ノート:弥生土器
弥生土器への改名
[編集]本文中にもあるとおり、「弥生土器」が一般的ですのでそちらへの改名を提案いたします。--Saigen Jiro(会話) 2013年4月30日 (火) 12:01 (UTC)
- ご意見がありませんでしたが、相当期間が超過しましたので改名を実施しました。--Saigen Jiro(会話) 2013年5月7日 (火) 14:32 (UTC)
根拠のない断定などの修正について
[編集]調査いただきたい
[編集]1.誰かが成りすまして、書いたと考えられます。
根拠(弥生土器と弥生時代のみ15日間21回の多数回に渡り投稿し続け、その後3ヵ月今に至るまで、一切投稿はありません)
2.書いた内容は、この弥生土器だけでなく、関連する弥生時代ともに、宣伝の文章となっております(文献を挙げても気に入らないと、消す、印象操作の文章に変えるなど)、百科事典としてのウィキペディアを宣伝の場と考えている様です。
比較 修正後と修正前
[編集]比較 修正後
稲作の経路は、朝鮮半島由来説と、大陸から直接日本に来た説に大別される。土器や農具から、朝鮮半島由来説が有力(考古学)である。稲の遺伝子から、日本の稲の6割占める稲は朝鮮半島に存在して、稲の4割を占める稲は、朝鮮半島には存在しない。朝鮮半島には無く、中国大陸において、この系統は6割を占める。日本のもう一つの稲も大陸での割合は20%強である。このため、少なくとも稲の約40%は朝鮮半島を経ずに大陸から直接伝来したと思われる。[1] なお、考古学における朝鮮半島伝来説の根拠は、抉入柱状片刃石斧が朝鮮半島でしか出土していない事による。
比較 修正前
稲作の経路は、朝鮮半島由来説と、大陸から直接日本に来た説に大別される。土器や農具から、朝鮮半島由来説が有力(考古学)だったが、稲の遺伝子から、日本の稲の4割を占める稲は、朝鮮半島には存在しない。朝鮮半島には無く、中国大陸において、この系統は6割を占める。日本のもう一つの稲も大陸での割合は20%強である。このため、少なくとも稲の約半分は朝鮮半島を経ずに、大陸から直接伝来した。[2]大陸から日本への、直接由来説は、文化や農業技術の点から、文化人類学者や農学者が唱えたものであった。これが、実証された。
なお、考古学における朝鮮半島伝来説の根拠は、抉入柱状片刃石斧が朝鮮半島でしか出土していない事による。
お願い、自己の願望、そして、宣伝のために、ウィキペディアを利用しないでください。
まとめ
1.両論あるのに、断定しています。
2.根拠なく結論を消去しています。それに加えて、次の3別項目(私の書いたもの)を改行を無い形で繋げ、印象操作をしております。
3.稲の遺伝子の話に、私の書いた、抉入柱状片刃石斧を、改行なしで繋げ、文脈を捻じ曲げています。考古学の結果は、別項目にてすべきです。当然でしょう。だからわたしは改行したのです。別の事柄を一緒くたにするのは印象操作です。こう言う、印象操作をするなど、百科事典をうたう、ウィキペディアにはあるまじき行為でしょう。
この人物の、投稿記録
[編集]この人物は、弥生時代と弥生土器のみを対象に、15日間で21回投稿し、その前に投稿はありません。何より、この人物は、その後3ヵ月にわたる今まで、投稿は一切ありません。 これから判断して、特定目的、宣伝の為に、誰かが成りすまして、投稿したものと考えられます。お願いは、この人物を、調査をしていただきたいと言う事です。誰が成りすましたかは、解るはずです。
時期
2021年5月1日 ~ 2021年5月16日
投稿の対象
弥生時代と弥生土器のみ
投稿回数 21回
2021年5月16日 (日) 00:28 差分 履歴 +460 弥生時代 出典を表記 タグ: ビジュアルエディター: 中途切替
2021年5月15日 (土) 23:28 差分 履歴 +292 ノート:弥生時代
2021年5月15日 (土) 21:07 差分 履歴 +514 ノート:弥生時代 修正
2021年5月15日 (土) 21:07 差分 履歴 +3,171 ノート:弥生時代 間違いで削除した部分 タグ: 手動差し戻し
2021年5月15日 (土) 19:52 差分 履歴 +120 ノート:弥生時代 →鉄の朝鮮半島と日本での開始に差はない タグ: 差し戻し済み
2021年5月15日 (土) 19:49 差分 履歴 −2,368 弥生時代 あなたは文献はあとでとか言うってますけど出典がない内容が多いですね。そして地理的に中国南東と朝鮮は遠い、ブログにも中国南東の言及はない。
