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ノート:悪魔と神 (ハンドル)/削除

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困ったさん

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商業誌にも紹介されたようですが、いずれにせよ(現時点での記事を見る限りは)現在もよくいる「ネット上の困ったさん」の一人にしか思えません。「魔女 (ハンドル)」とは異なり、独立した記事として存置させおくことに少しの意義も見出せないのですが、他の方はどのようにお考えでしょうか?--210.228.201.251 2005年12月12日 (月) 07:48 (UTC)[返信]

「現在もよくいる・・」程度なら名前は残らないし、語り継がれることもない。当時、癖のある人物は幾人もいた(魔女もそのひとり)が、そういった者たちのなかでもずば抜けていたのが悪魔と神だ。前人未踏という言葉があるが、悪魔と神は良くも悪くも前人未到の領域に踏み込んだからこそ、一方では徹底的に嫌われ、もう一方ではフアンが付き支持もされた。領域が開拓された後に、似たようなことをする人たちとは比較にならない。また悪魔と神は、魔女と親交があり、数学者の大久保謙二郎(ハンドル、隠居)や北大講師石川栄一(ハンドル、/栄/)とも絡み合いを見せていたが、パソコン通信揺籃期(開拓時代、という言い方もある)ゆえに輩出した人物と言えるかもしれない。--219.165.15.43 2005年12月13日 (火) 11:01 (UTC)[返信]

要は「困ったさんのパイオニア」ということでしょうか。いずれにせよ、パソコン通信の一利用者私人に過ぎないのでは?
なお、削除依頼に出されたようですが、個人的には時期尚早ではないかと思います。賛否権が無いのでここでコメント。--210.228.201.251 2005年12月13日 (火) 11:28 (UTC)[返信]
パソコン通信では私人が大多数です。「一利用者私人」を問題にするなら、これに該当する人ですべてが対象になります。当然、インターネットで活動している人も含みます。また、人物評価による区分け(項目を作る、作らない)理由は意味ありません。例は良くないかもしれませんが、大久保清の項目もあります。
特定分野の人にしか知れられてない人の項目もありますので、世間一般での知名度とも切り離して考えるべきことです。--Sagesword 2005年12月13日 (火) 12:51 (UTC)
「困ったさんのパイオニア」ということで(閉じた世界の中では)有名な方なのかもしれませんが、その業績といえば暴言を吐いて投稿ブロックされるウィキペディアンと大差ないように思います。また、大久保清は十分に有名な人物ですから、パソコン通信の一利用者と同列に扱うのはいかがなものでしょうか。
蛇足になりますが、削除依頼サブページにおいてIPユーザーや投稿回数50回未満のユーザーに賛否権はありません。--210.228.201.251 2005年12月13日 (火) 14:29 (UTC)[返信]

事態の変化

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Nekosuki600 さまが 2005年12月22日 (木) 15:25 に、当該ページ「悪魔と神 (ハンドル)」の改訂(版間での差分: [1])をなさったことにより、事態に変化が生じています。詳細は、版間での差分をご覧頂くとして、そのポイントを指摘いたします。改訂の大きな特徴は――、

  1. 「雑誌「AERA1990年10月2日号)」などでも紹介された、と記述し、ニュースソースの特定をされた点
  2. マスコミ報道を通じて「パソコン通信は無法地帯」というイメージを広げることにもつながった、と記述し、当時の社会的影響についての説明が付加された点
  3. 良くも悪くも、パソコン通信からインターネットにつながる流れにとって、大きな影響を与えた、と記述し、当時のパソコン通信時代から今日(こんにち)のインターネットに至る歴史的記述(歴史的意義)が説明された点

――など、一定程度の条件を兼ね備え、ウィキペディアのスタブ記事として許容される記述へ変化した思われます。
- Opponent 2005年12月24日 (土) 10:00 (UTC)[返信]

