ノート:支那/過去ログ1
このページは過去の議論を保存している過去ログページです。編集しないでください。新たな議論や話題は、ノート:支那で行ってください。 |
「シナ」と「支那」を区別すべきでは
[編集]「シナ」は単なる「音」を表記したものに過ぎず、それ自体差別的意味合いがあるとは思えません。 それに対し、「支那」は漢字そのものに「中華」とは相反する意味合いが含まれるように思われます。 「中華~」と名乗る前ならいざ知らず、そういう正式国名を名乗った後に「支那」使用するのは、 侮蔑的に感じられるのではないでしょうか。 日本だって、英語名から「邪犯」などと当て字されるのはいやでしょう。(中国語で「邪犯」がジャパンと読めるのかどうかは知りませんが)--Iwakazu01 2008年2月11日 (月) 02:02 (UTC)
そもそもどこをどうみても「支那」にそのような意味は持ちませんが如何でしょうか。 --121.102.33.244 2008年8月15日 (金) 21:18 (UTC)
「支那」と表記すると「本邦」(本国)から枝分かれした国、すなわち日本から見て辺境というニュアンスが含まれてしまうのではないでしょうか。それを言いだしたら、中華人民共和国の自治区である新疆ウイグル自治区の「新疆」も「新しい領土」という意味なのでウイグル人から見れば侮蔑的と感じられるかもしれません。--まさふゆ 2008年8月16日 (土) 09:14 (UTC)
子供じゃないんだから、まともな議論をしましょう。彼の国が「我こそは中華(世界の中心)なり」と表記したからと言って、何で日本を含む外国がそれを認めなければならないのか。全く非理論的であります。我々は「大韓民国」を「韓国」と呼んでいますし、例えばアメリカの名前が「中華アメリカ人民共和国」であっても、単にアメリカと呼ぶでしょう。そもそも「中国」と呼ぶことがおかしいのです。支那が正しい名称でしょう。
秦朝から清朝までわざわざ日本で漢字を変えて呼んでいたのですか? 清国、唐等が使われて置き換えなどしなかった 中華人民共和国を中国と呼ばずに英語の発音から来た支那が正しい名称になどなるわけがない
サンスクリット語に基づく根拠未提示の記述
[編集]--219.100.41.160 2006年8月19日 (土) 15:09 (UTC) 質問です。もし宜しければ御答え頂きたいのですが、あるホームページに「『支那』はサンスクリットで『辺鄙(へんぴ)で遠いところ』を意味する言葉であり、その初出は仏典で、残念な事に仏典そのものに差別的用語が記述されていたのだ」と言った記述を見つけたのですが、実際の所はどうなのでしょうか。あちこちの文献に当たってみましたが、「支那」が記載されている仏典を見つける事は出来ませんでした。(因みに紹介させて頂いた文章は、「『支那』は差別語である」と言う立場に立って書かれたようです。)御回答、宜しく御願い致します。
長期間、どなたも相手にされない程の愚問がノートに残っているままなので、一応回答を残しておきます。仏教にとって「中国」はインドを意味します。中国人の僧侶は自身が何国人かを記すとき、時の国号を用います。例えば般若心経ならば「唐三蔵法師玄奘訳」となります。それとは別に、文化圏を示す語として「印度」「支那」がありますが、中国人の僧の著作で多くは登場します。経でも、唐代以降に訳出されたものは、漢字のことを「支那書」と訳しているもの(方広大荘厳経)などがあります。この場合、原語はcina(iは長音)チーナであって、仮に「辺鄙で遠い」という意味があったのだとしても(作り話でしょうが)、実際のチーナからの二次的用法でしょう。チャイナと同様に、秦からきた語です。仏典に「支那」とある時は、自国を相対的に見ようとする態度が示されているのであって、一切差別侮蔑の意味はありません。218.110.135.218 2009年2月22日 (日) 10:31 (UTC)
日本も山陽・山陰地方も「支那地方」という呼称が自然である
[編集]過去の邪馬台国のように「国」の中心であればその意味での「中国地方」という呼称でもおかしくないが、もともといま使われてる「中国地方」の呼称は「中国に近い」という理由からである。ところが実際山陽・山陰地方は真の中国である中華民国より、大陸の支那に近いわけである。中国地方というと中華民国に近い沖縄付近を思い浮かべてしまい甚だ不自然である。 支那という呼称は歴史的な経緯から見ても妥当でありなんら問題は無い。それゆえ「中国地方」は「支那地方」という呼称の方が自然である。同様に「中国」の名称がつく会社も同様に「支那**」という名前が自然である。 もし異論があれば正々堂々とノートにて反論して欲しい。日本は北朝鮮と違って民主国家なのだから言論の自由があるはずである。論議無くこの項目の削除はやめていただきたい。
日本の山陽・山陰地方の中国は平安京・平城京からの距離のことだと(「近国と遠国の中間」)思うのですが。近畿は「畿内の近国」という意味ですし。--125.28.188.45 2008年8月4日 (月) 21:39 (UTC)
