ノート:恵方巻/過去ログ1
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なぜ?
なぜ恵方巻を食べるのですか? —以上の署名の無いコメントは、218.43.37.115(会話・履歴)さんによるものです。
- 不思議です。各説あるようですが、「太巻き」と祈願や厄落としの繋がりがわかりません。なぜ「太巻き」?そしてなぜ「節分」に?--124.147.79.138 2008年2月3日 (日) 04:05 (UTC)
- 節分自体が陰陽五行の影響のあるイベント事なので、五行思想で考えてみると…春が来るのに障害となる"金気"を「笑い」という"火気"で滅ぼす(火剋金)必要があります。"火気"の勢いをサポートするためには「木気」のものでサポート(木生火)すればよい。つまり、"木気"を体内に取り込んで「笑う」とよい。"木気"=酸っぱいもの。太巻き寿司は寿司飯が酸っぱいので理に適っています。梅干のように酸っぱすぎると笑っていられないかもしれません。個人的には何故ミカンじゃダメだったのかが疑問ですが…--Orixa 2009年2月7日 (土) 11:52 (UTC)
- http://gogen-allguide.com/e/ehoumaki.html --Yamagashi 2009年2月3日 (火) 10:54 (UTC)
- 「五行思想の木気で、酸っぱいを食べる。その酸っぱいものが寿司飯を使用する太巻き」と言うのは、後付けの理由だと思いますけどね。--121.102.97.42 2010年1月16日 (土) 03:37 (UTC)
- 節分自体が陰陽五行の影響のあるイベント事なので、五行思想で考えてみると…春が来るのに障害となる"金気"を「笑い」という"火気"で滅ぼす(火剋金)必要があります。"火気"の勢いをサポートするためには「木気」のものでサポート(木生火)すればよい。つまり、"木気"を体内に取り込んで「笑う」とよい。"木気"=酸っぱいもの。太巻き寿司は寿司飯が酸っぱいので理に適っています。梅干のように酸っぱすぎると笑っていられないかもしれません。個人的には何故ミカンじゃダメだったのかが疑問ですが…--Orixa 2009年2月7日 (土) 11:52 (UTC)
笑いながら食べる?
笑いながら食べるという風習は寡聞にして知りません。地域によってはそういう食べ方もあるのでしょうか。「笑いながら」を追記した方には出典の提示をお願いしたく思います。ちなみに「恵方巻 笑い」でGoogle検索したところ、この項目を引用したブログが次々と出てきたことを付け加えておきます。--Avanzare 2007年2月7日 (水) 02:23 (UTC)
- 初出を探しましたら、「節分」の項のこれ[1]でした。新しい風習でも広めたかったのでしょうか?不自然な強調まで付けています。--Album 2007年2月7日 (水) 02:29 (UTC)
- いつかテレビで中村玉緒氏が「うちの実家では笑いながら食べる」と言っていたような記憶があります。京都の旧家では今でもそうしながら食べていると聞いたことがあります。--202.214.60.66 2007年2月7日(水) 14:22(JST)
- Wikipedia:検証可能性の観点から、文献が出ると良いですね。個人的には、怖い顔をして食べるよりは笑顔で食べた方が楽しいとは思いますが。。--Album 2007年2月7日 (水) 06:31 (UTC)
- 予告させていただきますが、9日中にWikipedia:検証可能性を満たさない場合は、「笑いながら」という「外部リンクの説明サイトにすら無い記述」はノートへ移動します。査読制度のある出典の提示をお願いします。(もちろん、今晩、誰かが除去するなり、ノートに移動するなりしても、異論ありません。)【補記】セブンイレブンのサイトですが、「目を閉じて」は一応載っていました[2]。--Album 2007年2月8日 (木) 08:50 (UTC)
- Wikipedia:検証可能性の観点から、文献が出ると良いですね。個人的には、怖い顔をして食べるよりは笑顔で食べた方が楽しいとは思いますが。。--Album 2007年2月7日 (水) 06:31 (UTC)
下記の問題部分を、こちらに移動しました。Album 2007年2月10日 (土) 00:30 (UTC)
「食べる際、恵方を向き、しかも笑いながら[要出典]無言で食する必要があると考えられている場合も一部の地域である。しかし恵方巻としての必須の要件は恵方を向くことのみであり、従来から恵方巻の習俗が存在した地域でも、「笑いながら」「黙ったままで」など地域によって異なる。」
私はずっと大阪にいるんですが、ものごごろついたとき(昭和50年代前半)にはすでにしておりました。 やり方は、太巻き一本を恵方を向いて無言で一気に食べるです。 切り込みなどがある普通の寿司ではありません。その理由は、切れたり、途中で休むと、縁が切れることに通じると言うことでタブーにされてます。ひとまずご参考まで。--瑞雲 2008年1月31日 (木) 06:03 (UTC)
- 恵方巻とは別に『初物を食べる時は、東を向いて笑いながら食べる』という風習があります。どこかでこれと混じってしまったのではないでしょうか。--死郎 2008年1月31日 (木) 07:41 (UTC)
- 私も関西人です。恵方巻きを笑いながらというのは聞いたことがありませんが、初物を笑いながら食べるというのはよく聞きます--hi-san 2008年2月2日 (土) 10:45 (UTC)
- 節分は中国の追儺から派生した「春を迎える儀式」ですので、豆まきのように「豆」という"金気"を火で煎って懲らしめたものを鬼にぶつける等、陰陽五行の影響が大きい儀式でもあります。五行思想だと、「春」がくるのを阻害している"金気"を「笑い」という"火気"で滅ぼすため(火剋金)、「太巻」という"木気"でサポートする(木生火)、と見ることができます。むしろ笑うことに意義がある、と。(切らずに食べるのは、太巻の木気を折らないようにという配慮でしょう) でも、笑いながら食べるのって案外難しいので、とにかく一本まるかじりで食っちまえというのだけ残ったのかもしれませんね。--Orixa 2009年2月7日 (土) 11:17 (UTC)
- 私も関西人です。恵方巻きを笑いながらというのは聞いたことがありませんが、初物を笑いながら食べるというのはよく聞きます--hi-san 2008年2月2日 (土) 10:45 (UTC)
大阪在住で子供の頃から食べているんですが、『目を瞑って』食べたことはありません。『笑いながら』食べたこともありません。『黙って』食べるだけです。『目を瞑って』はセブンイレブンのサイトに載っていたということですが、共通点である『恵方を向いて黙って』食べるという部分だけを書いて、地域、あるいは家によっては笑いながら食べたり目を瞑って食べる場合がある、という風に説明するのはどうでしょうか?--Kyoto-u 2008年2月2日 (土) 16:55 (UTC)