次に、ゆきちさまが、Wikipedia:削除依頼/悪魔と神 (ハンドル)に書かれた「私人であるようです」という理由につき考察を加えます。当該ページ「2005年12月24日 (土) 18:30」現在の記述によりますと、説明されている内容は、公開されたパソコン通信上で「悪魔と神」というハンドルを利用した活動の説明にすぎず、「悪魔と神」というハンドルを利用された人物(単数・複数に限らず)の私生活や職業など、いわゆるプライバシーに属する事実は、まったく記述されていません。過去に「悪魔と神」というハンドルを紙媒体で読んだ記憶がございますが、マスコミ紙のコラムのようなところで読んだ記憶と、もうひとつは Nekosuki600 さまご指摘の雑誌「AERA」で読んだのではないかと思います。それら紙媒体の記述も、ハンドル「悪魔と神」なる人物のパソコン通信上でのふるまいに限られ、プライバシーを侵害するような私生活における秘密の暴露は一切なかったと思います。したがって現状の「悪魔と神 (ハンドル)」記事が、プライバシー侵害の構成要件を満たすとは考えられません。改訂履歴に残されたいずれの版を利用しても「悪魔と神」というハンドルを利用された人物を特定することは不可能だからです。
- Opponent 2005年12月24日 (土) 10:00 (UTC)[返信]
- Opponent 2005年12月24日 (土) 10:05 (UTC): 「改訂履歴に残されたいずれの版を利用しても」を付加[返信]

新聞雑誌が取材したら全員公人なのでしょうか。ゆきち 2005年12月24日 (土) 14:44 (UTC)[返信]

少なくとも、「検証可能性」という点では問題はクリアしたと思います。「プライバシー侵害」という意味でも問題はありません。ネットワーク上のユーザのある種の類型の先陣という位置づけも明記しました。まだなにが不足なのでしょうか。--Nekosuki600 2005年12月24日 (土) 15:15 (UTC)[返信]


読ませていただきました。お答えします。

1.この記事は、特定個人の評価を行うものでは無い。

この記事では、個人の業績の評価を行ったりするものではありません。少なくとも、個人の名前を表題に使うのは、不適切です。

2.検証可能な資料があるからといって、私人性を剥奪されるものでは無い。

雑誌に載ったから私人では無い、というのはおかしいです。そんなことしたら、雑誌の常連投稿者や2chの固定ハンドルも全員公人ですかね。掲載された限りにおいては、その名前を出すのにはやぶさかではありませんが、少なくとも、文脈上必要とされる限りにおいて、名前を出すだけで、その個人の私人性を奪うものではありません。実は、ネット上のニュースサイトに僕の名前が載っているのですが、だからといって、僕の私人性は保たれないわけではありません。あくまで、その記事の文脈上において名前がでているだけです。

3.この記事は、騒動に関する記述を行うのが目的であって、個人の実績を評価するものでは無い。

要するに、この記事は、「こんなことがありました」というだけの話であって、特定ハンドル(個人)の実績を評価することを目的とした記事ではないでしょう。僕の読んだ感想は「はっつぁんがまた馬鹿やらかしたってさ」「まったく仕様がないやつだなー」という会話程度のものしか受け取れません。

ゆきち 2005年12月24日 (土) 15:51 (UTC)[返信]

