ノート:川西国鉄前駅
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能勢電鉄国鉄前線との統合提案
[編集]川西国鉄前駅と能勢電鉄国鉄前線との統合を提案いたします。理由は下の2つです。
- 川西国鉄前 - 川西能勢口間は1駅のみの盲腸線であるため、双方の記述が重複することが多い。同区間は川西国鉄前駅で国鉄線と貨物の連絡をするために建設されたのであるからなおさらである。
- 「国鉄前線」という呼称は、これまでの所文献では全く確認できず、記事名として不適切である。
以上です。なお、同区間の呼称として「国鉄連絡線」という名称が使用されていることを複数の文献で確認していますが、それも今の所3冊のみですから、あまり定着しているとは言えず、記事名とするにはやはり抵抗があります。双方の統合が一番無難ではないかと現時点では考えています。
1週間動きがなければ統合が成立します。異論のある方はそれまでにお願いします。--もんじゃ 2011年1月22日 (土) 16:08 (UTC)
- 反対 いかに路線長が短くとも、駅記事に路線記事を統合するというのは話としては筋が違うと思います。能勢電鉄国鉄前線がその開業から大正15年の阪急線川西能勢口駅との連絡渡線設置・同時期の阪急による能勢電鉄への資本参加→妙見線の阪急宝塚線の培養線への転換まで妙見線本体と不可分の線区として存在した歴史経緯を考慮すると、能勢電鉄妙見線に統合すべき性質のものであると小生は考えます。--HATARA KEI 2011年1月22日 (土) 23:59 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。たしかに仰っていることはもっともですが、少し考えて頂きたいのは、国鉄連絡線は川西国鉄前で貨物の連絡を図るために建設されたこと、すなわち川西国鉄前の存在それ自体が同区間の存在理由であったということです。要するに両者こそ不可分の存在であり、また解説をする上で同じページにした方が合理的です。駅と路線の記事が1つになっている状態には確かに多少違和感がありますが、今の場合は特殊な例と理解すべきだと思います。なお、駅と路線の場合はいざ知らず、事業者と路線の記事が1つになっている状態には姫路市企業局交通事業部があります。
- 妙見線への統合に完全には反対しませんが、妙見線と国鉄連絡線が(特に末期は)完全に異質な存在であったため、妙見線で解説することの非効率さを懸念しています。--もんじゃ 2011年1月23日 (日) 01:40 (UTC)
- ご返答ありがとうございます。小生が妙見線と連絡線の不可分性を強調する理由としてあげておきたいのは、少なくとも第二次世界大戦直後の時点まで川西国鉄前-妙見口間を通しで列車が運転するのが基本で、川西国鉄前-川西能勢口間の運転分離が実施されるようになったのが、阪急からの10形譲受により2両編成化が進んだ1959年8月21日のダイヤ改正以降であるという事実と、伊丹延長線計画の存在です。前者から申し上げられるのは、この路線が存在した1917年から1981年までの64年間の内、約2/3にあたる42年間に渡って妙見線と同一線区として機能していたということであり、その期間にこそこの区間の存在意義があったことも踏まえると、妙見線記事でこの区間について言及することには意味があると小生は考えます。現状の妙見線記事は路線の線形改良などについて正直何も書かれていないに等しい有様であるため、統合することに違和感を覚えられるかも知れませんが、零細電気軌道が阪急の培養線として本格的な高速電気鉄道へ転換していった過程を記述する上ではこの区間の建設から廃止に至る過程を書かないわけには行かず、むしろそうした記述がなされるよう誘導する手段として、この区間の記述を妙見線記事へ統合することを利用すべきではないでしょうか。また後者については、実質的に昭和2年頃までにはその役割を終えていたこの短い路線が、それでも戦後も長く残された背景に戦前から戦後にかけて再三検討されたこの延長線計画があった事は自明です。妙見線記事中で既にそれについて触れられていることを考慮すると、同計画の足がかりとなるはずであった連絡線記述については、やはり妙見線記事に統合すべき、ということになろうかと思います。--HATARA KEI 2011年1月23日 (日) 02:30 (UTC)