私は中国地方の広島県で生まれ育った者ですが、「中国地方」が支那の中国から引用されているという、投稿は極めて事実を曲げています。少なくとも、「中国地方」で生まれ育った人達の、一体誰が貴方に賛同したのですか。私たちは当時「中国地方」とは九州や四国と違って、より日本の真ん中にある地方だと、社会科で学びました。そして(誰も文句を言わなかったので)、皆納得していたと考えます。上記の「中国地方」より「支那」地方の記述の方が妥当であるというご主張には、到底賛同できません。貴方は余りにも常識を逸脱しておられます。--126.81.80.4 2008年8月27日 (水) 15:08 (UTC)
余りにも無責任かつ無茶苦茶な立ち上げ方ですね。こんなの初めてです。管理者へ。==日本も山陽・山陰地方も「支那地方」という呼称が自然である==を抹消してください。--126.81.80.4 2009年8月17日 (月) 14:10 (UTC)
- 発言を消すことは出来ないが、この項目を立てた者の論理では、埼玉県の旧高麗郡地域も差別的にすべきと言っていると一緒である。そもそも中国地方は近畿と九州の中間にあるという意味であり、中国の語源とは異なる。その事を調べずに語源は一緒だから「支那」とすべきなどとは、人間性を疑いたくなる思考です。まあ、とりあえず通報をします。--Carpkazu 2009年8月17日 (月) 22:40 (UTC)
- Wikipediaは百科事典であって事実に基づかない個人的願望を書き綴る場ではありません(WP:NOT)。言論の自由があるとしてもこれは、事故責任で対応できる範囲に限定されるものであり、他者が不快に思うような根拠なき自己の妄想を無責任にいえるものではありません。--Carpkazu 2009年8月29日 (土) 15:58 (UTC)
いわゆる「チャンコロ」について
[編集]チャンコロの「チャン」は当時の「清(国)」のことで、満州族国家・民族への侮蔑的な意味です。漢民族と満州族とは全く別な民族で、言語もまったく違います。満州語は朝鮮語(韓国語)を通して日本語と関係がある学説もありますが、中国語(孤立語)と日本語(膠着語)は全く別な言語グループです。 --以上の署名のないコメントは、125.30.19.190(会話/Whois)さんが 2005年11月19日 (土) 11:51 に投稿したものです。
→チャンコロは「中国人」(チョンクオレン)がなまった語だと聞きましたが…… --以上の署名のないコメントは、210.196.147.7(会話/Whois)さんが 2006年1月14日 (土) 09:00 に投稿したものです。
→チャンコロの語源説は色々あると思います。ただし実際に当時「市民権?」を得たのは、英語(他の欧州語を含む)のChinaの前半部分の「チャ(イ)n」に犬などに使われる「コロ」を付けたためではないですか?明治に生まれ、戦争を経験した父方祖父母、及び実際に戦争に行った母の兄からそのように説明され、納得していました。また、この説を明確に否定できた人は今のところいないです。なお、「清」に対する侮蔑用語というのは、相当無理があると思います。 チャンコロが最も多く使われたのは、支那事変(日中戦争)以降です。それ以前にも使われていたのでしょうが、そうだとしても日清戦争後、日本人が清国人(満州人)を大いに侮蔑的に「チャンコロ」と呼称したという客観的な事例が見あたりません。--126.81.80.4 2008年2月6日 (水) 15:14 (UTC)
→明治東京風俗語事典のなかからテーマと関係のありそうな語を拾ってみます。 【ちゃんから】中国人のハイカラな人。悪口には「ちゃんから亡者」 【ちんころ】日本特有の愛玩犬 【チャルメラ】唐人笛のこと 【チャンチャンぼうず】支那(中国)人をののしっていう言葉 【ちんけえとう】〔珍毛唐〕珍しい毛唐人の略 【南京さん】中国人--Prettyboy 2008年10月25日 (土) 14:54 (UTC)
Chinaは中華か?
[編集]支那に存在する共産主義国家の正式名称は「People's Republic of China」ですよね?このChinaという単語に中華という意味はないはずです。日本語表記にするなら、東支那海などと同様、支那人民共和国のはずなのです。それなのに日本国は支那をわざわざ中華と訳しているのです。おかしくないですか?チャイナレストランという場合にも中華料理店、チャイニーズに中国人、と当て字する。本来なら支那料理店、支那人という日本語訳になるのです。このように合理的に判断すれば「政治的なごまかし」と「政治的な主張」にしか聞こえない支那呼称反対派の意見を、注意書きなしに本来中立的であるウィキペディアの記事にそのまま載せるのはどうかと考え記事に書こうと思いました。支那を支那と言う事はここの支那の項目にもあるように、右翼だとか差別用語だとかイデオロギーだとかいうような話ではなく、単なる地域名称であり、中立的な大陸国家の呼称であって「いかなる政治的な力に影響されない」というウィキペディアの記事において、支那呼称の学術的な意味や政治的背景を一切省いて「差別用語である」という誤解を与えるような意見があることに深い憤りを覚えます。差別的な文脈で使われるから、という人がいましたが、それではたとえばニュースでキャスターが「一家皆殺しをした中国人に~という判決が」というような一家皆殺しなどという否定的な文脈で「中国人」が使われたから、これでもう中国人は差別用語になります。いい加減、支那は差別用語であるというような主張を長々と載せ続けるウィキペディアのなんちゃって中立体制は直して欲しいと思います。 --以上の署名のないコメントは、58.93.217.213(会話/Whois)さんが 2005年9月30日 (金) 15:44 に投稿したものです。
