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ノート:庄司薫

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猫に「逝去」とは何か。

1977年の『ぼくの大好きな青髭』を最後に沈黙(庄司の言葉では「総退却」)

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彼のエッセイの中で、4部作以降は別著名で作品を書くといった旨の記述があったような気がします。 もしかすると、彼の小説が別の作家名で世に出ているような気がしてなりません。

学歴

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1937年4月に生まれ、1960年に大学を卒業したのなら、途中で浪人とか落第とかはないはずです。 浪人の時期があれば1960年に大学を卒業できません。

1960年に大学卒業という部分を外せば、浪人していたとしても矛盾しない。庄司薫の自筆年譜にはいつ大学を卒業したか書かれていないので、4年で卒業したのかもしれないし、留年していたのかもしれないが、本人が書きたくないのでは。

それにしても、1957年に大学入学、1960年に大学卒業は不可能です。

1957年に大学入学、1960年に教養部から法学部に進学なら可能です。

家柄、学歴、交友関係などが大事なセールスポイントになっている作家だという事ですね。 庄司薫が地方の工業高校卒だったら、人気が出たでしょうか。 日比谷高校を経て東大法学部卒としておくのが庄司薫にとって一番都合がいい。でも必然的に、何年何月高校入学、卒業、大学入学、卒業ですかとなりますから。  一時の人気が冷めると変なものです。

オトーサンというのは、実在の人物かつ庄司薫の大学時代の同級生でしょうか。架空の人間かもしれません。

庄司薫が元大蔵官僚という話もありますが、事実でしょうか。内田氏がそのような噂を聞いたところまでしか確認できません。

日比谷高校卒、東大卒はたくさんいても、主人公の名前と著者の名前を同じにし、家柄、学歴でセレブな雰囲気を作るという マーケティングを成功させたのは庄司薫のアイディアでしょう。中央公論かもしれませんが。