ノート:徳冨蘆花
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この記事は2008年1月2日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。 |
「徳富蘆花」ではなく「徳冨蘆花」が正しいのでこの項は全て削除し、「徳富蘆花」を「徳冨蘆花」に移動する必要がある。--以上の署名のないコメントは、Kafuka1964(会話・投稿記録)さんが 2007-03-09 23:58(UTC) に投稿したものです。上記、署名を忘失したしました。--Kafuka1964 2007年3月10日 (土) 01:13 (UTC)
- 「徳富」のほうに説明が付加されているので、とりあえず現状にしておきます。 --ねこぱんだ 2007年3月10日 (土) 00:35 (UTC)
- Kafuka1964さんがご自分で気づかれてリバートされたので何ら問題が起きている訳ではないのですが、一旦「徳富蘆花」からのコピペ移動が行われている以上、一旦
以後の版を中抜き削除依頼をしなくてはいけないのでは?--水野白楓 2008年9月2日 (水) 15:29 (UTC)
蘆花の外遊について
[編集]いつも利用させて貰っています。 初めて書き込みますので、失礼などありましたらご容赦下さい。
「生涯」の項目の中で 「後年、夫人とともに外遊の際」トルストイと会見した旨書かれていますが、蘆花がトルストイと面会したのは単独で外遊(明治39年)したときです。 愛子夫人と外遊するのは大正8年で、トルストイは1910年に亡くなっています。
余談ですが、蘆花の明治39年の旅券番号は586、大正7年に交付された旅券番号は414955なので、「日露戦争後日本人の出かける事知る可しである」などと日記に書いています。 --220.102.185.112 2008年10月12日 (日) 21:04 (UTC)