当たり前だけど、共産中国の正式名称は中国語で中華人民共和国ですよ。zh:中华人民共和国をどうぞ。日本の正式名称である日本国はJAPANを和訳したものですか?転石 2005年10月22日 (土) 13:31 (UTC)
JAPANを和訳したら日本だと思いますが。 --以上の署名のないコメントは、220.108.144.35 2005年10月31日 (月) 07:54(会話/2005年10月31日 (月) 07:54 Whois)さんが {{{2}}} に投稿したものです。
日本語で日本が先にあって、その後にJAPANが来ると言っているのです。だから共産中国の正式名称は中国語で中華人民共和国であると言っているのです。理解していただけるでしょうか?ちなみにJAPANの語はジパングから来ているので和訳して日本になるかどうかは疑問ですね。転石 2005年11月2日 (水) 12:18 (UTC)
- ジパングが日本国の当時の中国語読みから来てる以上、結局JAPANは日本国になるような?みっとし 2005年11月3日 (木) 08:24 (UTC)
国連での大陸国家の英名(People's Republic of China)を素直に日本語訳すれば 支那人民共和国ですよ。CHINAを日本語訳すれば支那という単語になり、中華にはならない。逆に「中華」を英訳すれば「Middle Kingdom」か単に中華のピンインを音訳した「Zhunghua」となって、それならPeople's Republic of Zhunghuaが国連での正式名称になっていないと、日本語訳で中華人民共和国とはならない。日本国政府がCHINAを中華と意図的に訳す意義が分かりませんが。 --以上の署名のないコメントは、60.34.80.162(会話/Whois)さんが 2005年11月6日 (日) 15:51 に投稿したものです。
→→ そもそも清朝が倒れて中華民国(自称)ができた時に、日本側では「民国」なんて言葉がないため、Republic of Chinaを「支那共和国」と訳して使用していたところ("支那"呼称自体は当然それ以前から存在しています)、中華民国側から、日本は同文同種の国であるから、国家名としては「中華民国」の名称を使ってほしい、と要求があったことが「支那を使うな」問題の始まりです。ただし左記の理由からも分かるとおり、あくまで国家名のみであり、支那史や支那文化、地域名としての支那を否定した物ではありませんし、国家の公式文書における要求であって民間人が使用する分には何の問題もありません。差別用語だというのは最近出てきた話です(おしやつんぼも同様ですが)。 --以上の署名のないコメントは、210.196.147.7(会話/Whois)さんが 2006年1月14日 (土) 09:06 に投稿したものです。
ここで見る限り「支那呼称否定派」はもはや論理として破綻しており、(例えば清朝との戦争時に使ったことがあったから以後禁止、だとか中華民国からの政治的要請がいつのまにか時間を経過して差別用語になった、という虚偽あるいはミスリードさせる論を展開しており、支那が差別的呼称であるという論が成り立っていない)のだから、否定派と肯定派をなくし、総括した「支那呼称にまつわる総括」とでもした文章を載せたらどうでしょう?肯定派と否定派の書く文章を合理的に判断すれば否定派のほうは明らかに「反対のための反対」であり、共産主義の情報工作を彷彿とさせます。もちろん本来大陸を「中国」と呼ぼうが「支那」と呼ぼうが自由ですので何が何でも「支那」と呼べ、という主張をしていると飛躍されても困りますが、否定派の意見は記事として紹介するに値する論理となっていないと思います。特定のイデオロギーの宣伝に見えます。 --以上の署名のないコメントは、60.34.86.6(会話/Whois)さんが 2006年6月1日 (木) 19:20 に投稿したものです。
>日本国政府がCHINAを中華と意図的に訳す意義が分かりませんが。
根本的なところで誤解があるようですが(というより意図的な曲解というべきですね)「中華人民共和国」は英語から翻訳したわけではなく中国語での名称をそのまま使用しているだけです。漢字を使ってる両国間であえて英語から翻訳しなければならない理由があるのでしょうか?Republic of Korea は「大韓民国」ですが英語には「大」を意味するような語は含まれていませんが、漢字表記でそのまま日本でも「大韓民国」のままです。 「中華」「大韓」はいずれも、そのまま表記しているだけで英語から訳されたわけではありませんから、特別な意図など存在しません。
>支那に存在する共産主義国家の正式名称は「People's Republic of China」ですよね?
