国書等既ニ前記大正二年六月閣議ヲ以テ中華民国ノ呼称ヲ使用スヘキコトヲ定メラレタルモノニ於テハ勿論其他国内又ハ第三国トノ間ニ用フル邦語公文書ニ於テモ一律中華民国ノ呼称ヲ用フルコトヲ常則ト致度
右閣議決定ヲ請フ」
--Qrsk075 2009年3月24日 (火) 09:10 (UTC)

支那とは、英語CHINAのローマ字読みでシナと読んだのではないでしょうか。すなわち、支那は江戸、明治の日本学者の正統な表記を受け継いでいると考えられますが、現在、使用すべき中華人民共和国の呼び名は、原語に近いチュンカがふさわしいと思われます。中華、と書いて、チュンカです。—以上の署名の無いコメントは、犬塚拓馬(会話履歴)さんによるものです。

Wikipedia:井戸端#犬塚拓馬さんからの提案で同じことを提案されていますが、意見をつけた方全員から反対されています。そちらの方へ返信せずに、ここで同じことを提案するなどということは、極めて不誠実であり、意見をつけてくれた方々を愚弄するに等しいことです。--Dr.Jimmy 2009年9月6日 (日) 11:12 (UTC)

メモ

[編集]

ここでJAPうんぬんについて書かれているのも違和感があったので関連箇所を除去しました。また、この言葉の誕生当初から差別用語として扱われていたかのような記述もやや正確さにかけるのではないかと考え冒頭部を変更しました。これに関連して一部のカテゴリを除去しました。--おはぐろ蜻蛉 2010年1月15日 (金) 08:03 (UTC)

独自研究タグについて

[編集]

以前から、個人的主観によるものと思える記述が多い項目でしたので、いろいろと取材した上で書き加えたり削除したりしました。しかし、整合性の欠如等による構成上の破綻が生じています。そのため、もっと改善が必要ですね。ある程度改善できれば「独自研究タグ」を外したい、いや外せるようになるはずですが、どのぐらいすれば外しても問題ないかのご指摘をお願い致します。--Carpkazu 2010年2月7日 (日) 15:39 (UTC)

すでに外して宜しいと思いますけれども。百科事典の外部で議論が起こっているものを「忠実に転記」すればとうぜん整合性の欠如が起こると思います。「秀逸な記事」とはいかなくとも「独自研究」というほどひどい状況ではないと思います(トピックスについて、だいたい引用元が明示されている)。--大和屋敷 2010年3月20日 (土) 01:33 (UTC)
賛同が得られたのでタグは外しました。定期的に見ていないと再度荒れる可能性はあるといえますので、もし「独自研究」といえる内容が書き込まれた場合には、対処しないとはいけないといえますね。--Carpkazu 2010年4月2日 (金) 14:43 (UTC)

「支那を差別用語と考えるのは誤認」か

[編集]

支那が歴史上いくら差別的意味合いを含まない経歴から発生したものだとしても、現実に差別用語と考える人が歴史上いた(中華民国から申入れがあった等)居る以上、それをWikipediaが勝手に「誤認」ときめつけるのは独自研究になります。さて一方で歴史的経緯としてはなるほど「支那」「倭」いずれも差別的意味はなんらふくまず誤認であるわけですが(支那「野郎」で差別語、これは倭「奴」で差別語であるのとおなじ)中立的な観点からもやはりそのように断定するわけには行かないでしょう。こういう文脈のばあい、あらゆる表現方法が可能なのではなく非常に針の穴を通すような練られた表現方法しか妥当しませんので、安直に「支那を差別用語とするのは誤認」なる暢気な表現を採用することには同意できかねます。--大和屋敷 2010年4月5日 (月) 08:35 (UTC)

あなたの主張も考慮した内容に修正しました。何かあればまたノートにてお願いします。--紅い利用者 2010年4月5日 (月) 09:32 (UTC)

石原氏の「孫文がつくった」発言

[編集]

朝日新聞ごじまんの言葉狩りですので、あまり敷衍するのはどうかと思います。記事は記事ですのでWikipediaに掲載可能だとは思いますが、文字起こしそのものをまちがえて、それを根拠に石原叩きしているのなら絵に描いたようなマッチポンプで朝日新聞にとって恥ずかしい事態ですが。--大和屋敷 2010年4月12日 (月) 14:59 (UTC)