宣伝(PR)は禁止です
宣伝は禁止されていますので記述に十分注意しましょう。--121.102.42.53 2008年2月2日 (土) 14:11 (UTC)
批判の項について
>そもそも恵方巻自体がもともと大阪を中心とする関西地方の習慣であり、地方ごとの節分の伝統を破壊している。
とありますが、これをわざわざここに書き込む理由は何でしょうか。 ローカル発信で全国に広まったものすべてがこれに該当することになりますし、インスタントラーメン等の食品も該当することになり、いわゆる化学調味料まで抵触します。コンピュータや電話もありとあらゆるものが伝統の破壊の烙印を押すことが可能です。これらすべてで同様の表現があるのであればわかりますが、ちょっときつすぎる表現だと思いますがいかがでしょうか。この文を削除することを提案したいと思います。--y_zai 2009年1月30日 (金) 10:11 (UTC)
- 自然に伝播した物ではなく流通小売が無理に流行らせようとしてるから批判が出るのでしょう。まぁただ流行らそうとしてるだけなら企業戦略の一環で済みますが、元々関西ローカルの習慣を「全国的に普遍である物」と思わせるようなやり方(ぶっちゃけ文化の捏造ですね。)をしてるのですから批判が出るのも当たり前ですが。カップラーメンだとかコンピューターだとかとは根本的に意味が違いますよ。--DK 2009年1月31日 (土) 12:27 (UTC)
- ですから私が言いたいのは、なぜこの項だけそのような批判がでるのか、と言うことなんです。企業戦略の内容が問題ないという事を言っているのではないのです。カップラーメンにしてもインスタント食品にしても食の伝統の破壊である側面がある(ある特定の味付けを全国に広めるという側面もあるわけですから)という見方も存在し得るわけです。恵方巻そのものへの批判には当たらないと思いますがいかがでしょうか。--y_zai 2009年2月1日 (日) 06:21 (UTC)
- 横から失礼。カップラーメンは「新しい商品」、これが流行するのは企業戦略の一環だったり良いものだと認められたからでしょう(カップラーメンの影響で讃岐うどんが変わったとなればまた別ですが)。節分は「元々ある文化」、そこにローカルな文化が踏み込んでくることで伝統が破壊されるのではないでしょうか?(少なくとも私が住んでいる所(東北)では恵方巻を見たこともありませんし)--123.222.156.231 2009年2月2日 (月) 10:16 (UTC)
- 節分と言う伝統ある日本の行事なのに、日本中に無理やり広めていると感じるので、批判が多いのでしょう。--220.100.119.140 2009年2月3日 (火) 00:28 (UTC)
- ですから、「良いもの」と認められさえすれば「破壊」では無いと言うことなのですか?ある特定の一個人もしくは団体が「良いもの」と認め、それに反する考えを持った人がこの世の中には一切いない、もしくはいたとしても特殊な例以外には一切いない(おばあさんとかお母さんに「それって違うんじゃない?」っていうのがいない。もしくはそれに近い状態)。という前提の元であればそれは「正しい」と言えるかもしれませんが、それはどう検証されたのですか?またそれは正しいのですか?その根拠はどこにあるのですか?それが無い以上、その意見は個人的な感想以外の何物でも無く、少なくも百科事典に記載すべき事ではないと思います。何回でも言いますが、私が問題視しているのは「破壊」の単語だけなんです(わかっていただけませんか?)変な言い方をすれば「誰が何言おうともうちはこれで行くんだぜ」で済む話ですよね(私がカップヌードルとかを持ち出したのはそれが理由です)。なのに「破壊」という一般的にはきついと思われている単語を敢えてもちいているのはおかしい。と言っているだけです。ローカルなと言いますが、はっきり言いますNHKのいわゆる「標準語」もしくはその報道で「破壊された方言」はどれくらいあるとお思いですか?少なくとも東京(およびその近辺)に住んでいる人には理解できないと思いますが。それは正しくてこっちは「破壊」というのは公平性に欠ける。と言いたいだけです。長くなりましたが、結局言いたいことは一点だけです「破壊」。この言葉の印象は強い。ここで無視すればそれですむ話(誰にも恵方巻をしなさいなどと強制されていない)ことに対してこの言葉を使う必然性はどこにあるのですか?無いのであれば、この単語は削除するのが合理的ではありませんか?という事だけです。もっと言います。豆まきの時の言葉何種類知っていますか?(さらに言えば豆まきも元々ローカルな風習だって知っていますか?)「鬼は外、福は内」しか知らない人にはこの件に関して意見を言う資格は無いと断じざるを得ません。これも元々ローカルな話が全国的になった例です。これは正しくて、何故恵方巻だけは正しくない(少なくとも「破壊」というのは穏やかな物言いではありません)というのはおかしい(少なくとも「破壊」と言う言葉を使うのは行き過ぎ)と言っているだけです。ここでもう一度提案します。「破壊の文字を削除した文章に変更する」具体的には
- そもそも恵方巻自体がもともと大阪を中心とする関西地方の習慣であり、地方ごとの節分の伝統を破壊している。
- の一文を削除する。長い文章になりましたが、この手の話はどうしても個人の主観が入ってきます。2chではなく、百科事典だからこそそれを可能な限り排除する事が大事だと思います。さらにここは2chではありませんのでちゃんとloginした上で意見を述べていただきたいと思います。IPはいくらでも詐称できますので(ソックパペットはもっと困りますが)--y_zai 2009年2月3日 (火) 11:17 (UTC)
もう一点「食し方が下品」と追記がありましたが、これは個人の見解の問題ではないでしょうか。--y_zai 2009年2月1日 (日) 06:29 (UTC)
- 発祥の話を節分の特集でやってましたが、それを考えると下品ではあります。でも、この記述はもう消えています。--220.100.119.140 2009年2月3日 (火) 00:28 (UTC)
- ですから、「下品」とかそういう感覚はあくまでも個人に属する感覚であって、それをここで表現するのは公平性、客観性において問題がある。と言うことです。(例えば、ある価値観にたてば「にぎり寿司」というのは人間の手で直接触って作ったモノだから「下品」。ビビンバはせっかく美しく盛ったものをかき混ぜて何が何だかわからなくしているから「下品」。ステーキは…もういいでしょう。要するに「下品」と言う言葉はあくまでも個人の感覚に過ぎない。なのに客観性を旨とすべきこの場にこの言葉を使うのは適当であると思えないということです。大阪人でもあの風習は「下品」と感じている人はいると思いますが。ちなみに私は京都ですが少なくとも「上品」だとは思えません。私は恵方巻は肯定していません。その上での投稿であることをご理解ください)--y_zai 2009年2月3日 (火) 11:17 (UTC)
