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ノート:市営モンロー主義

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POVの指摘

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歴史的な事情を一切考慮せずに現実に発生した事象の断片のみを主観的に解釈したこの項目自体POVではないでしょうか。市内交通が市営になるのは大阪や東京だけではありません。モンロー主義という言葉の解釈と使い方も不適切です。各自治体が意図的に民間企業による都心部への鉄道乗り入れ拒否を行ったという根拠となる情報ソースがどこにも見あたらないので、その旨の明記もお願いいたします。--以上の署名のないコメントは、219.122.35.129会話/Whois)さんが 2007-03-09 09:25:24 (UTC) に投稿したものです。

書き込みの際には署名をお願いいたします。履歴を見るとかなり経過していますがまだ議論がされていない状況なので、論点をいくつかに絞って意見を述べたいと思います。まず、「項目としてPOVではないか、用語としても不適切ではないか」という点についてですが、この用語は交通関係の概説書にはしばしば記されており、交通史の専門家の著書にも記載されております。(例として、三木理史著「水の都と都市交通―大阪の20世紀」(成山堂書店、2003年))本来の「モンロー主義」とは語義の異なる点があることは事実ですが、交通政策の俗称としてそれ相応の知名度を持つ語で、百科事典の記載項目とする点では十分な資格を備えていると考えます。この言葉の最初の使用例については明確ではなく、1985年の阪神電気鉄道社史と記したブログ[1]も存在しますが、もっと以前少なくとも1970年代には使用されていました(その例としては種村直樹著「地下鉄物語」(日本交通公社、1977年))。次の論点としては、この記載内容の妥当性です。ここで問題になっているのは、市内交通が市営になることではなく、(本来都市内交通とは目的の異なる)都市間鉄道の市中心部への乗り入れに消極的な姿勢をとり、事実上市内交通を市営で一元化することを指しています。他に市営交通を保有していた他の大都市(横浜市・名古屋市・京都市・神戸市等)においてはこうした政策は見られなかったものであり、この点において特筆されるべきものです。問題はご指摘のように「乗り入れ拒否を行ったソース」という点です。こうした新線の建設は鉄道会社が鉄道省や運輸省に免許を申請したり、大都市の交通政策を決定する専門審議会での答申に基づいて実施されます。こうした俗称がある以上は、そうした構想が明示された際に大阪市側が何らかの形でそれに対して消極的な対応を取った事実があったことが考えられますが、対象となった路線の免許や答申はいずれも30年以上前のものであり、すぐには事実関係の確認ができず、現象面からそうした事情が推察できるという記述となっている点は否めません。この点を何らかのソースに基づいて補正し、(また事実において俗称の指し示す内容と異なる点があればその点も説明して)適正な記事にすることが望ましいと考えます。Unamu 2007年12月17日 (月) 11:36 (UTC)[返信]
あえて言いますが、記事自体公営交通批判としているとしか読めません。川島令三種村直樹が書いた程度では信用とはいえません。千日前線の線形が不自然とか堺筋線の不機能などがあるでしょうが、大阪市の謀略の結果とでもおっしゃるのでしょうか?もちろん川島や種村はそういうレベルで本を書くほうが儲かりますが。しかも第3軌条の路線自体も批判すべきなのでしょうか?5線で車両が共通であることで転配属に都合よいという事実もありましょう。その例が谷町線と中央線で車両を入れ替えることや、千日前線が車両基地を森之宮にできることなどメリットもあります。ましてや、大阪市交通局も民営化自体が民意を反映しているかどうかも事実とは言えず、現に争いになっています。名古屋市にしても上飯田とか堀川とか、独立した駅もありますし、横浜はもともと横浜駅に一極集中しているためかえって伊勢佐木町や桜木町が機能せず、しかも地下鉄も機能していない(これも横浜市政批判のねたにできそうですね)こと、神戸も神戸高速鉄道があるが山陽電気鉄道や神戸電鉄と阪急・阪神の思惑や神戸市営地下鉄の並行など、+初乗り運賃の加算という問題も影響でしょうし。京都は逆にターミナル同士の連絡がないことで複雑だということです。似非評論家とマスコミのコピーとしかいえない表現の可能性高しでPOVの可能性大と判断します。川島レベルの話もネットで書かれることがありますが、調査もせず評論家の鵜呑みであることは明白です。--たぬき 2007年12月22日 (土) 09:29 (UTC)[返信]

(インデント戻します)ここで議論しようとしているのは、その言葉が指し示す内容の当否やそれに関することではありません。そのような用語がそれなりの一般的な用法として存在しているという事実(交通史を専門とする研究者の著書にこの用語があるという点を看過しないで下さい)と、その内容の提示、およびそれに対する評価(前回私が引用したブログの内容のように、「もともとは市民にとってメリットのあるものであった」といったような検証も含みます)そのものの記述の当否です。私が種村氏の著書を引いたのは、「1985年の阪神電鉄社史がこの用語の発端である」というネットで見られる記述に対する反証として示しただけで、それ以上の意味はありません(種村氏の記述にもそれ以前の何らかのソースが存在すると見るのが妥当でしょう)。必要なことは「市営モンロー主義」が正しいかどうか、ではなく、「市営モンロー主義」という用語についての説明(否定的意見があればもちろんそれは併記されるべきです)です。「市営モンロー主義が交通政策に対して悪影響を及ぼしているというPOVになっている」というなら、問題のある点をそうではないように削除・修正すればよいのです。Unamu 2007年12月23日 (日) 13:21 (UTC)[返信]