まあ、そうですね。しかし当時の毎日新聞にも読売新聞にも同様の記事がありました。当時読売新聞を取っていたので覚えています。このとき20世紀に出来た言葉だと浅はかながら勘違いしましたので(笑)。もっとも当時はネットなどというツールは当方使っていませんでしたので、なんでしたら明日、仕事が速く引けたら図書館で該当する朝日以外の記事でもう一度確認します。--Carpkazu 2010年4月12日 (月) 16:07 (UTC)
ありゃそうでしたか・・・(´Д`;)・・・「起こし間違えの可能性」はモロ独自研究ですので適宜削除してください--大和屋敷 2010年4月12日 (月) 16:15 (UTC)
図書館で確認しました。地元の図書館では当時の読売新聞は当時の収納スペースの都合で地方面しか保存していなかったので、中国新聞(広島県紙)のバックナンバーを確認したところ3月11日付け朝刊の「石原慎太郎都知事選出馬表明」の記事で朝日とは若干違いますが『「石原氏、中国を「シナ」と表現』の記事で「孫文がつくった言葉。なぜ差別と言われるのかわからない」と発言した旨の記事があります。中国新聞のこの部分の記事は共同通信社配信のものなので、複数の新聞記者が文字起こしそのものをまちがえたというよりも、石原氏が言い間違った可能性の方が高いように思います。まあ石原氏も「支那」はいけないがカタガナの「シナ」はいいと言う発言もしていますし、現在も使っているので、記述自体は残して「朝日云々」は外したほうがよいと思います。たぶん中国新聞に載っているということは、共同通信社から配信を受けている岡山の山陽新聞も愛媛の愛媛新聞も全く同じでしょうし、その後石原氏が事実誤認と訴えたという事実も確認できないので。とりあえず記者会見で言った事実を補充します。--Carpkazu 2010年4月14日 (水) 12:34 (UTC)

堀田貢得 『実例・差別表現 あらゆる情報発信者のためのケーススタディ』

[編集]

上記文献から堀田貢得氏の見解・見識の引用がありましたが引用スタイル上の観点から確定的定義の印象が強くなるため、中立性を考慮して脚注とさせていただきました。--大和屋敷 2010年5月27日 (木) 06:26 (UTC)たとえば、同様の編集スタイルを採用すれば、石原慎太郎の発言を引用することで冒頭に「支那は差別用語ではない」と記述(編集)することも可能なこと等々ご考慮頂ければと存じます。宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2010年5月27日 (木) 06:28 (UTC)

大和屋敷さん、修正ありがとうございました。--Zakinco 2010年5月27日 (木) 06:49 (UTC)

2010年6月24日(木)12:38版

[編集]

根拠のはっきりしない断定口調文(教導的断定)になっていましたので一旦リバートしました。また、記述内容の基礎は「中華民国成立後」および「事変から戦後の状況」「現代の日本の状況 」に詳述されており重複している一方で、教導的・思想誘導的記述のみが際立つだけであり、このような要約は不要だと考えました。--大和屋敷 2010年6月24日 (木) 13:04 (UTC)

保護依頼

[編集]

ふたたびリバートされておりますので、保護依頼を提出いたしました。ノートで編集方針についての議論にご参加くださるよう、お願い申し上げます。--大和屋敷 2010年6月24日 (木) 13:24 (UTC)「追加させないのはWikiのコンセプトに反する行為です」との理由ですが、根拠のはっきりしない(ここでは検証可能性や出典のことです)断定口調をわざわざ一節を割いて記述することが必要かどうかについて論じております。おそらく探していただければそれなりの出典が発見できると考えておりますが(参照できる引用元を探してください)、それをつけてもなお、教導的断定は「かえって余計なお世話」になってしまうのではないか、との編集感覚があります。Mikumari31さんの投稿された内容はWikipediaを読んだ読者が、Wikipediaの外部でそのような意見を表明されれば宜しいことであって(意見や見識の表明)、それを百科事典であるWikipediaがやってしまうことは結論の先取りになってしまいませんかね、ということです。「支那」についての情報を収集する目的で百科事典を訪問した読者に、延々「支那は差別語である、支那は嫌悪されている」という字句を読ませても、知的副産物をもたらさない(結論だけを読まされている)ことになるのではないか?あるいは「支那は差別語ではない」とする論者の見識を考慮しない、中立性の配慮に欠けた断定になってしまっている可能性があります。--大和屋敷 2010年6月24日 (木) 13:36 (UTC)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100610-00000020-scn-cn

上記は中国網日本語版(チャイナネット)の最近の記事ですが、そのような内容をはっきりと書いてあります。他にも沢山あります。事実で何も歪曲していません。事実を読者に知ってもらい、読者ご自身の判断に任せるのこそWikiのコンセプトであります。 --Mikumari31 2010年6月24日 (木) 14:16 (UTC)