これは英語での正式名称です。 どうして、日本人が英語での正式名称からわざわざ翻訳する必要があるのですか? --以上の署名のないコメントは、219.109.227.148(会話/Whois)さんが 2006年10月23日 (月) 10:30 (UTC) に投稿したものです。
↑日本としては、国際的に通用してる英語名から訳してもいいし、中国語名から訳してもいいし、その選択権は日本にありますよ。 --以上の署名のないコメントは、202.169.76.9(会話/Whois)さんが 2007年3月11日 (日) 18:27 (UTC) に投稿したものです。
たまたま同じ漢字も使っているからといって、「中華人民共和国」と呼称する必要はありません。諸外国と同様に「支那人民共和国」と呼ぶべきです。「支那人民共和国}が日本のことを侮蔑でなければ「ハポン」でも「ヤッポン」でも何と呼ぼうと勝手です。同様に「支那」は侮蔑語とは到底言えないですから、日本は本来「支那人民共和国」と呼ぶべきです。わざわざ彼の国の「中華」思想(幻想)に付き合う必要はないでしょう。それに加えて、彼の国が「人民共和国」の呼称を名乗る方がおかしくないですか?国政選挙の経験は一度もなし。かすかに(実質的に中国共産党の支配下で;しかも結果はやる前から明らか)一部地方選挙らしき行為が伺えるだけなのに。--126.81.80.4 2008年2月6日 (水) 15:14 (UTC)
私は、「支那」が報道機関等により差別語として扱われ、それに例えばWindowsやGoogleが当たり障り無く、商売に励んでいるのが情けない。「支那」が差別語だと主張する方々は、その明確な根拠を示してください。それと同時に、まともな選挙すら行われていない現在の「支那」がどうして「人民共和国」なのか、そちらの矛盾の方がより大きいかも知れません。私は「中華人民共和国(及びその洗脳された国民」)が日本に対して「支那の呼称を止めろ」と言ってくるのは、自国が真の「人民共和国」でもなければ、「中華」の部分を理論的に説明もできない、ジレンマというかその反動だと確信しております。この反動は半永久的に終わらないと思われます。日本人の感覚と支那人の感覚がどうして一致すると言えるのでしょうか。
彼の国は、日本やそれ以外の国と異なった考え方をする国です。すなわち「いつも我々支那人は世界の中心におり(したがってグローバル・スタンダード)、他の国や人々が我々支那の風習に従うべきだ」と考えている、世界的にも歪な国及びその支配下でワイワイ言っている所謂人民の方々で構成されている国家です。何というつまらないスレッドの立ち上げでしょう!支那国家及び漢民族にとってはChina=中華でしょう。しかしそれ以外の民族や国家においては、China=中華であるはずが全くありません。--126.81.80.4 2008年9月15日 (月) 15:11 (UTC)
否定派の論理破綻した文章を載せる必要はあるのか?
[編集]反対派の意見に「文脈によって意味が異なってくる」とありますが、当たり前でしょう、中国人という名称だって否定的な文脈では否定的な意味に(例えば中国人留学生が日本人一家殺害では中国人が否定的に響く)、肯定的な文脈では肯定的な意味に(例えば世界数学五輪で優勝した中国人、という文脈では肯定的な響きに)それぞれなるのです。なにも支那人といったからといってその呼称自体に差別的な意味合いはなく、官製・イデオロギー的にしかそれは存在しないのです。あまりに反対派の意見はその論理が破綻しており、ウィキペディアの「政治的な影響のない中立的な記事を」という規範に全く即しておりません。反対派の意見と肯定派の意見は共に、「支那は差別的な呼称である」という前提で成り立っている記事なので、削除を要望します。その根拠はすでにこの記事の文中にもある「支那が政治的に差別的呼称にされた」という文で十分根拠になるでしょう。 どうですか? --以上の署名のないコメントは、210.161.189.72(会話/Whois)さんが 2006年6月8日 (木) 10:03 に投稿したものです。
明らかに差別
[編集]「中国」という名前があるのに、それを拒否し「支那」を使用し続けることはすでに差別になる。日本は英語圏と違って中国と同じ漢字圏だから、同じ漢字を使うのは当然のこと。中国は昔日本のことを「倭国」と呼んでいたが、現在でも「日本」を使わないで「倭国」と呼んでいたら日本人もこれが差別だと思うだろう。大体「支那」を賛成するやつは右翼か2ちゃんねらーか、中国に好意をもたないくせに。--Ezard 2006年6月10日 (土) 08:45 (UTC)
- →これはまさに支那人の主張でもっとも論理的ではない。--以上の署名のないコメントは、210.164.12.120(会話/Whois)さんが 2006年8月11日 (金) 02:49 (UTC) に投稿したものです。
私個人は支那という語を使いませんが、漢文学者の高島俊男氏(岡山大学元助教授)が『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(1995年、大和書房。1998年、文春文庫)という本の中に「『支那』はわるいことばだろうか」という文章を収めています。本当は全文を読んでいただくのが一番いいのですが、この本がEzardさんの国で手に入るかどうかわかりませんので、一部抜粋します。
「『現在中国の人が中国と言っているのだからわれわれもそう言うのが当然だ』と言う人がある。これも妙な理屈で、再々言うようにあの国には自分の国を通時的に呼ぶ名称がないからやむなく『わが国』(引用者註・中国という名称のこと)をもって代替しているのであって、外部の者も必ずそう呼ばねばならぬ理由にはならないのである。
それにそもそも『むこうでそう言っているのだから』というのが特に価値の感覚をおびた語のばあいは問題で、たとえば中華人民共和国では1949年以後のことを『解放後』と称することになっているが、われわれ日本人もそう称するのが適当かどうかは十分検討を要するようなものだ。日本人の自主性が問われるのである。」
「『おまえが何と言おうと、支那なんてことばは絶対に使いたくないよ』という人が多いであろう。御安心ください。だれもあなたに『中国をやめて支那を使え』と言いはしない。『支那』に不快を感じ、『中国』に愛着をおぼえるあなたの選択をわたしは尊重する。
それなのになぜあなたは、『支那』に愛着を持ち、もしくはこの語の使用に合理的理由があると考える者に対して『やめろ。中国と言え』と要求するのか。故人の著作の復刊に対してまで、『支那』を『中国』に変えて出せと言うのか。どこからそんな権限をさずかったのか」--Arpeggio 2006年6月11日 (日) 04:05 (UTC)