- この項目で議論が頻発するのは、出典が明示されないまま主観的な記述がされているからではないでしょうか。ひとまず検索して出てきた範囲で出典を追加しておきました。批判の項についてはWikipedia:言葉を濁さないにもあるように、出典もなしに「~という声もある」ということを書いたところで主観的記述にしか留まってしまいます。出典が出されないようならば除去して構わないと思います。もちろん、ちゃんと出典があるならば、それを付記した上で記述しておけばいいですし。--銀色しっぽ 2009年2月3日 (火) 12:08 (UTC)
- 批判項に関しては出典が全く無いため、しばらく経っても出典が提示されないようなら削除しても問題ないでしょう。--Web comic 2009年2月3日 (火) 14:26 (UTC)
- 何かまだわかっていない人がいますね。「~と思う」「~が定番」という類のものは客観性に欠けるんです。繰り返しますが、それを全員がそうだという根拠はありませんよね。どうしても恵方巻を否定したい方のようですが、現実に「ある特定の場所では伝統として存在すると事は事実」なのです。他の地方の人がどう思うかというのはここで議論すること自体ナンセンスです(ねぶた祭は電気代の無駄だから馬鹿げてるよねというのはナンセンスですね)。客観的な出典の意味をきちんと考えてください。商魂がどうのというのはここで敢えて表現すべき事ではありません。ある特定の地域でやっていることを全国に宣伝することは「批判」なのですか?
- でしたら、父親を「お父さん」と呼ぶ(NHKや学校教育でそのようにやっていますね。嘘だと思うのでしたら小学校1年の教科書をご覧ください)のは基本的に関東ローカルですが、これも「批判」すべきことなのですね。
- いろいろなところで「阿波踊り」をやっていますが、これも批判の対象なのですね。
- いろいろなところに「~銀座」がありますが、これも批判の対象なのですね。
- ロールケーキ云々の部分は問題ないと思いますが、
- 大阪地方の伝統…は明らかな事実誤認です。関西地方ならば正しいですが。さらにこれは「批判」の項に入る理由は認められません
- 宣伝云々の件は何回も言うとおりです。ここで「批判」すること事態おかしな話です。何故宣伝することが批判の対象になるのですか?
- 最後の一項は問題外です。定番というのは誰にとってという問題がついて回ります。ある特定の地区での調査ではないという保証が担保されていない以上、この文章には客観的に欠けます。さらにここで自分の意見がさりげなく入っています(これは最近マスコミが良くやる手法ですね)。
- 何回も書きますが(もういい加減疲れました)こういった件は、例えばクリスマスや誕生日のケーキ(日本の伝統を考えたらめでたい日は「赤飯」というのが一般的なことになる可能性が高い)も同じ事なのです。調査結果と大上段に構えておられますが、こういうのは調査とは言いません(自分の意見に合うデータを集めることを調査とは言いません。逆の意見を含めてデータを集めて初めて客観的と言えるのです。これが「常識」です。少なくとも大人の世界では)
- 繰り返しますが、ここは百科事典であって2chではありません。申し訳ありませんがそのようなことはそちらでおやりください。さらに、IPではなくアカウントをとった上で書き込みをしてください。--y_zai 2009年2月4日 (水) 08:12 (UTC)
- もういい加減にしてください。そのような下品かつ一切の根拠もない事を書いて品位をおとしめるのは。ここは2chではありません。あなたたちは日本語が理解できないのですか?そんなに恵方巻に反対したいならよそでやってください。ここはあくまでも恵方巻というものは何かについて客観的に述べる場所であってそれ以外の場所ではありません。--y_zai 2009年2月4日 (水) 12:02 (UTC)
- というわけでIPユーザに対しての保護を依頼しました。以降は登録の上でまずここで議論しましょう--y_zai 2009年2月4日 (水) 14:40 (UTC)
- 申し訳ない。y zai氏の理論展開には頭がついていきません。『破壊している』の表現を削るべきという意見には素直に賛同しますが、それはあくまで検証可能性(出典)からの問題です。言葉を凝らしたり理解し辛い例えを出すよりも、ズバッと「出典を書け」と言ってもらったほうがよほど賛同しやすいです。また、言動の矛盾が多すぎます。少し揚げ足取りにもなりますが、「『下品』は個人の感覚」と言いつつ「下品なことを書くな」と言ったり、「客観性が大事」と言ったかと思えば論拠を挙げずに「これが常識です」と言い切ったり(さりげなく自分の意見を入れてますよね?)。少しクールダウンして、他の方の意見を見つつ論点の整理をしてみてはいかがでしょうか。ログインユーザーとしての矜持がある方のようなので、きっとそれが出来る方だと思います。
- あとこれは私の想像も多少入っているのですが、多くのIPユーザーの方はノートを見ていません。なのでここでわめきちらす、特に『なぜこんなに言ってるのに聞かないんだ!!』は徒労に終わることが非常に多いです。そんなことにエネルギーを使うぐらいなら文章の推敲に回したほうがよほど有意義かと思いますよ。--Reikoh 2009年2月5日 (木) 03:56 (UTC)
- 確かに柄にもなくヒートアップしていたようです。お見苦しい点があったことはご寛恕の程を。--y_zai 2009年2月5日 (木) 09:55 (UTC)
これに関して疑問なのですが、一つのページを編集する場合、他の関連するすべてのページについても編集する義務があるのでしょうか? 私がここでいたかったことは単純に「カップラーメン・コンピュータは例として不適切」ということであって、仮に適切としても「他に同じようなものがある」ことは肯定する根拠としては薄いと思われます。恵方巻のページだけを批判し他のページ(カップラーメンなど)に書かないのはなぜか
同意しつつ、現在「脚注」の項にあるものは根拠(出典)として問題がないかというのが最初の論点ではないでしょうか? 認められないのであれば、すべて削除、認められるのであれば「出典が明記している」範囲で編集(ですよね?)「~と思う」「~が定番」という類のものは客観性に欠けるんです。
- ※「発祥」の項の、「広告チラシ」は(All About>ttp://allabout.co.jp/family/seasonalevent/closeup/CU20060124A/index2.htm)でしょうか、この内容を信じると、下品と言って削除された内容の出典となりうるかもしれません。--123.222.154.132 2009年2月6日 (金) 10:46 (UTC)
- まずはログインユーザとして発言していただければと思います(何故IPユーザから保護を依頼したか。それを忖度していただきたいと思います)。その上で、