一方の視点に立った教導的・思想誘導的記述のみを採用するのはWikipedia:中立的な観点から採用することができません。思想的な両論併記は双方にとって非常に不愉快なものになりますので、(おそらく経験的に)教導的・思想誘導的見解を引用する形の記述ではなく、歴史的事象は歴史的文献の記述をもって語らさせる文体を採用するという帰着になっているのじゃないかと思います。こういう民族や個人の名誉に関係するような話題は非常に窮屈で、ほとんどのばあい、針の糸を通すような慎重な文脈・表記以外は適切でないことが多いです。中立性の観点からご考慮頂きたいところです。無論、信頼できる引用元から適切に引用することはWikipediaに推奨される方針ですので、全体の記述バランスや中立性に配慮したうえで投稿頂ければ宜しいかと考えます。--大和屋敷 2010年6月24日 (木) 14:52 (UTC)

「学術用語としての支那」

[編集]

各術用語としての「支那」は「現在の用法」ではないので、独立した見出しを復活させます。--Dalaibaatur 2010年4月16日 (金) 19:24 (UTC)

  • 学術用法としての支那は現在の用法ではないのですか?学術用語としての支那は現在の用法でしょう。驚いたな。--大和屋敷 2010年4月16日 (金) 19:40 (UTC)
    • 東京大学の文学部の史学科・東洋史専攻における用例を紹介していますが、「塞外」「西域」「支那」「朝鮮」(朝鮮は1910年以降、東洋史学科から外れる)などという区分は、明治〜昭和前期の東京大学における「学術用語としての支那」であり、しかも「過去の用法」(→現在では「支那」史専攻の呼称は使用されていない)であって、「現在の用法」ではありません。すくなくとも、自分が執筆した文面は、「歴史的な用法」を記述したものであって、「現在の用法」を述べたものではありません。2015年2月18日の時点で、「学術用語としての支那」の1節が跡形もなく解体されているようですが、あらためて独立した1節として復活するべきとおもいます。--Dalaibaatur会話2015年2月17日 (火) 18:20 (UTC)

出典・参照について

[編集]

ソースが正確に示されていない物や本文に組み込む方が良いと思われる物が複数あります。記事の充実にご協力ください。

  • 中華民国は社会主義化していたモンゴルの独立を認めていなかった。
  • 孫文が宮崎滔天『三十三年之夢』に寄せた序文
  • 東京帝国大学では、東洋史専攻をさらに支那・塞外・西域・朝鮮に細分化していた。
  • 宣戦布告すると、中立の第三国から武器を輸入することが出来なくなるなのの問題が起きる為。
  • 日本人に対する中国人犯罪が連合国側による裁判で裁かれていたほか、福岡事件のように被害者が中国人の場合日本人が死刑になった事例もある
  • ちなみに中国標準語である北京語で中国は「ツォングォ"Zhongguo"」と発音する
  • 戦後のかなり経過した書籍であっても、広島県町村会編「広島町村会50年史」(1971年発刊)のように、「日支事変」といった表現がある事例もある。
  • 1952年に蒋介石政権との間で締結された「日本国と中華民国との間の平和条約」は日華平和条約と呼ばれる。
  • 「モンゴルとチベット」156頁
  • 東洋史学における例、言語学における事例を参照。
  • 石原が「使った」を「つくった」と間違って発言した可能性もあるが、実際は不明
  • 編集者の西村幸祐のほか主に右派論客とされる、畠奈津子、中宮崇などの寄稿が「シナ」を使っている。ただし批判的でも青木直人などは「中国」としている。

--Zakinco 2010年5月26日 (水) 14:40 (UTC)

以下の記述には有効な出典がありません。

  • これが一般的な通説とされるが、戦前の日本の地理学者の藤田元春などは反対説を主張している。その諸説によると交易品であった絹糸に由来するもの、民族名である「チャン族」あるいは、「インドから見て辺鄙で遠いところ」との意からきたともいう。なお、このシナの発音が西洋に伝わり英語の"China"フランス語の"Chine"などの語源ともなったといわれている。紀元2世紀前後にはインドで中国を指して「チーナ・スターナ"China staana"」と呼んでいた。一方ギリシアでは紀元前後から中国をシナ(Θηνα)とよぶが、これは秦に由来する。ポルトガルでは大航海時代から現代まで一貫してChinaとよぶが、発音は日本とは少し異なり、シーナである。ギリシャ、ラテン圏では国名、地域名は女性形になることが多く、秦の国名はシーナとなる。

このうち、とくに「ギリシアでは紀元前後から中国をシナ(Θηνα)とよぶ」というのは何に基づいた記述でしょうか。事実関係から確認の必要があるかと思います。また、ポルトガルのくだり、「発音は日本とは少し異なり、シーナである」という記述は、蛇足ではないでしょうか。ポルトガル語の場合、「chi」の音節にアクセントが置かれているだけで、長音と短音の区別は日本語ほど明確なものではなく、文脈や話者によって「シナ」とも「シンナ」とも聞こえる場合があります。大航海時代叢書などの邦訳では、アクセントは明示せず、綴りどおり「シナ」としています。 --60.142.187.34 2015年1月5日 (月) 04:26 (UTC)

