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ノート:平和主義

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現在の記述についての疑問

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さしあたり「疑問」として提出しておきますが、しばらくして有効な異論がない場合にはこの方針で書き変えたいと思います。

1.「平和主義とは、・・・主義のこと」と定義するのは、明らかに「主義」という語の重複です。また、「平和主義」を「平和の実現をめざす・・・」と定義すれば、「平和」という語が重複してしまいます。これを改善するために下記で「非暴力」を定義の中に加えようという提案をしています。

2.「国際紛争は絶えず現実的でないなどの理由から批判されることが多く」 この記述は、批判する側の勢力ないし発言力のほうが大きいことを暗示しており、中立さにかける。

3.「実現もしくは標榜(ひょうぼう)している国はバチカンなどごく一部に過ぎない」 「絶対」平和主義についてはそうだとも言えるでしょうが、「平和主義」一般となると多くの国が表明していることになり、国際規範であるということもできます。その意味で一面的な記述だといえるでしょう。

4.「侵略戦争には反対するが、軍隊を持ち自衛権を放棄しないという考えも「平和主義」という」 もともと私が「呼ばれうる」という記述にしたのには、必ずしも大多数が賛同するとは限らないという含みがあります。

5.「(厳密には刑法の緊急避難とは異なる)」 少なくともこのノート上で説明されていない限り、この記述は無意味だと思われます。


上のコメントをされた方とは別の者ですが、定義・概説部を修正しました。以下、修正理由を記します。
>平和主義(へいわしゅぎ)とは、侵略戦争に反対し、平和の実現を目指す主義のこと。
侵略戦争に反対することは、とくに平和を志向していない(例えば国家主権を強調し自衛権を主張する)立場からも言われることです。自衛の立場から侵略戦争に反対することは、平和主義的な観点からなされているとは限りません。たとえば、自衛は「国家的独立」の観点から主張されたりしますが、国家的独立の主張は平和<主義>とは無関係な主張ですし、平和に寄与する主張とも限りません。現在の定義は、定義の中に「平和の実現を目指す主義」という同義反復をふくめることで、実質的に平和主義と関係のない観点(「侵略戦争に反対し」)に、「平和主義」の見せかけを与えるだけのものになっています。
多くの戦争が「自衛」「国益」「国家的独立」「同盟関係」「民主主義の擁護」などの「正しい」建前の下で行われた・行われることは、周知の事実です。そのような事実を踏まえて、武力的解決一般を理念的に(積極的意味として)否定し、平和的状態そのものを原則的に志向することに、平和主義の意義があるとされます。平和主義は、一般的には<理念的・原則的に非戦・非武装・非暴力を志向する思想的立場>を意味すると考えられます。
以上の理由から、自衛の必要を認める議論に、なお平和主義的側面を見うるとするならば、その議論が「平和主義的と言える」根拠は、「自衛の<必要を認める>」という結論にではなく、「自衛の範囲を<制限する(必要性を制限的に考える)>」根拠を支える議論に求められることになります。
自衛とはみなされない先制攻撃を否定する立場であることには異論はないが、現に攻撃を受けた場合をめぐって次のように意見が分かれる。
すでに述べた通り、自衛の立場から侵略戦争に反対することは、平和主義的な観点からなされているとは限りません。つまり、平和主義的かどうか=自衛とみなされる(みなす)範囲で行動するかどうか、ではありませんので、先制攻撃を否定するというレベルで「平和主義」の一致を見るのはミスリーディングです。「自衛とみなされる範囲で行動するかどうか」という論点は、実際には、「平和主義が結論に影響するが、平和主義とは論理的には関係が無い論点に関する特定の回答」を、「平和主義」として受け入れさせるために持ち出された恣意的な問題設定にすぎません。自衛が必要になった段階でどういう立場に立つかに、平和主義的な志向の有無・強弱が「影響する」ことはありますが、その論点にどう答えるかは、論者が平和主義的観点に立つかどうかの問題とは論理的に関係がありません。
