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ノート:必殺シリーズ/過去ログ1

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必殺シリーズへの統合

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作品リストとテレビシリーズ一覧??0null0 08:06 2004年1月8日 (UTC)

必殺必殺シリーズの関係です。誰かマージしてください、ということです。。。 シリーズ=番組一覧という考え方もないではないですが、やはり、一覧だけであれば一覧という名前の記事にした方がいいでしょう。マージ方法等は専門家におまかせします。すでにどちらへもリンクがあります。 Kozawa 08:09 2004年1月8日 (UTC)

専門家ではありませんが(^^;、「必殺シリーズ」に統合しました(「必殺」の履歴)。nnh 06:48 2004年5月10日 (UTC)

シリーズテンプレート作成提案

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現在作品一覧のテンプレートがないようなので、テンプレート{{必殺シリーズ}}を作成することを提案いたします。 対象となるのは今のところテレビシリーズのみの予定です(劇場版やTVスペシャルも執筆したいのですが何分映像が見られないので)。ご意見お待ちしております。--Mercurius 2006年7月29日 (土) 11:33 (UTC)

作成していただけたようなので、これからは記事の充実を図りたいと思います(差し当たってはTVスペシャルが急務)--Mercurius 2006年11月28日 (火) 10:09 (UTC)

朝日放送以外の歴代ネット局

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基本作風の記事について

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“困っているものを放ってはおけないようなタイプではない”といった表現が、読解力のない私には全くもって意味不明なのですが、困っている者を放っておけるのか、おけないのか、もう少し分り易い編集にならないものでしょうか。210.190.211.137 2007年11月17日 (土) 02:12 (UTC)

修正を確認致しました。大変わかり易く的確な編集となったように思います。有難うございました。210.190.211.137 2007年11月26日 (月) 06:07 (UTC)

「あんなん、『必殺』やおまへん」の記述について

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“必殺の復活、しかし…”の項で、劇場版『必殺! 三味線屋・勇次』に関して、“「必殺シリーズ」の生みの親である山内も「あんなん、『必殺』やおまへん」と酷評しており”と言及されておりますが、山内久司氏は本作でも企画としてクレジットされており、それなりの責任を負った氏がそのような発言を公表されたのかどうか、今ひとつ疑念を拭えません。

言葉の前後や裏に何か事情があるのかもしれないし、または、冗談でおっしゃった言葉を勝手に酷評したと誤解しているのかもしれないし…。

いずれにせよ、沢山の人が関わって製作された作品を、“酷評した”と表現する以上、ファン同士の噂話程度のものであれば、Wikipediaの記事にするには不適当な内容だと思います。また、明らかな出典元があって検証が可能ならば、それを本文中なりノートに明記したうえで、「あんなん、『必殺』やおまへん」という山内氏の言葉の真意が伝わるような、記事にしなければならないと思うのですが…。とにかく一週間様子をみて、議論または編集が進まないようであれば、先ずは要出典タグを貼らせていただきます。210.190.211.137 2007年11月26日 (月) 05:09 (UTC) 項目名を修正210.190.211.137 2007年11月26日 (月) 05:49 (UTC)

要出典タグを貼らせていただきました。理由は上記の通りです。更に様子をみて、当該内容を削除することも含めて、編集方法を考えたいと思います。210.190.211.137 2007年12月5日 (水) 01:03 (UTC)

私が妄想で書いてしまいました。「必殺! 主水死す」で最後になってしまい、しかも「三味線屋・勇次」に朝日放送は制作に関わっていなかったと思っていたので…。 誹謗中傷になりかねないことを書いて本当に申し訳ありません!!!!! 今すぐ削除します!!!!!--221.78.54.1 2007年12月5日 (水) 02:17 (UTC)

先ほど削除しました。山内先生、大変申し訳ありませんでした!!--221.78.54.1 2007年12月5日 (水) 02:22 (UTC)
210.190.211.137 です。そのように恐縮なさらなくても…(笑)。修正を確認致しました。お互い気をつけて頑張りましょう。兜差 2007年12月6日 (木) 06:50 (UTC) 早くも失敗してます…(笑)。修正。兜差 2007年12月6日 (木) 08:03 (UTC)

ああ、どないしよう? うち=221.78.54.1=が「あんなん、『必殺』やおまへん」と書いてもうたやさかい、こんなんなってはるわ吉川ひなのはんの自動車CMの真似や)。--MiraModreno 2008年8月20日 (水) 02:19 (UTC)

編集理由(2008/2/1)

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  • とりあえず、かいつまんで各所を編集しました。主なところとしては、
「旧TBS→TBSへの修正」
TBSがつぶれたという誤解を招く可能性があるため。
「テレビ放送の節の一部コメントアウト」
再放送の記述において、放送時期が特定できない表現(数年前)も見られるため。また、テレビ東京で仕事人シリーズが放送されない理由についての記述も意味不明であるため(朝日放送での仕事人再放送が多い事とどう関係があるのか?)。
必殺裏稼業の同シリーズ作品リストからの除外(影響を受けた作品の節へ移行)」
公式サイトにおいて、朝日放送・松竹両サイドとの関係が確認できないため。裏稼業のページおよびテンプレートも編集しました。

…こんなところです。--崎宏 2008年2月21日 (木) 01:44 (UTC)