>『現在中国の人が中国と言っているのだからわれわれもそう言うのが当然だ』と言う人がある。これも妙な理屈で、再々言うようにあの国には自分の国を通時的に呼ぶ名称がないからやむなく『わが国』(引用者註・中国という名称のこと)をもって代替しているのであって、外部の者も必ずそう呼ばねばならぬ理由にはならないのである。
中国という名称があるのに何故わざわざ支那と呼ぶ必要があるのか?韓国人が天皇の事をわざわざ日王と 呼んでいるのと同じですね。 --以上の署名のないコメントは、220.215.102.46(会話/Whois)さんが 2006年11月1日 (水) 15:45 (UTC) に投稿したものです。
中国という名称があるのに、わざわざ支那と呼ぶ必要は私も無いと思います。 しかし、中国という名称は単なる自尊の称ではなく、中原・東夷・北狄・西戎・南蛮という中国が世界の中心であり、その他の地域は蛮族であるという中華思想に基づく逆差別であると感じる(主張する)人もいます。 これは少なくとも支那が蔑称であるという主張よりも道理が通っています。
それから、韓国では同じ政権・同じマスコミでも時期により天皇と日王を交互に使いわけます。 少なくとも韓国の新聞によれば、(歴史問題等が起こると政府も)格下げを意図して日王と表記しているそうですから明らかな侮辱ですし、ここで書き込む内容ではありません。 --219.98.158.233 2007年9月5日 (水) 19:31 (UTC)
支那を中国と同義語として使用するなら、差別的かも知れないが、中国の一部を支那と呼ぶのはおかしくあるまい。 そもそも支那(シナ)の語源は、漢民族初の皇帝国家である「秦」(シン)がなまったものである。 つまり、始皇帝(ファーストエンペラー)以来の名称である。 --以上の署名のないコメントは、203.136.61.59(会話/Whois)さんが 2006年8月21日 (月) 06:09 (UTC) に投稿したものです。
>中国という名称があるのに何故わざわざ支那と呼ぶ必要があるのか?韓国人が天皇の事をわざわざ日王と
>呼んでいるのと同じですね。
chinaという名称があるのに何故わざわざ中華と呼ぶのか。 天皇の英語はエンペラー。韓国では全てのエンペラーを王と呼ぶのかな。そんなことないでしょう。 --以上の署名のないコメントは、202.169.76.9(会話/Whois)さんが 2007年3月11日 (日) 18:31 (UTC) に投稿したものです。
「中国」という名前があるのに、それを拒否し「台湾」を使用し続けることはすでに差別になる。中共は英語圏と違って中国と同じ漢字圏だから、同じ漢字を使うのは当然のこと。中国は昔中共のことを「共匪」と呼んでいたが、現在でも「中共」を使わないで「共匪」と呼んでいたら中共人もこれが差別だと思うだろう。大体「台湾」を賛成するやつは右翼か2ちゃんねらーか、中国に好意をもたないくせに。
私は「支那」が差別用語だとは思いません。その理由の一つとして、私の経験を述べます。私は、1996~2000年の間、ルーマニアを3度訪れました。地方都市だったので、アジア人が珍しかったらしく、(3回目はそうでもなかったが)キョロキョロ観察されました。そして、約80%の人はこっそり「ジャポネ(ズ)」と言い、約20%の人はこっそり「キナ」あるいは「キニア」と聞こえる様に囁いていました(もちろん何も言わなかった人が多かったですが)。一緒に歩いていた友達のルーマニア人に尋ねたところ、前者はもちろん「日本人」の意味で、後者は「チャイナ」あるいは「チャイニーズ」だと(英語で)教えてくれました。英語のChinaはもちろん差別語ではありません。ルーマニア語の「キナ」は英語のスペルと同様、Chinaです。もちろんルーマニア語の「キナ」も差別語ではありません。アメリカ人もルーマニア人も「China」と呼ぶ以外に術はないのです。 しかるに、一字違いの日本語のシナ「Shina」が一体どうして差別語と言えるのか?最初のアルファベットが「C」なら問題なし、「S」なら差別語という根拠を教えて頂きたいと思います。--126.81.80.4 2008年2月6日 (水) 15:14 (UTC)
日本語で「中国」と言えば、通常は日本国内の「中国」地方を指します。共産党が一党独裁支配している大陸の全体主義国家「中華人民共和国」は、やはり「中共」と呼ぶのが適切でしょう。かつての「ソヴィエト社会主義共和国連邦」も「ソ連」と呼ばれても何ら文句をつけて来ませんでしたから(略称が不可とあらば、「韓国」も「米国」も「英国」も使えなくなりますね)。「支那」というのは、秦の始皇帝が統一して以来の伝統ある地名です。世界中の大半の国々では、「チナ」なり「シヌ」なり「チャイナ」なり、“殆ど総ての諸国が”と云っても過言でないぐらい「秦」に由来する呼称を用いています。それを日本に対してのみ「『シナ』と呼ぶな」というのは、とんでも無い逆差別でしかありません。またもしも、「英語的な表記は許されない」と主張するのならば、「スペイン」も「フィンランド」も「ノルウェイ」も「ハンガリー」も「メキシコ」も悉く使用不可能ということになってしまいます。地名は「シナ」乃至「支那」と、国名は「中共」とするべきです。124.255.15.137 2008年2月8日 (金) 08:52 (UTC)aula
- 日本語で中国地方を「中国」と認識するようになったのは南北朝時代中頃と言われていますが、当時はまだ漠然としていて、ときに四国地方をも含む概念であり(ここまで「中国地方」の項目より)、図書館に保存されている過去の政府統計を見ると、大正に入ってからようやく「中国地方」という概念が確立したようで、それ以前は近畿地方とまとめて「本州西区」と呼ばれています。よって、どちらが先かといえばやはり大陸の国家を「中国」と呼ぶのが先(こちらは1911年=明治44年に建国)であり、日本の中国地方を引き合いに出して大陸の国家の呼び方を問題視するというのは話が逆だというべきでしょう。また、略称についても書かれていますが、「支那」と同様に本来単なる日本の略称であり、かつては正式に日本の国名コードとして使用されていた「JAP」の語はどうなのか(詳しくは「ジャップ」の項目参照)、と考えると、略称であるというだけの理由で可だとか不可だとか論じるのは非論理的だと思います。なお、英語由来云々は、中国政府が「支那」を受け入れない一方でカタカナ表記の「シナ」を容認している以上無意味な議論です。--211.11.157.49 2008年6月18日 (水) 05:30 (UTC)
漢字表記に問題があるのでは?