>侵略戦争には反対するが、攻撃を軍隊を持ち自衛権を放棄しないという考えも「平和主義」という。
上が、「平和主義が結論に影響するが、平和主義とは論理的には関係が無い論点に関する特定の回答」ですが、この「考え」は、平和主義とは何の関係もない、国家主権(論)を前提とした、戦争が起こりうる(戦争を起こす、とは書いていませんので誤解しないでください)基本的条件の是認(常備軍の保持)に過ぎません。国際紛争の平和的解決、と言うとき、その解決に、軍事的手段・武力行使による解決を含めた言葉遣いをする人は殆どいません。それは明白な字義矛盾だからです。左の矛盾した言葉遣いから検討しなおせば明らかなように、自衛権を放棄しないことが論理的に示すのは、必要性を主張した上での「軍事的手段」の維持であり、「平和的手段」の維持ではありません。前述の通り、自衛の必要を認める議論に、なお平和主義的側面を見うるとするならば、その議論が「平和主義的と言える根拠」は、当然「自衛の<必要を認める>」という結論にではなく、「自衛の範囲を<制限する(必要性を制限的に考える)>」根拠を支える議論に求められます。すなわち、自衛権を放棄しないという考えが平和主義なのではなく、自衛権を放棄しないことを「容認」する、という立場をとらせる考え方が平和主義です。
>つまり、正当防衛または緊急避難(厳密には刑法の緊急避難とは異なる)を正当な権利として認め、自衛のために軍隊を持つ。しかしこの場合においても、自衛権の行使は厳しく制限を受けなければならないとされる。つまり、現に攻撃を受けており、手段が適切であり、反撃の程度が攻撃に見合ったものでなければならない。また自衛のために保持する戦力は、他国に対する威嚇や挑発を目的としてはならないとされる。
正当防衛・緊急避難という語は、一般に国家の権利を指す語として用いられませんので、上の記述は形式的に不適切です(それぞれ自衛権・緊急権)。上の記述は、一般的な読者に、なじみのある「個人」的イメージと、軍隊に関する説明を類比させることで、「正当防衛・緊急避難を否定しない・しようがない」読者の理解を「侵略戦争には反対するが、攻撃を軍隊を持ち自衛権を放棄しないという考え」へ実質的な理由なしに誘導する記述となっています。
また、前述の議論と同じ趣旨ですが、平和主義とは「自衛権の行使に<制限を受けさせようとする志向>」であり、現に「自衛権の行使に制限を受けさせて<軍隊を持つこと>」は、平和主義とは論理的に無関係です。平和主義の観点から言えば「自衛権」は、「放棄しないことが許される」という立場もある、と説明されることになります。
>また、平和主義は平和および非暴力への方向性をもつ思想である。したがって、平和構築への展望なく軍備拡張や挑発を行う暴力肯定論はもちろん具体的なビジョンのない理想論も厳密には平和主義とはいえない。
前段の「方向性」から、後段の結論は導かれません。「具体的なビジョンのない理想論」も、平和および非暴力への方向性は持つからです。
「具体的なビジョンのない」「理想論」は、特定の立場から他の立場を否定するために持ち出されるレトリックに過ぎず、明らかに中立性に反する記述です。理想を掲げる議論は、理想でも、「現実論」と同様、それが現実化することを望む点で現実論ですから、形式的に「理想論」というレトリックで否定することは、実質的な理由なしに読者を一方の立場に誘導することです。
>念仏平和主義
他の方も俗語同然と指摘されている通り、そうした言葉(しかも項目に含まれる特定の立場に対する単なる揶揄)を百科事典に含めるのは、中立性の観点からみて不適切です。また、項目中の「嘲笑の対象となっている」は露骨に偏向した書き方です。上の語は、平和主義という立場の説明とは関係が無く、むしろ平和主義のうちの特定の立場を揶揄した(著名)人がおり、その人は~のような表現を用いた、という記述ですから、平和主義や平和主義の日本国憲法との関連を一般的に説明する際に含める理由がありません。Wizwerdgbz 2006年7月30日 (日) 04:29 (UTC) (更新 2006年7月30日 (日) 14:25 (UTC))[返信]