時代設定について

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この時代設定という項目は必要ないと思うのですが。必殺スペシャルの「必殺忠臣蔵」で藤田まこと氏より「通常は幕末が舞台になっている」という説明がありましたが色々な歴史上の事件が混在している状態でもあり、個々に何時代であるかを検証すると矛盾が出てくると思いますので、藤田氏のいうように大雑把に幕末としておくのがいいと思います。 内容的にも例えば中村主水の所属奉行所や年齢、それに各シリーズ中の記述から主水シリーズは発表順に話が繋がっていると思われますし、非主水シリーズでも主水とリンクしているものもあるのでそれに準じるものと思われます。 例、仕置人(一話で主水39、もしくは40歳と思われる記述あり。北町奉行所所属)→仕留人(登場人物一部が仕置人からの再登場を窺わせる。北町)→仕置屋(南町転属。10話で42歳との表現)→仕業人→(仕置屋最終回からの流れで牢屋見回り同心)→新仕置人(一話目で牢屋見回りから定町回り復帰。)→商売人(一部新仕置人からの引継ぎメンバー)→仕事人(仕業人・赤井の最期が語られ、次作新仕置人までは休業状態であることが窺えるため自動的に商売人の後)以降は仕事人シリーズであるので連続していることは明白であると思います。従って「からくり人血風編」のような例外はあるもののほぼ発表順に推移していると見ていいのではないかと思います。--H-kuma 2008年8月21日 (木) 03:06 (UTC)

この話題、すでに解決してるのかもしれませんが、H-kumaさんのコメントを今、初めて拝見しましたので、一応、レスしておきます。『暗闇仕留人』のOPナレーションで「黒船」云々と言っておきながら、『必殺まっしぐら!』のあたりは天保年間という設定になっており、主水の関係者だけに絞っても時代設定には矛盾がありますから、深く考えない方が良いでしょう。やはり、『必殺忠臣蔵』の説明で、藤田まことが「いつの時代にも仕事人がいたと思って下さい」というような事を言ってましたしね。おそらく、スタッフも細かい設定には気を配ってないので、無理に説明しようとしたら(パラレルワールド説など)、独自研究に陥るだけだと思います。--Nandaro 2011年7月25日 (月) 23:57 (UTC)

特攻野郎Aチームについて

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特攻野郎Aチームが「必殺シリーズ」や「ハングマン」の影響を受けているという書き込みは何を根拠にしているのでしょうか? 両者の似ているところといえば「金を貰って仕事をする」という一点だけではないでしょうか? また日本のタイトルに「必殺!」とついていますがそれは飽くまで日本でついたものであって「Aチーム」そのものが影響を受けているのなら構いませんが本来は別に記述されるべき内容だと思います。 従って根拠がない場合は削除することを提案します。--以上の署名のないコメントは、H-kuma会話投稿記録)さんが 2008年11月13日 (木) 06:42 (UTC) に投稿したものです。

時代設定とテレビ放送の項目について

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ここ最近、自己研究色の強い物や事典にそぐわない冗長な物を削ったり整理しておりますが、それでいくつか。

まず、既に上記でも意見が出ていますが「時代設定」の項目は、必要性が無いでしょう。そもそも製作サイドがそれを気にしていないことは明白ですし、各シリーズにおいて関連性が薄い。最低でも、それぞれの各シリーズのページにおいて年代を記述しておけば良く、当ページでシリーズ全体を通して記述する必要性は無いと考えます。

次に、テレビ放送の項目ですが、これも必要性が無いでしょう。前番組あたりならまだしも、7時台の番組から詳細に羅列する必要性をむしろ聞きたいです。--EULE 2009年1月27日 (火) 15:11 (UTC)

一週間待って何も異論が無いようなので削除する方向で動きます。--EULE 2009年2月4日 (水) 05:16 (UTC)

記述内容について

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別のところでも一度、指摘したのですが必殺関係の記述の大本ということでもう一度、この場でも指摘しておきたいと思います。 この必殺関係でよく見られる傾向として「根拠のない記述(番組内、資料等などの裏打ちのない)」「番組内から直接そのまま引用したセリフ」が頻繁にあることです。根拠のない記述は自分のサイトならともかくこの場では如何なものでしょうか? そして本来、番組を見た人間、あるいは資料を読んだ人間が個々に想像すればいいようなことまでダラダラと書き込む必要はないと思います。 セリフの直接引用もウィキペディアの主旨に反するのではないでしょうか? 引用するのであれば意味的に要約した形にするべきなのでは? 見つけるたびに極力、訂正するように心がけていますが皆様はどう思われるでしょうか?--H-kuma 2009年3月7日 (土) 01:16 (UTC)