2021年5月15日 (土) 19:43 差分 履歴 +69 ノート:弥生時代 →鉄の朝鮮半島と日本での開始に差はない タグ: 差し戻し済み
2021年5月15日 (土) 19:41 差分 履歴 +69 ノート:弥生時代 →鉄の朝鮮半島と日本での開始に差はない タグ: 差し戻し済み
2021年5月15日 (土) 19:37 差分 履歴 −3,429 ノート:弥生時代 タグ: 差し戻し済み
2021年5月15日 (土) 19:26 差分 履歴 −2,817 弥生時代 鉄の出土は同時期ではない。本当に脚注にそういう内容があるのか疑問。 タグ: ビジュアルエディター
2021年5月6日 (木) 15:18 差分 履歴 −411 弥生時代 縄文土器は発掘されていない。また出典がない内容は削除。 タグ: ビジュアルエディター
2021年5月6日 (木) 14:49 差分 履歴 −1 弥生時代の墓制 最新
2021年5月6日 (木) 14:48 差分 履歴 −2 弥生土器
2021年5月6日 (木) 14:48 差分 履歴 −1 弥生土器
2021年5月6日 (木) 14:47 差分 履歴 +1 弥生人
2021年5月6日 (木) 14:46 差分 履歴 +1 弥生人 →起源
2021年5月6日 (木) 14:45 差分 履歴 −388 弥生人
2021年5月1日 (土) 17:06 差分 履歴 −282 弥生土器 →縄文土器との関係、文化圏、海外との関係: 出典なし。
2021年5月1日 (土) 17:01 差分 履歴 +3 弥生土器 →朝鮮半島での弥生土器の大量出土と交易の確立
2021年5月1日 (土) 16:59 差分 履歴 −129 弥生土器 →朝鮮半島での弥生土器の大量出土と交易の確立: 個人的意見では
2021年5月1日 (土) 16:57 差分 履歴 +247 弥生土器 中国拳法が趣味である人のブログに乗ったものが根拠になれるかどうかはさておき、一人の学者の意見がまるで他の主張を全部覆すような言い方は百科事典によくないと思います。 タグ: ビジュアルエディター: 中途切替
--列島(会話) 2021年8月8日 (日) 11:43 (UTC)
この人物が、消去した時の「要約」と、この人物が「消去した内容」
[編集]この人物が書いた要約
[編集]最新前 2021年5月15日 (土) 19:49 聖今上 会話 投稿記録 100,556バイト −2,368 あなたは文献はあとでとか言うってますけど出典がない内容が多いですね。そして地理的に中国南東と朝鮮は遠い、ブログにも中国南東の言及はない。 取り消し感謝
最新前 2021年5月15日 (土) 19:26 聖今上 会話 投稿記録 102,924バイト −2,817 鉄の出土は同時期ではない。本当に脚注にそういう内容があるのか疑問。 取り消し感謝 タグ: ビジュアルエディター
文献にあげられた事実
文献に、今のところ、鉄の出土の前後関係は無いと明記されております。それを書いていないと主張する
この人物が、消去した物
[編集]前半はそのままですが、その後、これもかなり手を加えられております。読者に対し、印象操作したのです。ウィキペディアは、百科事典であり、宣伝の場ではありません。
交易と鉄
[編集]弥生中期、後期の、列島内外での交易
[編集]朝鮮半島での弥生土器の大量出土と交易の確立
[編集]縄文時代にも黒曜石や土器が朝鮮半島で見いだされ、多少とも交易があった事が解っている。そして、弥生時代、交易は活発化し、弥生土器が朝鮮半島南部で発掘されている。初期には、金海地域を中心に出土し、交易がおこなわれていた事が解る。[3]
前期後半から弥生土器は増え、特に中期、朝鮮半島、勒島では大量の弥生土器が見いだされ倭人が交易に出かけた様子がうかがえる。これは、勒島と壱岐の原ノ辻との間に集約され確立された交易ルートである。原の辻では、無文土器も出土している。弥生時代後期、勒島の弥生土器は減り、金海地区との交易に移った。[4][5]
この後の以下を完全消去
鉄は、朝鮮半島と日本で同じ時期に開始
[編集]鉄の出土は、今のところ、朝鮮半島と日本で同時期に出土し、前後関係を特定できない。[6]
朝鮮半島南部での鉄鉱山開発に関わった倭人
[編集]この時期(弥生中期、朝鮮半島の初期鉄器時代)、弁韓の鉄鉱山の発掘現場からも弥生土器が発見され、倭人が弁韓の鉄を採ると言う魏志倭人伝の記述が検証された。この鉄鉱石採掘場は、周りが周囲から閉鎖された場所であり、その中から弥生土器が発見された。倭人は朝鮮半島の内陸部にまで出かけて鉱山開発に直接携わっていた事が、考古学的証拠から立証されている。[7][8]