2010年7月16日(金)13:58版

[編集]

「強引に過去の版に戻すのは言論の弾圧」と頂いておりますが、Wikipediaに「表現の自由」「言論の自由」なる概念は無かったかと思います。ウィキペディアは演説台ではありませんので読者が参照し、引用するに足る信頼できる情報源から中立に引用するスタイルで執筆頂く様、宜しくお願い申し上げます。Mikumari31さんの投稿された内容について、論文に引用することがさすがに躊躇っております。せめてどの文献にその記事が記述されているのかご紹介頂けませんか?(前回ご紹介頂いたサイト[1]には投稿された内容のような情報は全く含まれておりませんでした)--大和屋敷 2010年7月16日 (金) 17:12 (UTC)前回からの事態が継続中につき保護依頼を提出いたしました。--大和屋敷 2010年7月16日 (金) 17:17 (UTC)

2010年7月29日(木)23:06版

[編集]

IPアドレスの方によりふたたび教導的観点にもとづく投稿がなされておりましたので保護依頼を提出いたしました。Wikipediaは百科事典ですので、読者に特定の観点(による結論)を示嗾する目的での字句を採用することはWikipediaの中立性の観点から問題があります。--大和屋敷 2010年7月29日 (木) 23:21 (UTC)

台湾での使用について

[編集]

台湾で支那が中国共産党政府に対し使われているという編集は過去にもあったようですが、動画投稿サイトを出典とするのは、編集によって恣意的なことが幾らでもできるので望ましくないように思われます。このデモは民進党支持者による大陸との宥和政策を批判する中華民国総統(これも略すれば中国)に対するものであり、恣意的なものといわざるを得ないです。とりあえず要出典のタグを添付しますので、適切な出典を付けてください。--Sky Wing Sky 2011年8月27日 (土) 14:24 (UTC)

タグを付けました。しかし台北そごう前で行われたデモの様子を日本人が撮影した8分半にもわたる画像の中でワンカットしか写っていない「拒絶支那統治我是台湾人(支那の統治を拒絶する、我らは台湾人だ)」と書かれた幟をもって台湾独立派の間で使われているというのは少し弱いように思われます。出来れば台湾における書籍ないし日本の書籍で言及したものを出典にしてください。お願いします。--Sky Wing Sky 2011年8月27日 (土) 14:38 (UTC)

「学術用語としての支那」

[編集]

各術用語としての「支那」は「現在の用法」ではないので、独立した見出しを復活させます。--Dalaibaatur 2010年4月16日 (金) 19:24 (UTC)

  • 学術用法としての支那は現在の用法ではないのですか?学術用語としての支那は現在の用法でしょう。驚いたな。--大和屋敷 2010年4月16日 (金) 19:40 (UTC)
    • 東京大学の文学部の史学科・東洋史専攻における用例を紹介していますが、「塞外」「西域」「支那」「朝鮮」(朝鮮は1910年以降、東洋史学科から外れる)などという区分は、明治〜昭和前期の東京大学における「学術用語としての支那」であり、しかも「過去の用法」(→現在では「支那」史専攻の呼称は使用されていない)であって、「現在の用法」ではありません。すくなくとも、自分が執筆した文面は、「歴史的な用法」を記述したものであって、「現在の用法」を述べたものではありません。2015年2月18日の時点で、「学術用語としての支那」の1節が跡形もなく解体されているようですが、あらためて独立した1節として復活するべきとおもいます。--Dalaibaatur会話2015年2月17日 (火) 18:20 (UTC) 

「支那」の語源

[編集]

インドネシアはチナで、オランダ語はシナですが、単に英語のチャイナーをローマ字読みしただけでしょう。ローマ字読みが日本で使われるようになったのはいつですか?チャイはお茶ですよ。チャイは東インド会社由来と言った方がいいのかも知れません。そして日本でも茶という発音があります。「支」という漢字は十字架の下に剣がクロスされているのです。--Fukurou666氏により2017年1月6日 (金) 20:48‎~22:36(UTC)に投稿

リヴァート合戦

[編集]

223.137.215.224さん&223.136.154.211さん& 223.136.54.79さん& 223.136.37.188さんと利用者:Lanwi1さん&利用者:Bin2232578さんの間で、Category:民族差別用語というカテゴリを付けるか否かを巡ってリバート合戦があったようです。最初にCategory:差別用語といカテゴリが付けられたのは利用者:Sfwuさんによるこの編集のようですが、当時は、本文に「本来、差別用語ではないが、何らかの圧力などにより、差別語とみなされる場合が殆どである。」というソースの無い一文があったのですが、現在の版では、本文を見る限り「差別用語である」と定義づけされていません。つまり、223.136.37.188さんが当該カテゴリを外したのには正当な理由があったといえます。「支那」という語がマスコミを中心に忌避されているのは事実ですが、差別語か否かという点では議論が存在していますので、カテゴリの使用法としては、どういう扱いにしたらよいのか議論しなくてはいけないのではないかと思います。利用者:Lanwi1さん&利用者:Bin2232578さんも徒にブラインド・リヴァーティングを繰り返すのではなく、資料提示及び加筆をしていただきたく存じます。Takabeg会話2015年8月11日 (火) 07:47 (UTC)

