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ノート:手筒花火

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起源に関して

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  • 一般的な花火の発祥と「手筒花火」の発祥の情報が混同してしまって、信憑性が疑われているのではないかと思われます。双方の発祥は別々に考えた方が良いと思うのですが、一度、豊橋市商業観光課に問い合わせて、行政機関からの見解を頂いた上で再度投稿したいと思います。--Ryo Matsuoka5月6日(日)10:16

当時農村地帯であった吉田に伝わったと言う表現がなされていますが、鉄砲伝来から15年後、神社に直接技術が伝来したのではなく、今川義元の配下である当時の吉田城主による吉田神社奉納が起源とされているわけですから、矛盾は無い様に思います。(鉄砲伝来から15年もあれば、ある一定の軍機能に火薬技術が伝わっていてもおかしくは無いと思われます)--122.27.112.74 5月6日(日) 10:36

半保護依頼

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このページは現在、保護が掛かっており、編集できない形となっております。 一度、「保護」から「半保護」にして頂いて、尚且つ「加筆依頼」を掛けてより多くの情報を頂きたいと思います。--Extasy RYO 2007年5月26日 (土) 06:13 (UTC)[返信]

ノート:花火と同じ意見となりますが、Wikipedia:出典を明記するWikipedia:検証可能性をよく御覧の上、出典に相応しい書籍を探し出して下さい。人に聞いただけでは正確な出典とは言えません。又、自分で調べたのなら何の書籍は調査済みなのか、何処までは掲載されていたのかも提示しなければ、他人任せにしか見えず、協力してくださる方は出てこないかと思います。--Thats-you 2007年5月26日 (土) 21:22 (UTC)[返信]


豊橋市から、花火が発祥していない動かぬ証拠、見つけました。

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東海道名所図会 1-6 / 秋里舜福編( トウカイドウ メイショ ズエ / アキサト シュンプク ) 成立年 寛政9年刊 (1797) 内容説明 京都より江戸へ至る途中の十州の名所、古蹟、神社、仏閣などの名勝図会。

○吉田 豊川/牛頭天王祠(放花炮 六月十五日祭式)/

まず、吉田神社は、牛頭天王祠と呼ばれています。ほこら、です。やしろ(社)ですらありません。

本人は、天王宮牛頭天王社または、吉田天王社と呼ばれていたと主張しています。

さらに、明治二年(1869)三月、吉田神社と改称したとなっていますが、明治2年の三河国全図;伊那県足助庁(明治2年9月設置)印では、須佐男社になっています。当時の明治政府は、須佐男社としているのです。

次に、天王祭(祇園祭り)ですが、東海道名所図会では、六月十五日祭式、ただこれだけです。どこにも、天王祭(祇園祭り)と記載ありません。

※京都の吉田神社、京都の祇園御霊会、津島天王社と津島天王祭、これらと区別つかなくなりますよね?

それから、手筒花火ですが、放花炮、とあります。手筒、花火の記載ありません。

大辞泉

ほうろく‐びや〔ハウロク‐〕【×炮録火矢/×炮録火×箭】

戦国時代の水軍が用いた火器。火薬をこめた銅製の弾丸を布で包んで漆を塗り、木筒や鋳筒から発射する。

↑瀬戸内の村上水軍発祥です。豊橋じゃありません。


以上、豊橋以外の史料では、すべて否定されています。--124.18.138.187 2007年6月18日 (月) 11:44 (UTC)[返信]


改名提案

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「手筒花火」は、花火の種類のひとつだと考えます。このページには三河地方などの手筒花火についてのみしか記述がないので「三河の手筒花火」などに改名し、「手筒花火」は別に設けた方がいいのではないかと思うのですが。手筒花火自体は大なり小なり全国各地で行われています。この内容では他の手筒花火についての記述が出来ません。--Hide-sp 2007年8月16日 (木) 18:24 (UTC)[返信]

  • 変更してみました。なにかあれば、修正などしてください。自分としても、改名は必要ないと思います。必要があれば、「三河の手筒花火」「遠州の手筒花火」などの項目を作ってもいいと思います。--Randwick 2007年9月1日 (土) 10:32 (UTC)[返信]