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ノート:排除アート

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中立的な観点(題材の論争的性質)

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“設置側の「排除」対象の諸行為に対する懸念と対処の根拠”への言及が題材の論争的性質にも関わらず存在しないため、中立的な観点のテンプレートを配置しておきました。“釣り合いのとれた重みづけ”を達成するためには、現状では残念ながら不足するものがあるのではないでしょうか? 少し具体的には、批判への設置者側の反応や排除アートのような設置物に対する見解、必要性の訴えに関する記述などになりますね。--61.21.153.138 2020年4月25日 (土) 13:13 (UTC)[返信]

排除アートと同じ発想ではある? それって、貴方の感想ですよね。

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記事中に"従来利用できた公共物の撤去については、人をその場から排除するという意味で、排除アートと同じ発想ではある"とありますけど、それって、貴方の感想ですよね。じゃあ、貴方は近所で従来利用できた公共物が撤去されたら、排除アートだから仕方ないなって納得するんですか? 公共物って色んな人が利用できるはずの物なのに、排除アートだからっていう理由だけで公共物が利用できる権利が奪われないといけないんですか? その公共物が利用できなくなると損失を被る人もいるわけですよね。そういう発想はないんですかね。そもそもWikipediaは百科事典であって、プロパガンダの場じゃないと思うんですけど。勘違いも甚だしいかと。--2001:F77:E380:E00:30EE:DCB7:F7A8:45E8 2023年11月29日 (水) 09:47 (UTC)[返信]