このページに関しては少し前に私が編集してだいぶ改善したと思うのですがどうでしょうか?まだした方がいいというなら、具体的な箇所さえ指摘されれば善処します。--EULE 2009年3月7日 (土) 08:45 (UTC)
このページがということではなく他の必殺関係のページで多かったのですが、ここが必殺関係の大本となるページと考えまして一応書かせていただきました。会話の丸写しで文章を作るような人や、あまり意味がなく思える掘り下げをするのはどうなんだろうかということです。--H-kuma 2009年3月9日 (月) 08:20 (UTC)
でしたら、おおよその注意書きのような物をここのノートに作り、テンプレを使って「編集する際はお願いがあります、ノートを呼んでください」と言うように誘導すると良いかもしれません。また、現状の過剰な内容、冗長な内容に関しても「内容過剰」のテンプレを張って、こちらのノートに誘導するのも手かもしれません。自分でも手を加えた上で修正依頼を出すのも良いと思います。
それはともかく、明確な方針や行動を示さない限りで、色々述べられても(そして賛同を求められても)対処のしようがありません。前に#時代設定についてを提案されたようですが、提案するだけで何も行動を起こさない。とりあえず最悪でも1ヶ月待って何の返答も無いのであれば、バッサリやっても文句を言われる筋合いは無いと思いますよ。そもそもガイドラインには「編集は大胆に」とありますし。--EULE 2009年3月9日 (月) 08:41 (UTC)
(追記)それとここを大本のページとするならわかりやすいように、他の記事をここの子記事化すると良いかも知れません。--EULE 2009年3月9日 (月) 08:43 (UTC)

シリーズ一覧の説明文について

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本来はタイトルのみで、説明については他リンクで説明してこちらは冗長にならないようにするべきだと思います。TVスペシャルの項目については赤リンクを解消してそちらに統合したいと思っていますので、とりあえず調べられるだけで作成してみます。統合提案については作成後改めてさせていただきます。--Mercurius 2009年4月5日 (日) 00:11 (UTC)
はいそれで構わないと思います。赤字リンクだったので、便宜上、補足説明を残しておいたようなものなので。--以上の署名のないコメントは、EULE会話投稿記録)さんが 2009年4月5日 (日) 04:13 (UTC) に投稿したものです。

TVスペシャルについて一部転記提案

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一応赤リンクは解消しましたので、それぞれへ転記させていただいた後、こちらの方は削除させていただきたいとおもいますがよろしいでしょうか。--Mercurius 2009年4月5日 (日) 13:54 (UTC)
賛成--EULE 2009年4月6日 (月) 06:33 (UTC)
TVスペシャルの説明は、各ページ毎でよいと思います。ご提案に賛成します。--兜差 2009年4月9日 (木) 13:02 (UTC)
転記および削除完了しました。--Mercurius 2009年4月12日 (日) 04:40 (UTC)

登場人物の統合再編提案

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一応、ここが必殺関係の大本のページなのでここで提案させてもらいます。

登場人物に関しての統合・再編を考えています。具体的には、とりあえずは中村せん中村りつの統合ですが、何なら妙心尼糸井あやも含めてしまう、あるいは後者2人は特筆性の観点から削除してしまうなど、せんりつに限らずあくまで登場人物全体の再編など、色々考えられると思います。また、統合するとして記事名(「中村せん・りつ」「中村家」等)はどうすれば良いか?などの意見が欲しいです(当然、反対と言う意見もありです)。--EULE 2009年5月9日 (土) 06:18 (UTC)

中村せん・りつ」で統合を進めたいと思います。--EULE 2009年6月9日 (火) 07:32 (UTC)
中村せん・りつ」で統合しました。ひとまず報告です。--EULE 2009年6月11日 (木) 12:01 (UTC)

総称について

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殺し屋の説明で「仕事師」という名称を用いるのに違和感を覚えます。番組内で登場人物が「ただの殺し屋ではない」という自負をこめて○○人、△△人と呼んだり、個人のサイトで(個人的には一人よがりな感じがしますが)そう書くのは分りますが、ウィキぺディアのような場所ではどうでしょうか?マニアでない人にすぐ分るか?という気もします。 それにこの「仕事師」という言葉は番組内でも偶に使われており、大抵は詐欺師とか如何わしい商売をやっている人間とかがそう呼ばれています。客観性を考えたら「殺し屋」という名称と統一するのが一番いいと思うのですが、どうでしょうか?--222.146.129.123 2010年5月20日 (木) 01:33 (UTC)

本稿において「仕事師」という名称は使われてません。--EULE 2010年5月20日 (木) 03:58 (UTC)

20日1:33に書き込んだ者です。「必殺仕事人」の第一話で「仕業人、商売人などの闇の仕事師」という表現を見つけました。総称としての「仕事師」という呼称は有り得るようです。--220.97.26.203 2010年6月26日 (土) 04:50 (UTC)

最終回のあらすじを書くことの是非について

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必殺シリーズ自体の記述ではなくて各作品の記述についての話です。私の知っているだけで、必殺仕置人新・必殺仕置人江戸プロフェッショナル・必殺商売人で最終回のあらすじが書かれていますが、これは必要なのでしょうか。たしかに最終回は名作ぞろいですが、百科事典として必要な記述と言えるのでしょうか? 必要と思われる方、不要と思われる方、それぞれの御意見をお聞かせください。--61.24.84.111 2010年12月5日 (日) 07:40 (UTC)