[編集]外務省の公式文書にも「東シナ海」という表現が使用されているように、「シナ」は差別的表現ではないと思います。 自らの国を「中華」と呼ぶ国ですから、「支那」という漢字表記には抵抗があるのでは?当然アルファベットでどう表記しようが問題になることはないと思われます。--220.147.81.86 2008年2月4日 (月) 07:28 (UTC)
しかし、仮に彼の国が「支那」という漢字表記には抵抗があるとしても、それは彼の国の一方的な感情論というべきでしょう。わざわざ日本語から「支那」表記を抹消する理由がないと思います。差別語でも何でもないですから。日本語の書き方は、日本人が決めましょう。--126.81.80.4 2008年4月19日 (土) 15:21 (UTC)
いや、私は中国が「支那」という表記に抵抗しているのは、漢字の意味合いが好ましくないという理由もあるのではないか、という意見を表明しているだけで、日本語から削除とか主張するつもりはありませんが。ただ、カナで「シナ」と呼んでも蔑称にはならないのではないか、ということを主張したいだけです。--Iwakazu01 2008年4月22日 (火) 08:02 (UTC)
この一文の根拠を示してください
[編集]>また、日清戦争辺りから以降は中国に対する敵愾心が煽られ、他の蔑称と共に支那人との呼称が一般化していき、日本人にとってはそれらのもののうちではましなものという意識を持つものが現れるまでに至った。
なぜ「チャンコロ」や「ニーヤン」などという蔑称と「支那人」が同列に語られているのですか?ここの記事に出ている「支那」という言葉の起源を読めば「支那人」という呼称に元来侮蔑的な意味は「ない」と誰が読んでも合理的に判断できるはずの内容ですが。上記の「支那人という呼称がチャンコロなどと共に侮蔑的な呼称として一般化していった」といえるなら、このような論に従って、例えば現代で支那人の日本における犯罪が大量に発生していること(10年連続で外国人犯罪者数のTOP)を話題にある日本人が「中国人って本当に犯罪者が多いよね」という会話をした場合、ここに出てくる「中国人」という呼称は犯罪者が多いなどという「否定的な文章に出ている」から「否定的な含意をもつに違いない」、だから「中国人とは日本人による差別用語だ」という本末転倒な主張もできますよ。元々中立的な呼び名である支那人という単語にどのような意味をこめるか、そんなもの人の自由だし、文脈によっては否定的にも肯定的にも侮辱的にもなる。それをあえて「すべて侮蔑の意でしかない」などと主張する、貴方の論は破綻していますよ。 --以上の署名のないコメントは、210.161.189.72(会話/Whois)さんが 2006年6月11日 (日) 06:22 に投稿したものです。
支那呼称が差別的であるという説を説明できるまともな反論らしい反論が出てきませんね。よって否定派・肯定派の文章を削除するようにお願いします。--以上の署名のないコメントは、210.161.189.72(会話/Whois)さんが 2006年6月15日 (木) 15:30 に投稿したものです。
「チャンコロ」や「ニーヤン」も起源は蔑称ではありませんでしたよ。時代とともに意味が変わってきたのです。「支那人」も侮辱的な文脈で使うことが溢れている以上、蔑称なのは間違いありません。Saiyuki 2006年7月5日 (水) 17:05 (UTC)
早期に合意を形成しましょうよ
[編集]私は「支那」が差別的とか古典的とかいう議論をするつもりはありません。
しかし、本文を通して読んでみてください。これでは支離滅裂過ぎます。Posted by Lazy-lion 2006年7月11日 (火) 15:29 (UTC)
一度整理したほうがいいのではないでしょうか?