- (追記)なお、事業者と路線の記事が1つになっている例としてもんじゃさんが挙げられた姫路市企業局交通事業部ですが、小生もモノレール部分の記述について少なからず関与したため、ついでながらここでコメントしておきます。
- 当該記事で小生が記事分割に対して保留という態度を示したのは、全くバス事業についての記述が不十分で、分割するに充分な分量の記述がなされていなかった事に尽きます。当該記事のノートでも書いたのですが、書くべき事柄が山ほどあるのにそれにも手を付けず、ただアンバランスであることを理由にして分割だけを主張する、という全く無責任な提案であったためです。まぁ、このあたりについては最終的に記事のゴールをどこに設定するか、によって個々人の意見が異なる部分であると思いますが、当該記事の場合、少なくとも小生には将来のゴールを安易に低く設定してお茶を濁そうとしているようにしか見えなかったのは確かです。今回の能勢電鉄関連記事においても、将来到達すべきゴール/完成と見なされるべき状態を安易に低く設定して、それ以上の発展を妨げるような状況とならないことを切に願う次第です。--HATARA KEI 2011年1月23日 (日) 02:52 (UTC)
- 確かに国鉄連絡線は妙見線と一体の路線と扱われていた時期もあったようですね。末期には独立した路線であった事もまた確かなのですが。私の理想は水軒駅のような状態ですが、あまり同調してくれる人がいないような気がします。HATARA KEIさんの主張も筋が通っていますし。まだ統合提案から時間が経っていないので、一週間ほど様子を見て、川西国鉄前への統合に賛成する人が現れないのであれば、あなたの言う通り妙見線への統合提案に切り替えるのが、議論の長期化を避けるためにも無難でしょうね。--もんじゃ 2011年1月23日 (日) 09:48 (UTC)
- 本日をもって、統合提案を一旦取り下げます。引き続いて統合先を能勢電鉄妙見線に変更して再度統合提案をいたしますので、HATARA KEIさんには、その際にまたご助言いただければ幸いです。--もんじゃ 2011年1月31日 (月) 11:32 (UTC)
- 確かに国鉄連絡線は妙見線と一体の路線と扱われていた時期もあったようですね。末期には独立した路線であった事もまた確かなのですが。私の理想は水軒駅のような状態ですが、あまり同調してくれる人がいないような気がします。HATARA KEIさんの主張も筋が通っていますし。まだ統合提案から時間が経っていないので、一週間ほど様子を見て、川西国鉄前への統合に賛成する人が現れないのであれば、あなたの言う通り妙見線への統合提案に切り替えるのが、議論の長期化を避けるためにも無難でしょうね。--もんじゃ 2011年1月23日 (日) 09:48 (UTC)
- ご返答ありがとうございます。小生が妙見線と連絡線の不可分性を強調する理由としてあげておきたいのは、少なくとも第二次世界大戦直後の時点まで川西国鉄前-妙見口間を通しで列車が運転するのが基本で、川西国鉄前-川西能勢口間の運転分離が実施されるようになったのが、阪急からの10形譲受により2両編成化が進んだ1959年8月21日のダイヤ改正以降であるという事実と、伊丹延長線計画の存在です。前者から申し上げられるのは、この路線が存在した1917年から1981年までの64年間の内、約2/3にあたる42年間に渡って妙見線と同一線区として機能していたということであり、その期間にこそこの区間の存在意義があったことも踏まえると、妙見線記事でこの区間について言及することには意味があると小生は考えます。現状の妙見線記事は路線の線形改良などについて正直何も書かれていないに等しい有様であるため、統合することに違和感を覚えられるかも知れませんが、零細電気軌道が阪急の培養線として本格的な高速電気鉄道へ転換していった過程を記述する上ではこの区間の建設から廃止に至る過程を書かないわけには行かず、むしろそうした記述がなされるよう誘導する手段として、この区間の記述を妙見線記事へ統合することを利用すべきではないでしょうか。また後者については、実質的に昭和2年頃までにはその役割を終えていたこの短い路線が、それでも戦後も長く残された背景に戦前から戦後にかけて再三検討されたこの延長線計画があった事は自明です。妙見線記事中で既にそれについて触れられていることを考慮すると、同計画の足がかりとなるはずであった連絡線記述については、やはり妙見線記事に統合すべき、ということになろうかと思います。--HATARA KEI 2011年1月23日 (日) 02:30 (UTC)