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ノート:康本雅子

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編集方針について

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  • MikeAz800o様、貴殿が貼られたリンクを参照致しましたが、まだ完全には固まっていないと考えられる方針に則り、内容の補填・修正等を伴わない編集を重ねられるのは如何かと思いますが…。冗長な文章の羅列になる場合、「事実の列挙」は箇条書きのほうが適していると考えます。当該記事において、少なくとも「東京都千代田区出身」を一文章として仕立てるのは、逆に「百科事典的」とは言えないのではないでしょうか。そういった編集で履歴を増大して徒にリソースを消費することのほうが問題ではないかと思われますが、どのようにお考えになるか ご教示いただければ幸甚に存じます。(こういったケースでは、まずノートで体裁に関する議論を詰めてからでもいいのではないでしょうか...) 222.15.65.182 2008年1月28日 (月) 12:47 (UTC)[返信]
ガイドライン=完全には固まっていないとお考えでしたら、貴方はガイドラインについて思い違いをしています。Wikipedia:基本方針とガイドラインをご覧下さい。基本方針とはウィキペディアの運営方針を定めるものです。それに対して書き方のスタイルというものはすべてガイドラインに収められており、どれだけ固まったものであっても基本方針になることはありません。もちろん基本方針にせよガイドラインにせよ今後改訂される事はあり、その意味で完全に固まったルールなどはありませんが。いずれにせよガイドラインは草案と違って、相応の手順を踏んでコミュニティの承認を経てガイドラインになったものであり、充分に尊重されるべきものです。以上で納得されない場合はコメント依頼を通じて他の方々の意見を仰ぎたいと思います。--MikeAz800o 2008年1月28日 (月) 14:45 (UTC)[返信]
MikeAz800o様がおっしゃる意味は理解しているつもりです。ガイドラインなり方針なり(どちらも日本語の意味するところの方向性は同じだと思いますが、Wikipedia用語というか ローカルルールが非常に難解ですね…)、Wikipediaの運営上 尊重されるべきものであることは言うまでもありません。わたくしの書き方が揚げ足取りなのかもしれませんが、その上で、編集途上の記事の、「体裁だけの編集」は、内容の充実を伴っておらず、履歴を増やすだけで、徒にリソースを消費するだけなのではないですか、ということです。書き手によって体裁にもブレが出てくるでしょうから、ある程度 記述内容が出揃ってから、Wikipediaのルールに精通した人が それに則って内容を補填・整理しつつ体裁を整える、というやり方ではまずいのでしょうか。もちろん、目に余る逸脱は都度修正するのはやむを得ないかもしれませんが、許容範囲内であれば記事が百科事典として相応に充実してからでも遅くはないと考えるのですが。あまり厳密にルールを解釈すると、育つべき記事も 芽を摘んでしまって育たない気がします。多少 鷹揚に構えてもいいのではないでしょうか。 222.15.65.182 2008年1月28日 (月) 18:45 (UTC)[返信]
では体裁としては箇条書きより現在の形が望ましいという点については合意を得たとしてよろしいですか。そこが一番重要なので。さて、内容の充実を伴わない体裁だけの編集はWikipedia:雑草とりという活動で、当該ページの表現を借りるならもっとも重要ではありませんが不可欠な行為です。私自身、内部リンクのタイをより適切なリンクへ書き換えるという雑草とりを長いこと続けていますが、ただの一度も非難された事はありません。雑草とりがリソースの浪費ではないかというのは定期的に持ち上がる議論で、最近も井戸端にありました(参照)。この問題に関するコミュニティのコンセンサスとしては、無駄な編集を行なわないよう注意は払うべきであるが、だからと言って雑草とりをためらうべきではないというものだと私は理解しています。ですから私は今後もこのような編集を手控えるつもりはありません。最後に、記述内容が出揃うまで雑草とりを控えた方がいいのではないか、というご意見について。理想は分かりますが、この記事の記述内容がいつか揃うという保証はありません。それまでスタイルに問題のある記述を放置するより、気付いたときに修正することがウィキペディアの質を高めるために必要であると考えます。--MikeAz800o 2008年1月28日 (月) 23:26 (UTC)[返信]