非暴力

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英独の定義にもある「非暴力への方向性」を定義部分に加えたいと思います。

議論になりうる事柄だとは思いますが、変更される場合にはそれなりの理由をこのノートに書き込んでください。というのも、政治的に論争となるテーマですが、できるだけ公平となるよう文言に気を使ったからです。必ずしも軍隊をもたないのが平和主義だとは言い切れませんし、周囲の状況によってはやむを得ず軍隊をもつ「平和主義」もあると考えます。しかし、「平和主義」の反対語が「軍国主義」であるとおり、たんなる軍事的優位を築くための思想は「平和主義」とは呼ばれえないでしょう。政治的な議論になるのは、なにをもって「やむをえない」とするかという問題だと思いますが、それに対しては中立的な記述となっていると思います。

日本の戦後政治は、この問題を中心に据えてきたといってもよいと思います。特に日本語の事典項目としては、それを想起させる記述がぜひ必要だと思います。どなたか戦後政治史の専門家が「歴史」の部分を書いてくれるといいのですが。 --ブッカー・リトル 2005年10月7日 (金) 11:45 (UTC)[返信]

「また、平和主義は平和および非暴力への方向性をもつ思想である。したがって、平和構築への展望なく軍備拡張や挑発を行う暴力肯定論、そして単なる理想論もまた平和主義とはいえない。」

この記述の変更の際は、ちゃんと根拠付けしてくださいと言っているにもかかわらず、何もいわないで当該部分を消去(しかも名前が残らないように「軽微な変更」を利用していると思われるところが悪質)した人がいます。ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ --ブッカー・リトル 2005年10月12日 (水) 08:18 (UTC)[返信]

改めて議論を提出しますが、「非暴力」を平和主義の定義の中に加えないのは不自然だとおもわれます。そこで問題となるのは、それは「目的」としてであるか、「手段」としてであるかということです。目的は「平和」なので、手段は「非暴力」だという考えは、当然出てくるでしょう。

ところが、「暴力」を手段として「平和」を実現しようという考えもあります。しかも、「現実」には「暴力」が存在し(これは事実)、それによって「平和」が保たれていると考える人もいます。しかし、こうした考え方は「平和主義」とは呼ばれえないと考えます。つまり、軍隊および自衛権の存在を認めるにせよ、少なくとも状況をにらみながら軍備の削減努力をすること(非暴力への方向性)は、「平和主義」という概念に含まれているでしょう。

これに対する反論があれば、両論併記にするという解決も考えられます。そのためには、議論することが必要です。--ブッカー・リトル 2005年10月12日 (水) 09:20 (UTC)[返信]





語源と思想史的背景を短く入れました。そのほかリンク切れを補正--ブッカー・リトル 2004年9月22日 (水) 17:15 (UTC)[返信]

英語・ドイツ語のウィキペディアを参考にして、大幅に書き換えたいと思います。--ブッカー・リトル 2004年9月2日 (木) 12:59 (UTC)[返信]
私は哲学・倫理学を勉強しているので、定義の部分を主に書きます。
歴史の項目をわけてみましたので、歴史に詳しい方はそちらの部分の充実をおねがいします。

まず、削除した部分。

> そして、自衛隊が認められるべきか否かはまた別の話である。
憲法上の平和主義は現実の国家政策と深く関わっているので、この記述は不適切だと思います。

> 平和を希求するというよりも、主義の堅持が自己目的化している場合は
> 「平和主義主義」などと皮肉られることがある。
「平和主義主義」という言葉自体あまり聞かないし、「皮肉」をとりあげるのもどうかと思われます。