古い編集について、ノートに何かを言及されていて、またこのページに来ました。誰かさんが「支那」を差別用語ではないとして、それが正当だという言説のようですが、中国という正式名称に対して、あえてこの用語を使用する動機に、悪意が含まれていることが多く、差別の問題が必ず絡まる用語であり、学術用語云々と差別性を否定する論議は許容するとしても、カテゴリーの削除はやりすぎと考えますので、修正しました。--Sfwu会話2015年8月12日 (水) 00:33 (UTC)
コメント IPユーザー(中華電信割り当て)は、いずれもWikipedia:進行中の荒らし行為/長期/影武者と見做されている。編集内容でなく、荒らし行為(ブロック破り利用者による編集行為)への対処としての差し戻しのようである。--花蝶風月雪月花警部会話2015年8月13日 (木) 04:03 (UTC)

国語辞典のレヴェルでは、卑語や差別語とは見做されていないようです。例えば、『大辞林』第三版、2006年10月27日、三省堂、1127頁:外国人が中国を呼んだ称。「秦」の転という。中国で仏典を漢訳する際、インドでの呼称を音訳したもの。日本では江戸中期以後、第二次大戦末まで称した。『広辞苑』第六版、2008年1月1日、岩波書店、1263頁:外国人の中国に対する呼称。初めインドの仏典に現れ、日本では江戸中期依頼第二次大戦まで用いられた。戦後は「支那」の表記を避けて多く「シナ」と書く。『日本国語大辞典』第二版、第六巻 さこうーしゆんひ、小学館、901頁:中国に対してかつて日本人が用いた呼称。王朝名の秦が音変化して西方に伝わり、それを音訳したものといわれる。わが国では江戸中期から次第に広まり、第二次世界大戦末まで用いられた。『辞海』下、1965年新編本、辞海編集委員会 編、東方書店、1979年2月、2540頁:古代印度,希□和罗马等地人称中国 (特別是中国南部) 为 Cina,Thin,Sinae 等,或以为皆是秦国的“秦” 字的对音,参见“秦人”。后在佛教经籍中译作支那、至那或脂那等。近代日本称中国为支那。という具合に卑語、差別語、侮蔑語であると言及されていません。一方、国語辞典でチャンコロの項 (項目自体がないものもかなりあります)をひくと、そちらは侮蔑語として言及されています。

かつて『講談社国語辞典』第二版、2004年1月20日、511頁では、《卑語。秦のなまりという。他国人の中国に対する呼称。第二次大戦後は、使われない》中国の旧称。という具合に卑語として扱われていましたが、第三版、2004年11月25日、511頁では、《秦のなまりという。他国人の中国に対する呼称。第二次大戦後は、使われない》と「卑語」がとれています。それと、やはり講談社から出ていた『講談社カラー版日本語大辞典』第一版、1989年11月6日、867頁:《卑語》「中国」に対する外国人の呼称。王朝名「秦」の名がサンスクリット語でチーン、チンといわれ、のち逆輸入されたものの漢訳とされる。日本では江戸時代中期ごろに一般化し、以後、次第に蔑称的な呼称となったため、第二次大戦後は使用されない。となっていましたが、『講談社カラー版日本語大辞典』第二版、1995年7月3日、957頁では、中国の旧称。王朝名「秦」の音がサンスクリット語からチーナ、チンといわれ、のち逆輸入されたものの漢訳とされる。日本では江戸時代中期ごろから用いられてきたが、第二次大戦後は当時の中華民国政府の申し入れもあり、一般には使用されない。と改められています。

今日においても、卑語や侮蔑語であるという主張が存在しています。しかし、一般には卑語や侮蔑語であると認識されていないということがわかります。奇妙なことに、この記事の現行版のリード文に添付されている、高木正幸『差別用語の基礎知識』と堀田貢得『実例・差別表現 あらゆる情報発信者のためのケーススタディ』(著者は、当該部分に関して高木正幸『差別用語の基礎知識』を参考にしたと言明しています)は、「侮蔑語」と主張しているので、「侮蔑語」と主張している例として使用されるべきなのでしょうが、そうはなっていないところをみると悪戯されてしまったのかもしれませんね。手許に、卑語や侮蔑語であるとの主張に関してその他にも数例のソースを持っていますが、それ以上にそうではないとする主張に関するソースも持っています。いずれにしても、ある主張があって議論が存在するのは事実ですので、「Category:差別用語だ」としてカテゴライズするのは、ウィキペディアの大原則の一つであるWikipedia:中立的な観点に反してしまいます。よって、本記事には付けられません。今回はこのあたりにしておきますが、次回は、中国研究者たちがどう見ているかということに言及し、それを本文にも反映させようと考えています。彼らはもっと冷静で中立的ですね。Takabeg会話2015年10月19日 (月) 14:30 (UTC)

