ノート:憶・原町無線塔
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多くの市民に惜しまれながら・・・ についてコメントさせて下さい。
[編集]Dr jimmy様、こんにちは。 熱意のこもった編集、ご苦労様です。
「多くの市民に惜しまれながら・・・ 建てられた」というのは、この記念塔が建てられた先ず第一の存在理由であり、どうしても必要な表現です。 何のためにこの記念塔が建てられたのか、当時の人々の思いが、この記念塔を建てさせたと言って過言ではありません。 当時は多くの市民の声と、莫大な寄付金と、土地購入の問題など様々なリスクがあったようです。 その市民ひとりひとりの心が、この記念塔を現実の世界に建てさせたのです。 そうした感情的な動機は、事典であっても充分に検証可能な内容であると存じております。
些細な表現云々の話かと誤解されると思いますが、単に感傷的に書いた不必要な(大げさな)表現ではないことを、ご理解下さい。--Tsubasabbs 2010年10月15日 (金) 10:43 (UTC)
- はじめまして。
- 勿論、心情的には十分理解できますし、撤去を惜しんだ市民がいたのも事実なのでしょう。しかし、それと、百科事典にどう記述するかということとは、別の問題です。「感情的な動機」を感情のままに書くことは適切ではありません。(Wikipediaの基本方針はご理解いただけているものとして話をさせていただいております)
- 本記事中、塔が撤去・解体されたという記述が三か所出てきますが、そのいずれにも、枕詞のように「市民に惜しまれながら」とつけるのは、違和感があり、その箇所だけが「感情的」「感傷的」に思えます。
- 冒頭部の説明の部分、及び「沿革」節の部分は、事実のみを淡々と簡潔に記述されている中に、そこだけ情緒的な表現が出現するのは不自然です。その2か所は、「解体・撤去された」ことだけを記述すればよいでしょう。
- 市民の思いや、建設に至る経緯については、「概要」の部分にまとめられているので、撤去時の市民の思いについては、ここに書くのが良いのではないかと思います。しかし、今の記述では、唐突に「惜しまれ」たと書かれているだけで、どのように惜しまれたのかを具体的に示すものがありません。したがいまして、もし記述するのであれば、出典を提示した上で、根拠を示して具体的に書く必要があると思います。--Dr.Jimmy 2010年10月15日 (金) 14:25 (UTC)