ノート:平仮名
v音と鼻濁音について
[編集]ゔぁ行はva行、か゚行はnga行(音声学で使われる)ではないのか。--69.212.98.38 2004年8月6日 (金) 02:36 (UTC)
イェ(ye)音の平仮名について
[編集]すいません、yeの平仮名ってありましたか。あるにしても、画像で示したほうがよいのではないでしょうか。 Kzhr 2005年11月20日 (日) 04:24 (UTC)
- ヤ行のエの平仮名は確実に存在しましたよ。10世紀前半までという短い時期ではありましたが。たとえば、紀貫之自筆本『土左日記』の忠実な写本では「レし」に近い仮名で記されています。ponsaku 2005年11月21日 (月) 01:54
- 明治の例ですが「江」の仮名のこれとはちがうのでしょうか。 Kzhr 2005年11月21日 (月) 08:57 (UTC)
- その画像の字体で基本的に問題ありません。画像を参照するように出来るのでしたら、その方がよいでしょうね。ただ、私にはどういう風にタグを記述すればよいのかわかりませんので、どなたかおわかりの方にお願いすることになりますが。Ponsaku 2005年11月21日(月)18:24
- ゆよれの記述を参考にしてやってみました。 Kzhr 2005年11月21日 (月) 09:52 (UTC)
- Neither modern Hiragana nor Katakana have kana to represent ye, yi or wu sounds. However, ye is believed to have existed as a syllable in pre-Classical Japanese (prior to the advent of kana), and is generally represented (for purposes of reconstruction) by the kanji 江. In later periods, the syllable we (represented by the katakana ヱ and hiragana ゑ) came to be realized as [jɛ], as demonstrated in 1600s-era European sources, but later merged with the vowel e and was eliminated from official orthography in 1946. "Ye" in modern orthography is commonly represented using いぇ or イェ. Pensaka 2008年5月21日(水)05:34 (UTC)
- ゆよれの記述を参考にしてやってみました。 Kzhr 2005年11月21日 (月) 09:52 (UTC)
deesqa 2008年5月26日(月)18:12 (UTC)
訓令式の表記が一部欠落している点について
[編集]平仮名のローマ字表記で、「ち」はchi、ti、「ふ」はfu、huとあるのに、「し」はshiのみでsiを表示せず、「つ」はtsuのみでtuを表示しないのは理由があるのでしょうか。それとも、単なるバグでしょうか? 利用者:某漢字愛好家 2006年4月4日 (火)
- 現在の表を作ったわけではないので類推を述べますと、shiもtsuもそれぞれh, sが赤くなっています。また、wi, we, woのwも同様に赤です。これらから赤字は表記によって省かれうる/書かれないことがある字と見ることができるようで、すなわち「バグ」ではないようです。ただ、あんまりわかりづらいですから、註をいれておきました。 Kzhr 2006年4月4日 (火) 10:42 (UTC)
や行の「え」について
[編集]ヤ行の「え」の平仮名を認めるのであれば,ア行の「え」の字母としても「江」が掲載されていることとの整合性を注記する必要があるのでは? あと,「江」の画像が,明治の例だとすると,それが,ア行の「え」として書かれた物のか,ヤ行の「え」として書かれた物なのか微妙ですよね(しかも,「変体仮名」の項目では,ア行の「え」として使われている画像だ。)。--以上の署名のないコメントは、221.184.87.38(会話/Whois)さんが 2006年4月25日 (火) 13:55 (UTC) に投稿したものです。
ヤ行のエについては相当する仮名がコードに存在しないので、画像で示した。字母は「江」で、音韻は /ye/ 或は国際音声字母で子音は硬口蓋接近音 [j]なので、[je]。10世紀前半ごろには使用されなくなっているため五十音やいろはには含まれない。 --以上の署名のないコメントは、221.185.57.42(会話/Whois)さんが 2008年7月21日 (月) 4:42 (UTC) に投稿したものです。
ローマ字表記のコメントアウトについて
[編集]「平仮名のローマ字表記」と「特殊な音(アイヌ語表記用や実用された例がある古い音等)」をコメントアウトしました。その理由は平仮名よりもローマ字のほうに重きが置かれているように見えることと、平仮名だけではなく片仮名にも通用するローマ字表記であり、平仮名の項目に置いておくのは不適当だと判断したからです。ローマ字 は現在保護されていますので、ノート:ローマ字にて転記願いをしておきました。--春野秋葉 2006年7月13日 (木) 01:54 (UTC)
- shiとsiのローマ字表記は、それぞれ発音上では、カタカナのシとスィにあたるので、その点を考慮する場合、「し」のローマ字表記はshiが的確だと思います。ただし日本語で、シとスィの違いを明確にする必要があるかどうかによります。--以上の署名のないコメントは、82.67.38.151(会話/Whois)さんが 2006年10月19日 (木) 13:57 (UTC) に投稿したものです。
や行・わ行について
[編集]や行の「い」「え」・わ行の「う」について興味があったので祖父に訊いたのですが、や行の「い」は「依」を崩した文字で「ら」の上部分の点を「い」の間に置き、や行の「え」は「江」を崩した文字で「は」の左の棒を「え」の上の点の無い字を右に置いた字だそうです。 わ行の「う」は「会」の旧字体を崩した文字で「そ」の字の掃いを「る」の様に下部分の様に丸めるそうです。 勝手に編集するのはどうかと識者の方の意見を仰ぎたいのですが、いかがでしょうか。--英吉利 2007年11月23日 (金) 19:13 (UTC)
明治には百数種の根拠
[編集]明治に入る頃には百数種になっていた、の根拠を教えていただけないでしょうか?