下記の「宥和政策」の話は、平和主義の歴史の中に取り入れるのが妥当だと思います。
しかしこれは「平和主義」にとってエピソードに過ぎず、この項をそれで埋め尽くしてしまうのは適当ではないので、簡潔な記述と「宥和政策」の項へのリンクを含めるのが妥当だと思いますので、本文のように書き換えました。

基本的に英語の簡潔な定義を採用します。「あらゆる戦争に反対するのが平和主義なのか」という反論が予想されますが、基本的にはそうだといえるでしょう。自衛戦争にせよ、それが平和につながらないかぎりでは反対するのが平和主義だからです。いいかえれば、平和主義の目的は平和の実現であるとしてもよいでしょう。英語ではpractice of war(戦争の実践)への反対となっており、実践的・経験的立場を重んずる英米圏の特徴が出ていると思いますが、平和主義は同時に理論的・理念的主張でもあるので、ここでは単に「戦争」としました。

また、以前の定義では「戦争」に反対する、および(「暴力以外の手段によって」とはありますが)「非暴力」というキーワードを欠いている点で不適切だと思います。前のほうがより一般的な定義だとは思いますが、平和主義は、第一義としては国際的な武力行使を回避・解決する手段に関する考え方であって、日常の生活態度などについての用法は二次的・比ゆ的なものだと思われます。

「攻撃の恐れのある場合」に武力行使をみとめるかどうかにも議論はありますが、ドイツ語のウィキペディアを参照すれば、げんに攻撃を受けている場合に限るとされているし、リンクしてある「自衛」の項にも触れられているので、この項では触れなくてもよいと判断しました。


以下、参考にしたドイツ語と英語のウィキペディアの訳をのせます。

Pazifismus aus Wikipedia, der freien Enzyklopädie

Pazifismus ist die Ablehnung von kriegerischen Handlungen und das Bestreben, einen Krieg zu vermeiden, den Frieden unter allen Umständen zu erhalten (im Gegensatz zum Bellizismus).
平和主義とは戦争行為を拒否することであり、また、あらゆる状況において戦争を回避し平和を保つ努力をすることである。軍国主義(Bellizismus)の対義語。

Als Pazifist wird ein Anhänger des Pazifismus bezeichnet. Die Friedensbewegung hat zwar die Pazifisten immer in ihren Reihen, jedoch sind nicht alle Anhänger der Friedensbewegung auch Pazifisten, lehnen also z.B. den Verteidigungskrieg nicht ab.
平和主義者とは平和主義の支持者を指す。平和運動は、すべての平和主義者を含むものであるが、平和運動の支持者のすべてが平和主義者であるわけではない。つまり、たとえば自衛戦争を否定しない平和運動もある。

Ist Pazifismus gewaltlos?
平和主義は無力(非暴力)か?

Der Pazifismus erkennt ausschließlich die Verteidigungsgewalt als legitim an, also Notwehr oder Nothilfe, die also ähnlich dem gewöhnlichen Strafrecht unter dem strikten Vorbehalt des gegenwärtigen Angriffs, der Geeignetheit, der Verhältnismäßigkeit stehen müssten.
平和主義は、自衛的戦力行使だけを合法的なものとして認める。つまり、認められるのは正当防衛または緊急避難だけである。したがって通常の刑法におけると同様に、現に攻撃を受けており、手段が適切であり、反撃の程度が攻撃に見合ったものに厳しく制限されなければならないとする。

Sofern Staaten Verteidigungsgewalt anwenden, so stehen solche Verteidigungshandlungen unter dem zusammentreffenden Vorbehalt des innerstaatlichen Rechts mit dem völkerrechtlichen Vorbehalt. Weder dürfen die Verteidigungshandlungen provoziert sein noch darf die Gewalt Droh-, Erpressungs- oder Angriffscharakter haben.
およそ国家が自衛的戦力を用いるのであるかぎり、そうした自衛行為は、国際法と一致した国内法の留保の下に置かれる。自衛行為は、挑発に乗るものであってはならず、またその威力が威嚇、抑圧ないし攻撃の性格をもっていてはならない。