要検証

[編集]

周程「“支那”与“sina”―亦谈新浪网域名的是与非」は、『人民日報』の1999年5月7日号には掲載されていません。倪建周・冬明「“支那”源流考」なら掲載されています。Takabeg会話2015年10月19日 (月) 14:39 (UTC)

58.87.252.177さんによってこの編集で追加されたようです。Takabeg会話2015年10月19日 (月) 14:44 (UTC)

ネグロイド?

[編集]

関連項目にネグロイドがありますが、支那とネグロイドの関係性を論じた書籍や論文があるのでしょうか?無いようでしたら、Wikipedia:独自研究となりますので、除去するべきであると考えます。Takabeg会話2015年10月19日 (月) 14:52 (UTC)

ヤマト武尊さんによってこの編集で追加されているようですが、どうも悪戯っぽいのと、ヤマト武尊さんがブロックされているため、同氏による書籍や論文の提示に期待が持てないので、速攻で除去します。Takabeg会話2015年10月19日 (月) 14:58 (UTC)

「第二次幣原外交期における中国の国号呼称問題」

[編集]

于紅さんの「第二次幣原外交期における中国の国号呼称問題 : 「支那共和国」から「中華民国」へ」 (『お茶の水史学』第46号) という論文から「現代、この呼称は中華人民共和国に対する悪意的、侮蔑的な呼称であるともされている」という文言を捻り出すのは至難の業で出典偽装による独自研究と見做さざるを得ません。同論文では、「現代」のことでなく「中華民国」のことについて書かれており、そもそも「中華人民共和国」なんて言葉は登場しません。また、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)によれば、「最も重要な点—あらゆる著名な論争も要約することが推奨されます」とあるので、侮蔑語か否かという論争が「著名な論争」だと見做されれば、断定的な記述は避け、中立的な信頼できる情報源を使って、あくまでも論争の存在について導入部で言及するのは可能であると思われます。Takabeg会話2019年4月7日 (日) 10:25 (UTC)

ジョシュア・フォーゲル

[編集]

特別:差分/72408659についてなのですが、論文の5頁の The topic is a deeply emotional one for many Chinese and some Japanese as well. というのを訳されたのでしょうか?だとするとちょっとした誤訳がありますよね。一番問題なのは「多くの中国人と一部の日本人」と書いていないことです。ほかは手直しするときに修正します。それと、フォーゲルの意見だけを導入部に掲載するのは、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に適合していないように思われますし、WP:NPOV的にも問題があるように思われます。私も、日中間の温度差みたいなものを導入部で表現したいとは思っていたのですが、「これだ!」とうソースを見つけられていません。当該箇所に関して、まず、正確な訳に修正して、それから、適切な記載場所を探しましょう。Takabeg会話2019年5月3日 (金) 12:31 (UTC)

パラフレーズ

[編集]

まず区別しておきたいのですが、フォーゲル論文の" The topic is a deeply emotional one for many Chinese and some Japanese as well. "に対する『「支那(シナ)」という表現の起源と用法に関する議論は、日本人と中国人にとって感情的に繊細な問題である』は、引用ではなく文献に基づいて短くパラフレーズ(間接引用)したものです。論文中の文を訳したものではありません。引用符付きの引用とパラフレーズの違いについては[2][3]を参考にしてみて下さい。Takabegさんがやりたいと考えていたことは恐らく翻訳して引用することだと思いますが、今回本当にパラフレーズではなく引用符付きの引用の方がよいとお考えでしょうか。引用するとすれば、この上に挙げられた一文だけでは、「The topic」が何なのか分かりませんし、ちょっと意味が通らないようにも思いますが、前後の文も追加するおつもりでしょうか。そこまで考えると、パラフレーズが適するように思います。 --2001:240:2415:4848:CCC4:962B:CF63:D420 2019年5月8日 (水) 08:02 (UTC)

他の文献を合わせた説明

[編集]

(パラフレーズにするかどうかという論点と、文献が一つではないかという論点は別に論じられると思います。パラフレーズにするかどうかについてご返信があれば、上の節にお書きいただければと思います。ここには他の文献についてのみ書きます。)