少し前までは、あらすじを全て書き出すということは避けられてきたのだけど、ここ最近はウィキペディアではあらすじは全て書くべきだ(あるいは書いてあっても問題は無い)という流れになってきています。詳しくはWikipedia:ネタバレWikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案の本分やノートなどをご覧ください。例えば英語版は、1話完結型の作品で各話ごとのあらすじを書いてあるものさえある(しかもそれは秀逸な記事に選ばれてもいる)。
まあ、1話完結型の作品で全話を書き出すというのは、労力が掛かる割には、大したリターンが無いのでやりませんが、それでも1話と最終話というのは、そのシリーズ全体に意味を持つので、記述する価値はあると考えてます。
誤解があるといけないのだけど、シリーズ全ての最終回を書くべきだとは思っておりません(かといって書いてあれば、それを除去するべきだとも思ってません)。自分が今のところ関わったのは『仕置人』『新仕置人』『商売人』『V旋風編』『V風雲竜虎編』『激突』『渡し人』『橋掛人』ですが、この内『激突』『渡し人』『橋掛人』については最終回を記述してません。記述した物についてはそれが後のシリーズだとか人物の説明に強く関わるために記述してあっても良いだろうと考えて記述してます。特に『新仕置人』『商売人』は必殺シリーズ全体の理解にも重要な意味を持つと思ってますし、まだ無いですが『仕留人』『仕業人』も重要だと考えてます。またシリーズの一旦の終わりとなる『剣劇人』の最終回も記述した方が良いでしょう。
あと、あらすじの記述の関係で出てくる話を続けると、日本語版の不思議として、人物説明だと書き出してもとやかく言われないのに、ストーリーだと事典的ではないと問題視される。それは非常に不思議なことだと思ってます。--EULE 2010年12月5日 (日) 08:43 (UTC)
1週間経ちましたが、何の反論、あるいは他の意見も無いならば、差し戻ししたいと思います。あと3日だけ待ちます。--EULE 2010年12月12日 (日) 05:42 (UTC)

(報告)予告通り記述を復帰いたしました。--EULE 2010年12月16日 (木) 09:32 (UTC)

やはりくどくどあらすじを書くのは不要ではないでしょうか。必殺仕置屋稼業なんかは記述がないわけですし。--61.27.166.207 2011年6月23日 (木) 21:51 (UTC)
もう一つ追記。「ここ最近はウィキペディアではあらすじは全て書くべきだ(あるいは書いてあっても問題は無い)という流れになってきています。」の根拠はなんですかねえ。少なくとも必殺仕置屋稼業必殺必中仕事屋稼業なんかにはないわけです。EULE氏の挙げた内容だけが根拠になっているようですが、そんなことを言い出したら、ドラマ項目はあらすじばっかになってしまいます。そんな状態が百科事典として適切だとは思えません。--61.27.166.207 2011年6月23日 (木) 21:58 (UTC)
反論や批判するのは自由ですが、まずは人の意見を読みましょう。あなたが今回、批判や質問したことはほとんど既に述べてますよ。述べてない部分で付け加えるとすれば、「他に書いてない」ことは「他では書いていけないことになっている」わけではないってのはわかりますかね。--EULE 2011年6月24日 (金) 00:15 (UTC)
(追伸)61.24.84.111氏とは同一人物ですか?説明責任を果たすために一時的なアカウントでも良いのでログインが推奨されてますが、とりあえず同一か別人かだけ教えてください。--EULE 2011年6月24日 (金) 00:26 (UTC)
「他に書いてない」ことは「他では書いていけないことになっている」わけではない、ですか。でも好き勝手に書いていいわけではないですよ。それに、EULE氏が根拠として挙げている記事、最終回のあらすじを書く理由としては非情に弱すぎますね。それが最終回の粗筋を書く根拠だと言い張っているのは今のところ、EULE氏一人だけなわけですし。
あと、EULE氏の61.24.84.111氏とは同一人物とかいう質問に何の意味があるのでしょうか? 多重アカウントだとでも言いたいのかしら。多重アカウントを使って多数派工作をしているとでも言いたいのでしょうか。いずれにしろ、この状態で説明責任が果たせないとしている理由が不明確ですね。
というわけで改めて聞きましょう。「ここ最近はウィキペディアではあらすじは全て書くべきだ(あるいは書いてあっても問題は無い)という流れになってきています。」の根拠はなんですか。それこそ、説明責任を果たすべきじゃないですかねえ。--61.27.166.207 2011年6月25日 (土) 00:29 (UTC)
もうひとつ書いておきましょう。新・必殺仕置人最終回の一つ前の話は死神が死亡する話で最終回で寅の会が崩壊する伏線になっている話です。最終回について記述するなら最終回の一話前の話も記述すべきだと言い出す人も出てくるでしょう。同様の理屈で虎の娘が登場する話や天狗の鞍造が出てくる話も記述すべきだという人も出てくるでしょう。そんなことになったら収拾がつかなくなってしまいます。やがては「全話ストーリー集」という形にしなければ満足できなくなってしまう人が出てくるでしょう。そんな状態が望ましいと思いますか? 私は望ましいとは思いません。
そもそもEULE氏が書いているレベルで最終回のストーリーを記述する必要があるとは思いません。暗闇仕留人必殺必中仕事屋稼業必殺仕置屋稼業必殺仕業人新・必殺仕置人などは作品の世界をよく表したものだと思います。でも必殺仕置人江戸プロフェッショナル・必殺商売人まで書いていたらキリが無くなります。やがては最終回にはとどまらず「重要な話はあらすじを書きたい」となり、「ここまで来たら全話書こう」となることは目に見えています。そんな状態が望ましいとは到底思えません。
なお、必殺仕置人と必殺商売人が駄作と言いたいわけではないので念のため。--61.27.166.207 2011年6月25日 (土) 22:35 (UTC)
まず、最終回のあらすじを書く根拠といわれると困る。自分は「こういう根拠があるから記述している」というよりも「こういう根拠もあるから削除される必要もない」と言っている。確かに、私が「こういう根拠で最終回の記述は必要なんだ」と訴えているなら、何で他のシリーズや他の話のあらすじは書かないのだとか、ドラマ全体が云々などの指摘は妥当なものだと思う。だけど、「1話完結型の作品で全話を書き出す労力とリターン」「シリーズ全ての最終回を書くべきとは思ってない」とも既に言っているわけで、あなたの指摘は外れている。
私は必要だと思ってるが、あなたは最終回の記述は必要ないと思ってるならそれで良い。あらすじを全て書き出せという明文化されたものはないけれども、それはあらすじを全て書いてはいけないというのも同じこと。あなたの主張もまた主観的でかなり弱い。そもそも「流れ」という変移について述べたけど、これは逆に言えば、昔は「(あらすじは序盤を除いて)削除するべきだった」というものがあったということを認める文でもある。
あと『仕置屋稼業』について書いてないのは、まだそこまで手が回ってないからで着手したら記述しようと思ってます。『仕事屋稼業』については着手しても記述する予定は無いですが、記述されても除去はしませんね。--EULE 2011年6月30日 (木) 15:17 (UTC)

