コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:意識

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

記事についての意見

[編集]
量子力学と意識は突き詰めると同じところに行き着くと思われるが、まだはっきりした事はわかっていない。
  • この書き方がかなり根拠レスに思えます。

というより、この文を書いた人間の主観的コメントではないのでしょうか? もし根拠があるなら、その発言をした人間からの引用などを明記するべきだと考えます。

そうでないと,, なんかエセ科学っぽいイメージを与えかねないと思うのですが (署名なし 確認済みby--Seihonda 2006年3月28日 (火) 13:35 (UTC)[返信]


  • うまくまとめられないものかのう…

意識(いしき)は脳の働きが活性化し、五感に対する刺激を感じ取ることが可能な状態である。「意識がある」とは、脳において刺激を認識することが可能であり、刺激に対し明確な反応を示す状態を指す。「感覚」「感情」「観念」を見出すことができる。

無意識(むいしき)は五感に対する刺激が脳で感じ取られず、刺激を認識していない状態である。刺激に対する反応が部分的な状態である。「意識がない」とは、脳の働きが部分的に停止し、刺激の入力を拒否した状態をである。「気を失う」とは、過剰な刺激に対しショックを受け、脳の働きが停止した状態である。「ショック状態」も同意である。 無意識は時に意識に出ることがあり、それを前意識という。

分野に応じて様々な考え方があるようなので、分野別に整理できるように手直ししてみました。支障があれば、修正をお願いします。CharBow 14:00 2004年2月14日 (UTC)


> 「気を失う」とは、過剰な刺激に対しショックを受け、脳の働きが停止した状態である。「ショック状態」も同意である。

脳の専門家ではないですが、素人には「脳の働きが停止」というと脳死のような状態に取れてしまいます。停止はしていないのですよね?--しまでん 2004年11月16日 (火) 13:02 (UTC)[返信]

カテゴリ整理

[編集]

Category‐ノート:精神医学の議論の従い、この記事を一端Category:精神医学から外してCategory:医学に集めた後、どのように再分類すれば整合性が良いか考えて参りたいと存じます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。--Tanadesuka 2005年1月17日 (月) 10:34 (UTC)[返信]

修正しました

[編集]

「量子力学と意識」の項目に、加筆してみました。Quantum Mind の内容は英語版にはあります。量子意識と訳すのがベストなのかどうか分りませんが、量子心よりは良いのではないかと思います。Wikipediaに投稿するのは初めてです。変なところはご指摘下さい。 --かずぴょん 2006年9月20日 (水) 03:17 (UTC)[返信]

冒頭部定義および全体の再編について

[編集]

本項目の現在の内容ですが、冒頭部で「この項目では、以下の意識について解説する」と述べて、医療分野および哲学分野(?)における定義を挙げているにもかかわらず、本文中ではそれにとどまらない諸分野の定義を解説するというちぐはぐなことになっています。また、現在本文の冒頭にある「意識という言葉の様々な意味」というセクションには、哲学、心理学、心の哲学などの分野における諸定義がばらばらに組み込まれており、全体の序論としてはふさわしくないように感じます。様々な人が加筆した結果だと思うのですが、そろそろ再編してはいかがでしょうか。私の案としては、

  1. 冒頭部の2つの定義は本文中のふさわしいセクションに移動。
  2. 代わりに、2009-10-24T12:58:26時点の版まで書かれていた「この意味の違いに応じて、意識とは何かという問いへの説明もまた異なったものとなってくるが、「意識」という語をどう定義するか、という問題に対する学者の間での統一見解はない。諸所の意味の説明は当記事の後の部分および単独記事にゆずり」という部分を冒頭部分に戻す。
  3. 現在本文の冒頭にある「意識という言葉の様々な意味」というセクションは、サブセクションごとに検討して、哲学、心理学、心の哲学、日常会話における用法(?)の各セクションの一部として吸収する。

といった感じです。仏教用語の「意識」について別項目が作られていますが、今日の日本語で使われている意識はたぶん西洋思想由来の用語であり翻訳にあたってこの仏教用語から言葉だけ借用したのではないでしょうか。今日の通用から考えて、otherusesで誘導することには異議はないのですが、そのあたりの語源的な話もそのうち誰かが加筆してくれるとよいと思います。思いっきり人任せですが。--tmonzenet 2010年3月6日 (土) 14:36 (UTC)[返信]

特にご意見を頂きませんでしたので、再編しました。順序の変更と体裁の整序にとどめ、大きな内容の改変は行っていません。--tmonzenet 2010年3月24日 (水) 14:31 (UTC)[返信]
遅ればせながら・・・Tmonzenetさん整理、ありがとうございます。神経解剖学関連の記事の体裁を整えるあたりに少し労力をさいてきましたが、そのうちに、この記事の整理にも少し参加できればと思います。この概念の書きにくさの理由は色々あると思うのですが、現時点としては歴史的な観点から整理するしかないのかな、と思います。歴史的には、この概念は仏教や西洋哲学等、世界の各地で独自の思索が進み、19世紀末期から心理学で一度科学として主題化されるものの、行動主義的な立場の隆盛でまた科学の世界ではタブー化され潜るようになりました。20世紀末から再び議論が活性化し、ツーソン会議ASSCなどの学会で、全世界的に、分野横断的な議論がやっと行われるようになりました。ここで初めて各分野の色々な意味の区別が、ある程度、世界的に共有される形になってきました。こうした歴史的経緯を踏まえた上での、現代の視点からの概念の整理、という形で、記事を整理したいと思ってます(いつになるか分かりませんが・・)。--Was a bee 2010年5月25日 (火) 14:01 (UTC)[返信]
追加。もうひとつややこしいのが、少なくとも「意識」を対象とした研究をおこなっている研究者で、ツーソン会議周辺で行われている議論を知らないという人はまずいないかと思います。しかし同時に、実務で日常的に「意識」を扱う人、狭い意味では救急隊員や麻酔科医や神経外科医、広い意味で精神科医から宗教家まで、でこうした議論を知っている人はかなり限られているだろうと思います。この理由はまずテキストで扱われていないためですし(書いてあっても前書きや後書きにさらりと書いてある程度です)、そしてそうなるだけの理由、実務の世界に下ろせるほどの具体的な結果が特にまだ何も出ていない、現在のような形で議論が始まってまだ間もない、いつまで続くかも分からない、といったことがあります。つまり議論として現状最も盛んな場所での内容が、実際の現場ではほとんど知られていない、という状況があります。この現場と研究の場の間にある著しい乖離または分離、ここがこのテーマについて、現時点において、包括的な形で書きにくいもうひとつの理由かと思います。--Was a bee 2010年5月25日 (火) 16:31 (UTC)[返信]