用語そのものの存在を批判しているわけではありません。しかし内容が大阪に偏っていること(同様の問題のある東京については記述がかなり短いこと)、川島のコピーとしかいえない表現が数多くあること、相互乗り入れ路線の数にしても本来なら他社線の条件の問題などが重要である問題なのに大阪市の責任のように書かれていること、川島がこのことについて大規模に表現しているが各地の鉄道の存在意義という現実が見えているか疑問な人物であることなど、中立を無視していることが否めないことははっきりしています。全削除までは行かなくても、大規模な削除と加筆、他都市の問題など、交通問題としての全体を現す表現に直す必要があります。少なくとも川島のコピーのような原文は認めるべきでないと考えます。--たぬき 2007年12月24日 (月) 01:13 (UTC)[返信]

Unamuさんが紹介されたブログ主、及び本文で引用されていた本の著作者です。リンクを辿ってやってきました。「この言葉の最初の使用例については明確ではなく」というのはおっしゃる通りです。70年代以前にも使われていたとは容易に想像できたけど調べ尽くせなかったのでボヤかしたつもりだったのですが、中途半端でした。また私が自分のブログ&本に書いてある内容「明治末ころ、阪神電車の市電乗り入れを画策~」も、一部で事実と食い違っています。そこを引用されているWiki本文の該当部分は私の手で抹消しました。執筆された方、閲覧された方。申し訳ございません。

"市営モンロー主義"という言葉自体、比喩的な表現であり、人によって捉え方はバラバラです。「阪神電気鉄道八十年史」においても、明治期については"市営主義"という用法が使われ、一方でp.330には"市営モンロー主義"という表記が登場している。同じ本でも執筆者によって表記が異なります。そうした言葉を事典としてまとめるのは難しい。

なお、Unamuさんが「そうした構想が明示された際に大阪市側が何らかの形でそれに対して消極的な対応を取った事実があったことが考えられますが(中略)この点を何らかのソースに基づいて補正し」と書かれています。大阪市が、「都心部への鉄道乗り入れ拒否を行った」という事実はありませんが、乗り入れ反対のための活動はやっていました。大阪市公文書館や国立公文書館で「都市計画法による都市計画決定がされているから」・「市内電車の営業に支障を与えるから」などという大阪市長名の意見書を多数見ることができますもちろんそれは大阪市ならではの事情もたくさんあったわけで、今日的観点からのみ市営主義を批判するというのもまたおかしい。あえて提案するなら、

市営モンロー主義(しえいモンローしゅぎ)とは、市域内に私鉄や民営バスが乗り入れてくることに難色を示した大阪市を揶揄する俗称のことである。

と穏やかな表現にして、既存の本での使われ方などを紹介しつつ、そのメリット・デメリットを同分量で併記する。すでに書かれている具体例についての扱いは難しいですが、競合関係にあった路線を列記して事実関係だけに整理する。……という修正の仕方で宜しいのでは。 --Ginga2008 2007年12月27日 (木) 00:32 (UTC)[返信]

Ginga2008さん、ご本人に書いていただくとは思ってもおりませんでした。ありがとうございます。現在、「特定版削除」という方向で進められているようですので、その手続き後に提案いただいた内容も参考にして問題のない記述に改めていく方向になろうかと思います。Unamu 2007年12月29日 (土) 13:49 (UTC)[返信]

横から失礼します。ちょっとだけ新聞記事検索を掛けてみたのですが、『読売新聞』2000年9月3日 大阪朝刊12面において、論説委員・稲田力 氏による論説記事があるようです。当該論説では「市営交通モンロー主義」という文言で表記されており、「市内交通市営主義」とも呼ぶとのことです。記事内容自体はあくまでも一般読者向けの解説なので、鉄道に詳しい方が参考文献とするには内容不足かも知れませんが、「当事者以外の出典」の一例としてここで紹介しておきたいと思います。探せばまだまだ「当事者以外の出典」はあるような気もします。本来であれば削除審議の場で紹介するべき事柄ですが、おそらく削除依頼サブページそのものが著作権侵害で特定版削除されると思われますので、こちらで紹介しておきます。--tan90deg 2008年1月3日 (木) 06:10 (UTC)[返信]

削除依頼以後のこの記事の扱いを考える

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1.「市営モンロー主義」というタイトルはふさわしいものかどうか

  • 本来なら、「公営交通一元化主義」というタイトルなどが正しいと考えました。なぜなら、「市営モンロー主義」という用語は川島令三のみが多用しており、それ以外に正式な名称が存在するかどうか疑問であるため、川島主義から脱する意味として改名の必要があります。また、なぜ「市営」でない表現である必要があるかは、東京都交通局など市でない地域が存在することが理由です。

2.大阪市交通局のみを強調する理由があるか

  • >市営モンロー主義(しえいモンローしゅぎ)とは、市域内に私鉄や民営バスが乗り入れてくることに難色を示した大阪市を揶揄する俗称のことである。

という言葉遣いなどは大阪批判でしかないのではないかと考えます。大阪市交通局だけが問題を持っているという理由はないと考えます。

  • それから、民営化談義は市の交通政策への反感と言えるわけでは決してないといえます。仮に交通政策の失敗であっても、問題が異なるとしかいえないでしょう。
  • カテゴリの「大阪市」などは執筆者の大阪批判が目的であると考えなければなりません。

3.公営交通に限った問題か

4.大阪市は「常に批判されなければならない」存在か

  • 渡船など、「道路の代わりであるから無料」という発想など、むしろ交通で先進的な都市計画もあったものといえます。
  • 批判の言葉ばかり並んでいるが、実際にどの程度批判があるか疑問です。また、シームレスで劣るとしても、梅田駅阪急の問題、上本町駅近鉄の問題、難波駅南海の問題も大きいと考えます。これらのターミナルの諸問題をすべて大阪市の責任にするとは納得できません。POVとの指摘は、すべて大阪市の市政の問題と決め付けていることが理由といえます。