- (前段に対して)誰もそのようには言っていません。
- 「恵方巻のページだけを批判している人」が「他のページ(カップラーメンなど)に書かない」のはおかしい
- とは誰も言っていません。
- 「カップラーメン等で批判されていない」事実が「恵方巻のみで批判されている」のはおかしい。
- と言うことだけです。お判り頂けると思いますがこの2つの命題はまったく異なった命題であって命題としての関連性はまったくありません。前者は「書かないと言う、人ないし行為に対しての批判」後者は「書かれていないという事実に対しての疑問」(要するに批判ないし疑問の対象そのものが異なっているということです)。批判しないのはおかしいなどとは一言も言っていません。これを同じと見なすもしくは類似と見なすのには論理的に無理がありませんか?ただ、他の「一般的にブームないし新しい習俗とは明らかに異なって」恵方巻だけは「このような--うわさや流言ではない--一般的でかつ客観的でかつ検証可能な根拠がある」というのであれば当然これは明記すべき内容ですね)。
- (後段に対して)さらにもう新たに言辞は弄しません。しかし、ある特定の一個人の意見が脚光ないしは大きく採り上げられるサイトでの記事の内容が正しいというのはどこに担保があるのでしょうか。正しいという担保が無い以上このサイトの正当性に疑問があるというのは十分信じるに値する事です。また、このノートをもう一度お読みください。地方の風習や方言を批判したり貶めたりする権利や資格は誰にもありません。たとえその地方、國、地域に対して怨嗟の念があろうとも、それが自分の常識から如何に逸脱してようとも(自分が正しいと信じている風俗習慣が否定され罵倒されたらあなたはどう思いますか?悲しいと思う人が存在するということも理解できないほどあなたは心が狭いのですか?と言いたい)。議論は論理がすべてであり曲論はもっとも避けなければならないことです。私も感情的になってしまいました--この件に関しては恥ずべき事であると正直に認めます--が、感情でものを言えばそれは議論ではありません。それだけです--y_zai 2009年2月6日 (金) 13:08 (UTC)
- 《「カップラーメン等で批判されていない」事実が「恵方巻のみで批判されている」のはおかしい》、この二つだけでは命題として関連性がないはず。関連性を持たせる場合、その事実が関連する根拠が必要です。また、他のページは他のページですし。他のページがまだ手をつけていないの可能性もあります。
- そもそも、こんなことはどうでもいい訳で。「他のページが~」という視点から考えることは否定しませんが、出典が出典として成立するかを考えることが必要ではないでしょうか。出典として不適切であれば「破壊」の言葉を消す理由がはっきりする訳です。
- 《新たに言辞は弄しません》がAllAboutを指しているのであれば、記事が正しいかは分かりません(ここでは見る必要はありません)、記事中で挙げている広告の確認が出来るのかが問題。
- 最後に、何か勘違いしているようですが恵方巻きを批判することに興味はありません。辞典として載せる情報の正確性には興味はありますが...(結果として、それが肯定・批判どちらでも関係ないわけで)
- 《自分が正しいと信じている》ものであっても、根拠(出典)を元に記事を書くのがここのやり方のはずです。
- ※ノートに書くだけ(本記事に手を加えるつもりはないので)のためにアカウントを取る利益を感じなかったためIPのままで--123.222.156.231 2009年2月7日 (土) 18:30 (UTC)
- まず確認したいのですが、
- >《新たに言辞は弄しません》がAllAboutを指しているのであれば、
- はどういう意味ですか?日本語(京都、大阪、東京、横浜、西湘の言葉の和集合という意味だと思ってください)として意味不明としか私には言いようがないのですが。
- 「新たに言辞は弄しない」が何かを指しているとすれば「何も言わないという」動作を指していると言うことですよね。AllAboutはサイトであって動作ではありませんので、私の貧弱な理解力ではこの文章の意味が日本語として理解できません。私の文中の
- 「ある特定の一個人の意見が脚光ないしは大きく採り上げられるサイト」がallaboutをさしている
- 《新たに言辞は弄しません》が「ある特定の一個人の意見が脚光ないしは大きく採り上げられるサイトを引き合いに出していることに対して新たな文章を持って批判しない」という意味
- ならば正しいですが。以下はその前者の意味であるという前提の上での話だとお断りしておきます(揚げ足をとる意図はありませんが、どの部分に対しての意見なのか明確にしない以上議論そのものが意味をなさず、感情の応酬というもっとも避けるべき事態に陥るのは避けたいと思いますので)。
- >《自分が正しいと信じている》ものであっても、根拠(出典)を元に記事を書くのがここのやり方のはずです。
- これはその通りです。完全に同意します。しかし、根拠さえあれば、その根拠そのものの真偽の検証のしないでその内容が正しいとした記事を書いて良いのか(偽の命題が前提になる命題は必ず「真」というのが論理学の基本ですから)?
- もし正しいのであれば「なんでもあり。言いたい放題」になってしまいませんか?今AllAboutというところですが、ここの記事には「独断と偏見で」と自ら宣言している記事が散見します。これの掲載を許す団体ないし組織が運営するサイトで、「中立的」ないし「個人的な意見が一切入っていない」かつ、それを許可した組織が責任をとらない--この部分が新聞等マスコミのサイトと決定的に異なる--のに、そこに記されている内容の正当性、中立性に対する担保はあるのか?という事です。
- 私が言いたいのはそれ以上でもそれ以下でもありません。ここであのような記事を論拠として出したのはそこに抵触する虞が多分にある(当然簡単に確認できないようなrefに関して言えば、きちんとリンクを張った上で提示するのがそれを主張する側の当然の義務。なぜなら証明はそれを主張したい人間がするものであり、それを求める人間がするものではない--現代の裁判ないし司法の基本ですし、論理学の基本中の基本です--)。
- さらにあなたがどのような思想を持っていられるのかは私には一切の興味がありませんし、知ろうとも知りたいとも思いません。ですから何も勘違いはしていません。私は「そういうのであれば、何故ここだけで言われる理由があるのか?」「理由がないのであればここで書かなければならない合理的な理由がない以上削除することに反対する合理的な理由はあるのか?」と言っているだけです。個人攻撃の意図もありませんしそのような趣味もありません。
- さらに確認ですが、ですから「《「カップラーメン等で批判されていない」事実が「恵方巻のみで批判されている」のはおかしい》」は関係ない、と私は言っているので、私の言っていることに同意して頂いているのですよね?