[編集]支那を差別的表現と主張していたEzardさんをはじめ、反対論者の方はすでに削除されているようで、反論できない状態にあるのではないでしょうか。このままだと再反論もないと思われるので、一度整理したほうがいいのではないかと提案します。--Edoo 2006年7月12日 (水) 02:17 (UTC)
- 賛成。部分的にとりくんでいますが、多少の手直しではどうにもならない。--58.70.53.6 2006年8月23日 (水) 21:46 (UTC)
- 現保護バージョンの保留が適当かと。これ以上の内容の緻密化は、かえって論議や水掛け論になるし、むしろ「蔑称ではないとする人も、蔑称とする人もいる」という至極中立的な現バージョンはもっとも均整が取れているように思う。「日本政府、一般著書等の大半が現代中国を中国と呼称し、本国の中国語の教科書でも、自国の略称として中国(Zhongguo)を使っている」以上、一般通念としての略称は「中国」であるが、「歴史的、地理的に現代中国とは厳密な定義で異なる『支那』が学術的に一部で使われている」ということ、「元々蔑称としての意味はなかった言語の歴史的事実」、「それを根拠に「支那」が蔑称ではないとする人がいる」こと、経緯はともかく、「相手が蔑称と認識するなら蔑称となるという人もいる」(←私の見解はこれかな。歴史的事実は歴史的事実、意味の変化は意味の変化で全くの別事象。また、表音文字の英語と表意文字の漢字を同列に扱って蔑称ではないとするのにも限界があるかと)ということと、内容的にみてもかなり中立性が維持されていると思う。それに、言語の意味が変遷することを考えれば(蔑称化だけでなく、非蔑称化の可能性も含む)、あまり性急に記述しようとすることは、現在進行形の事象を扱うという不透明さ、不安定さをはらむことになるとも思う。残りはウィキ以外のソースで議論してもらい、もっと知識ベースとしての記述が増えてから改変したほうが良いように思う。私自身の見解とは区別して、客観的に見てもどちら側も論拠が薄いというのが現状かと思います。--220.49.95.78 2007年9月18日(火)22:18(UTC)
概要にあった有為な情報
[編集]最近、概要に手を加えています。以下は、文脈上うまくつながらないので外しましたが、有為な情報を含んでおり、ただ削除するのは不適切なので、とりあえずここに保存します。本文のどこかに提示されるべき文面だとかんがえます。--58.70.53.6 2006年8月23日 (水) 21:46 (UTC)
- 日本では敗戦直後の1946年に中華民国からの要望により、シナを中国と呼ぶように外務省から通達が出され、公務員が公務を行っている時のみは支那を使うことや公共電波での支那呼称は禁止されている(当時の外務省局長級通達による)。ただし、上記通達で禁止されているのは「国名としての『支那』」呼称のみであり、歴史的・地理的および学術的呼称の場合は必ずしも従う必要はない。上記通達でも「東シナ海」「支那事変(日支事変)」などの名はやむを得ないとされている(ただし、現実には支那事変の呼称は日中戦争に取って代わられた)。
→もし「支那」「シナ」両方の表記が問題なのだとすると、東シナ海という表記も駄目だということですが、普通に現在でも使われています。一方、東支那海という表記は報道や公的な資料で使われているのを見たことがありません。やはり、支那という漢字表記の持つ(中華とは相反する)侮蔑的な意味合いが問題なのではないでしょうか。
ひとつの資料として
梁啓超「中国史叙論」1901年より
吾人がもっとも慚愧に耐えないのは、我が国に国名がないことである。一般の呼称では、・・・・いずれも王朝の王朝の名である。外国人の故障では震旦・支那などというが、いずれも我々が自ら命名したものではない。・・・・・中国・中華という名は、自惚れの気味があり、批判を受けるかもしれない。しかし、一家の物にすぎない王朝名で我が国民を汚すことはできないし、外国人のかりそめの呼び名を我が国民に押しつけることはなおさらできない。三者とも欠点があるなかで、やむをえず、吾人のふだんつかっている言葉を採用して「中国史」と呼ぶこととしたい。これはやや驕った言い方かもしれないが、民族がそれぞれの国を尊ぶのは現在の世界の通義であり、わが同胞が名と実の関係を深くどうさつしてくれればそれも精神をふるいたたせるひとつのみちであろう。
「・・・・」は省略をしめす。 nhatnhan625 2007/08/14
支那畜はいらないのでは
[編集]ネットの世界だけで使われている言葉であり、それも差別的な言葉として使用されており、関連項目から削除を願います。--Oresamachan 2008年2月13日 (水) 07:32 (UTC)
殆どの記事に出典が無い
[編集]つまり、検証可能性がありませんから、wikipediaの五本の柱に反します。この記事自体に妥当性を見出せません。言論の自由はもっともですが、wikipediaは持論の展開をするサイトではありません。母国を異にする完全な第三者が検証可能でなければ、言論の自由は適用されません。また、差別語になるとかならないとかも、出典を明示して各々が検証していかなければ、不毛の感情論でお祭り騒ぎです。--positrium 2008年8月14日 (木) 08:12 (UTC)
www.sina.comについて
[編集]www.sina.com(新浪)についての記述はオフィシャルの解釈ではない。 オフィシャルの解釈は新浪の親会社である華淵国際のSinanetから省略された名称である。インド語のSinoと英語のChinaの合成言葉である。 また、会社の社名を無断に解釈した場合、訴えられることが考えられるため、訂正したほうがよいではないかと思われる。
外部リンク
http://tech.sina.com.cn/i/2005-03-17/0534552968.shtml
「中国」「支那」論争について考えるヒント
[編集]- 1.欧米での中国呼称
英 China(チャイナ) 独 China(ヒーナ) 蘭 China(シーナ) 西 China(チーナ) 葡 China(シーナ) 仏 Chine(シーヌ) 伊 Cina(チーナ)
本文解説にあるとおり、これらはいずれも「支那」と同語源です。特に、オランダ語・ポルトガル語での読みは「支那」とほぼ同じです。
- 2.国名は、きちんとその国での呼称に基づくべきか?