私人性問題については、現在井戸端で議論中です。
そもそも「私人か公人か」は、首相の動静問題を例にとるまでもなく、きっぱり区分できるものではありませんし、それが誰であろうとも(小泉首相であろうとも)私人性が全く否定できるわけではありません(だからってここで靖国参拝に同意するとかしないとかいう話をする気はないが)。きっぱり区分できる基準ではないし、万民に私人性がある以上、「私人性がある」という理由での削除要請は不適切でしょう。その削除理由が通るのであれば、全ての個人項目を削除せにゃならなくなりますな。
その「私人である」という理由で削除要請ができるというアイディアがどこから出てきたのかが、ぼくにはよくわかりません。ま、「無名個人をあげつらうようなかたちでのプライバシー侵害は好ましくない」「無名個人の場合、実績についての検証可能性が低い」といった理由で「無名なひとの項目作成や無名なひとへの言及は抑制的かつ慎重であるべきだ」というまっとうな留意事項が、いつのまにか「私人である→削除すべき」に転化したのだろうと思いますが、それはそもそもの問題点の把握を間違っているのではないでしょうか。
あなたにとって、悪魔と神氏がどの程度衝撃的であったのかは、おそらく想像がつかないのではないかと思います。今となっては類似した行動様式のユーザは山のようにいますからね。先人の衝撃性というのは、それがあたりまえになってからではよくわからないのは無理もないことと思います。しかし、それは時代のバイアスがかかっているのであり、「自分の感性もまた時代の制約下にあるのだ」ということは認識しておいた方がよろしいのではないでしょうか。
--Nekosuki600 2005年12月24日 (土) 16:05 (UTC)[返信]
小泉純一郎の場合は、公務を行いつつ、私人として行動することがややこしいのであって、件の人物の場合、公的な業績が認められません。靖国云々を持ち出すのは、まったく以って筋違いです。彼は、この名前で何らかの業績をあげたのでしょうか。そうなら、なぜ生年月日、出身地、没年などの個人を示すデータがないのでしょう? 彼の職業は? 家族構成は? 学歴は? このままでは、どんなに言われても私人であることは疑いないことなのですが。申し訳ないですが、個人の領域で問題行動がいくら話題になったからといって、個人の業績としてメディアに出たのでもない限り、公的な業績を認めることは出来ません。雑誌に載ったくらいだったら、人気ブログの作者はほぼ間違いなく公人でしょう。「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#何か変だと思ったら」にある一文をとくとお読みください。あと百年経っても、僕は彼を私人だと思うだろうし、現場に立ち会っても、この記事の有用さを認められないでしょう。ゆきち 2005年12月26日 (月) 08:59 (UTC)[返信]

確認要請

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確認しておきたいんだが。
これまで探した範囲では、Wikipediaに「私人の項目は作ってはならない」というガイドラインはありません。プライバシー侵害につながる可能性があるとか、検証可能性が低いとか、そういう場合には記事を作るべきではないという基準はある。しかし「私人である」「私人性がある」ということをもって「記事を作ってはならない」というガイドラインはないのです。また、ゆきちさんの発言を見ると、「私人」と「公人」の区別は、明確な基準があってのことではなく、ゆきちさんの個人的感覚で決められているように見える。それはそもそも「私人とはなにか、公人とはなにか」の議論にすら至っておらず、単なる個人的評価にすぎないのではないかという疑問を感じます。
別にさあ。ゆきちさんにこの項目を評価してもらわなくてもかまわないし、必要だと思ってもらう必要もないのです。誰にとっても、「評価に値せず、必要でもない項目」なんて、Wikipediaには山ほどあるのですから。削除を求めるに必要なことは「この項目が存在することでどのように有害なことがあるか」の説明であり、その有害性が存在のメリットを上回ることを説得しなくちゃならない。しかしながら、あなたにはそういう説明が全くできていないのです。
--Nekosuki600 2005年12月26日 (月) 09:18 (UTC)[返信]
悪魔と神 (ハンドル)については直接知らないのですがあめぞうといった人と同程度以上の業績があるのならばWikipediaに載せない理由はないと思います。--222.144.5.199 2005年12月26日 (月) 10:13 (UTC)[返信]
いわゆる「業績」ではなく、「社会的事象」の先駆けと解すべきだと思います。「この項目を評価してもらわなくてもかまわないし、必要だと思ってもらう必要もない」という点に同意しますが、ゆきちさまには、削除依頼を撤回していただきたいと思います。撤回によって削除依頼手続の進行を一旦止めていただくよう。そこで項をあらためまして次に項目を立てます――。
- Opponent 2005年12月26日 (月) 15:56 (UTC)[返信]