結局のところ、EULE氏の主張が主観的なものであることが図らずも自身の記述により明らかになったわけです。つまり「他人の迷惑などどうでもよい。誰がなんと言おうと俺が書きたいものを書く。禁止されてないから何でもやって良いのだ。」と言っているに過ぎません。数あるシリーズの中で最終回を記述する作品をどう決めているのかも明確になっておらず、「俺が書きたい作品で最終回を書く」と好き勝手に決めているわけです。でも Wikipedia というのはEULE氏一人のものではありません。他の人との共同作業で創り上げていくものなのです。「俺が書きたいものを書く」のなら Wikipedia 以外の媒体で行なえばよろしいだけの話です。世の中、いくらでも Web サイトのサービスはあります。そこで行なえばいいだけの話です。

このままでは話が平行線を辿ることがはっきりしてきました。ここで二つ提案があります。一つ目は他の人がどう考えているのか、意見を求めることです。最終回を書くことの是非について、是とするものが多ければ残し、非とする人が多ければ削除する。そしてもう一つの提案は、最終回を残すことになった場合、どの作品について記述するのかを明確にすることです。以上の二点が明確になっていれば私が以前に挙げた懸念への解答にもなるでしょう。

これについてEULE氏はどのようにお考えですか。--61.27.166.207 2011年7月2日 (土) 00:02 (UTC)