Der Pazifismus ist nach dieser Definition "nicht gewaltlos" und unterscheidet sich dennoch in seinem Verhältnis zur Gewalt allein durch folgende Aussage von gewöhnlicher Politik:
Die Gewalt taugt nicht dazu, das Recht zu finden, sondern das Recht muss die Gewalt binden.
Die Gewalt ist nur dann wahrhaft "letztes Mittel", wenn sie an Recht und Gesetz gebunden ist und die Gewalt mindert.
この定義に従えば、平和主義は「非暴力」ではない。しかし平和主義は、それが暴力とどう関係するのかににしたがって、次のような言説をつうじてだけ、通常の政治から区別される。
暴力は法(正義)の追求には役に立たない。かえって、法(正義)が暴力を拘束しなければならない。
暴力がほんとうに「最後の手段」だと言えるのは、暴力が正義と法律にしばられ、暴力を減らすかぎりにおいてのみである。

Deshalb TENDIERT der Pazifismus zur Gewaltlosigkeit:
weil der Pazifismus die Gewalt durch wahres Recht bindet, also durch häufig verbietet und weitgehend überflüssig macht,
weil der Pazifismus wahres Recht von falschem Recht dadurch unterscheidet, dass wahres Recht gewaltlos zustande kommt.
平和主義は非暴力に近づく方向性をもつものである。なぜなら、
1)平和主義は真なる法によって暴力を縛り、そのためしばしば禁止し、ひいては余計なものにしてしまうからであり、また、
2)平和主義は、真なる法は非暴力的に実現されるものであるということによって、真なる法を偽なる法から区別するからである。


Pacifism
From Wikipedia, the free encyclopedia. http://en-two.iwiki.icu/wiki/Pacifism

Pacifism is opposition to the practice of war.
平和主義とは、戦争の遂行に反対する立場である。

Many (but not all) pacifists have a commitment to non-violence in general in society, making a commitment to achieving one's goals only through actively non-violent resistance or non-aggressive means. Other pacifists may not on principle be opposed to all social use of coercion or violence in all cases, but believe that war is a category of violence which is never necessary or acceptable.
多くの平和主義者(すべてではないが)は、社会における非暴力一般にコミットし、ある目的を達成するために能動的な非暴力的抵抗または非攻撃的手段だけを用いる人々である。
そのほかの平和主義者は、あらゆる場面における威圧ないし暴力の社会的使用に反対するという原理にのっとっているわけではないだろう。しかし平和主義者は、戦争は、けして必要なものでも受け入れ可能なものでもない暴力のひとつだと確信している。

Dovishness or Dovism is an informal term used to describe people who have pacifist or anti-war tendencies. This alludes to the non-predatory nature of the dove. The opposite position is hawkishness or militarism.
ハト派(Dovishness or Dovism)とは、平和主義ないし反戦的傾向を持つ人々を呼ぶインフォーマルな用語である。この言い回しは、鳩の非収奪的な性格からきている。この反対はタカ派または軍国主義である。



これは主張ですか? るがこむ 17:37 2003年7月24日 (UTC)

「われわれはooすべきである」という主張ではないですが、「われわれはooしている」という記述内容の一部について、いろいろ反論が可能のようなので、中立的な観点にはなっていないですね。もう少し無難なものに書き直してみようかと思います。Tomos 20:06 2003年7月24日 (UTC)


私も普段は使いませんが、宥和主義は侵略者に妥協する事、平和主義は妥協しない。大違いです。実際には(妥協せずにいられたのは)ガンジーやマンデラ(完全に平和ではないかも)ぐらいでしょうが。調べてみたらいいのでは?Johncapistrano 16:08 2003年12月14日 (UTC)

