ノート:抜き打ちテストのパラドックス
この記事は2006年8月18日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
学生の推論が論理的には正しい
[編集]というのは、誤っていると思います。 「テストは行なわれない」という結論に達したわけですが、 「テストが行なわれない」ことがあり得るなら、最初の結論である 「木曜までにテストが行なわれなければ、金曜日にテストが行なわれると予測できる」すら、根拠を失います。
マーチン・ガードナーは「予期しない絞首刑のパラドックス」(『数学ゲームⅠ』講談社ブルーバックスB248)で、「囚人の行った一連の推理のごく最初の段階、自分は最終日には処刑されないと言う個所が不完全だった。最終日の前日の夕方になってさえ、(中略)彼は推論のためのよりどころを持っていない。」と書いています。
加筆依頼
[編集]他の言語の版をご参照頂ければわかるとおり、このパラドックスは「トートロジーから構成された詭弁」として片付けられるような単純なものではありません。 例えば様相論理によって理解するやり方などがスマリヤンなどによって提案されていますし、ほかにも多くの論理学者・数学者、哲学者が、多種多様な結論を出しています。 私は論理の専門家ではないし、wikiに不慣れなので、加筆を依頼します。
※加筆が必要という以上に、今の記事のままでは「このパラドックスは単なる同語反復であって論理学的に興味深い性質はもっていない」という誤解が生じかねないので、 すぐさま何らかの対処はすべきだと思います。--Galoism 2011年3月7日 (月) 12:31 (UTC)
内容説明ではテストの実施日を金曜日以外にすべき
[編集]抜き打ちテストを金曜日に実施した、という説明の場合とそうでない場合とでは、このパラドックス自体の意味合いが全く変わってしまうのではないか、と私は考えています。
このパラドックスの結末のテスト(学生の推論が裏切られ、抜き打ちテストが成功する)は、現在の本文中の説明では最終日である金曜日に行われていますが、本来は何曜日でも良いはずです。現に他言語版の記事では月曜日や水曜日などを用いて説明されています。もし現実にこのパラドックスと同じ状況で月曜日や水曜日にテストが行われれば、もちろん事前に知るすべはありませんから、私たちの日常的な感覚からしても抜き打ちテストは成功したと言えるでしょう。
しかし、本文中の説明のようにこのテストが金曜日に実施された場合は、事情が異なります。なぜならその場合、学生の推論の序盤で言われている『木曜日の夜の時点で、翌日(金曜日)がテストの日だと予測できてしまう』という事態がまさに実現してしまっているからです(英語版の記事にある解説を読んだ限りでも、学生の推論はこの段階ではまだ論理的に誤っていません。日常的な感覚から言っても、もし同じ状況で木曜日の夜を迎えれば「抜き打ちテストと言っておきながら、もう明日しか残ってない」ぐらいは気づくのではないでしょうか)。木曜日の夜の時点で、抜き打ちテストは金曜日だと事前に確定します。
本文中の説明の末尾で教師が述べている反論は「金曜日には抜き打ちテストはできない。誰もができないと考えているのだから、逆にそこでテストを行えば抜き打ちテストは成立する」というものです。この論を用いると、たとえば教師の予告が『「金曜日に」「抜き打ち」テストを行う』という(一見自己矛盾のような)不可解なものだった場合でさえ、それが抜き打ちテストだと強弁できます。むしろこの教師の反論のほうが詭弁・パラドックスではないかと受け取る読者もいるのではないでしょうか。
もし、テストを金曜日以外のたとえば火曜日に実施していれば、教師はこんな反論を用意する必要もなく、ただ黙々とテストを配り始めるだけでよかったのです。
以上が、このパラドックスの説明で金曜日以外を結末に使うべき、と私が考えている理由です。私の考えが全て正しいか断言できませんが、少なくとも、金曜日の抜き打ちテストには他の日にはない要素がある、ということは同意していただけるのではないでしょうか。金曜日の抜き打ちテストは本来のパラドックスとは別にして考えなければならない要素であり、このパラドックスに対する誤解を招くおそれがあるため、放置すべきでないと考えます。
本文パラドックス説明部分の最後
- 実際にテストを行う曜日を、金曜日からその他の曜日へ変更する
- 教師の反論のくだりは(痛快で、ストーリーのオチとしては悪くありませんが)削除する
以上2点の変更を提案します。
また、このパラドックスにおいて学生の行った考察は『妥当に思える推論から、受け入れがたい結論を導く』もので、まさにパラドックスの定義に合致するものと思えます。これを『論理学的な意味でのパラドックスではない』とする本文での主張は、他言語版の記事にはない極めて特殊なものです。
パラドックスではないことの根拠をぜひ知りたいのですが、もし事実無根の主張なら
- 記事冒頭の『パラドックスではない』という記述を削除する
この点の変更も早急に行うべきと考えます。 --deilmetra 2011年12月18日 (日) 20:27 (UTC)
テストの日は月曜でも金曜でも同じこと