現状ではあなた一人しか言ってないのに、他人の迷惑だとか、共同作業を持ち出されても困る。とどのつまり「私は必要だと思ってない、私の迷惑だ、私の意見に従え」と言っているのと同じであり、そんなものには従えない。あなたのその論調は、最終回は記述するべきではない、というルールもしくは共通認識が無い限り、多数派を気取ったジャイアニズムでしかない。
それに、「かといって書いてあれば、それを除去するべきだとも思ってません」とあるように、私が特に必要だと思ってない作品の最終回を誰かが書いたとしても、それを妨げるようなことはしません。私は「私が書きたいものは書くが、それ以外は認めない」と言っているわけではない。全話書き出すことは、まず私がすることは無いが、それをする者が現れたとしても、それをそれ自体を持って非難することはない。何故なら、英語版などではそういう形態の記事が実際にあって、日本語版ではそれを禁止するルールが無いのだから。
改めて言いますが、「私は(積極的に)最終回の記述を削除される必要は無い」という前提にあります。それは私が書いた物以外でも同じです。ちなみに作品の形態によって1話と最終回だけ記述するよりも、あらすじ全てを書いた方が良いものもある、1話だけで十分なものもあると考えてます。だから、杓子定規に他に当てはめ非難するのも止めてほしい。
あと最終回を記述するルールが曖昧というなら、少なくとも私が現状であったほうが良いとして挙げたのは、次作があるってことです(ってかちゃんと言ってるよね)。まあ、基本は主水シリーズの系統ですね(だから主水シリーズでも次作はない『激突』は記述してない)。挙げ忘れてるのは『仕舞人』かな。
平行線に関する提案には賛成です。コメント依頼などをして第三者を集めるのは妥当でしょう。ただし、多数決と合意形成は違うことには念を押しておきます。一度仕切り直して互いの論点を第三者に見てもらうような形にしておく。ごちゃごちゃしてると見ても書き込んでくれないことが多いので。--EULE 2011年7月5日 (火) 14:28 (UTC)
EULE氏はごちゃごちゃ書かれていますが、「電車の中でウォークマンのシャカシャカ音が使用が携帯電話で通話をしようが、それを取り締まる法律などないのだからやっても構わない」ということをクドクドと主張されているわけですかね。でも法律で禁止されていないからと言って他人が迷惑に思うことをするのが許されるわけではないですよね。皆がワガママばかり言っていたら世の中は目茶苦茶になってしまいます。ある程度の線引きは必要になってしまいます。節度ある人間ばかりなら下らん規則など要らないでしょうが、節度のない人間が増えてしまったらそうも行かなくなるでしょう。今の状態はその一歩手前の状態であると私は考えております。EULE氏の主張は、他人の土地を不法占拠しておいて「俺はここに居座る権利がある」と言っているのとなんらかわりはありません。
だいたい「英語版などではそういう形態の記事が実際にあって」とありますが、具体的な事例が一つもあがっておりません。図らずもEULE氏が書いているとおり、作品ごとに事情は違うのですから、それぞれについて検証が必要です。その議論もEULE氏は勝手に省略しています。
それに「現状ではあなた一人しか言ってない」とありますが、EULE氏にも同じことが言えるでしょう。自分を棚にあげて他人ばかりを責める。EULE氏はよほど偉い方なのでしょう(棒読み)
とりあえず、平行線を辿っているという私の認識には賛同いただいたようです。が、残念ながら認識がずれているところがあります。「多数決と合意形成は違うこと」というのを強調されておりますが、にも関わらず合意形成のための具体案がありません。EULE氏の考える合意形成を行なう方法とはなんですか? もっとも、EULE氏が過去に行なった「合意形成」とは、単に相手から反論が無くなるというのを待つというもの。それは合意形成とは違うことには念を押しておきます。--61.27.166.207 2011年7月6日 (水) 12:15 (UTC)
そうそう。九電:「原発賛成」やらせメール 関連会社に依頼 http://mainichi.jp/select/biz/news/20110707k0000m040079000c.html という記事を読んだら「何故なら、英語版などではそういう形態の記事が実際にあって、日本語版ではそれを禁止するルールが無いのだから。」という文章が思い浮かんでしまいました。やらせメールは法律には触れちゃあいないけど、道義的には許されるものではありませんよね。「ルールが無いのだから」何でもやって良いわけではないことにも念を押しておきます。--61.27.166.207 2011年7月6日 (水) 12:33 (UTC)
まず迷惑行為と断定していることに反論しています。最終回を記述することが迷惑行為だと明文化されている、あるいは、一般に認知されているというなら、あなたの言い分は通る。「電車の中でウォークマンのシャカシャカ音が使用が携帯電話で通話をしよう」が迷惑行為なのは一般に認知されているから、その例えは通る。しかし、最終回を記述することが迷惑行為と言っているのが現状ではあなただけです。ルールが無いのだから何でもやっていいわけじゃないですが、それは、誰かがいけないと思ったからって、他人がやってはいけないわけじゃないんです。
私の意見も「私しか言ってない」という指摘は正しいです。しかし、私はあなたと違い、目に見えない多数派の意見を代表していないし、抗弁権を否定しない。私の意見にあなたが従わないからといって、私はあなたを共同作業の精神に反するとか、我侭だなんて非難してませんよね。これが私とあなたの大きな違いです。棚に上げると非難してますが、私はあなたと違って、相手しか言ってないことをもって非難しているわけではないんです。当人しか言ってないのに、さもそれが正義であるかのように、共同作業に反するとか、我侭と人格を非難してくることに非難しているんです。
合意形成を行なう方法についてですが、集めた人で議論して(それに類するプロセスを経て)、結論(合意)を出すという極々当たり前のことです。単純に、集まった人の是々非々で決めるのは投票であって、多数決であって、合意形成ではないってことです。さらに付け加えるならば、当事者である我々は、論敵を論破することを目的とするのではなく、自分の考えを第三者に説明し、第三者の支持を取り付けることを目的にするってことです。それら十分な手間と時間を経て多数派が構築されるならまだ反対がいても合意形成でしょう。--EULE 2011年7月6日 (水) 13:07 (UTC)

結局のところ、EULE氏はどうなれば合意形成と言えるのか、具体案を提示していませんね。これでは話が進むはずがありません。「棚に上げると非難してますが、私はあなたと違って、相手しか言ってないことをもって非難しているわけではないんです。当人しか言ってないのに、さもそれが正義であるかのように、共同作業に反するとか、我侭と人格を非難してくることに非難しているんです。」の部分はEULE氏自身に当てはまることです。結局のところ、EULE氏の主張は「俺のやっていることは絶対に正しい。誰がなんと言おうと認められはしない。」と言っているに過ぎません。「最終回を記述することが迷惑行為と言っているのが現状ではあなただけです。ルールが無いのだから何でもやっていいわけじゃないですが、それは、誰かがいけないと思ったからって、他人がやってはいけないわけじゃないんです。」とひたすら主張して自分の正当性だけを述べようとしていますが、「最終回を記述することが迷惑行為でないと主張しているのはEULE氏のみ」というのを意図的に隠そうとしています。これでは話が進むはずがありません。

とりあえずEULE氏の「英語版などではそういう形態の記事が実際にあって」の部分の検証が必要でしょう。具体例が一つもあがっていないのだからEULE氏の主張が正当かどうか判断しようがないですね。まずは「この記事がそうです」と一個出せばよいだけだと思うのですが、EULE氏はなぜそうしようとはしないのでしょうか。もしかして「英語版などではそういう形態の記事が実際にあって」というのは嘘なのでしょうか? --61.27.166.207 2011年7月9日 (土) 23:19 (UTC)