[4]を合わせると、少なくとも「中国人は「支那」という用語に敏感である」「「支那」という用語は中国人にとって感情的に繊細な問題を孕んでいる」という点については、複数の研究者の文献で支持されると言えると思います。日本人については確かにフォーゲル論文で「some Japanese」と言及されているだけなので、この記事でもそれほど目立つ場所に書く必要はないかもしれません。日本人について言及する別の文献があれば、また話は別です。

絶対ではありませんが、日中関係論を専門としている学者を当たると、比較的穏当な意見が集まるのではないかと思います。 --2001:240:2415:4848:CCC4:962B:CF63:D420 2019年5月8日 (水) 08:07 (UTC)

こんにちは。丁寧なご説明、ありがとうございます。ご存知のように、ウィキペディアでは、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないが重視されています。「間接引用」で乗りきろうとして、今、この場で、数人の利用者で「これでいいよね」と合意したとしても、将来的に、例えばIPさんや私が編集を辞めたり死亡したりした場合、別の利用者が検証可能性に問題ありとして削除することは容易に想像できます。それがルールですので仕方ありません。出典を検証して文章との間に齟齬があれば「検証可能性に欠ける」と判断されてしまいますし、「間接引用」では、利用者の「脳内変換」が介在してしまいますから「独自研究」と判断されてしまいます。正確性・信頼性を向上させるためにも、持続可能性を高めるためにも、可能な限り正確に引用するよう心がける必要があります。というのが、私の考えです。Takabeg会話2019年5月8日 (水) 14:00 (UTC)
    • パラフレーズについて。文献に書かれている内容を自分の言葉で表現することは好ましいこととされています(「あくまでも、自分で書いた、自らが著作権を保有する文章表現を持ち寄るのが、ウィキペディアの原則です」、Wikipedia:原典のコピーはしない )。百科事典向けのよりよいパラフレーズを探ることも共同作業の一環ではないでしょうか。表現が的確になるように修正していくのはいいことですが、だから直接引用にする、ということにはちょっと飛躍があると思います。実際、各種Wikipedia:秀逸な記事 には『Xは「……」と述べた』という形式の直接引用は滅多に見られません。念の為に加えておくと、引用の形式を取らず著者名なしに英語論文の一部をそのまま日本語に翻訳して掲載することは、著作権上やってはいけません。 --2001:240:2417:1C6B:BC8B:DCB7:2A1:4269 2019年5月17日 (金) 14:02 (UTC)
    • 二つ以上の情報源をに基づく記述をすることについて。フォーゲル論文の上に引用された部分と岡部達味講演録(前掲)の「中国を"シナ"と呼び、"支那"と漢字で書くことを中国人は非常に嫌います」「従って、"支那"というような言い方やこの漢字は、これは許せないと中国人は感じるわけです」をまとめて、二つの情報源に支えられた一つの帰属化しない記述をすることは可能だと思います。記述例は上の通りです(帰属化しないのは本文中でしないだけであり、当然脚注で誰の論文であるかは明記します。) --2001:240:2417:1C6B:BC8B:DCB7:2A1:4269 2019年5月17日 (金) 14:02 (UTC)
異論がなかったので、上記の通り、日本人には言及しない、2点の文献を付記する、という方法で書いておきました [5]。 --2001:240:241B:7CF8:4DE7:E3AD:5940:CA38 2020年11月22日 (日) 03:00 (UTC)

冒頭に記載する論点

[編集]

コメント 削除した後にこのノートの存在に気付き、先に削除してしまい申し訳ありません。ただ「感情的に繊細」では定義があやふやではっきりしない記載ですし、Wikipedia:言葉を濁さないを考えると、この一節を削除するか、あるいはもっと明確な言葉に書き換えたほうがいいのではないかと思います。(例:「多くの中国人は差別語と受け取って反感を持つ」などと明確に書く。もちろん出典付きで。)--2400:4050:B260:8D00:3409:B2FB:43A6:6023 2020年12月18日 (金) 09:26 (UTC)