[編集]マーチン・ガードナーの刑務所長と死刑囚の例では、日曜~土曜に予期しない絞首刑が執行されると予告され、木曜日に刑が執行されているが、ガードナーは「最終日の前日の夕方になってさえ、(中略)彼(=死刑囚)は推論のためのよりどころを持っていない」と書いている(数学ゲームⅠ、ブルーバックスB248 )。
またガードナーは、次のような例も挙げている。
- ある男が妻にこう言ったと仮定しよう。「ねえ、明日の誕生日には全く思いがけない贈り物をして君を驚かせてあげよう。贈り物が何であるかは、想像もつかないさ。先週、ティファニーのショー・ウィンドーで見た金の腕輪だもの」
- (中略)(妻は)夫が金の腕輪を贈っても別に驚きも何もしない。これでは夫の予言が裏切られたことになってしまう。一方、夫の予言が正しくなかったとすれば、彼女はどう推論したらよいのだろう。恐らく夫は腕輪を贈るという言葉を守って、思いがけない贈り物という言葉に反するだろう。それとも、驚かせるという言葉を守って贈り物についての言葉に違反し、たぶん新しい電気掃除器を代りに贈るかもしれない。夫の言葉がそれ自体矛盾し合う性質を持っているので、彼女には二者のうちの一つを選ぶ、論理的なよりどころを持てないのである。そこでなにが起きたか、想像することは容易であろう。彼女は誕生日に、論理的に予期することのできなかった腕輪を受け取って驚くことになる。
教師と学生の問題に戻ると、正しい推論は次のようなものである。
1 教師が本当のことを言ったと仮定する
↓
2-A 木曜までにテストが行われる場合
2-A-1 仮定は矛盾を生じない
ただし、矛盾を生じないからと言って仮定が真とは言えず、結果的に真となるだけである
2-B 木曜までにテストが行われない場合
↓
2-B-a 金曜にテストが行われる場合
↓
2-B-a-1 学生はそれを推論しているので抜き打ちテストではない
↓
2-B-a-2 仮定と矛盾する
2-B-b 金曜にテストが行われない場合
↓
2-B-b-1 仮定と矛盾する
2-B-1 矛盾が生じたので仮定が偽であるという結論に至るが、問題は2-B-a-1に根拠があると言えるか否かである。人は無意識に登場人物の言うことを少しでも多く信じようとするため、また、この場合は2-B-bが直ちに矛盾を生じてしまうため、無意識にこれを排除して2-B-aを選んでしまうが、これも結局矛盾を生ずるので、2-B-bを捨てて2-B-aを採用することには根拠がないと言わざるを得ず、2-B-a-1に推論を進めることはできないのだ。金曜にテストが行われるか否かを決定できない以上、金曜にテストが行われたとしても、それを論理的に予測したとは言えないことになる。
金曜日以外をテストの日とするべきだという議論にも典型的な例がある。「たとえば教師の予告が『「金曜日に」「抜き打ち」テストを行う』という(一見自己矛盾のような)不可解なものだった場合でさえ、それが抜き打ちテストだと強弁できます。」自己矛盾こそが本質であり、この矛盾の前では、金曜日がウソなのか、抜き打ちがウソなのかを決定できない以上、「金曜の抜き打ちテストを論理的に推論した」と主張することこそ、強弁にほかならないのである。したがって、この教師が金曜にテストを行ったとしても行わなかったとしても、それは学生には論理的には予測できないことなのである。
タイムパラドックスの一種という考え方
[編集]未来から過去に情報を伝えることができる(タイムマシン)と仮定すると、論理矛盾してしまうパラドックスをタイムパラドックスといいます。 このタイムパラドックスを解決する方法は簡単です。過去~未来にタイムマシンが存在せず、未来から過去に情報を伝えることができないと考えればよいのです。 (もし未来にタイムマシンが存在すれば、過去にタイムマシンの技術を伝えることができますから、現在にもタイムマシンが存在できるはずということ自体がタイムパラドックスです。しかし、現在タイムマシンは存在しないので過去~未来にタイムマシンは存在しないという答えになります。)
「抜き打ちテストのパラドックス」において、「木曜日の私」が、金曜日までにテストがなければ土曜日にテストがあると分かってしまうと考えます。 しかし、金曜日までにテストがあったか否かは「土曜日の私」(正確には金曜日の最終時刻の私)に聞かなければ分かりません。 つまり、先の考えは、「土曜日の私」から「木曜日の私」に対して、金曜日までにテストがなかったという情報が送れれば、土曜日にテストがあると分かるということです。
未来から過去に情報を伝えることができる(タイムマシン)と仮定していることになりますから、タイムパラドックスという論理矛盾が生じることになります。 このように「抜き打ちテストのパラドックス」を一種のタイムパラドックスと考えれば、どこで論理矛盾が生じたかが明らかになります。
「木曜日の私」には、未来の「土曜日の私」から「金曜日までにテストがあったか否か」の情報を伝えてもらうことはかなわず、したがって金曜日と土曜日のどちらにもテストの可能性があって、「木曜日の私」にはどちらか分からないということになります。
参考[1]
--きん斗雲(会話) 2021年6月19日 (土) 00:15 (UTC)きん斗雲