ノート:心
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Wikipediaらしく各論同じ重み付けで並記すべし
[編集]Was a bee君のWikipediaの編集のしかたは間違っている。これははっきり言っておく。Wikipediaは独自の論を展開する場でも、特定の論だけを強調する場でもない。あくまで読者に判断の材料を与える場であって、判断をするのは読者だ。できるだけ読者にゆだねるべきだ。つまり、数ある視点は、自分の持論とは異なる論までも、同じ重み付けで並立的に列挙するべきだと思っている。自分の考え方を冷静に突き放して、あくまで各論の重み付けが偏らないようにする。Was a bee君のようにストーリー付けや意味づけをしすぎるのも不必要だ。
たぶんあなたは、私が異論もしっかりと残す編集をしているものだから、てっきり私が神秘主義者だと誤解したのだろう。止めてほしい。 ひどく私を誤解しているようだ。私の考え方は以下の考えと100%合致している。
- 「心という名を冠されることのある性質(学習、記憶、発話、思考、判断、感情など)は、そのほぼ全てが脳の物質的な振る舞いとして理解することができる(還元できる)。しかし唯一、意識(専門的には現象的意識、クオリアなどと呼ばれる)だけは、物理的なものに大きく依存しつつも、物理的なもののなかには還元しきれない。」
これはまさしく私の考えだ。私の考えでは、心に神秘など認めていない。だから、空想の世界で仮想敵を作りだして苛立ったりするのは止めてほしい。それと、私はこの項にはSeeleだけで投稿している。他のハンドルネームの人は私とは全然関係無い。どこの誰だか知らない。 Seele 2007年3月1日 (木) 02:46 (UTC)