このように、大阪批判が並ぶ現在の記事は批判されてしかるべきと考えます。修正依頼を出しましたが、はっきりしたアクションもないのが残念です。私自身は関西人でないので、関西ローカルの情報を手に入れられないという現状があり、編集が完全なものにできないという事情がありますが、一方的である記事と、修正によりかえって大阪批判になるという状況が見えるため、削除依頼まで出したのです。本文・ノートとも、きちんとした説明もソースもないといえます。--たぬき 2008年1月13日 (日) 03:15 (UTC)[返信]

削除依頼に反対した者としてたぬき氏の意見に対する反証・反論、およびコメントを行っておきます。

まず1.ですが、小学館刊行の「日本大百科事典」のモンロー主義に関する項目内に市営一元化政策に関する言及があり、必ずしも川島氏の著作のみで用いられているわけではないと小生は判断いたします。また、公営化一元主義という意味合いでは、「公営交通一元化主義」などと交通に限定した名称とするのは逆に他分野への記事展開の可能性を否定するものであり、小生としては強く反対するものであります。それならばまだしも「公営モンロー主義」とでもした方が交通以外の分野への言及の可能性を残しているだけマシというものです。

2.当該部分については既に改稿済みであり、ここで確認もせずに執拗に古い話を蒸し返すたぬき氏の姿勢には疑問を覚えます。

3.福岡市の事例は、元来市営での路面電車経営を行う体力が市当局に無く、福博・九州水力電気と民間資本の手にゆだねざるを得なかった事情や、西鉄が戦時統合で市内交通を営んでいた事業者各社(特に乱立していたバス事業者)を国策により合併して成立した、という歴史的経緯を考慮する必要があります。地下鉄との関係についても、結果的に福岡市が西鉄から福岡市内の幹線系統の権益を奪う形で地下鉄建設を強行した、という成立過程を無視して議論するわけには行かないでしょう。

4.大阪市内における私鉄各社のターミナル設置の経緯を知っていればこれはまず出てこない暴論ではないでしょうか。少なくとも、京阪と阪急については、大阪市がターミナル位置後退の代償として両社との間に取り交わした市電への乗り入れ契約を一方的に破棄するなどの決してフェアとは言い難い手段を用いたことは歴史的事実です。無論、全てが全て大阪市側に責を負わせるべきではありませんが、交通政策上現在の市内ターミナルが分散しシームレスな連携が困難な状況を作り出した原因が大阪市にあったことは京阪梅田線建設計画にかかる市議会の対応などを見ても明らかです。無論、国家政策により天王寺駅へ高架線にて乗り入れることを強いられ、巨額の建設費負担に苦しまされた阪和電気鉄道の事例など、大阪市以外の思惑が強く影響した事例も幾つかありますが。

以上を鑑みるに、たぬき氏の主張については日本の都市交通発達史に関する理解が根本的な部分で欠如しており、小生としては項目の是非を論ずる前に、その辺りをきちんと押さえていただきたかったように思います。後、モンロー主義という言葉のネガティブな面ばかりに注目されているようですが、市内交通一元化政策の下で高速電気軌道の建設計画がどのように展開し、そして万国博覧会開催時の大量輸送のために大阪市交通局がどのような決断を行ったのか、そういった部分を加筆してバランスをとる手段もあった筈です。にもかかわらず、そういった努力を行うことなく安易に削除依頼を出し、それが存続となると再度ここで話を蒸し返そうとするたぬき氏の姿勢には、小生としては不快感を否定できません。--HATARA KEI 2008年1月14日 (月) 17:52 (UTC) --HATARA KEI 2008年1月14日 (月) 18:29 (UTC)(追補訂正)[返信]