ちなみに、吉田豊著『寺子屋式古文書手習い』柏書房1998年では、江戸期のかなについて「古来使われてきたかなの数300個以上」しかし「庶民が常用する範囲で覚える新たな字はせいぜい30個」とあり、21p、
可成屋編『すぐわかる日本の書・飛鳥から昭和初期の名筆』東京美術・平成14年では、「明治33(1900)年の小学校令で1000字ほどあった仮名文字が48字に整理された」とあります。--盛衰栄枯 2007年12月19日 (水) 01:34 (UTC)
気になるのは、この書き方だと、鎌倉・室町ごろに漢字かな混じり文ができて、以降、庶民は漢字かな混じり文で書いていた。それで、徐々に「かな」文字の整理が進んで、明治に入るころには「かな」は百数種になっていた、という理解になりかねないことです。
もしこういう理解をしたら、大間違いですからね。「くずし字」の項を参照してください。--盛衰栄枯 2007年12月20日 (木) 00:07 (UTC)
- なにを仰りにいらしたのでしょうか? 根拠としておあげになっている吉田は明治の状況と関係ないですし、可成編はどういう数え方をしたら1000文字になるのかわかりません。私がおおむねを書いたのでご信用いただけないかもしれませんが、いまの内容は日本語学の通説に沿っておりウィキペディアの記述として問題がありません。また、「鎌倉・室町ごろに……」という段落については書かれていないことについてお話しなさっているように思うのですが、どこにそのような記述があるのでしょう。くずし字を拝見しましたが、ごく最近の俗称に入れ込まれる理由をはかりかねております。 Kzhr 2008年1月17日 (木) 17:28 (UTC)
本文記載のひらがなの字母だけで110数種類あります。この字母に1対1対応で「ひらがな」があったという理解なら、筆記の世界では明治に近くてもそうではなかったですし、送り仮名や助詞・助動詞の部分に使われるものを「ひらがな」と呼ぶなら、筆記の世界で漢字の行草書でまかなわれた部分は何と呼ぶのかと思いました。「ひらがな」はいつどのような意味で使われ始めたのでしょうか。私は、近世庶民が残した膨大な日用筆記文の、行草書の和風漢文の候文が、現代人の認識から落ちているのに奇異の念を抱いています。100数種というのは、おそらく版本の世界の話だろうと思うのですが、そういう注記もありませんので、お聞きしたのです。鎌倉・室町から江戸時代という長期に渡って話が飛んでいるために、違う解釈が起きないかと心配しました。誤解の起きないように、省かれた部分を追加していただけたら、さらに安心なのですが。--盛衰栄枯 2008年1月19日 (土) 16:26 (UTC)
- そうではなかったと仰るのは簡単ですが、それを裏付ける資料を提出なさるのは困難でしょう。室町頃に300種ほどあったというのも奇をてらったものでしかなかったのですから。くずしの段階によって字の数を数えることはただ単に不毛であり、くずし字辞典を編纂するならともかく、字について学問をたてるときにいちいち別の概念を立てはしません。なぜ不毛か、といえば、くずしの程度にこそ差はあれ、どれも同じ字であるという観念があるからこそ読めるからです。ご懸念のことはいろいろ混乱しておいでのようで、理解しかねます。「行草書でまかなわれた部分」というのが、もし、「行草体で書かれた部分」と換言できるのであれば、漢字とひらがなでしょうと申しあげるほかないかと思います。ちなみに、候文は和風漢文ではないですよ。 Kzhr 2008年1月19日 (土) 16:49 (UTC)
ウィキペディアの中には「変体仮名」という項目もあります。ここでは、同じ字母でくずし方の違うものを、別の字としています。同じ字母の字でも、一つの文字とするにはあまりにも字形が違う場合、これも合理的だと思います。逆に、「くずしの段階では字を数えない」のでは、あまりにも、見た目の感覚を無視しすぎだと思います。子供には到底同じ字と認識できなくても、二つ並べて一つの字だと言うのもどうかと思われる。「くずしの段階で別の概念を立てない」とは、どの学問の方面で確定した方法なのですか?