- それよりも、いかなる形であれ発言なさるのであれば、アカウントを取得した方が良いと考えます。これは利益云々の問題ではないと思います。要するに自らの意志によって定めた名前の署名を行わないというのは、2chで(ご存じだとは思いますが、2chでもIPくらいはその気になれば結構調べられますから)の「書き散らし」と同一視(「自由にアクセスでき」「IPのみ曝して書き込みができる」という意味では現象、事実としてはまったく同じものですから)されては悲しいし何もプラスにはならない(だって名乗ることもせずに無責任に勝手に書き散らしているだけでしょ。と言われるのはあまりにも悲しい)と思うからです。--y_zai 2009年2月11日 (水) 11:15 (UTC)
恵方巻についての最大の問題は、その「発祥」についての説明が「捏造」である疑いが強いということだと思います。この行事の発祥が実は海苔業者の宣伝であったとすれば、宣伝であってもいいのです。発祥が正確に伝えられるなら批判の対象にはなりません。しかし「捏造」であれば歴史の改ざんであり大問題です。今ちまたに広まっている恵方巻の起源の一部の説には「昔からあったもの」としているものがあります。ですが発祥の本文において「要出展」を求められているように、それを裏付ける確実な資料が無いという所が私は問題だと思います。
「恵方巻だけ批判されてカップラーメン等が批判されていない云々」という議論は話を無用に混乱させるだけだと思います。
私は大阪の友人(1963年生まれ)に「恵方巻」の習慣が子供のころからあったのか質問したことがあります。答えは「そんな習慣は無かった」ということでした。
やはりこの項目で一番重要なポイントだと思われるのは「恵方巻」の起源を確かな出展に基づいて記述できるかどうかだと思います。--Reimicromini 2010年1月16日 (土) 03:36 (UTC)
「まるかぶり」という用語について
なぜか再三消されてしまうのですが、記事中すべて「まるかじり」に改めるということもできない(商標として存在するため)以上「これは近畿方言である」という注釈が必要だと思うのです。共通語の語彙としては「かぶりつく」は存在するのですが、単に「かぶる」と言うと「帽子や冠などを頭に着ける」ことや「液体や粉などを上から浴びる」等々のほかには、なかなか思い至らない。関西圏の方がどう感じるのかはわからないのですけれど、この「まるかぶり」なる言い回しは、この恵方巻にまつわるものとして以外は(少なくとも関東では)耳にしません。そこをご配慮ください。また語釈が書かれていないことによる不都合はあっても、それがあることによる不都合はないと存じますが、どうでしょうか。--死郎 2009年2月6日 (金) 14:25 (UTC)
- 確かに近畿の一地方の方言ですよね。なぜ消されるのでしょうか。注釈を入れることに賛成します。--y_zai 2009年2月7日 (土) 00:04 (UTC)
- 申し訳ありません、わざわざ方言について言及する必要は無いと感じて除去してしまいました。考えてみれば「丸かぶり寿司」という別名も存在するわけですし、記述することについては賛成します。--銀色しっぽ 2009年2月7日 (土) 09:40 (UTC)
近畿方言の注釈に関しては、私は別にどちらでも構いません。
>記事中すべて「まるかじり」に改めるということもできない(商標として存在するため)
「丸かぶり」については、確かに商標登録されていますが、指定商品中の「すし」を除くとのことです。したがって、恵方巻きの記事に関しては「まるかぶり」の記載がなくても何ら問題ないわけで、その点を考慮すると上記の説明は説得力に欠けます。
>また語釈が書かれていないことによる不都合はあっても、それがあることによる不都合はないと存じます…
それがあることによる不都合はない、というのはあくまで貴方の個人的な意見です。反対に「無意味、過剰な注釈は必要ない」という意見の人もいるかもしれません。--Speed3377 2009年2月7日 (土) 10:10 (UTC)
- はい。もちろん現在のところ一個人の意見であることは承知しています。なので他のかたの合意を得るべくここに表明した次第です(少なくとも銀色しっぽさんの賛同を得られたことは収穫でした)。失礼ながらSpeed3377さんは、その“反対意見”をお持ちなのでしょうか? そうであるなら遠回しに『いるかもしれない』などと書かず、率直に仰っていただけると議論が円滑に進むと思うのですが。--死郎 2009年2月7日 (土) 11:11 (UTC)
- 標準語の文言を方言では何と言うか注解する必要はありませんが、標準語ではない方言には注解が必要です。--219.111.118.246 2009年2月9日 (月) 00:45 (UTC)
- なるほど。冒頭から現在の位置(「丸かぶりずし」という商品名への注釈)に移動したのは妥当と仰っていただけたと考えてよろしいですね。--死郎 2009年2月9日 (月) 07:21 (UTC)
- 根本的な疑問で申し訳ないのですが、そもそも「まるかぶり」は近畿方言なのですか(近畿地方と限定していいのかという意味です)? 「丸のままかぶりつく」の略かと思われるので「かぶりつく」が近畿方言かということになると思います。論証にはなりませんが「かぶりつく 方言」でgoogle検索してみたところ、岡山の下津井というところがトップで出てきました。また、「まるかぶり 方言」だと明らかにこの項を参照しているページばかりでした。
- 近畿方言の項を始め、各地方言の項を精力的にに編集されているkyoww氏にご意見を伺ってみるのもいいかと思いますが、いかがでしょう?--Reikoh 2009年2月9日 (月) 09:44 (UTC)
- まず「かぶりつく」であれば、上にも書きましたが共通語にも存在します。ただし(口にするという意味での)「かぶる」や「まるかぶり」という表現に耳馴染みがないので、これは方言だろうということで。もともと「関西弁」と聞いていたのでそう記述したのですけれど、項目名に合わせて「近畿方言」と改めました。恵方巻の発祥の地では違和感なく使われているようなので間違いとは思いませんが、使われる地域が近畿圏のみに留まるのかどうかについては確証がありません。ご意見お待ちしています。--死郎 2009年2月9日 (月) 12:43 (UTC)