最終話のあらすじが書いてあることが、あなたにとって迷惑だとしても、別に何の問題もありません。はあ、迷惑ですか、ではウィキペディアはご覧にならないでください、……それだけです。どうぞお引き取りください。ついでに、「ウィキペディアは最終話のあらすじまで載っていてけしからん」とでも触れ回っていただけると、こういう勘違いさんが減ってむしろ助かります。
他の記事がどうだから、というのは何の根拠にもならないのですよ。数の上では、成長途中の、駄目な、全然内容のない、まるでなっていない、ろくでもない、…そういう記事が圧倒的多数なわけですしね。まぁ、他の記事が「最終話のあらすじは伏せときましょう」という議論の末にそういう結果に至っているのであれば、まだ何かしらの「参考」程度にはなるのでしょうが、そうでもなければ何の根拠にもなりはしない、「どうでもいいこと」です。「最終回のあらすじを書くことの是非」などと、そこに異を唱えること自体がおかしな話なのですよ。
百科事典なんてものは、気をつけていないと、物語の結末(例:最後○○は死ぬ)だとか、あるいは毛虫やら蛙やら深海魚やら内蔵やら性器やら病気の症例やら、そういう写真があったりするものです。知りたくない・見たくないのなら、調べなければいいだけです。もしいい年をした大人が、そういう根本的なところで百科事典というもの(あるいは事典や本全般)を理解できていないのなら、それはちょっと恥ずかしいことです。--氷鷺 2011年7月10日 (日) 16:23 (UTC)
『「最終回を記述することが迷惑行為でないと主張しているのはEULE氏のみ」というのを意図的に隠そうとしています。これでは話が進むはずがありません。』。隠すも何も、何で私がそのような主張をしないといけないのでしょうか。迷惑行為だと主張しているあなたが、それを立証する責任があるのであって、当人がそれをしてない状態で、それを受けた私が「迷惑行為ではない」と主張し、それを立証する義務はありません(まして悪魔の証明)。あなたは自身が負うべき立証責任を、反対事実の証明という形で私に負わそうとするから、話が進まないのです(しかも、それを「隠そうとしている」などと人格批判に絡めるから、さらに性質が悪い)。また、私が自身の正当化しか主張してないように見えるのも、あなたがすべきことをしていないから、私がとりうるアクションが限られているというだけでの話です。逆にいえば、あなたがご自身の主張について論拠や論述してくれれば、そこに私が反論したり妥協したりする余地はあると思います。しかし、それが無いから、私から言えるのは、「そんなものには従えない」ってことです。--EULE 2011年7月11日 (月) 08:29 (UTC)
例示すれば、「この記事の場合はこうなっているのであらすじがこの粒度で書かれている」と検証すればよいだけの話だと思いますけど。それを行わない理由はなんなのでしょうか?もっとも、独自研究と疑う人が出ているので、例示できないのかもしれませんかねえ。まさかそんなことはないと思いますが。--61.27.166.207 2011年7月15日 (金) 23:41 (UTC)
すみませんが、何を例示すれば良いのでしょうか。「この記事の場合はこうなっているのであらすじがこの粒度で書かれている」は、(決して皮肉ではなく)意味がわからないのでもう少し掻い摘んでお願いします。粒度という語句から推測して1話と最終話が書かれ、他の話が書かれない理由という意味でよろしいでしょうか?(でもそれは既に書いてある)。それとも英語版のことでしょうか?それに「最終回は迷惑だ」と最終回を記述すること自体の是非に言及し、かつ、あなたが今回の発端である以上、あなたは自身の主張について立証する義務を免れませんよ。
そもそも、あなたは何をしたいのかわからない。最終回を記述すること自体を非難したいのか、必殺シリーズにおいて最終回を記述することを非難したいのか、1話と最終回のみ記述してあることを非難したいのか、私自身を非難したいのか。今も読み返しましたが、私の言動の一字一句に反応するせいで、あなたの意見は一貫性が無いように見える。無論、そう見えるだけで、あなた自身は一貫した目標があるはずですから、それをお聞きします。あなた自身はどうしたいのですか?--以上の署名のないコメントは、EULE会話投稿記録)さんが 2011年7月16日 (土) 01:03 (UTC) に投稿したものです(MiraModrenoによる付記)。
たとえ最終回が詳細に描写されていたとしても、百科事典としては問題ないと思います。百科事典というのは要するに、「何でも書いてあります」と表紙で謳ってるわけですよね。私自身、劇場映画のあらすじがあまりにも短くて、うっかり結末まで読んでしまったり、小説シリーズの登場人物の記事を読んでいて、自分が今読んでる巻の数冊先の展開(○○とxxが結婚する等)を知ってしまって後悔することはありますが、それは百科事典を読む上でのリスクです。氷鷺さんもおっしゃってるように、知りたくないことは調べなければ良いんです。私自身は積極的に終盤の詳しいネタバレを書こうとは思いませんが、すでに書いてあることをわざわざ削除しようとも思いません。次作の導入として必要な場合もあるでしょう。たまたま、「これはバラし過ぎかも」と思うような記述を見かけたら、「ネタバレ」タグを貼ってあげるようにしてますが、それは老婆心でそうしてあげてるだけで、たとえそういうタグがなくても、各読者が自分のリスクで「読むべきか否か」を判断すべきでしょう。特に大人なら。--Nandaro 2011年7月26日 (火) 00:43 (UTC)

61.27.166.207氏の最後の発言から1ヶ月経ちました。議論は終わったとみてテンプレを撤去したいと思います。--EULE 2011年8月14日 (日) 09:00 (UTC)