「候文」は和風漢文ではない、とは、くずし字に出てくる例文、1861年の皇女和宮降嫁の際の村々廻状を指しておっしゃるのでしょうか。これはまだ平仮名が混じっていますが、「候文」が、元はほとんど「漢文」だったというのは、私のホームページ「庭訓往来」の原文紹介で確認できます。http://book.geocities.jp/teikinnourai/1gatu.html --盛衰栄枯 2008年1月20日 (日) 00:31 (UTC)
- お返事の前に、平仮名の項目にとって意義のある議論か疑わしくこれで終りにしたく思うのですがいかがでしょうか。
- ひとつの文字、といういい方はざっくばらんにすぎ、厳密な議論にならないので、字種・字体・字形という概念を導入するのですが、きちんと教育を受けた人間であれば、ひとつの字種の書かれ様のヴァリアントを理解できました。こういう書き方も「は」で、これも「は」で……というのではなく、これは「者」なので「は」、「盤」なので「は」というように、一回字種に回収して理解できなければ、さまざまな書かれ様に対して対応できず、結局他人の書いたものを読めないということになります(漢字を介して理解していたとは申しあげていませんが、コンピュータに書く都合上)。もちろん一回の書き物で共起する書かれ様は限定されていますから、字体を分けて研究するのはあります。しかし、時代の総体として考える場合、仮名の字体を安定的に数えるのは困難であり、そのようなことに着手したものを寡聞のためでしょうか、存じません。「和風漢文」というのが「変体漢文」あるいは「和化漢文」を意味するのであれば、私の誤解でした。訂正いたします。 Kzhr 2008年1月20日 (日) 16:01 (UTC)
ひとつ気になるのですが、ウィキペディアでは検証可能性が大事であり、必ず根拠を明示せよ、とされているのに、根拠を提示しない項目が結構あることです。こちらの項目の参考文献を示していただけませんか? 私が「ひらがな」の問題で気にしているのは、現代から遡る発想で江戸時代の文字生活を考えて、江戸時代の庶民の日常生活を仕切った実用文も、読み下し文みたいに、平易な字体簡略型の仮名がかなり使われたと、誤解されては困る、ということです。それで、その点を特に、誤解されないように、書き方を工夫してほしい、ということです。 現在歴史学で主として解読対象にしているのは、筆記文献です。その筆記文献でも、行政・経済・司法、また商用や共同生活など、公的な方面に関係する文書には、明治に近くなっても、字体簡略型の仮名はあまり出てきません。代わりに、音節文字として使われた行草書の漢字、漢文に由来する助辞の行草書、合字など、現代人には平仮名と思えないような文字が目立ちます。 平安時代に使われた音節文字の字母が300で、明治に近くなって、音節文字が、字母にして百数種類になった、ということが記述の本意なら、その正確さについても、一度検討してみる必要があると思います。平仮名の数が、と書かれているように読めるのも、あいまいで気になるのです。 記述の根拠の明示について、よろしくお願いいたします。--盛衰栄枯 2008年1月21日 (月) 00:21 (UTC)
- (「平仮名」参考文献について)小松茂美著は以前図書館で借りて見た事があります。明治初期の活字ひらがな、明治の活字印刷物についても言及なく、現行ひらがなの江戸期のルーツについても言及しておられなかった。江戸時代のひらがなについても、記憶にないくらいほとんど記載がなかった。「明治に入る頃には100数種になっていた」の根拠は、この本でしょうか?古代国宝級文物の研究者なので、近世や、近代の大量生産時代にはお詳しくないのではないかと思いましたけど。古い本です。
- (サンプル対象の明示を)「ひらがな」と呼んでいる文字が、版本の「ふりがな」なのか、それとも漢字かな混じり文の中の音節文字なのか、草双紙の音節文字なのか、あるいは公用文・実用文の中のわずかな音節文字なのか、和歌・俳句の中の音節文字なのか、平安文学の中の音節文字なのか、国学者の文章中のものなのか、もしサンプル対象がわかったら、お教えください。--盛衰栄枯 2008年1月31日 (木) 02:52 (UTC)ノート:くずし字より転記--どん底 2008年1月31日 (木) 13:51 (UTC)
