ノート:我思う、ゆえに我あり
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この記事の統合について。
この記事の内容をルネ・デカルトの項目に統合したほうがよいのでは、と思っています。まだ単なる思いつきの領域を出ませんので、正式な統合提案は出しませんでしたが、思想の内容上、そろそろリンクで分けずに連続的に捉えたほうが理解されやすいのではないかと思います。
メルセンヌ訳は、本当に“Cogito, ergo sum”だったのでしょうか?
[編集]メルセンヌ訳にあたれないためデカルトの記述部分のみを修正いたしましたが、 メルセンヌのラテン語訳も“ego cogito, ergo sum”であった可能性が高いのではないかと疑っております。
どなたか、メルセンヌによるラテン語訳をご確認いただけませんでしょうか? -- Yuzo Seo
方法序説をラテン語に訳した人はクルセルでした
[編集]メルセンヌが訳したとの記述がWikipediaの各所にみられますが、これらは修正する必要があります。 また、クルセルのラテン語訳も“Ego cogito, ergo sum”で、主語Egoは記述されています。
クルセルがラテン語に訳した際にはデカルトが監修していたこと、クルセルのラテン語訳とデカルト自身がラテン語で記述した哲学原理がほぼ時を同じくして出版されていることから、この言葉に主語“ego”を含めるとの判断はデカルト自身によってなされたものと考えて、まず間違いはないでしょう。
従って、関連するWikipediaの記述からは、メルセンヌの翻訳云々の部分を削除し、デカルト自身の言葉として“Ego cogito, ergo sum”を記述するのが適当かと思われます。この修正はわたしがしてもよいのですが、かなり大幅な修正になりますので、元著者の方に修正していただくのがよろしいのではないかと思います。長期にわたり修正されないようでしたら、私が修正いたします。 -- Yuzo Seo
「解説」「後世への影響」の節にほぼ典拠が示されていません.個々の文に可能な限り典拠を与えたいのですが,もとの記述をされた方が何をもとに記述しておられるかどなたかわかるでしょうか? それから,後世への影響が2節に分けてあることですが,これは節タイトルだけ見ても内容の違いが分かりませんから統合した方が良いと思うのですが......(というか,とくに2は雑多な内容の列挙という印象を与えるものとなっているように思います.現代デカルト論集あたりを典拠に,推論説/直観説の論脈を踏まえた記述でまとめるのがよいかなあと思うのですが.)--Schweigen426(会話) 2021年6月9日 (水) 07:43 (UTC)