再度再考を求めます

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さて、現在井戸端でも議論中ですが、個別の議論からの問題点抽出もできると思いますので、ここでも議論を続けましょう。なぜならば、ことハンドル問題に即して議論するうえで、「悪魔と神 (ハンドル)」は一つの典型例だと思うからです。

Wikipedia:井戸端/私人・公人についてで「リヴァーベンド」(ハンドル)を例に挙げ、「リヴァーベンド」を名乗る人物が実在の人物であるかどうかの検証ができないと説明いたしました。「悪魔と神」を名乗る人物の検証ができない点で同じだと思います(もし検証できる根拠をお持ちなら、ご呈示くださいませ)。あなたのおっしゃる「なぜ生年月日、出身地、没年などの個人を示すデータがないのでしょう? 彼の職業は? ……(省略)」などのデータはもとより、ハンドル「悪魔と神」を用いて、PC-VAN で活躍なさった人物が一人であるか複数の手分けで執筆したのか、それすら検証できないと思います。

リヴァーベンド」についてもそれらデータはまったくございません。彼女(もしくは彼)が公開された場所に出てくるのは、ブログだけなんです。単なる一人のブロガーであって、生年月日、出身地、その他、すべて未確定です。ブログの文章からいろいろな憶測や推測がされ、若い女性らしい、などと推定されていますけれども、検証することはできません。なぜなら合衆国政府やイラク移行政府による捜索・追跡から逃れなければ生命に危険があるからです。

この点について、たらこさまから、「リヴァーベンドという『事象』が確認できればよいのであって、『人物(中の人)』を検証することは必ずしも必要でないでしょう」、とご指摘をいただきました。さらに「中の人はともかくとして、リヴァーベンドとしての活動記録を追っていけばよい」とのご指摘もいただきました。

ですから、「悪魔と神」というハンドルを用いてパソコン通信での発言によって生じた、パソコン通信上でのさまざまな事象、あるいはそれがマスメディアなどに紹介されたため生じた社会的波紋という「事象」を記述する記事はあってしかるべきだと思います。その際、記事名「悪魔と神」が適切だとも思います。

全国紙が取り上げ(紙名、日付の特定はできませんが確かに読んだ記憶がございます)、雑誌「AERA(1990年10月2日号)」が取り上げた(確かめておりませんが AERA のこの記事でハンドルを記憶したような気がいたします)その事実は、報道された時点で特定分野「パソコン通信」の領域を離れ、社会的事象になったことを意味すると思います。「雑誌の常連投稿」などではなく、報道機関がパソコン通信上で生じた事象を取材し、一般社会に向けて紹介する記事でした。ですから「こんなことがありましたというだけの話」ではなく、一般の認知度が低かったパソコン通信で起きている事象の紹介を通して、社会的事象としての「パソコン通信」について、その背景や意味を問う性格の記事だったと記憶しております。

今となってはよく見かける「ネット上の困ったさん」に似ておりますが、社会現象としては規模の小さなパソコン通信上でしかみられない「特異な存在」だったと推察いたします。Nekosuki600 さまが「悪魔と神氏がどの程度衝撃的であったのか」とおっしゃるのはそういう意味だと理解いたしました。そのような衝撃力ある人物による事象が、どのような変遷を通じて現在の状況に至ったかを知る一つの素材として、記事「悪魔と神」の意義は小さくないと思います。

繰り返しになりますが、改訂履歴に残されたいずれの版を利用しても「悪魔と神」というハンドルを利用された人物を特定することは不可能であることをもう一度ご注目いただきたいとも申し上げておきます。

これら諸点につきつぶさに検討いただくよう、再度再考をお願い申し上げる次第です。 Nekosuki600 さまご指摘の「この項目が存在することでどのように有害なことがあるか」のご説明もお忘れなく。
- Opponent 2005年12月26日 (月) 15:56 (UTC)[返信]

参考資料

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(アーカイブ以外は一通り目を通しました)