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ノート:憲法改正

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「世界の憲法改正」状況について、信頼が置け、なるべく最新のデータを置いている公式なウェブサイトを探しています。情報提供をお願いします。--202.91.157.37 2006年12月27日 (水) 06:05 (UTC)[返信]

「明文改憲」と「解釈改憲」の二種類があるという説明の出典は何でしょうか。憲法学に関する概説書や論文にそんなこと書いてありますか? 「憲法の変遷」に関する議論と混同しているようにも思えます。--妛彁 2007年4月15日 (日) 08:25 (UTC)[返信]

「“改憲されていないのは珍しい”なる表現はPOV」か?

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先ほど削られてしまった「改憲されていないのは珍しい」の節ですが、「改憲されていないのは珍しい」を

  • 時代に即した改善が行われていないのは珍しい
  • 時代を超えて変更する必要がなかったほど、作成当初から出来がよかったものは珍しい

といったように、護憲、改憲、どちらか寄りにも読み取れる表現になってしまっていた(反対の立場の人なら削りたがる文章になっている)どちらにしろ立場が暗に読み取れるような表現になっていたのが問題だったのだろうと思います。世界的に見て珍しいこと(特異性)を記載すること自体は(どの程度珍しいかを検証可能な出典とともに記載すれば)有用だと思いますので、(そういう、護憲や改憲に寄った説明ではなく、特異性を示しているだけであることを示せるような)表現の工夫だけだと思いますが、いい表現はありませんか?--NISYAN 2008年1月9日 (水) 04:45 (UTC)[返信]

日本中心にならないように

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どうしても日本だけのことが書かれてしまうものです。 別の記事として、「憲法改正(日本)」を作成してはどうでしょうか。 現状では、旧版に戻す必要がありそうです。--AtagoKohun会話2016年11月19日 (土) 03:10 (UTC)[返信]

日本語版 Wikipedia 自体、コメントがなければ日本のことを書く、が普通だという事実はあるかも。 そういう風にしたいと、いう、主張をする権利は、守られるべきだ。 もちろん、日本語の文献でも海外の事情を書いたものもあります。 http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/issue/pdf/0687.pdf --AtagoKohun会話2017年6月26日 (月) 13:22 (UTC)[返信]

現在日本中心にならないように

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2016年11月26日以降、「国民が統治者に国家権力の行使を信託する上で」とか「国民が統治者や為政者や公務員に国家権力の行使を信託する上で」なる文面を、とにかく入れようとする方がいますね。出典がない記述ですし、主権の所在に関わりなく、成文でありさえすればどのような憲法であってもその改正に関しての記載を行うことになる本記事には不要な記述です。少なくとも欽定憲法においては、基本的には国民は国家権力の行使を信託する立場にはないことはご存じなのでしょうか。成文憲法全般の改正に関して記載された書籍等を出典にした上で、前後文脈と合致するように記載されるならそれはそれで良いのですが、現状の上記文言は出典もなく前後文脈上も不要であることから差し戻すことになります。すると、残るのは2017年6月25日 (日) 14:40‎(UTC) の記載にて「出典」とされる日本弁護士連合会のサイトからの記述と「近代の立憲主義において」ですが、これもこの記事が成文憲法全般の改正に関して記載されているという基本を押さえると不要である事がわかります。しかし、ここ数日以内だけで見ても利用者:Muyoと私の2名に差し戻された記述を戻そうとし、その上で相手を荒らしと宣言するに至っては残念としか言いようがありません。このようなことから、まずは差し戻しておきます。--59.190.66.239 2017年6月26日 (月) 00:29 (UTC)[返信]

失礼します。欽定憲法を持ち出すのはいかがなものかと思います。人間と市民の権利の宣言の第16条の意図を理解できないのでしょうか。--220.211.68.184 2017年6月26日 (月) 10:41 (UTC)[返信]

不適切編集の除去

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以下により、今までの記事に不適当な部分があると思います。また、これらの点を配慮せず戻されたと考えますので元に戻しておきます。なお、前提として、本記事は「立憲的意味の憲法、かつ実質的意味での憲法における憲法改正について」などの記事名ではないので、形式的憲法の改正全般について記載されるべき記事である事を記載しておきます。