- わたしもこの版で追記されている「明治直前に百数種」について、そのように明記された文献があるかどうかは知りません。ただ、小松著を参考にすると、江戸時代に御家流が広く行われて『変体がなの各体を書き分け』るようになり、さらに『各種の文学書の出版は、かなの字体の統一をうながしたものと考えられる』とあります。そもそも仮名の表現が一番多様だった時期でさえ『一人一人の使用字数は、だいたい100から200であった』わけで、そこから流派が固定されて表現が整理されたことを考えると、明治直前の総数が百種程度という数字はそれほど不自然ではないと思いませんか。盛衰栄枯さんが挙げている本の記述とも、べつに食い違わないですよね。そのへんのオッちゃんオバちゃんは総数百数種のうちの一部しか使わなかっただろうし、古くからの仮名をみんな数えれば300以上1000ぐらいにはなるでしょう。
- ところで盛衰栄枯さんが問題とされているのは、(1)数はもっと多い、あるいは少ない(2)数を挙げることそのものに反対(3)記事の他の部分はともかく百数種については出典が必要、のどれなんでしょう。--どん底 2008年1月31日 (木) 14:53 (UTC)少し補足--どん底 2008年1月31日 (木) 14:59 (UTC)
「数はもっと多い」です。近世古文書判読を目指している樋口正則著『実例古文書判読入門』名著出版には、字母にして207文字が挙げられています。私は、未掲載の、「木」を「き」で使っている文書も見たことがあります。複数見たので、その地方のその頃には使っていたのでしょう。
近世の地方文書に使用される仮名は多種多様、明治以前は、必ずしも全国一様の仮名でない場合が多い。とあります。「版本で整理されてきた」、について、どのような検証があるかわかりなせんし、国学者賀茂真淵が優れた表音文字として「仮名」を推奨した背景(国語国字問題下段、賀茂真淵『国意考』)には、海外文字との比較があり、それはすなわち、海外音表記に近い1音1字を目指していたと考えられますから、古文関係の使用文字が減ったのは、その影響もあるのではないかと思われます。かな文学の古文関係が減ったら、文学関係への影響は影響は大きいでしょう。
そういう動きに関係のない、「候文」正統、古い流儀が正統、と考える地方では、幕末でも、相変わらず地方流の仮名を使っていた可能性が高いのではないかと、思っています。--盛衰栄枯 2008年2月1日 (金) 09:42 (UTC)
「時代が下るにつれて字体は整理される傾向にあり、明治に入る頃には総数も100種程度に減少していた」という文章について、どなたか出典がわかる方、お願いします。樋口正則著『実例古文書判読入門』名著出版には、明治2・3年の文献が、形式内容ともに旧幕時代のものと考えてさしつかえない、として、くずし字候文が掲載されています。明治に入る頃には100くらいだったというのは、手書き文書には当てはまらないのではないかと思うのです。「版本では」ということなら、それなりに確証を得たいのですが。--盛衰栄枯 2008年2月7日 (木) 01:01 (UTC)
土佐日記についての小松氏の説について
[編集]IPのかたが小松英雄氏の土佐日記に関する説を移動したのち,Kiku bさんがそれは必要な記述だとrvされているのを見ました。
しかし,現状の記述では,いきなり小松氏の説が出てきて,それがひらがなにとってどういう意味をなすかも説かれないので,わたしとしては,必要な記述とは思えません。そもそも,小松氏の説は一種の奇説であり,そして,仮名文全体に説き及ぶ議論なのですから,現状の記述は,たんに突飛であり,除くほうが適切であるように思えます。Kiku bさんが,記述を充実させる予定がおありなら,わたしとしてはなにもいうことはないのですが,いかがでしょう? Kzhr 2009年11月30日 (月) 12:54 (UTC)
平仮名の空海作者説について
[編集]あまり見直す時間がないので指摘に留めますが、いろは歌空海作者説といろは歌手本空海作者説は、別物です。後者は江戸時代に興ったもので、それ以前に遡らないことは、矢田勉(2000–2004)「近世いろは歌研究史稿」(『国文白百合』31, 32, 35→『国語文字・表記史の研究』汲古書院、2012)に述べられています。いろは歌空海作者説が成り立たないことは、江戸時代にすでに明らかだったことで、有効な学術的反論は提出されていません。ひとまず矢田氏の解説を参照しておきます。 Kzhr(会話) 2022年9月12日 (月) 01:28 (UTC)