(あまり人の文章をいじるのは好きではありませんが218.222.69.4さんの書き込みは個人攻撃と思ったので削除しました。tanuki_Z 03:45 2003年12月15日 (UTC))


「第二次世界大戦の原因」と題された文章は、「平和主義」が主題ではなく、「第二次世界大戦の原因」が主題の文章になってしまっている、と思います。ほかの方々のご意見は。なお、上記tanuki_Zさんの措置には賛同します。


Johncapistranoさん。あなたは「宥和主義は侵略者に妥協する事、平和主義は妥協しない」としてますが、妥協しないのはまさにチャーチルの考えなのです。欧米が「テロに屈しない」と以前から言い続け、米英が一緒にイラクを攻める理由はチャーチルに依らなければ理解できません。平和主義の行き着くところは妥協かデモンストレーションです。話し合いで解決するということは妥協なのです。

 私はデモは有効だと思っています。日本では党派心で分裂する事が多かったので有効例が少ないだけだろうと思っています。常に非暴力ではなかったかもしれないが、インド独立運動や黒人の公民権運動、反アパルトヘイト闘争の中心が非暴力の実力行使であったというのは妥協ではない。ある党の宣伝に独占されるべき事実ではないと思います。上にも書きましたが。  チェンバレンを持ってきて平和主義を無効というのは、チェコ人でもポーランド人でもユダヤ人でもないから妥協しただけ、という風にしか、私には見えないので、成功例を否定する論拠にはならない。と私は思っています。Johncapistrano 18:53 2003年12月17日 (UTC)


文章の移動

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宥和政策の記事が主になっていて宥和政策の記事が未作成なので該当部分を移そうかと思いますが如何でしょうか?Johncapistrano 13:23 2004年3月29日 (UTC)

Johncapistranoさん!あなたこっそり何やってるんですか。(やると思ったけど)誰が平和主義を宥和政策と混同したんですか?やり方がキタナイですよ。両論併記に戻しなさい。--以上の署名のないコメントは、219.105.145.33会話/Whois)さんが 2004年4月27日 (火) 14:37 (UTC) に投稿したものです。[返信]

俗語同然の念仏平和主義が独立した記事として必要とは思えません。むしろ「日本国憲法との関連」内で記述したほうが、多くの読者の目に触れるので利便性があって有益でしょう。222.144.86.75 2005年7月14日 (木) 06:26 (UTC)[返信]

パシフィズムについて

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--219.117.204.169 2010年10月7日 (木) 07:01 (UTC)パシフィズムとは絶対的平和主義です、しかし武力衝突の問題はお互いの絶対主義にあるのではないか。絶対的味覚や絶対的な法律が必要でしょうか。[返信]

非介入平和主義

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戦後日本の平和憲法を非介入平和主義として定義や規定明記するという考えがありますが。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12175330012  このような日本国憲法の考察するサイトや掲示板はWikipediaでリンクする価値があると思いますが。--以上の署名のないコメントは、Oki ww会話投稿記録)さんが 2017年6月6日 (火) 11:40 (UTC) に投稿したものです。[返信]

定義変更の提案

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現在(2017年12月16日)のバージョンでは、平和主義に以下の定義が与えられています。

   平和主義(へいわしゅぎ、Pacifism)とは、戦争や武力行使、暴力に反対し、個人や組織、国家の紛争の解決を求める手段として、例外を認めない絶対的な非暴力・非軍事力に   より、平和の追求や実現、維持を求める思想のことである

しかし、この定義は「個人や組織、国家の紛争の解決を求める手段として例外を認めない絶対的な非暴力・非軍事力により」という点が厳格に過ぎ、しかも実質的な不都合を含んでいると思います。そこで、平和主義の定義を、現在の定義に変わる以前の定義

   平和主義(へいわしゅぎ、Pacifism)とは戦争や暴力に反対し、また恒久的な平和を志向する思想的な立場を意味する

に戻すことを提案いたします。(但し、読み仮名と一緒に記されている英訳のPacifismは不要と考えます。Wikipedia日本語版は和英辞書ではなく、平和主義、という概念の意味内容を確定する際、英語のpacifismの意義を特に参照すべきとする積極的な理由が認められないからです)。定義変更の理由は以下で説明します。