「かぶる」は辞書で調べると、意味としては「かじる」に同じとなっています。特に近畿方言とは書いてありませんので、現在では共通語化しているのでしょうか?過去には近畿方言だった「しんどい」が現在では共通語になっている例もありますから。ちなみに「まるかぶり」は辞書には載っていませんでした。恐らく「丸ごと(まるごと)」と「かぶる」の合成語かもしれませんね。関東では馴染みがないと死郎 さんが書かれているので、少なくとも関東弁(関東地方の方言)ではなさそうですね。私は関西在住歴もありましたが、恵方巻き以外でまるかぶり、という言葉は聞いた事がありませんでした。でも、「『まるかぶり』は近畿方言である」ということが検証可能でなければ、単なる独自研究になってしまいます。出典があればいいのですが。--114.145.213.155 2009年2月9日 (月) 13:56 (UTC)
- 《新明解では、「かぶる」を《[雅:中部から中国・四国までの方言]かじる》としています。「雅語」だということですから、「洗練された語」という位置づけです。京都が中心ですから、使用されている地域についても理解できます。[引用元:http://torokko.sblo.jp/article/3169940.html]》、手元の辞書から探す(広辞苑とか辞書はいくつかあるので)と何かあるかもしれません。(なぜか国語辞典が行方不明のため調べられませんでした)--60.47.188.27 2009年2月9日 (月) 15:47 (UTC)
- たしかに辞書で「かぶる」を引くと『齧る』の字を宛てて「かじる」と同義としてあります。とはいえ国語辞典は古語や一部の方言も載せているので、記載されているからといって現代の共通語として通用するとも限らないんですよ(「関東方言では」と仰っていますが、関東に限らずどこでも、通じない地域があれば共通語の語彙とは見なせないでしょう)。実際、大辞林第二版(を元にしたオンライン辞書)の用例は現代文がなく、太平記からの引用のみです。そして古い言葉が方言にだけ残っているという例は枚挙に暇がない。ただそうすると、この単独の「かぶる(齧る)」が近畿以外にも残っている可能性は充分にありそうです。
- ――と書いたところで編集競合しました。60.47.188.27さんの調査と当方の推測は、そう遠くなかったようで安堵しています。ちなみに広辞苑第二版(新しい版がなく恐縮です)の記述も大差なく、用例の出典が源平盛衰記からになっています。
- 「まるかぶり」が共通語としては日常使われない、それゆえ注釈が必要である――という立場は固持したいところですが、文言そのものは改めたほうがよさそうですね。--死郎 2009年2月9日 (月) 16:12 (UTC)
- >単に「かぶる」と言うと「帽子や冠などを頭に着ける」ことや「液体や粉などを上から浴びる」等々のほかには、なかなか思い至らない。
- 一つ上で「たしかに」等、もっともらしく書かれていますが、上記の引用の通りあなたがリサーチ不足だから「かぶる」について指摘してあげただけです。本来はノートで議論を提起する前にご自分で調べておくことではないでしょうか?検証が不十分な気がします。参考意見を述べた人に対して、感謝の気持ちがあなたの文面からは垣間見ることができず、横柄な感じがしますので不愉快な気持ちなりました。--114.145.213.155 2009年2月9日 (月) 17:42 (UTC)
- ううん。間違ったことは書いていないつもりですし、話題に上らなかったために言及しなかっただけで、こちらも辞書(前者)は先に引いているのですが(あくまで「思い至らない」であって、そのような語義がないとは言っていません)……しかしそのように感じられたのでしたら申し訳ない。謹んで謝罪します。他意はありませんのでどうかご容赦を。今更ではありますが、改めましてご意見感謝致します。--死郎 2009年2月9日 (月) 18:11 (UTC)
- 蛇足とは思いつつも、すっきりしないので追記します。辞書云々については自分の中では完結していたので「なにをいまさら」という感があり、極力冷静に事実のみを書いたつもりが突き放したような文面になってしまっていたかも知れません。そして考えてみれば、辞書にあたったことやその結果を書かずに誤解を与えたのは全面的にこちらの落ち度ですので、それもこれも含めてお詫びする次第です。ごめんなさい。--死郎 2009年2月9日 (月) 18:54 (UTC)
- 再々度、本題と外れた部分の弁解で申し訳ありません……突然このようなお叱りを受けたことに、当初は些か寝耳に水という感があったのですが、読み返してみてもう一つ気付きました。上で編集競合があったために、慌てて114.145.213.155さんへの返答を書き直したのです。しかし、その際に反論(?)部分のみ残して、その直後のフォローの文を60.47.188.27さんへの返答とまとめてしまったために、結果的に礼を失した形になってしまったのだと思います。この点も拙速に過ぎました。陳謝致します。--死郎 2009年2月10日 (火) 07:10 (UTC)
- ところで、結局、今問題になっているのは「近畿地方のみの」方言かどうかなのでしょうか。
- 論理的には「まるかぶりは近畿地方の方言」という命題は、少なくとも京都は近畿地方であり、そこでの方言では「まるかぶり」という言葉が存在するのは事実(ちょっと包含関係が交錯するのでわかりにくいですが)。ですからこの命題は「偽」ではありません。
- しかしそこ以外で言わないと言うことは担保できない。と言うことはこの文章は近畿地方のみでしか言っていないような響きがが無いと断言することもできません。しかし方言である可能性が高い。だとすればとりあえず
- 「標準語では「まるかじり」」
- ではまずいでしょうか?死郎さんが言っておられるのはあくまでも「現代共通語であまり使われないと判断するのに合理的な理由がある」なら注釈をつけた方が良いというだけの事で、この件に関しての反対意見はないようですから(ちなみに私は京都市内出身ですが、「かぶる」というのは普通に使っていました。少なくとも東京や横浜で聞いたことはほとんどありません。国語辞典で「方言かどうか」を確定することには微妙な問題があるような気がします。そんな言葉あったの?というの結構載ってますから。私が単に無知なだけかもしれませんが)。
- それとアカウントですが、やはり何らかの発言をされるのであれば取得された方が良いと思います。このようなプロジェクトでは、ある意味ではノートも本文と同じくらい重要なのではないでしょうか。ここでの議論が本文に反映される、もしくはその圧力になり得るわけですから。