- 紀元前2世紀から1世紀、朝鮮半島の初期鉄器時代、日本の弥生中期、朝鮮半島の、釜山菜城遺跡、泗川勒島遺跡では、弥生中期の土器、さらに金海亀山洞遺跡では、弥生中期初期の土器と鉄製品が出土する。この時期は、倭系遺物は、まだ、朝鮮半島南岸が主である。
そして、次の、原三国時代、鉄鉱山の土坑から倭系の土器が出土し、半島の内陸部や東海岸にまで倭系遺物が広がった。[9][10]その後、次第に、倭系遺物は減少して行った。
高地性集落と交易
[編集]高地性集落は、戦闘の為と言う解釈と、交易の監視促進と言う意見がある。狼煙台が確認されているが、戦闘監視と交易どちらもありうる。
成立のきっかけは、どちらか判定できないが、高地性集落の成立時期に交易が活発化したことが指摘されている。いずれにせよ、クニの形成と連合が進んだ、ひとつの証となっているのが高地性集落である。
まだ、大規模な消去書換はあるのですが、次回にいたします。
そして、一応書いた内容をコピペしておきます。
--列島(会話) 2021年8月10日 (火) 13:41 (UTC)
弥生時代にも書き、縄文土器にも書きましたが、一気にいろいろな説、見解を書けません、順次、書いてまいります
[編集]まだ書きかけです。いろいろな見解がある。今(3ヵ月前)は、それを書いている途中です。でした。
もめごとが嫌で、書くのをやめておりましたが、再開いたします。自分の方式で書くしかありません。
とにかく、無茶苦茶な内容を、文献も無く書き込む、修正をお願いし、3ヶ月経ちましたが、修正は無い。仕方がないので、宣伝臭溢れる無茶苦茶な内容を消しました。そして、その上で、他の学者の見解をも書き加え、百科事典的内容に仕上げてまいります。
時間がかかります。そして書いている途中は、不十分な場合もあります。人のやる事には、限界があります。
--列島(会話) 2021年8月10日 (火) 13:51 (UTC)
脈絡のない文献を別項目として移動します
[編集]この文献は、九州のある市の展示会の説明で、交易とは関係ありません。市民向けの説明で、量的な表現は正確かどうか解りません。何より、交易とは関係が不明です。また、次のふたつの文章ですが、
1.北海道を除く日本全国に朝鮮半島系無文土器が大量出土された
2.しかし、無文土器に非常に影響された弥生土器も朝鮮半島に出土している。
この1は、挙げられた文献には無く(文献が述べるのは、九州です)、さらに、交易と言う記述は文献にはありません。無文土器出土は、普通、移住の証拠とされるものです。特に、久保遺跡(城島町)は、有明海に近い佐賀市と久留米市の中間で、筑後川沿いとはいえ、交易拠点では無いでしょう。
さらに、2番目の、無文土器に非常に影響された、これは感情表現で、何がどう影響されたか、がありません。すでに、技法が無文土器である事は、別の場所で私は書いております。表現が厳密でなく、文献にも記述が無く、さらには、書くべき場所が違っています。
以下が問題の記述です。
朝鮮半島での弥生土器の大量出土と交易の確立
[編集]久保遺跡(城島町)からは、朝鮮半島系無文土器が数多く出土しており、半島との密接な関係がわかる。久保遺跡だけではなく、北海道を除く日本全国に朝鮮半島系無文土器が大量出土された[11]。しかし、無文土器に非常に影響された弥生土器も朝鮮半島に出土している。縄文土器と同様、弥生土器も朝鮮半島南部で発掘されている。初期には、金海地域を中心に出土し、交易がおこなわれていた事が解る。
--列島(会話) 2021年8月29日 (日) 15:09 (UTC)
偏った情報で独自研究はご遠慮ください
[編集]大阪大学考古学研究室のサイトを見ると、弥生土器は半島からの影響のもとに作られ始めたことがわかります。古墳時代中頃(5世紀初頭)に半島から伝わった青灰色をした硬い土器である須恵器も日本に大量出土されました。[12]日本と中国の影響だけを誇張する独自研究はご遠慮ください。私を誹謗する発言をおっしゃいますが、偏った情報で半島からの影響はすべて削除して中国の影響だけを誇張しているのはあなたではありませんか。ある特定の国が非常にお嫌いであることは発言から伝わってきますが、独自研究と差別主義のような発言はご遠慮ください。--聖今上(会話) 2021年8月30日 (月) 14:21 (UTC)