意見があります。そもそも「公営であること」=「悪」が前提となっていないでしょうか?この前提の存在があるため、中立テンプレが貼られても問題が解決するどころか過激になることがあった、しかもきちんとした議論もない、更に大阪批判まで含まれたことはどうでしょう?確かにマスコミや似非評論家は公営=悪と表現したがりますが、あくまでここは百科事典であり、中立は最優先されるべきです。
1.への意見自体がそういうことをにおわせると思います。2.については多少は変更があったが、根本は一緒と思います。
3.ですが、地下鉄建設は福岡市の暴挙といえるのでしょうか?西鉄が鉄道建設に消極的であることについてとか、市西南部など鉄道空白地域に対し西鉄はアクションがあったといえるでしょうか?また、地下鉄の必要性はあったが西鉄が不満を持っていたことやバス中心主義とそれでは交通が処理できない現実など大きいのではないでしょうか?金沢など北陸鉄道が市中心部に鉄道を持たず、なおかつ地下鉄や路面電車を重要視せず、バスを大量に走らせている現状とバス事業の県内独占はどうでしょう?
4.についてですが、阪急にしても京都線と宝塚・神戸線で規格が違いますし、京阪梅田線の影響は京都線には影響あっても宝塚・神戸線には影響ないはずです。近鉄は乗り入れがないことで車両が大型化したなどもありますし、近鉄南大阪線や南海はそもそも狭軌であって、おっしゃるシームレス自体不可能です。関東は狭軌の線が多いこと、京成が改軌することができたこと、大江戸線や銀座線や丸の内線など規格の異なる鉄道が存在するなど、このような例も含めて比較になるのでしょうか?
私については、蒸し返してどうのではありません。関西人でないためソースが少ないが、一方的な文章であることが明らかであることがわかるため、このような行動をしている次第です。加筆しようにも、根本に公営=悪の思想が見えるので、いったんすべて0にして、中立的な文にするようやり直しては・・・と思ったのです。--たぬき 2008年1月15日 (火) 03:18 (UTC)[返信]
『「公営であること」=「悪」が前提』となっているというたぬき氏の主張についてですが、少なくとも小生は公営=悪という立場は採っておりません。むしろ経世済民の学問の徒として、そのような単純かつ安易な二元論的ものいいで物事を処理あるいは説明しようとすることに強く反対する立場であることは表明しておきます。
また1.および2.に関するたぬき氏の反論についてですが、具体性を伴っておらず言葉遊びの域を出ないと小生には見えます。「におわせる」などという非常に主観性が強くかつ曖昧な表現を用いて中立を装うなど言語道断です。
3.の反論については、まず福岡の事例を論じている場(そもそもこれ自体たぬき氏が勝手に土俵を変えただけの話ですが)で金沢の事例を持ち出して議論を拡散させようとするたぬき氏の姿勢に疑問を憶えます(議論を収束させる意図がないように小生には思えます)。次に地下鉄建設が暴挙か否かという問題ですが、地下鉄それ自体の必要性については非を唱える意図は小生にはありませんが、福岡市の市営地下鉄建設がそもそも政令指定都市昇格の道具あるいは手段として市当局に認識されていたことは様々な傍証からも明らかであり、行政による政治的な意図に基づく民業圧迫、という意味ではこれは決して良い事例とは言い難いように思います。
4.については梅田線の路線計画図等をご覧になれば明らかなのですが、あの路線は新京阪線だけに関連するものではありません。後、神宝線の規格の相違云々ですが、同線の920系が複電圧設計であった、という一事と、後年710・810系複電圧車が京都・神戸・今津線直通特急に充当されたという事実でもってある程度の説明は可能かと思います。
後、最後に一つ。たぬき氏は自分の観点こそが中立である、という立場で論を展開されておられますが、小生にはむしろたぬき氏の論にこそ「公営=善」「民営=悪」というまるで半世紀以上前のマルクス経済学の如き極端なバイアスがかかっているように思います。正直、十分な知識を持たないことについて自覚のある項目について一体何をどうすれば一方的な文章であることが明らかであることがわかるなどと主張できるのか小生には全く理解できないのですが。加えていえば、都合が悪くなると関西人でないためなどと己の不勉強を言い訳の理由にされるというのもいかがなものかと。少なくとも、現状の項目内容を見る限りは大阪市の鉄軌道にかかる交通政策に関連した事実関係が列挙されているだけで、そこにどの様な「偏向」を読み取るかはむしろ読者の理解力あるいは意図に依存する状況にあるように思います。--HATARA KEI 2008年1月15日 (火) 10:47 (UTC) --HATARA KEI 2008年1月15日 (火) 11:53 (UTC)[返信]
残念ながら、貴殿の答えは疑問も多いし、不自然といわざるを得ません。福岡や金沢を例に出したことについては、
  1. 大阪市自体の問題であるか
  2. 公営交通の存在の問題であるか
というところが根本にあります。決して拡散とはいえないでしょうし、他の都市にも都市問題があり、参考にできるか、公営交通の存在するところとしないところで共通点や差の問題としてヒントがないかということです。
福岡市交通局を民業圧迫としていますが、福岡市が強制的に路面電車廃止を進めたかとか西鉄による鉄道建設などの計画があったかといえば答えはNOです。行政は公営交通をごり押しし、民間をつぶすものと考えること自体公営批判ではないでしょうか?
複電圧の阪急にしても、十三駅からは京都線の電車が宝塚線のレールを走るためには1500Vである京都線と600Vである宝塚・神戸線のことが一番の問題でしょう。一時期十三折り返しだったが梅田乗り入れに際し宝塚線のレールを使っていた歴史はどうでしょう?
あえて書きますが、私は公営主義でも民営主義でもありません。レッテル貼りをしたあなたを疑っています。場合によってはコメント依頼も考えています。もちろん、世論は「公営=悪」ですから、それに疑問を持った人は偏見で見るということはいえます。「読者の理解力に頼る」だと、ウィキペディア自体にメディア・リテラシーという面で立ち向かう必要もあります。私はいくつかの書物を持っています。資料は阪急電鉄時刻表や近鉄時刻表などのコラムからです。結構コラムも充実しておりますが、「当事者の出典である」ことが峠です。それだけでは微妙だが多少は事情はわかるという状況です。しかし、それ自体が出典として評価すべきかは決められないこと(これはすべての出典にいえます)であり、もっと詳しい資料を持っているか、さらに中立の観点が要されることから、複数の出典から矛盾点を突き合わせる必要があります。そのため関西関係の知識のある方に多少下駄を預ける意味です。偏向を当然とするやり方が許されるかといえるかどうかは百科事典の信頼にかかわることです。さらに、大阪市への批判が関西の世論として存在するならわかりますが、それについてはイエスもノーもないことがあるでしょう。
それと、私が出した疑問についてもきちんとした答えができないことは疑問です。はじめに「公営=悪」ありきに結び付けていることは否めません。「公営=善」も「公営=悪」も同レベルの問題でしょう。--たぬき 2008年1月16日 (水) 02:32 (UTC)[返信]