よりよい出典とよりよい記述に変えてくださるなら結構ですが、専門家が断定する表現をしていないならば、それをまとめて表現するときも曖昧なままにするべきだと思います。いまのところ見つけた専門家の端的な(短い)表現は「感情的なポイントとして潜在的には存在し続けています」(岡部達味)、「deeply emotional」(Joshua Fogel)ですので、少なくとも「感情」の問題だということは共通項と言えるでしょう。このあたりを説明するのに上記二点以外に適した文献があればご紹介下さい。いずれにしろ、細かく具体的に書くのは記事の後半の役割であり、冒頭では全ては説明できないので大雑把なことしか言えない、という点もご考慮下さい。 --2001:240:2411:FFD9:152B:75CB:2AEB:D38D 2020年12月25日 (金) 09:55 (UTC)
コメント 断定しろとまで言っているのではないのですが、「感情的に繊細」だけでは何が原因となってどういう感情に訴えかける繊細な事象なのか説明できておらずあやふやな表現です。もっと明確な表現にすべきです。--2400:4050:B260:8D00:753A:121:3BD4:41D5 2020年12月26日 (土) 04:09 (UTC)
全く何も書かないよりは「感情」や「感情的に繊細」ということを書くだけでも、多少は理解を促進すると思いますが(つまり削除された状態よりは)。導入部では重要な論点を短く提示し、その詳細は節に分けて書くべきとされています(Wikipedia:サマリースタイル)。「もっと明確な表現」があると思うのであれば、出典付きで文案を示してみてもらえますか。 --2001:240:2411:DBA3:1C61:A9C:37AA:A9F6 2021年1月1日 (金) 01:59 (UTC)
コメント 原典は前後の文章がある中で「感情的に繊細」と書かれているのでしょうが、このページの導入部で唐突にこのフレーズだけを持ち出すのはあやふやで説明不足です。導入部で概要を短く書くだけならばあやふやな表現は不要だし、項目内で書くのであればもっと詳細に書くほうがよいでしょう。私は削除で構わないと思っているので、もし代案があるならばあなたが提示してください。--2400:4050:B260:8D00:5859:8D56:1F1B:E0AC 2021年1月4日 (月) 04:07 (UTC)
「短く書くだけ」は既に実行したつもりであり、[6]は「あやふやな表現」ではない(改善の余地はあるとしても書くことが許されないほどではない)、というのが私の考えなので、平行線ですね。貴方の思う「短く書くだけ」を実行した結果を見せてもらえば、話が進むと思うのですが。せめて、「感情」だけでなく○○にも言及するべきだ、等、他人が出すものを拒絶するだけでなく何が欲しいかをはっきり言ってほしいと思います。ここは基本的に出典に基づく記述を持ち寄るプロジェクトですので。(「多くの中国人は差別語と受け取って反感を持つ」という記述案について無視したように見えていたら申し訳ありません。ただこれについては私は適切な出典を見つけるのが困難だと思います。他の人が探すことを止めはしませんが。) --2001:240:2416:50CF:4C84:EB42:4A41:DCBC 2021年1月4日 (月) 11:20 (UTC)
コメント もし書くとしたら「用語が感情的に繊細」だけではなく、それが良い感情なのか悪い感情なのか、その感情は何に由来するものなのかくらいの簡単な説明は付けるべきだと思います。--2400:4050:B260:8D00:F9FF:7CC9:FAA7:1064 2021年1月5日 (火) 07:56 (UTC)
ええと、あったのは「……という用語は……感情的に繊細な問題を孕んでいる」という記述ですが、その点に誤解はありませんか。「用語が感情的に繊細」という記述は存在しませんでした(後者では、用語が感情を持つ主体であるかのような言い回しなので、意味不明だと思われるのも分かりますが)。 --2001:240:241E:BE57:AB9D:56F0:15BF:4CE3 2021年1月17日 (日) 09:03 (UTC)
コメント 感情的に繊細な問題とは何なのかが説明不足であるため、同じことです。--2400:4050:B260:8D00:6C6A:BF07:6A0D:6633 2021年1月18日 (月) 06:57 (UTC)
提案 下で述べた内容にも繋がりますが、以前の記述が不十分であるというのであれば、1, 2段落で記事全体を要約して導入部に掲載するというのはいかがでしょうか?--Jutha DDA会話2021年1月18日 (月) 07:05 (UTC)
増やす余地はあると思います。何を増やすにしろ、完璧にするか現状維持かの二択になるのは問題です。余程偏った状態にするのは問題ですが、只不十分という程度であれば、改善の途上であることを認めた上で投稿し、それから主に内容を追記する方向で少しずつ良くしていけばいいのではないでしょうか(……というのが前掲の完璧な記事という文書の趣旨だと思います)。 --2001:240:241F:C201:F18F:A527:D255:25E2 2021年2月18日 (木) 13:13 (UTC)
コメント コメント依頼から来ました。本項目の議論を追っているわけではないので、とりあえず関連ガイドラインについてのみコメントいたします。Wikipedia:サマリースタイルを挙げてらっしゃいますが、これはどちらかというと記事の分割に関わるガイドラインなので、本件の場合はWP:LEADLENGTHを参照されるのが適当ではないかと。こちらに則ると3-5段落くらいまでは許容範囲みたいなので、冒頭部の記述を詳細にする方向も検討されてはいかがでしょうか?--Jutha DDA会話2021年1月4日 (月) 18:21 (UTC)
最後のコメントより一ヶ月が経過いたしましたので、コメント依頼より除去いたします。再掲を妨げるものではございません。必要に合わせて調整いただけますようお願い櫃よ申し上げます。--遡雨祈胡会話2021年3月13日 (土) 13:59 (UTC)