全面改稿の提案
[編集]当ページの全面改稿を提案します。改稿案については利用者:あずきごはん/sandboxをご覧ください。
当ページは編集合戦ののちに複数の問題テンプレートが貼られて1年が経過しており、現在の内容を見ても弥生土器の説明として不十分なものになっていると思います。注目される記事でもありますので、改稿案を確認いただきご意見を頂きたいです。
お願い
- 改稿案について、至らぬ点も多いかと思いますが、直接の編集はご遠慮ください。当然ですが仮に改稿することで合意頂けた場合、改稿後の編集はご自由にどうぞ。
- その上で、ご意見は今後の本ページの在り方として「改稿した上でさらに改善を進めるか」or「現状の記事のままで改善を試みるか」のいずれかで寄せて頂けたらありがたいです。もちろん強要ではありません。
よろしくお願いします。--あずきごはん(会話) 2022年10月5日 (水) 13:19 (UTC)
ご意見
[編集]- 報告 告知後一定期間たち反対意見も無かったため、全面改稿を実施しました。--あずきごはん(会話) 2022年10月17日 (月) 13:48 (UTC)
- ^ 佐藤洋一郎 稲の来た道 日本古代史つれづれブログhttps://aomatsu123.blog.fc2.com/blog-entry-208.html
- ^ 佐藤洋一郎 稲の来た道 日本古代史つれづれブログhttps://aomatsu123.blog.fc2.com/blog-entry-208.html
- ^ 東洋経済新報社 <韓国文化>古代朝鮮と日本との交流 ――西谷正・九州大学教授 (朝鮮奨学会「古代史シンポジウム」から) http://www.toyo-keizai.co.jp/news/culture/2000/post_3605.php 対馬の縄文時代遺跡の出土遺物を見ると、その中にごく微量ながら櫛目文土器が含まれていたり、対馬には生息せず朝鮮に生息していたキバノロの牙製装身具が出土したりする。 一方、朝鮮東南部の櫛目文土器文化の代表的遺跡として知られる釜山市の東三洞遺跡では、縄文時代各期の縄文土器が出土するばかりか、西北九州産の黒曜石およびその製品である石鏃(やじり)などが共伴している。また、朝鮮の南海岸地域にあたる欲知島では、縄文時代早期末の九州の轟式土器のほか、朝鮮で初めて縄文時代によく見る石匙(さじ)が出土している。 これらの諸事実は、両地域の人々の間で何らかの交流が行われていたことを物語ってくれる。 ただし、その後、西谷は、考古学的には、弥生時代の稲作は、朝鮮半島由来と述べている。
- ^ 勒島貿易と原の辻貿易-粘土帯土器・三韓土器・楽浪土器からみた弥生時代の交易-白井克也 http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/wrk/2001a.html
- ^ 石丸あゆみ朝鮮半島出土弥生系土器から復元する日韓交渉file:///C:/Users/user/Downloads/kouko2503%20(3).pdf
- ^ 李昌? 2010 環朝鮮海峡における粘土帯土器の実年代 124p
- ^ 井上主税 平成29年度5月29日 『初期鉄器時代~三国時代 の鉄・鉄器生産遺跡出土の倭系遺物に関する研究』 科研費 研究成果報告書 1~2p https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-26370912/26370912seika.pdf
- ^ これほど直接では無いが、次も参照。李昌? 2010 環朝鮮海峡における粘土帯土器の実年代 123p
- ^ 井上主税 平成29年度5月29日 『初期鉄器時代~三国時代 の鉄・鉄器生産遺跡出土の倭系遺物に関する研究』 科研費 研究成果報告書 1~2p https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-26370912/26370912seika.pdf
- ^ これほど直接では無いが、次も参照。李昌? 2010 環朝鮮海峡における粘土帯土器の実年代 123p
- ^ “第32回くるめの考古資料展「くるめ回廊を行く」パンフレット”. www.city.kurume.fukuoka.jp. 久留米市. 2021年8月25日閲覧。
- ^ “日本の焼き物の歴史”. 大阪大学考古学研究室. 2021年8月30日閲覧。