まず、公営交通の存在の問題か否かについてですが、これは公共事業体が民間企業と同一市場に参入する際に公共事業体の側がどのような方針を採るか(これについては参入される民間企業の側には基本的に選択肢はありません)で決定される問題であり、単純に結論できる問題ではありません。次に、大阪市の問題か否か、という問題に関して申し上げれば、大阪市の交通政策が他とは明らかに一線を画する水準で民間企業の介入を拒む、排他主義的な原理原則をとっていたことは明らかです。少なくとも、「大阪市内高速鉄道計画平面図」(1924年)などの地下鉄計画段階での資料を見る限りは、私鉄線との相互乗り入れなどの可能性を考慮して1435mm軌間を採用している(もっとも、当時の答申内容を読む限りは大出力電動機の採用可能性などの方が重視されていたようですが)ものの、路線計画自体は道路建設という都市計画事業と連動して(これ自体は路面電車でも同様でしたが)当時の市街地主要部および路面電車の幹線系統を網羅する形(それもこの時点では大半は高架線です)で立案されており、当時の私鉄側が免許を保有あるいは申請していた市街地中心部への直接延伸などは全く考慮されていないことが見て取れます。その一方で、都市の培養線としての郊外電気鉄道整備の必要性は当時の答申などでも強く訴えられており、民間企業の整備努力を謳っているのですが、アメリカなどでも見られたようなインタアーバン(都市間高速電気鉄道)における都市中心部乗り入れの重要性については全くと言って良いほど考慮した形跡が無く、あくまで自市の市域拡大や市内交通の改善というある意味ミクロな人口流動に対してのみ配慮し、都市間の移動といった広域的な交通に関する視点が欠落した政策決定であったことは事実です。その観点では、大正末の大阪市の都市計画事業そのもののマスタープランレベルでの構造的な問題が後年「市営モンロー主義」と揶揄される原因となった、つまり、いわゆる「市営モンロー主義」は公営の善悪の問題ではなく、この場合大阪市の都市交通政策レベルでの基本方針に内在していた問題が招いたものであったと言えます。その意味では、「市営モンロー主義」として立項すれば自動的に「中立性」とは無関係なレベルで大阪市の政策ミスが多数列挙される形となるのも無理ないでしょう。無論、この都市政策には問題点が多数ある一方で功績も多数あるので、それが列挙されていない現状は問題があるのですが。--HATARA KEI 2008年1月16日 (水) 06:06 (UTC)[返信]
(追記)福岡、金沢の例についてですが、金沢については路面電車廃止が当時の世論に押されて自治体側に強制されたものであった(それが失策であったことは、路面電車廃止後交通渋滞が何ら変化せず、バスの運行時分がかえって悪化したことで明らかですが)ことと、北陸鉄道傘下の鉄道各線が、ある程度の需要が存在した石川・浅野川両線以外、都市規模や沿線需要の点で全く将来性が無かった(一定以上の需要のあった加南線が沿線各自治体による北陸本線特急停車駅争奪のあおりで廃止に至る、という不幸な事例も含まれますが)ことがバス主体化の最大の原因であり、特に冬期の積雪が多い北陸の場合、道路上を走るバスとは異なり多大な除雪コストを全て負担させられる鉄道事業を、それも採算性の悪い路線について継続することに意義が見出せなかったことは明らかです。ちなみに、やはり戦時統合で成立した1県1事業者体制に対しては、1960年代の労使紛争時に県が望んで近鉄系事業者の参入申請が行われているのですが、結局これは交通規模に対して過剰として都市計画審議会で却下されたという歴史があります。むしろその後の展開を見ると、県下の人口密度が低く都市規模も小さく、またモータリゼーションの影響も大きかった石川県においては、北陸鉄道がバス化と分社化を早くから推進したお陰で現在もかろうじて稠密な公共交通網が維持されている(1県の交通網を支えている、という使命感が可能な限りの路線網維持に努力させている)、とさえ言えます。個人的、かつ趣味的には鉄道を残して欲しかったのですが、あの地域の人口や輸送動向の数字(バスでさえ、全盛期の半分以下の輸送量となっており、採算性の点でほとんど慈善事業に近い状況です)を見る限り、金沢市での地下鉄建設(ちなみに北陸鉄道の地下化にあたってはわずか700mに71億円の建設費を要しています)を含めその様な妄想が許される状況にないのは確かです。
次に福岡についてですが、「福岡市が強制的に路面電車廃止を進めた」ことは基幹線区であった貫線などの廃止が地下鉄建設工事に起因するものであったことでおよそNOとは言えないと小生は考えます。これについては、そもそも、たぬき氏が一体どの様な論拠を持って「答えはNOです」と断言されるのか、小生には非常に興味があります。背骨となる基幹路線を奪われれば、そうして外郭線(循環線など)だけとなれば維持が困難となるのは他都市での例を引くまでもなく、自明です。また、西鉄がバス事業主体となり大牟田線関連を除き鉄道事業に熱心さを欠くようになったのは、金沢の事例と同様、はっきり言えばそれだけの輸送需要が存在しない(朝夕のラッシュだけでは儲けにならない)からです。また福岡市内での路面電車経営に限れば、少なくとも1960年代中盤までは北九州線と同様に新型連接車の大量投入(35編成)など積極的な輸送力強化を実施(もっとも、切り札であった3車体連接車の導入は県警の介入で中止させられていますが)しており、他都市での例と比較しても手厚い設備投資が行われていたことは明らかで、将来計画についての福岡市との長期折衝→1971年の都市計画審議会における答申での市営地下鉄の創設とこれに伴う福岡市内線全廃の方針決定(見方によれば発展的解消でありますが、民間事業者の視点で言えば既得営業権の奪取であることは明白で、相手が過去の国鉄であれば何らかの補償の対象となったものです)がなければ地下化や高架化などの何らかの抜本的な対策を講じていた可能性が高いと小生は考えます。--HATARA KEI 2008年1月16日 (水) 07:19 (UTC) --HATARA KEI 2008年1月16日 (水) 13:16 (UTC)(追補訂正)[返信]
(追記2)阪急の件ですが、たぬき氏は京阪梅田線の記事をきちんとご覧になりましたでしょうか?同線は実現していれば新京阪線の一部となっていたはずの路線(新京阪はその開業に当たって上新庄-淡路間は旧国鉄東海道線の路線跡を使用して間に合わせで天神橋へのルートを構築しており、上新庄以北の直線主体の線形を維持したまま桜宮に至り、そこから城東線の内側を走行して梅田に至る梅田線が計画の本命であったことは明らかです)であり、あちらが実現していればわざわざ十三経由で600Vの宝塚線に入って梅田乗り入れ、などという迂遠な手段をとる必要は全くなかったことは指摘しておきます。また、小生が意図したシームレスの意味が正しく伝わっていないようなのですが、狭軌の南海にも難波以北への延伸計画は過去何度も存在(そもそも天王寺線が関西鉄道線経由での官設鉄道大阪駅連絡手段構築のための路線であったことは忘れるべきではありません)しており、さらに大阪電気軌道も営業報告書を見ると再三に渡って市内への延伸を含めた路線建設計画が報じられており、そういった都心部へ市電や地下鉄への乗り換え無しでの郊外あるいは他都市からの直通に対する要求は非常に強いものがあったことは明白(大軌との抗争でそういった方向への事業展開の余裕がなかった大阪鉄道(II)はまた別ですが)です。--HATARA KEI 2008年1月16日 (水) 09:14 (UTC)[返信]

