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ノート:彰義隊

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参考文献について

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「ページ数など書くのは不可能」というのは「所蔵先で閲覧した際にページ数を確認するのを怠った」あるいは「そもそも原資料にページ数が振られていなかった」の誤りでしょう。少なくとも説明不足です。ご自分の調査能力に対する過信と、読者の理解を助けようとする誠意の欠如ですね。それと、お二方とも、自分の編集に対する弁明は、字数に限界のある「編集内容の要約」に書かずにノートに書くのが本筋ではないですか。--呆庵入道 2008年3月6日 (木) 12:10 (UTC)[返信]

ついでなので細かいところを直しておきました。まだ慶応年間なので「明治初期」という記述を削ったこと、御三卿はそもそも独立の家ではないのでそこに仕えている者は基本的に幕臣そのものであること、単に「志士」と書くと反幕府の立場を指す事例が多いこと、「傍系の藩士」というのがなんのことだかよくわからないこと、などに配慮しました。それと、結成式の行われた場所ですが、ただ「東本願寺」と書くと京都の東本願寺を指してしまうので、とりあえずコメントアウトしておきました。たぶん浅草の別院のことだと思うんですけど…。どなたかフォローお願いします。出版されていない史料を参考文献に加えていいものかちょっと悩んだのですが、いちおう所蔵先が明記されていたので残しました。これもみなさんのご判断で。あと旧暦と新暦がごちゃまぜなのもどなたか詳しい方よろしくお願いします。--呆庵入道 2008年3月6日 (木) 12:59 (UTC)[返信]

訂正ありがとうございました。東本願寺は東本願寺 (東京都台東区)ですね。本文には混同を避けるため浅草の東本願寺と訂正しました。「志士」の単語が反幕府色が強いと言われればそうかもしれません。ただ、彰義隊に参加した人物が、博徒、侠客だけでなく、火消し、馬借、その他、町人など様々な参加者がいるようなので、なんらかの総称を用いる方が望ましいと思われます。。「博徒や侠客のような有志」あるいは「博徒や侠客をはじめとした有志」とでも表記するのは如何でしょうか。類語では壮士、国士、義士がありますが、これらでは逆に旧幕府よりすぎると判断しました。あと、要約しか書いて無いのは、このノートでの対話自体を必要とする編集を行っていないからです。対話に関しては必要であればもちろん参加しますよ。深山 2008年3月7日 (金) 04:19 (UTC)[返信]
東本願寺についてさっそくフォローしていただきありがとうございました。
彰義隊に参加したのが武士だけでなく、おっしゃるような多様な階層・出身の人々だとすると、なるほど「有志」というのはぴったりの表現ですね。賛成します。--呆庵入道 2008年3月9日 (日) 02:42 (UTC)[返信]

天野は幕臣ではないものの胆力があり、隊士の支持を受けて中心人物となった。

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Wikipedia「天野八郎」を閲覧すると『天野 八郎(あまの はちろう、1831年(天保2年) - 1868年12月21日(明治元年11月8日))は、江戸時代後期、幕末期の幕臣である[1]。幼名は林太郎。諱は忠告、号は斃止。妻はつね。子は1男1女。 』と記載されており矛盾が生じてしまいます。--240D:1:7903:D400:90BF:BAF8:9C23:DAAD 2020年4月26日 (日) 01:23 (UTC)[返信]