  • 冒頭部
形式的憲法の改正全般について記載されるべき記事であり、冒頭部に「国の成り立ちの再構築」だけを書くのは不適切でしょう。また、憲法には、欽定憲法、独裁政権の作る憲法、イスラム圏における憲法など、多様なものがあり、必ずしも憲法は国民からの信託があって成立するものとは限らないものです。イギリスのような実質的憲法しかない場合についても、本記事は視野に入れてもいいかもしれませんが、冒頭部にはそこまで書かなくていいとは思います。
支配者云々も現在の記述内容であれば単に記載者の感想であり、この記事には不要な記述でしょう。日本国外を含む世界における憲法改正に対する各国国民の態度などが、新聞記事や書籍などで裏付けられるのであれば記載しても良いでしょうが、その場合でも、多分どこかの章の中の記事にするのが適切でしょう。憲法変遷は必要なことと思いましたので適切に修正して残しています。憲法改正の限界は、冒頭ではなく章の中で記述しています。日本の憲法改正の議論については専門の記事に譲れば良く、ここに詳細を書く必要はないでしょう。
  • 憲法改正権の所在
「憲法改正権の所在」の章は、一文目だけ浮いています。「議会に立法権を保障すること」は立憲的意味の憲法を改正するときだけではなく、制定しようとする際にも必要なことでしょうから、書かれるべき記事は「憲法」(か、存在すれば「立憲的意味の憲法」)であって、本記事ではないでしょう。そうでなければ、憲法の記事の内容を延々こちらにも書く必要があることになります。
残りの記述は「憲法改正の限界」についてであり、章の名前と関係ない内容です。「憲法改正権の所在」を名前通り理解すれば、憲法改正が、国民の直接の投票、国民が特別に選出した議員の多数、連邦と州の議会の特別多数、国会議員の特別多数、独裁政権の幹部が選んだ議員、独裁者の意思、などで承認されることなどを取り上げれば良いようにも思えるが、今の記事はそうでもないと。それとも、章の名前としては、もっと抽象度の高い内容(国民の一般意志とか?)を意図しているのかもしれないが、現在の記述はそれでもないと。そのため一文目以外の内容をもって、「憲法改正の限界」の記述としています。
  • 憲法改正の手続き
名前を「憲法改正手続の目的」にしました。はじめに目的にも言及しているので。なお、篠田の論は、あくまで日本国憲法に関する話なので、削除しています。
  • 憲法改正の方向性
「憲法改正の論点」にしました。八木の論は、憲法改正の必要性について国防を取り上げと記載されることと、書籍の題名から、日本国憲法が前提の話であると判断して削除しています。非常に多くの国では、憲法の制定時にすでに国防について記述があり、細部の記述はともかく国防そのものの記述の是非が憲法改正の際の議論の対象にはならないでしょう。

以上です。--240B:12:94A0:BC00:24F7:6828:ACE9:A24 2019年9月30日 (月) 10:47 (UTC)[返信]

「憲法改正における問題点」の問題点

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最近、「憲法改正における問題点は、主として、憲法改正権の所在・憲法改正の手続・憲法改正の方向性にある」という文言を冒頭に入れようとしている方がいます。ただ、「憲法改正における問題点」の問題点は、本当にそういったことが各書籍に書かれているのか、書籍に書いてある内容をwikipediaしか見ない人にわかるように書かれているかの2点です。それらの問題点が解消されないまま、冒頭部に書かれることには反対です。

本当にそういったことが各書籍に書かれているのか

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まず、見ることができた書籍「憲法改正とは何か-アメリカ改憲史から考える」には、「憲法改正における問題点は、主として、憲法改正権の所在・憲法改正の手続・憲法改正の方向性にある」ということは書かれていなかったため出典から再度消去しています。当たり前ですが、タイトルに「憲法改正」とあれば、憲法制定時に関しての記載が勝手に憲法改正の記載内容になるとかはないです。そんな感じで、いまいち本当に出典通りの内容が書かれているか信用できない方が追加されており、書籍の情報からも「日本人必読」など日本国憲法に限定した内容のものを含むと推測されますので、後ろの記載に戻しておきます。他の書籍についても、時間があれば閲覧して、本当に記載内容が正しいのかを確認するつもりでいます。