一言言わせてくれ、議論よりもまず本文の内容の充実でしょう。文句ばかり垂れる前に、誤字脱字でも探せといいたい。--はやたま 2008年1月16日 (水) 22:34 (UTC)[返信]

それはそうと、どさくさ紛れに話題がそらされていますが、小生の上記回答に対してたぬき氏の反応が一切ないのはどの様な理由によるものでしょうか? 少なくとも、福岡市の件で「答えはNOです」と断言された件については氏に説明責任があると小生は理解します。論拠も示さず空理空論を弄ばれたのでは、逐一資料を調査しまじめにつきあっている方としてはたまったものではありません。そもそも、他者に対してここまで揚げ足取りを繰り返し出典や論拠について厳しく要求しておいて、自分の主張の論拠を明らかにしないのではダブルスタンダードが過ぎるというものです。なお、都合が悪くなると答えず話題をそらす、という態度を続けられる限り、小生としてはその編集姿勢に対して不信が募る一方であることは申し添えておきます。--HATARA KEI 2008年1月17日 (木) 11:52 (UTC) --HATARA KEI 2008年1月17日 (木) 11:55 (UTC)(追補)[返信]

当時の福岡の新聞には民業圧迫との記述はないはずですが・・・。もちろん、これだけでは証拠にならないこと、報道していないから存在しないといえるかは悪魔の証明になってしまいますし。--たぬき 2008年1月18日 (金) 00:54 (UTC)[返信]
なるほど、つまり「当時の福岡の新聞には書かれていなかった」などという非常に主観的かつ曖昧な論拠だけで、何ら具体的な根拠あるいは出典の確認なしに断言されたということですね。良く判りました。今後は貴方の主張を読む際には眉に唾を塗ることにします。--HATARA KEI 2008年1月18日 (金) 11:41 (UTC)[返信]
後、一つ気になったのですが、「福岡の新聞」とは一体どの新聞社の新聞を指しておられるのでしょうか?
少なくとも、「当時の福岡の新聞には民業圧迫との記述はないはずですが」とおっしゃるからには1960年代後半から1970年代初頭にかけての時期の福岡地区で刊行されていた全国紙各紙(の地方版)と、地方紙各紙などを全て網羅して閲覧・確認された上での結論であると小生は理解しますが。もしそうでないならば、それは証拠がどうの、悪魔の証明がどうのと言う以前の問題として、事典編集上最も忌むべき根拠のない虚偽発言ということになりますので念のため。--HATARA KEI 2008年1月21日 (月) 09:39 (UTC) --HATARA KEI 2008年1月21日 (月) 09:41 (UTC)(追補訂正)[返信]

その2

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大きな疑問です、一番最初に出た疑問ともいえましょう。

  • そもそも大阪に特化したひとつの主義があって、大阪市の交通はまったくもってその主義のみに基づいて行われているのか?他に原因があったり、本来ばらばらに考えるべき別の次元の問題を一まとめにしていないか?

多くの疑問は、そこからスタートだと思います。--たぬき 2008年1月17日 (木) 10:33 (UTC)[返信]

スタートも何も、市営一元化の政策方針があってそれが少なくとも戦前期には一貫して維持されたことは小生が改稿する前から既に記載があったことですが。
疑問を抱かれるのは結構ですが、そういう問題提起は本文を良く読んでから行って下さい。--HATARA KEI 2008年1月17日 (木) 11:06 (UTC)[返信]
本文を読めば読むほど感じますけど、戦前と戦後と現代では、仮に主義があっても、意味合いが異なるでしょう。それと、
  1. 第三軌条の採用自体は非難されることか?
  2. 乗換えがでることが悪評かどうかのソースはあるのか?
  3. 東京のように「無理やり路線を捻じ曲げて特定地域を通す」ことは「わかりにくい」という悪評ではないのか?
  4. 民営化案が存在するのは事実だが、主義と関係があるのか?縦に並べれば本来原因が違っても関連があると解釈する可能性は?
プラス、それぞれひとつひとつの現象が事実でも、その現象はすべて特定の主義に帰依すると決め付けてよいものか?ソースもはっきりしないことで独自研究でないのか?と思います。「大阪市だから」「公営だから」ということで判断することは危険です。「ある時期存在した」は理由になりません。--たぬき 2008年1月17日 (木) 11:29 (UTC)[返信]