独自研究の疑い

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横から失礼します。特筆性や独自研究に問題ありと思いましたので、問題としてあげられている箇所にテンプレートを貼りつけておきました。特筆性だと記事全体になるようでしたので、独自研究としておきました。私自身は最終回の記述はあってもなくてもいいけれども、現状の内容では独自研究だと思います。--一利用者 2011年7月14日 (木) 20:43 (UTC)

もっと具体的にお願いします。返答のしようがないです。--EULE 2011年7月16日 (土) 01:03 (UTC)
1週間経ちましたが、このまま返答がなければ独自研究テンプレを除去します。あと3日待ちます。--EULE 2011年7月21日 (木) 16:39 (UTC)

(報告)予告通り、氏が張り付けた独自研究テンプレを除去しました。--EULE 2011年7月24日 (日) 10:49 (UTC)

基礎情報テンプレートについて

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各作品の基礎情報テンプレートで、正味の放送分が記されていたり、エンドクレジットの再現が行われております。Template:基礎情報 テレビ番組#使用例ではCMも含めた番組枠全体の放送分が記載されていること、Template:基礎情報 テレビ番組#引数では主な出演者を記すと書いてあることから、あくまで基本情報を記すものであり、こうした独自研究やテンプレートの誤用について修正しました。--彩華1226 2011年1月21日 (金) 07:28 (UTC)

そのテンプレートをそれぞれ最初に各作品に貼付した者です。大変申し訳ありませんでした。あと『仕置屋稼業』の藤田まこと氏の順番を最後尾に移動しておきました。--MiraModreno 2011年1月21日 (金) 10:51 (UTC)
当該ページに記述された経緯を見る限り、「仕置屋稼業」の主人公は主水だが日景忠男のゴリ押しで沖雅也がトップクレになったということですよね。私が述べたようにテンプレートは主な出演者を記す項目であってクレジットの再現をする場ではありません。であれば、主人公の藤田まことが最初に書かれるのは当然ではないんですか。--彩華1226 2011年1月22日 (土) 07:55 (UTC)
全くダメです。藤田は『仕置人』から『新・仕置人』まではトメで、あくまでも脇役です。--MiraModreno 2011年1月22日 (土) 19:08 (UTC)
追伸:市松にも主人公は主水でなく市松である旨を明記してます。--MiraModreno 2011年1月23日 (日) 05:11 (UTC)

(作品を観る限りでは、自分は中村主水が主人公であると思ってるけど)本記事にもある「中村主水の主人公問題」も参考にしてもらうといいですが、実際に沖雅也や中村敦夫が主演とされた資料もあるので、その辺りの線引きは難しいと思います。もっとも、エンドクレジットを再現する必要はないという指摘も妥当なもので、この場合、藤田まことを最後尾にするのではなくてせめて2番目に記述するべきだと想います。脇役というとニュアンス的に問題があって、厳密には助演とか相手役と呼ぶような地位だし。--EULE 2011年1月23日 (日) 05:35 (UTC) :(追記)仕置人だって、主水の比重は鉄や錠より低いとはいえ、作品の役の重さは3番目であって、津坂や野川より藤田が低いってのは変でしょう。まして6話しかでてない高松以下ってのはね。--EULE 2011年1月23日 (日) 05:39 (UTC)

さて、お2人からのコメントは無いですが、まず原則としてエンドクレジットのトップを1番目にする。その上で、トメでも、起こしで強調されているとか、準主役級と呼べる役については2番目(ないし上位)に置くということでどうでしょうか?仕置人のように、鉄→錠→主水とした方が良い場合もあるので、これはあくまで原則として、個別の事情に合わせて例外も適応していくという形で。--EULE 2011年1月24日 (月) 07:23 (UTC)

どうもありがとうございます。--MiraModreno 2011年1月25日 (火) 02:46 (UTC)
『仕置人』、『仕留人』、『仕業人』では3番目に、『仕置屋稼業』、『新・仕置人』では2番目に移しました(いずれも藤田大先生)。--MiraModreno 2011年1月25日 (火) 02:52 (UTC)
今回の発端である藤田まことの位置が問われることも無いものも上記提案に基づいて編集しました。--EULE 2011年1月25日 (火) 14:22 (UTC)
あと、『からくり人』関連も、山田五十鈴大先生と草笛光子さんもEULEさんの出した案通りに2番目に移動しました。--MiraModreno 2011年3月12日 (土) 03:07 (UTC)

前期・後期とは?

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「前期」と「後期」を比較する文章がいくつかありますが、具体的にどの作品を境に「前期」と「後期」に分かれるのかが不明です。今後も新作が作られるかもしれないシリーズなので、単純に2つの時期のみに分けてしまうのは少々乱暴な気もします。私も自分の頭の中では漠然と「第1期」「第2期」「第3期」のような分け方をしてますが、それは独自研究にすぎませんから、ウィキペディアには書けません。「前期」「後期」(あるいは別の分け方)を明確に示している公式資料や研究書籍などはありますか?もし、ないのであれば、「後期では」という表現を「『(具体的な作品名)』以降」などに書き換えるべきだと思いますが、いかがでしょうか?--Nandaro 2011年9月21日 (水) 20:08 (UTC)

すみません、読み落としてましたが「15作目『必殺仕事人』を境に前期と後期に分けられ...」と書かれてましたね。失礼しました。でも、できれば、これを裏付ける資料があった方が良いと思います。--Nandaro 2011年9月21日 (水) 20:11 (UTC)