本当にそういったことが各書籍に書かれているのか

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次に、わかるように書かれているかですが、「憲法改正権の所在・憲法改正の手続・憲法改正の方向性にある」という各用語について見てみます。

  • 憲法改正権の所在
シリーズ憲法の論点5「憲法の改正」(参照: www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/document2005.html )の7ページの記載を見ると、制憲権・改正権の話題で「制憲権と改正権の所在」との記載が出てきており、これは要するに憲法改正の限界についての話題であり、もしこの辺の話なのであれば、より分かりやすく「憲法改正の限界」などとして書かれるべきと思います。ちなみに、googleで「憲法 "改正権の所在"」と検索しても、wikipediaの本記事と「憲法改正論議について── 改正権の所在と地域住民の視点から ──」(杉山幸一)と、本記事のコピー、あとはそこからたどって上記の「憲法の改正」ぐらいしか見つからないなど、本当に見ない表現です。
  • 憲法改正の手続
どういうものかは本記事の他の部分にも書いてあり、言葉が示す内容は理解できます。
  • 憲法改正の方向性
「憲法改正の方向性」というのは、どういう内容を示しているのか。「方向性」をデジタル大辞泉で見ると、「ある物事や人物に、目指すところや向かうところがあるようす。」と書かれている。つまり、「憲法改正の方向性」は、何を目指して作られた憲法改正であるかということか?確かに、憲法改正は何かを目指して立案されるであろう。しかし、例えば民主国家であれば国民が認め、君主国家であれば君主が認めた憲法改正は、そもそも「憲法改正における問題点」があり得るのか。意図と条文の不一致とかの話か?一部の国のように民主国家なのに国民投票なく議会の承認のみで可決できる場合に問題が起こりうるのか?そのように疑問は生ずるが、説明がなく何もわからない。

--240B:253:E281:C500:14C4:32B9:BF9E:2CA4 2020年3月1日 (日) 17:38 (UTC)[返信]

上記記載後の追記

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「憲法改正権の所在・憲法改正の手続・憲法改正の方向性」はさすがに除いたものの、「本当にそういったことが各書籍に書かれているのか」という指摘に正面から答えようとしていない。「憲法改正とは何か-アメリカ改憲史から考える」の45ページは憲法制定についての話題で、本記事内の「憲法改正の限界」にも書かれているように制憲権と改正権は同等ではないとする理解(通説らしいですよ。必要ならいろいろな書籍で確認してください)もある以上、単に制憲権について書いている「憲法改正とは何か-アメリカ改憲史から考える」の45ページを引くだけで憲法改正に関する話題の出典とするのは内容が合致しておらず、明らかに不適で削除します。

また、「憲法講義(上田勝美)p286」が「憲法改正における問題点は、主として、憲法改正権の所在・憲法改正の手続・憲法改正の方向性にある」とされていたのを、数時間で『憲法改正における問題点として「誰が、どうやって、どのように」改正した(改善する)かを採りあげられることが多い』という記載に変更されたが、まあ疑問の余地はあるが、私はこの書籍は読んでいないので、現時点ではそう書いてあるものと仮定します。

次に、「憲法問答 橋下徹×木村草太」は、引用してある部分や書籍の情報から、日本国憲法の改正に焦点を当てた書籍と推認され、引用部分も日本国憲法固有の話題を前提にしているような書きぶりで、冒頭部に記載する上での出典として十分とは考えない。これらの理由で編集を行いました。--240B:253:E281:C500:286E:C45B:7F2C:73F3 2020年3月2日 (月) 04:20 (UTC)[返信]