現在の定義には9つも注が付けられていて、その中には「いかなる時にも戦争や暴力に訴えず」という趣旨を書きこんだ定義もありますが、そうでないものもあります。例えばAmerican Heritage Dictionary では、

1. The belief that disputes between nations can and should be settled peacefully. (国家間の紛争は平和的に解決できるとする考え)

2. a. Opposition to war or violence as a means of resolving disputes.  (紛争解決手段として暴力に反対する立場)   b. Such opposition demonstrated by refusal to participate in military action. (この立場は軍事行動に参加することへの拒否としてあらわされる)

とあります。戦争や暴力に対する反対、ということは入っていますが、「例外を認めない絶対的非暴力」というところまでは書かれていません。特に定義1ではそうです。

三省堂の大辞林では、

①  平和を至上の価値とし,その維持・擁護に最大の努力を払うべきだとする立場。 ②  一切の争いや暴力に反対する立場。

とあり、①には絶対的非暴力のニュアンスはありません。

つまり、平和主義について現在一般的な捉え方では、「例外を認めない絶対的非暴力」は必ずしも平和主義の要件ではなく、平和主義の意味はもう少し広く捉えられていると考えられます。

現在の本ページにおける平和主義の定義は2013年3月15日に利用者 Fugen さんが書き換え、現在ある9つの注を加えたものですが、すでに見た、Fugenさん以前の定義にも、「例外なき絶対的非暴力」という意味合いは含まれていません。

つまり、Fugenさんは、9つの注にある辞書を論拠として、平和主義は必ず「例外なき絶対的非暴力」という意味を含む、という判断を下されたわけですが、そこに引用された辞書のうちでも、American Heritage Dictionary の定義に見られるように、「例外なき絶対的非暴力」という意味が含まれない場合があることは明らかです。従ってFugenさんの引用資料は、Fugenさんの編集を支持しておらず、むしろ平和主義の定義をそこまで厳格にすべきでないことを示唆しています。

さらに言えば、「個人や組織、国家の紛争の解決を求める手段として例外なき絶対的非暴力の立場をとる」という定義には実質的な不都合もあります。現在の定義では、たとえば犯罪者の逮捕等の際に警察官が強制力を用いることを含めて反対するのでなければ平和主義とはいえない、という結論に導かれますが、そこまで平和主義の定義を狭めてしまえば、平和主義は非常に少数の人が支持するある意味で「極端」な立場だ、ということになるでしょう。しかし、「平和主義」を支持する人の多く、また「平和主義」を批判する人も含めて、そこまで厳格に平和主義を定義している人は少ないでしょう。「暴力」の定義にもよりますが、「国家とは一定の領域内で正当な暴力行使を独占する組織である」などとよく言われるように、正当な実力行使も含めて「暴力」とされる場合も多いのですから、現在の定義は狭すぎるといわざるを得ません。

また、本ノートに記載されている通り、平和主義の定義については過去において議論が重ねられてきました。Fugenさん以前の定義(Kazu62さんが2010年6月26日に書き込んだもの)は、簡潔であり、またそれ以前の定義論争の結果を実質的に反映したものだと考えられます。Fugenさんの編集は、こうした経緯を踏まえた様子がなく、突然に定義を厳格化したもので、適切な編集とは言いかねると考えます。

Fugenさんは既にアカウントを休止しておられるようですので、2017年年末まで皆様の反応を待って、特に反対がないようであれば定義を変更させていただこうと思います。--お山の大将会話2017年12月16日 (土) 06:55 (UTC)[返信]

追記(2018年1月4日)特に反応がないようですので、定義を変更させていただきました。--お山の大将会話2018年1月4日 (木) 08:22 (UTC)[返信]