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ノート:干し首

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交易を目的とした干し首の作成

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確か、ヒバロ族などの干し首作成は、歴史上ある時点で西欧白人のエキゾチシズム、怪奇趣味を満足させるみやげ物として交易品と化し、量産されるようになり、そのための周辺部族に対する首狩り目当ての襲撃数が増加したことが報告されていたはずです。つまり、純然たる呪術民俗の産物というより、アフリカでの奴隷狩りに匹敵する、西欧への商品輸出のための人狩り現象が起きていたわけです。国立科学博物館で以前展示していたこの手の干し首が、今日表の展示から引っ込められている背景に、このあたりの事情があるのではないかと推測しています。今手元にその文献がないので私は書けませんが、このあたりの記述も不可欠のように思われます。--ウミユスリカ 2006年12月8日 (金) 09:22 (UTC)[返信]

外部リンクの記述を参考に加筆してみました。--カスガ 2006年12月8日 (金) 19:38 (UTC)[返信]

ありがとうございました、なんと交易品として商品化されたのは1850年代だったんですね。そういえば、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズの小説にも、この手の干し首が登場する作品があったように記憶しています。あれは、19世紀末から20世紀初頭にかけて執筆されていましたね。--ウミユスリカ 2006年12月9日 (土) 00:53 (UTC)[返信]

博物館標本

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[1]直接、これにうまくつながるかどうか、エスキモーの遺体を標本化して博物館に陳列されたものを返して、というその子どもの書いた文献があります。「父さんのからだを返して」というタイトル。加筆の仕方が分らないので、話題を上げるだけにしておきます。Mishika 2006年12月9日 (土) 01:29 (UTC)[返信]

近代の、研究対象となった相手に対して礼を失した人類学研究への批判が、エスキモーに対してだけではなくタスマニア先住民であるとか様々な場面で近年噴出してきています。日本の近代の人類学も、アイヌに対する礼を失した研究の実態が最近ずいぶん明らかになってきており、他人事ではありません。ヒバロ族の干し首の作成動機の変質に関しても、こうした文脈で改めて検証がなされて問題点が浮上してきたという側面があったかと。またその一方で、北米先住民の間から、明らかに今日の北米先住民につながらない北米の初期の化石新人人骨を、自分たちの祖先への冒涜だとして博物館標本としての登録を破棄して埋葬するようにとの政治運動が出てきているなど、一種の反作用としての暴走ともとらえられなくもない傾向も現れてきており、一筋縄では語れない状況が出てきています。このあたりは、人類学文化人類学あたりの記事で、総合的に記述し、ここへのリンクで結びつきを作るのが妥当だと思います。研究における倫理問題については「文化人類学」の項目で一言だけ言及がされていますので、このあたりを膨らますのがいいかもしれません。--ウミユスリカ 2006年12月9日 (土) 01:51 (UTC)[返信]
コメントに感謝。「研究上の倫理問題」「研究倫理」といった記事が必要なのかもしれません。その際は、ジュネーブ宣言、ヘルシンキ宣言などの記事も連動して作成することが必要です。Mishika 2006年12月11日 (月) 04:43 (UTC)[返信]