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ノート:徳川御三家

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三家の葵紋について

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表葉裏葉で区別するというのは天野信景『塩尻』から発した俗説です。本文に記載するのは控えるか、少なくとも俗説である旨を書くべきでしょう。

第一、葵裏葉というのは葉脈のない図章です。現存する三家の門で該当するものはありません。

第二に、表葉裏葉だけで区別するのでは将軍家と三家の4家しか区別できません。三家より家格の劣る家門が全て表葉であることの説明にもなりません。

(『塩尻』では家康の遺言として三家の区別をする旨が書いてあるが、家康臨終の時点で三家は確立していなかったから、区別しようも無い)

第三に、なるほど現存する三家等の葵紋で、葉の色の異なるものが見受けられますが、それが蒔絵や金属、刺繍にしか見られないことを考えると、純粋な装飾のためか、時を経たことによる変色・退色のためでしょう

(将軍の葵紋でも、三葉異なる色である場合がある。例えば家康愛用とされる葵紋散辻ヶ花染小袖では三葉とも異なる色にしている)

以上から、本文から割愛し、脚注にするにとどめました--松貝舟 2008年6月21日 (土) 03:05 (UTC)[返信]


註釈に以下の文が付け加えられていました。 「しかし紀伊家や水戸家はこの葵の文様についての異論はでていない」 どういう意図によるものでしょうか。「この葵の文様」、つまり表裏による区別は、上記したように俗説であり、当時のもので該当するものがないので、異論が出るわけはありません。紀伊家、水戸家に限らず尾張家も異論は出ていません。もとがないのですからね。

あるいは葵紋の制限に関する異論のことでしょうか。ならばここに加えるのはおかしい。ともかくこの加文により、文全体がおかしな日本語になっています。私が「俗説」としたものをご自分で「真実に近い」とするなら、いきなり訂正するのではなく、ノートなどで話し合った上(明確な根拠を示された上)で訂正していただけるとありがたいです。

どういう意図であるか、加えられた方、情報をお願いします。--松貝舟 2008年8月23日 (土) 04:40 (UTC)[返信]

218.110.208.188さん、いきなり加筆するのではなく、根拠を示してください。紀伊家、水戸家に葵紋のこの文様による区別に異論が無かったというなら、両家の紋でそのような文様が使用された例を示してください。また、私が俗説であるとした根拠に対し、反証を挙げてください。--松貝舟 2008年8月27日 (水) 14:59 (UTC)[返信]


三つ葉表葵とは?

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最近ログインせずIPアドレスで投稿する方により、しつこく 「将軍家のみが三つ葉表葵紋を使用できる」という旨の書き込みが続いています。さらに「大権現様」という偏った表記まで見られます。この方の意図がさっぱりワカリマセン。現時点での書き込みの結果、このような表示になっています。 「親藩(一門)のうち最高位にあり、将軍家や御三卿とともに徳川姓を名乗ることや三つ葉表葵の家紋使用が許される(但し徳川を名乗るのは当主と世子のみ。また三つ葉葵にも各家若干の違いがある)。大権現様が初期に決められたことで三表葵御紋は征夷大将軍しか認められなかった。」 前半では御三家は御三卿とともに「三葉表葵紋」使用が許されているのですが、後半では許されていないことになります。 無思慮な書き込みにより、文章全体が壊れてしまいました。 先日書きましたが、三つ葉葵において裏葉とは葉脈がないものをいいます。ところが徳川家および親藩松平家で裏葵を使用した例を自分は見たことがありません。 もし見たことがある方がいらっしゃったら、情報をお願いします。 --松貝舟 2008年8月30日 (土) 13:45 (UTC)[返信]

関連カテゴリの改名提案

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以上の改名を提案します。Category‐ノート:日本の氏族#個別カテゴリ関連の提案やさらにそのリンク先の先行事例と同様に、これらも氏族でなく、「御三家」の呼び名通り「家」とすべきでしょう。なお、関連して御連枝のカテゴリについても別途Category‐ノート:松平氏にて改名を提案します。--エンタシス会話2019年7月6日 (土) 10:56 (UTC)[返信]

下位カテゴリ(御連枝)と併せて、改名を行います。--エンタシス会話2019年7月13日 (土) 11:43 (UTC)[返信]