ノート:徳恵翁主
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記事名について
[編集]この記事の人物は、生涯において複数の名前がありますが、現在の記事名である「徳恵翁主」が正確だとは思えません。韓国・中国で広くこの名前で知られているようですが、日本において正式なものとして使用されていたか・広く使用された名称であるかという点に疑問が残るからです。 確認・検討すべき事項としては、
- 王公族の女子の身位 - 彼女は1912年生であり「翁主」が使用されたか否か
- 「李徳恵」「宗徳恵」「梁徳恵」「徳恵姫」のうち、どれが最も(日本語圏において)使用頻度が高いか
とりあえず、暫定記事名テンプレを貼って、もし必要があれば改名できればと考えております。--桜の国 2011年5月30日 (月) 12:24 (UTC)
- From the record of Joseon dynasty (朝鮮王朝実録,大正11年) Princess Deokhye (徳恵翁主) was really the title used by Korea [1]. However, Deokhye (徳恵/トクケイ) becomes her "name" in the family member record in [2] (李太王族譜). - George6VI(会話) 2020年7月8日 (水) 10:56 (UTC)
娘:正恵について
[編集]50年近くたった後に遺体が発見されたことを、夫だった宗昇が記している。 との記述があり、脚注として 宗昇の詩「手帳」による。宗昇詩集『記憶のみなわ』所収 とあります。 しかし、「手帳」のみを、遺体発見の根拠にするのは少し無理があるような気がします。 あくまでも「詩」であり、作品です。 作者の願望や鎮魂の思いが反映された作品、という読み方もできます。 「手帳」の中には、「正恵」という固有名詞も使われていません。 人の生死に関わる記述です。 「手帳」の作者であり正恵の夫であった宗昇氏の証言、もしくは遺体発見の新聞記事など、より信憑性のある根拠が必要なのでは無いかと思います。 --Keikeidragon(会話) 2016年10月5日 (水) 17:02 (UTC)
- 話題が異なりますので、見出しを新たに付けました。--エンタシス(会話) 2017年1月8日 (日) 19:35 (UTC)