そろそろ議論を収束させませんか? 私自身、「市営モンロー主義」という言葉は聞いたことがありましたが、仮にそうした事実があったとしても資料を用いて論証することは難しいのではないか、と思っていました。しかし今回の議論を通じて、HATARA KEI氏が様々な資料を提示してくれました。一番論証が難しいのは、大阪市に民営交通排除の意思があったかどうか、ということでしょうが、それは大阪市長の発言という形で示されています。また実際の民営交通の市内への延伸計画についても、大阪市がどのような対応をしたかについてきっちり文献が示されました。これだけで百科事典に記載するに値する内容だと私は考えます。

たぬき氏は、「戦前と戦後と現代では、仮に主義があっても、意味合いが異なるでしょう」とおっしゃいますが、それなら戦後、現代に主義が変化していることの論証をして追記すればよいでしょう。変化しているのではないかと推測するのであればそれこそ独自研究ですし、たとえ変化していることが立証できても、それは追記の根拠にはなっても現在の記事の削除の根拠にはならないでしょう。

その他についても、

  • 第三軌条については現行記事では単に結果的に乗り入れが不可能になったと書かれているだけでそれが良いとも悪いとも、大阪市が意図したものであるとも書かれていません。
  • 「乗換えがでることが悪評かどうか」とのことですが、乗換はできるだけ避けるべきものであるがやむを得ず行われるものであるということは、どんな交通学の教科書にでも書いてあることです。乗換が問題ないのであれば、JRが大金を掛けて天王寺の連絡線を造ったり、ダイヤ混乱の影響が広範囲に波及することを甘受して湘南新宿ラインを設定したりしません。
  • 「東京のように『無理やり路線を捻じ曲げて特定地域を通す』ことは『わかりにくい』という悪評ではないのか」は、そのような悪評があるのであればどうして市営モンロー主義の記事から何かを削除する根拠になるのでしょうか。
  • 民営化案については本文では、これまで民営交通排除の歴史があったのに逆になりつつあるという、歴史の流れを書いているだけで、主義と関係があるなどとどこにも書かれていません。
  • 「『大阪市だから』『公営だから』ということで判断することは危険」については、HATARA KEI氏は単に確たる資料を元に大阪市の態度について論拠を積み上げているだけで、そのどこにも「大阪市だから」「公営だから」の論拠はありません。
  • 「『ある時期存在した』は理由になりません」 なぜならないのですか? 大阪市にかつてそういう態度があったことが論証されたのなら、書かれるべきでしょう。

正直、HATARA KEI氏が一次資料を元に論拠を積み上げているのに、たぬき氏はそれに正面から応えずに新たな論点を思いつきで出して、議論から逃げ回っているようにしか見えません。そのようなことでは議論はいつまで経っても収束しません。たぬき氏が「公営は悪くない」「大阪市は悪くない」と思っていることを記事に反映させようとして、POVを持ち込もうとしているだけでしょう。これ以上はっきりした資料を提示せずにそういうことを続けるのは議論妨害であり記事の破壊行為だと考えます。

後はHATARA KEI氏が出した資料を元に出典をきちんとした記事にまとめ上げていく作業をすればよいでしょう。市営交通で一元化されたことのメリットも執筆すれば、十分バランスは取れていると思います。--Tam0031 2008年1月18日 (金) 16:13 (UTC)[返信]

さしあたり大阪市の事例について小生が手を入れられる範囲での改稿を行いました。こと中立性という観点で問題となる記述については全て排除し事実の列挙のみとなるように全面的な再構築を実施したつもりです。--HATARA KEI 2008年1月19日 (土) 07:29 (UTC)[返信]
単語を並べ替えたり文章を分割したりして、分かりやすく改稿しました。またセクション分けを行って、その流れにするために大規模に文章の配列替えを行いました。--Tam0031 2008年1月19日 (土) 19:48 (UTC)[返信]

文章について

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激論中にどうでもいい話のようで申し訳ありませんが、本文のセンテンス(一文)が長く、意味が非常につかみづらいです。

この市営交通による独占実現の過程では、当初高麗橋を起点とする予定であった京阪電気鉄道[3]に対し、大阪市電気局が自局線の分断回避を目的として京阪に対し自局計画線と重複する高麗橋東詰-天満橋南詰間の特許返納とその代償としての同区間並びに高麗橋-梅田間への京阪車両の市電乗り入れ許可を提案し、契約締結後乗り入れ実施直前になって京阪側としては実現不能な条件を追加して乗り入れを断念させる、といった手段が採られた。

例えば、新京阪鉄道が新京阪線(現在の阪急京都本線)建設にあたり鉄道省からの地方鉄道免許交付時に提示された「大阪市内に独立したターミナルを設置すること」という付帯条件を達成するために北大阪電鉄を買収し天神橋[14]に一旦ターミナルを置いてこの条件を達成した後、梅田線として別ルートでの梅田への乗り入れを計画した際には、監督官庁である鉄道省は認可と路線用地となる旧城東線用地の払い下げを許可をしたものの、同線の計画について説明を受けていなかった大阪市、特に市議会は猛反発し、既に出された認可そのものについては取り消しとはならなかったものの、当初計画にあった建設費用が廉価な地上線での建設を、高架線ないしは地下線とする付帯条件を課すことに成功している[15]。(いずれも本文より抜粋)