必ずしもそうはなっていません。
例 (1)アメリカ合衆国の南側で国境を接している国 現地の人は「メヒコ」と自称。「メキシコ」は英語読みをそのまま取り入れたもの。
(2)南米大陸で最大の国土面積をもつ国 現地の人は「ブラジウ」と自称。「ブラジル」は英語読みをそのまま取り入れたもの。
(3)ヒトラーやBMW・VWなどの自動車で知られる国 日本では現地の呼称にほぼ忠実に「ドイツ」と呼んでいますが、欧米ではばらばら。 英Germany・伊Germania。ローマ帝国時代のローマ側からの呼称Germane(ゲルマーネ)に由来。なお、イタリア語では形容詞形のみtedescoで、現地(Deutschland)の呼称に由来する語を使用。 仏Allemagne・西Alemania・葡Alemanhaはゲルマンの一部族であるアレマン族に由来。 ドイツ人からすれば、「さんざん勝手な名前で呼んでくれてるぜ」ってことになりそうですが、「それはおかしいから「ドイツ(ラント)と呼べ」」などとは主張していません。
(4)ノキアなどで知られ、首都がヘルシンキの国 現地の人は「スオミ」(等)と自称。「フィンランド」はドイツと同じくローマ側が「フィン人」と呼んだことに由来する単語(後ろに「国・大地」を意味するゲルマン語のlandを付けたもの。)。上で別の方も書いてますが。
(5)南アフリカに移住したオランダ人が、その地で定着させた言語 Afrikaansですね。これは「アフリカ語」という意味です(本来は)。アフリカに住んでいる人たちからすれば「十把ひとからげにしてくれるな」と思っても不思議じゃないところです。日本語では「アフリカ語」と訳すわけにもいかないから、「アフリカーンス語」となって定着していますが。でも、これだと「アフリカ語語」であって、意味がだぶってしまう問題点があります。「馬に乗馬する」みたいに。
私は「中華人民共和国」の略称として「中国」でいいと思っていますが、「支那」が差別語であるとか、中国人が使わないでくれと言っているから使うな、といった主張には同意できません。--Circodelsol 2009年1月9日 (金) 01:33 (UTC)
- 「インドシナ(半島)」項目によれば、「インドシナ」の名前の由来は、フランス人が「インドと中国の間」という意味でIndochineと命名したことだそうです。この語の発音は「アンドシーヌ」です。それが日本語ではなぜ「インドシナ」になったかといえば、語源的にIndo=印度、Chine=支那だからです(但し、フランス語で「インド」はInde(アンド))。--Circodelsol 2009年3月13日 (金) 00:51 (UTC)
- 言語学者の田中克彦氏は、訳書『トゥバ紀行』メンヒェン・ヘルフェン著(岩波文庫、1996年)の中で、「シナ」の表記を使用した理由を次のように述べています。「国家と民族は厳密に区別すべきだ」、「言語学に携わる者として「中国語」という表現はしたくない。言語は国家ではなく民族と結びつくものだから。」「中国人」という表現も、中国国民をさす場合に限っているという。
- ※「「シナ」なぜあえて使う」『朝日新聞』2003年(平成15年)6月3日付朝刊より。この紙面には田中氏の他に「シナ・支那」使用派と反対派の複数の人の意見が紹介されています。
- 食文化史研究者の篠田統は『中国食物史』の冒頭「本書を読みはじめる前に」の中で次のように述べている。「この本は最近の流行にしたがって『中国食物史』と表題を付けておいた。しかしながら、そもそも中国とは一体どこを指す言葉なのだろう(中略)日本語のシナは「中国+辺境」の総称としてすこぶる便利な言葉であった。(中略)歴史を扱うとなると、今様の「中国」では混乱を巻き起こすだけだ」。
- ※篠田統(1974)「本書を読みはじめる前に」『中国食物史』柴田書店、1~3ページ。
- ちなみに、「支那そば」という表記は現在も盛んに使用されているようですね。ネットで検索をかけるとたくさん支那そばを屋号に用いている店がたくさん出てきました。個別の事例としては慣用表現として「支那・シナ」という言葉の使用は生き続けているというのが実情のようです。--Kogane 2009年3月13日 (金) 06:16 (UTC)
支那という言葉が日本で使用されるようになった時期について、明治中ごろという説と江戸時代という説が、並立して矛盾もないかのように書いてあり、いずれも、支那を使用することの正当性の根拠として、論じられているように見えますが、このアーティクルの目的がそこになるからでしょうか。 --Sfwu 2009年7月2日 (木) 03:49 (UTC)
イギリス(Great Briten)は尊称ではありません
[編集]> 自分たちの土地・民族を尊称で呼ぶのは世界中共通したもの
この一例としてイギリス、すなわちグレートブリテンが挙げられていますが、この「グレート」は尊称ではありません。フランス語で「ブリトン人の土地」を意味するブルターニュ(半島)を「小ブリテン」とした上で、それと区別するために「大ブリテン」としているわけです。また、「大英帝国」という呼称は、British Empire の訳語として日本でのみ使われる表現です。--121.114.106.204 2009年7月10日 (金) 18:36 (UTC)