- もう一点。この文脈であれば「標準語」であって「共通語」ではありませんね。--y_zai 2009年2月10日 (火) 11:46 (UTC)
- 納得できるご意見で、基本的に異論はありません。しかし一つだけ。「標準語#日本の場合」を見ても「標準語」と「共通語」の区別は微妙なうえ、『意識としての「標準語」は現在も続いているが、国語学的な意味で「標準語」は現代の日本には存在しない。』とあるので「標準語では~」として良いものかどうか考えてしまいます(当方は標準語という表現を避け、一貫して共通語と書いて参りました)。それぞれをどのような定義でお使いになっているのか――特にリンク先の項目に書かれているのと同じなのか違うのか――を明らかにしていただけると助かります。--死郎 2009年2月10日 (火) 13:39 (UTC)
- もう確定的な情報源が出るまでは『「まるごとかじりつく」の意』と曖昧にしておけばいいんじゃないでしょうか。正直言うとそこまで熱論するような点じゃありませんし。--Reikoh 2009年2月10日 (火) 15:08 (UTC)
- その辺が妥当なところのような気がしますが、方言というのは差別問題とか結構微妙な問題も孕んでいますので。ある程度の議論は必要かと思います(要するにこういった本質でない部分で「つっこみ」を入れられて騒ぎ立てられたら本末転倒ですし)。ですから『「まるごとかじりつく」の意』でも実害は無いとは思うのです。
- ただ、ちょっと気になるのは、「かじる」と「かぶる」は両方使って、ニュアンスも違うというんですよね(私の親戚だけ?東山区だけ?右京区だけ?京都市内だけ?関西だけ?ひょっとしたら茨木市の方かな?それはわかりませんが)。「かじる」は「噛んで引きちぎってしまう(つまり手元に残ってしまう)」、「かぶる」は「噛み付くという動作」というニュアンスだったような気がするんですが。もしこれが正しいのであれば、「方言」と明記した方が良いとは思います(意味が違う言葉として定義してしまう虞がありますので)。
- しかし、この辺ははっきりするまでは、とりあえず「近畿」の2文字を抹消しようと思いますがいかがでしょうか(これだと共通語、標準語の区別の問題も回避できるような気がしますから)。--y_zai 2009年2月10日 (火) 18:27 (UTC)
- もう一点。今気づいたのですが
- >海苔業界やコンビニ業界など関係業界の主導のもと販売促進を目的とした傾向があり[7][8][9][10]、
- と4つのrefがありますが、そのような傾向があると言いたいのであれば1つあれば十分だと思いますがいかがでしょうか。否定したいという明確な意図の元いくつも物量作戦で、と言うのなら、動機としては理解できますが(動機であることがわかるだけです。少なくともここはそのような場ではないと思います)、それ以外の理由であれば、4つもリンクをあげる理由は何なのでしょうか。--y_zai 2009年2月11日 (水) 08:18 (UTC)
- y_zaiさん。上での「標準語」「共通語」は当該ページの定義に準ずるということ、またそれらの用語に関する個人的なお考えを伺い、諒解いたしました。ですけれど利用者ページにお返事いただくとは思っていませんでしたので、いささか恐縮する反面、他の方にはやや不親切なのかな……と複雑な心境です。まあReikohさんも仰るように項目全体から見れば些末な部分なので、そこまで緻密な議論が必要かと言われれば返す言葉がないのですが。
- ともあれ、まず「近畿方言」の「近畿」を消去することには同意します。それから、仰る脚注の件はまた「まるかぶり」とは違う問題なので、違うセクションに移すほうがよろしいのでは――と思う次第です。--死郎 2009年2月11日 (水) 13:09 (UTC)
- y_zaiさんが、死郎さんの利用者ページで「私が30年前に東京で方言が故に強烈な虐めを経験したトラウマに属する部分」と書かれていますので、方言に関しての書いたりするのは不適です。--220.100.16.90 2009年2月11日 (水) 16:53 (UTC)
- 申し訳ありません、少々主旨が掴めません。書くのが不適切というのは本文についてでしょうか、それともこのノートに関してでしょうか。そこがわからないので問題点も不明瞭です。
- また個人的なことで恐縮ですが、所用のため以後の返答は火曜日以降になります点、ご容赦願います。--死郎 2009年2月12日 (木) 08:39 (UTC)
- 予想ではありますが、「トラウマ」あることで客観的な記述に影響の恐れがあるため方言に対しては注意が必要ということかと--60.47.186.99 2009年2月15日 (日) 18:39 (UTC)
- というように編集していただけたようなので(2週間ほど静観するつもりでした)、こっちの件は一件落着でよろしいかと思いますが。あともう一点の方はどうでしょうか。出典が1個というのより複数の方が根拠がありますが、4つというのはいかがなモノかと。そこまで否定の方向にベクトルをかける必要はないと考えますが。また、今、ここで簡単に確認できるようにリンクを貼っていただいた方が説得力があると思います。個人的には「長崎発」のを一つと「千葉発」でいかがでしょうか。北国新聞の方はどうも簡単に該当記事が出てこない--もう消されたのかな?--ようですので(但し、必要だと思われる方が責任を持ってリンクを張っていただければと思います。確認したければ自分で調べろと言うのでは不親切としか思えません。ただ、千葉の方は、「擁護」もしくは「反対しない」記事も出ていますので両方の記事に触れない以上「情報操作」の誹りを免れないと思いますが)。--y_zai 2009年2月23日 (月) 12:35 (UTC)
- 本記事は、資料が少なすぎます。起源、発祥や歴史などの出典が無いのです。--121.102.97.42 2010年1月16日 (土) 03:45 (UTC)
出典
「「linkが無いrefは削除」と言う「マイルール」による削除」を修正した者です。否定的な文言を削除する方向にあるようですが、むしろ肯定的な文言に対する出典を調べ追加されたほうが建設的です。--Konamonodaisuki 2009年2月24日 (火) 03:52 (UTC)
- refに重複がありましたので、それは修正しました。--Konamonodaisuki 2009年2月24日 (火) 03:54 (UTC)
・意図を持たない「海鮮巻き版」「ロールケーキ版」など~ ←(コメントアウトの部分全体)