『「誰が、どうやって、どのように」改正した(改善する)かが課題となる』への批判

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現在、憲法改正について、はじめの部分に『「誰が、どうやって、どのように」改正した(改善する)かが課題となる』と記載があるのですが、本当にそういったことが出典の各書籍に書かれているのかという疑問を持っています。なぜなら、憲法制定であればともかく、憲法改正は通常、憲法自体に定める改正手続きにもとづいて改正されるもの(そうでなければ革命)であり、改正手続きがそうである以上は「誰」や「どうやって」は憲法に書いてある通りになるのであって、通常は課題にはならないと思われるからです。なお、フランス憲法が憲法改正条項に定める議会の関与はなく、大統領の提案と国民投票で改正されたことはありますが、それは個別の憲法の条文設計やフランス政治の問題であって、一般的な憲法改正の問題とは思われません。

今の記載では、そのような疑問を有した場合に参照できる記述もなく、もし本当にそのようなことが各書籍に書いてあるのであれば、wikipediaの現状の本記事は不十分な記載と考えられるでしょう。これが、憲法改正手続きを設計するに当たっての課題というのであれば、記述内容としてはわかりますが、それであれば今の文章はそのような意味にはならず、そのように記載を変更されるべきであると思われます。古い書籍もあるので見ることが難しいものもありますが、出典の書籍を見ることができたら、上記を踏まえて修正など(前回同様に、出典の記載事項とかけ離れていた場合は削除)をしたいと思います。私は本日はこれ以上編集しませんので、『「誰が、どうやって、どのように」改正した(改善する)かが課題となる』の記載者や、それに戻したりする方は、本記載を見てよくご検討いただきたいと思います。--101.141.79.114 2020年3月4日 (水) 10:34 (UTC)[返信]

冒頭部編集について

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現在、冒頭部に『「誰が、どうやって、どのように」改正したか、あるいは改善するかが課題となる』とする記載を加えようとする人がいます。しかし、私はこの記載内容は上記にも記載されているようにふさわしくないと考えており、記載するのであれば冒頭部ではなくそれなりの章立てをして中立的な観点から記載されるべきと考えます。本件について、賛否や改善提案などのコメントをいただければと思います。

(追記)編集者(2400:2200:4F5:7532:BAF4:721E:42:3178)は、私をソックパペットと主張されていますが、これは本記事(憲法改正)の経緯からそう主張しているようですが、単に所用でリアルの所在が違うだけであることをコメントしておきます。なお、編集者(2400:2200:4F5:7532:BAF4:721E:42:3178)やこの編集者と同一人と思われる方は、本記事(「憲法改正とは何か-アメリカ改憲史から考える」)や憲法改正論議(「日本反核化法律協会」)において、出典元に書かれていない内容を書かれていることにされています。正しい内容か確認するだけでも結構前の出典元の書籍を入手して確認する必要があり、けっこう困っています。--101.141.79.114 2020年3月9日 (月) 00:16 (UTC)[返信]
  • 賛成。

 「『誰が、どうやって、どのように』改正したか、あるいは改善するかが課題となる」は、意見を事実として記している。
 また現状出典元が三つも並べられている。しかし上田勝美氏・樋口陽一氏・橋下徹氏・木村草太氏のうち一人が本当に「『誰が、どうやって、どのように』改正したか、あるいは改善するかが課題となる」と述べている、というなら、出典元を明記しているとは言えない。--伊藤太郎会話2020年3月31日 (火) 03:19 (UTC)[返信]

削除不要。出典を例示した事実の言い換えと、反対意見がある場合の引用との認識誤りですね。---

「出典を例示した事実の言い換えと、反対意見がある場合の引用との認識誤りですね。」という記述もよく意味が分かりません。

「誰が、どうやって、どのように」というのは引用の要件をみたしていないと思います。--伊藤太郎会話2020年10月10日 (土) 13:46 (UTC)[返信]

出典の適切な言い換えの範囲。伊藤太郎の個人的な論争。--2400:2200:43D:E565:54D7:73BB:2DE3:7B73 2020年10月12日 (月) 03:42 (UTC)[返信]

失礼します。伊藤太郎さんは何が不満なのか全くわかりません。事典の向上をお願いします。--153.196.189.126 2020年10月12日 (月) 04:09 (UTC)[返信]

伊藤太郎氏以外、適切な言い換えの範囲と思っている。--2400:2200:255:8566:AB4E:EC5:D7A7:6844 2020年10月12日 (月) 15:29 (UTC)[返信]