なんて、一読しただけではよくわかりません。

また、たとえば市営モンロー主義#大阪市の事例の解説の中で、いったいどの部分の政策が市営モンロー主義と呼ばれているのかがハッキリしません。市営モンロー主義を理解する上で必要だということはわからないでもないですが、鉄道ヲタの話を聞かされているだけのようで(<ごめんなさい)論点がぼけているように感じます。これも文章の煩雑さを取り去ればなくなるのかもしれないので、なんとも言えないんですが。

ヘタにいじると文意を変えてしまう可能性があるので、どうにも手が出せません。知識のある方、どうかよろしくお願いします。--なのこえ 2008年1月18日 (金) 01:18 (UTC)[返信]

他都市の事情について

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だいぶ本文も加筆され充実してきましたが、大阪、東京以外の都市については公営一元化主義というものはなかったのでしょうか? たとえば、名鉄(の前身)が名古屋市にかなり強引に市内電車線を買収されたという話がありますが、これはモンロー主義の範疇に含まれるものなのでしょうか? いくつか路面電車のある都市の記事を見ると、札幌や鹿児島などで民間が開業させた路面電車を市が買収しているようです。どこまでをモンロー主義に含めるかは、厳密な定義がない以上かなり主観的なものになってしまい、独自研究の範囲を免れないとも思われるのですが…。大阪ほど極端に主義が表れたところも他にないでしょうし、東京・大阪の現在の鉄道路線網の成り立ちを説明する意味でこの2都市は必然的に記事に入ると考えますが、それ以外の都市は必ずしも必須ではないようにも思え、識者の見解を伺いたいところです。

また、中立性のタグが貼られたままになっていますが、これはいつまで貼っておくのでしょうか。もともと貼った人({{観点}}タグは2007年10月24日 (水) 13:45 JSTの219.122.35.129氏、{{修正2|3}}タグは2008年1月8日 (火) 21:17 JSTのたぬき氏)が議論に現れない以上、十分加筆できたと判断できた時点で撤去してしまってよいと思います。--Tam0031 2008年1月27日 (日) 03:03 (UTC)[返信]

名古屋の事例は高額な運賃設定に対する市民の反感から暴動が生じ、その対策として市営化が実施された、という経緯があって、市営化が市内交通の市当局による一元支配という都市計画と連動した政策の一環として実施されたわけではない、という一点で大阪のケースとは大きく性質が異なるように思います。それから、それ以外の地方都市の例ですが、呉のように海軍鎮守府の意向という外的要因で市営化されたケースもあり、必ずしも市営一元主義が前提にはなかったケースが大半であったのではないでしょうか。バスの場合もそうですが、市当局が直営での交通機関運営実施を決意する場合、市内交通を民間に任せていては円滑に実施されていないのを改善する目的である場合が多く、民営交通機関の直接的な排除を主目的として創設されるケースというのは実はごく少数派(例えば川崎の場合は燃料難でバスが機能しなくなった戦時中に、工員輸送が主目的で路面電車を既存鉄軌道を補完するように建設しています)であるように思います。
後、タグの件ですが、問題提起を(恐らくは純粋な疑問から)行ったにすぎない219.122.35.129氏はともかく、さんざん議論をかき回すだけかき回したあげく、都合が悪くなると沈黙を決め込んだ、たぬき氏のあまりの無責任ぶりおよび身勝手ぶりにはあきれ果てています。手を変え品を変えまともな論拠もない空理空論に等しい主張を繰り返して議論を無駄に重ね、ここまで他人に貴重な時間を浪費させておいて、事後のタグ除去という最低限の責任を果たそうともしないというのは、正直いかがなものかと思います。ともあれ、かくのごとき無責任な人物が貼付したものであれば、現状の記事本体を鑑みる限り、無条件に除去しても問題ないかと思います。--HATARA KEI 2008年2月3日 (日) 17:06 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。タグについては、私の先の投稿から1週間を経過してHATARA KEIさんの同意1件のみでしたので、除去させていただきました。
名古屋の交通事情についてですが、こちらのサイトでは名古屋市の市営交通一元化主義があったという観点で説明されているので、出典をもっと明確にできれば記述できるのではないかと考えていました。ただ、私自身で出典になりうる文献は全く思いつかないので、こちらで聞いてみた次第です。HATARA KEIさんで特になければ、現行の記述でよいと思います。--Tam0031 2008年2月4日 (月) 14:28 (UTC)[返信]

著物の該当ページの確認

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初出についての部分で「阪神電気鉄道八十年史」が挙げられていますが。 該当著物(27cmサイズ)が写真や巻末資料等を除いても450ページ弱にも及んでおり大半が環境や効率化などの経営課題、人事関連等が多く設けられており特定困難な状態です。 これについて、ページ番号、項目名などがあれば検証可能性の向上に繋がると思うのですが、私も見逃しの可能性を否定できないので継続して探しますが情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら検証可能性の向上のため御協力をお願いします。--秋月 智絵沙(Chiether) 2008年4月19日 (土) 16:51 (UTC)[返信]

古い用例

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現状の記事(版番91666240)で挙げられているもっとも古い用例は1977年ですが、国立国会図書館デジタルコレクションで「市営モンロー主義」を全文検索してみたところ、より古い用例を見つけました。

以上情報まで。--侵入者ウィリアム会話2023年1月29日 (日) 05:33 (UTC)[返信]