- 【出典1:P2中央】海鮮巻きや恵方ロール等のアイデア商品が次々と発売され、中に入れる食材や食べ方などの本来の意味合いは薄れつつあるのが現状のよう
- 文言として「本来の意味が薄れつつある」がベターでしょうか。(ここでの"意図"は、Orixaさんの説明の通りと思います)
- (出典として妥当かは置いておきます)
"辞典として"公平に、否定/肯定的なものも出典があれば載せる方針でよいのではないでしょうか。(もちろん出典の妥当性を考慮して)
・七福神~ ←(要出典)
- 語源由来辞典>恵方巻き(http://gogen-allguide.com/e/ehoumaki.html)
- 鶏と卵の気がしないでもないですが・・・
七福神が後付としても「最近は縁起物として~」という書き方でもいけますし
セブンイレブン以外も1990年代らしいですね。エキサイトニュース--60.47.184.156 2009年2月24日 (火) 18:49 (UTC)
未だに「[要出典]」へ出典が無いですね。--121.102.116.87 2010年1月6日 (水) 09:33 (UTC)
- IPアドレス「220.210.183.235」氏は、出典を明記しているにも関わらず、「[要出典]」のタグを執拗に貼りつけている。出典とは記事作成にあたっての典拠を示すものであり、それを基に史的信憑性のあるものか議論すべきであり、なんでもかんでも「[要出典]」を貼ればいいというものでは無い。--218.45.108.158 2010年2月3日 (水) 01:49 (UTC)
船場商人の習慣
船場八社の内の一社の経営一族のものなのですが、船場商人の間ではこのような習慣は無かったと明治生まれの曾祖父に生前聞いております。 それ以外の職種の事は知りませんが、仮にあったとしてもかなりマイナーな行事だった様です。 ですから、船場商人と限定せずに、大阪商人と書き換えては如何でしょうか?--124.212.170.86 2009年2月28日 (土) 00:40 (UTC)
- 「船場商人」または「大阪商人」の出典が無ければ検証不可能なので削除。--米米倶楽部 2009年3月5日 (木) 16:29 (UTC)
- ここのrefの「西日本新聞 (2009-02-03). "「恵方巻き」工夫で勝負 関西発祥 2月商戦に定着 “内食”志向も後押し" (日本語). 2009年2月3日 閲覧。」に出典ありますが。「大阪の商人」あたりが妥当かもしれませんね--y_zai 2009年3月6日 (金) 23:04 (UTC)
- 文章を見る限り、歴史を調査をして書いたわけではなくwikipediaを見て書いたようです。--米米倶楽部 2009年3月10日 (火) 00:05 (UTC)
- 「船場」について一度コメントアウトされましたが、岩崎竹彦氏が2003年に歴史学として恵方巻の論文を発表(岩崎竹彦「フォークロリズムからみた節分の巻ずし」『日本民俗学』第236号、日本民俗学会、 エラー: 日付が正しく記入されていません。。)しており、また「北海道文教大学研究紀要 第32号」(荒井三津子・清水千晶 (2008年3月). “食卓の縁起に関する研究 I -恵方巻の受容とその背景-” (PDF). 北海道文教大学研究紀要 第32号 -2008年3月-. 北海道文教大学鶴岡記念図書館. pp. 調査報告. 2010年2月5日閲覧。)にも岩崎氏の資料を参考とした記述があり、これらに表記されているので発祥諸説としての出典は一応満たされているので通常の記述も可能ですが、議論もあるので脚注の形に直して表記しました。--茶務 2010年2月6日 (土) 02:27 (UTC)--茶務 2010年2月6日 (土) 02:38 (UTC)一部修正
- 文章を見る限り、歴史を調査をして書いたわけではなくwikipediaを見て書いたようです。--米米倶楽部 2009年3月10日 (火) 00:05 (UTC)
磐裂根裂神社の節分祭起源説について
- 栃木県下都賀郡壬生町の磐裂根裂神社の節分祭が起源であるという説について根拠が希薄として議論もせず消去する人がいるが、大阪海苔共同組合の前身が1970年代後半に始めたという説は、「巻寿司を祝う神」という節分に丸かぶり寿司を食べる内容を記載した昭和7年(1932年)のチラシが、「本福寿司」(大阪中央区)に現存している以上根拠の無い説であるにも関わらず消去されていないのと比較して中立的な観点で編集されていない。--218.45.108.158 2010年2月3日 (水) 11:16 (UTC)
新説について
歴史研究家からの出典があるのならまだしも、自己による主張だけの出典しかない(立て看板?)新説は、きちんと議論をしてから記述してください。しかも、セクションのつながりもおかしくなってます。--121.102.39.166 2010年2月3日 (水) 10:43 (UTC)
風習なのか
冒頭に「風習」とあるが、本当に風習や文化なのか。それとも、商業的なイベントなのか。後者だと考えますが、コメントをお願いします。冒頭文は特に大切ですので。--125.30.122.40 2012年2月5日 (日) 11:13 (UTC)
「その年の恵方を向く」について
夏・秋・冬の節分は問題ないのですが、春の節分は暦の年盤が切り替わる日(立春)の前日ですので実質的には「次の年の恵方」を向いていることになるのではないでしょうか。2014年の場合、2月3日の節分は2013年(癸巳)で丙、2月4日の立春は2014年(甲午)で甲。2014年2月3日に「その年の恵方を向く」とすれば丙の方角を向くことになりますが、メディア等で言われている東北東(寅)に最も近い恵方である甲を向くとなるとその時点では歳徳神はいないということになります。この点を記事に盛り込むべきと考えますがいかがでしょうか。 --EnoT 2014年2月4日 (火) 05:05 (UTC)
いつ食べるのか?
「恵方巻は、太巻き(巻き寿司)を節分の夜にその年の恵方に向かって無言で、」と書かれていますが脚注を見ても検索しても「夜」食べるという情報源が見当たりません。検索して出てくるのは時間指定がない解説サイトや「いつ食べてもいい」という回答ばかりです。ちなみに大阪在住の親戚に聞いたところ節分の朝起床したら無言で恵方巻きを作って食べ終わるまで無言だそうです。これは特殊なパターンなのかもしれませんが…。ともかく情報源がないので「夜に」という記述は外すべきではないでしょうか?--153.175.22.219 2015年2月3日 (火) 15:39 (UTC)