導入部は、各種の出典を例示して、事実を要約し、かつ、児童や学生に分かりやすく表現したものです。何も問題ありません。--2400:2200:255:9FE4:5117:B7AC:9FC7:4F 2020年10月16日 (金) 23:08 (UTC)[返信]

失礼します。導入部は、事実を分かりやすく述べたもので、中立的かつ普遍的な表現です。出典は日本語に限ったものですが、記述を裏付けるのに適切なものです。両IP氏のコメントは引用以外を認めないとするもので、ウィキペディアの理念とはかけ離れており、かつ記述内容を反証する事例もなく、また問題提起後の書き込みもありません。論争を好む目的外利用者のミートパペットやソックパペットである可能性が高く、結局、伊藤太郎氏の読解力や加筆技術の問題となっています。--2400:2200:4F0:ABFB:5E1B:6CA1:C4E8:551E 2020年10月20日 (火) 15:07 (UTC)[返信]

  • 伊藤太郎の最近の参加状況をみると3RRと特定の記事のリンク切れタグ貼りばかり。伊藤太郎はウィキペディアの根本理念である質量ともに世界最高の百科事典を作るつもりが全くないことが良くわかるコメント。もう現れない101.141.79.114もそうだが記事も書かずに字面のみを見て文意を理解しないまま暇つぶしのようないちゃもんをふっかけるばかりの目的外参加者は遠慮願いたい。--2400:2200:531:AA00:9700:86BE:4E80:D694 2020年10月24日 (土) 06:56 (UTC)[返信]

中立的な記述。101.141.79.114が参加をやめてすぐ参加した伊藤太郎は、参加後10回程度の履歴で論争を始めており、共にソックパペットやミートパペットかつほかのアカウントの不正使用が強く疑われる。--2400:2200:4D4:573:312B:D5F8:F2BE:1677 2020年10月24日 (土) 10:25 (UTC)[返信]

冒頭部の編集について

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現在、冒頭部の出典付記述を削除しようとする人がいます。しかし、私はこの記載内容は上記にも記載されているようにふさわしいと考えており、削除するのであればそれなりの出典を付けて反論されるべきと考えます。本件について、賛否や改善提案などのコメントをいただければと思います。

参考に、Wikipedia:中立的な観点の一文を引用します。

「ウィキペディアが目指すところは、論争を記述することであり、論争に加わることではありません。」

件の方は、記事の向上についてご一考ください。--2400:2200:510:BACD:D33D:4FCB:62C6:B501 2020年11月16日 (月) 22:38 (UTC)[返信]



伊藤太郎氏は、出典が変わったあとでの101.141.79.114氏や他の方のコメントがあるまで、個人攻撃や発言を控えてください。。現在、59.190.66.239氏と240B:253:E281:C500:286E:C45B:7F2C:73F3など(携帯電話のIP範囲かと思われる)も含めて伊藤太郎氏のソックパペットやミートパペットの可能性があります。--2400:2200:4D7:B0ED:6FF7:ADF8:4C28:CEB6 2020年11月19日 (木) 21:25 (UTC)[返信]

  • 59.190.66.239氏、240B:253:E281:C500:286E:C45B:7F2C:73F3氏は別人。

Wikipedia:個人攻撃はしないに抵触したことはない。

2400:2200:4D7:B0ED:6FF7:ADF8:4C28:CEB6は管理者ではないから、こちらが編集をやめるつもりはない。--伊藤太郎会話2020年11月20日 (金) 14:55 (UTC)[返信]

記事破壊など行っていません。またあなたはブロック期間中さらにブロック期限の変更を受けました。

あなたに指導される筋合いはありません。

論点などについてはノート:憲法改正論議へ書いています。--伊藤太郎会話2020年12月6日 (日) 03:46 (UTC)[返信]

当ページに関するコメント依頼をここに記録します。--伊藤太郎会話2021年2月23日 (火) 07:04 (UTC)[返信]

Wikipedia:コメント依頼/2400:2200:5B1:6A3E:46CF:3559:250F:DE14他