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ノート:嵯峨野線

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鉄道ピクトグラム

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作成しました。気がついたところがありましたら、修正していただけると有り難いです。--220.100.102.189 2008年11月3日 (月) 14:47 (UTC)[返信]

特急との格差??

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「また園部駅以北は本数が少なくなる上に特急との格差も年々大きくなってきている。」との記述がありますが、「特急との格差」とはどういうことか、「年々大きくなって」いるとはどういう意味か、よく分かりません。より丁寧な記述に変更するか、削除することが望まれます。 --金山銀山銅山 2008年7月19日 (土) 15:29 (UTC)[返信]

使用車両

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そういえば117系って使用されてませんでしたか? 最近、221系投入してからはなくなったんでしたっけ?--以上の署名のないコメントは、58.98.251.146会話)さんが 平成21年7月4日 (土) 07:51‎ (UTC) に投稿したものです(あさしおによる付記)。

嵯峨野線の「概要」について

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嵯峨(現嵯峨嵐山)・馬堀間の複線化、京都・園部間の電化は国鉄時代に事業が開始したものであり、事業主体となる自治体は京都府はもちろんですが、京都市と南丹1市8町も大きく関わっています。 二条・花園間の高架化・複線化は、嵯峨野線によって南北又は東西に分断される道路の接続を目的とした事業でもあります。複線化よりも高架化を目的とした京都市が主体となった事業です。京都市内の道路整備事業の一環としての要素も強く、むしろ、複線化及び円町駅設置は『おまけ』的要素もあります。 現在、行われている京都・園部間全線複線化事業は京都市及び亀岡市、南丹市、京丹波町、旧京北町の事業です。今回の事業は京都市よりも亀岡市の方が多額の資金を出しています。 このように、嵯峨野線複線電化事業は段階に分けて行われていますので、段落を設けて文章を構成した方が読者に親切だと思っています。--Longlongsummer 2010年1月6日 (水) 23:26 (UTC)[返信]

この段落は、単に国鉄時代から現在までの変化(事業)、変貌ぶりをダイジェストで列挙しただけであり、もちろんそれぞれの事業は別です。だからといって文を分けるのはよいですが、一文で済む程度の段階では、段落まで分けるほどではないでしょう。今行われている亀岡 - 園部間の複線化事業も完成すれば「さらに亀岡-園部間が複線化された」と一言付け加えることになるかもしれません(「現在、京都駅 - 園部駅間の全線複線化…」と段落が分かれているのは未来のことだからでしょう)。しかし、亀岡 - 園部間の複線化事業のこれまでの記述(「将来」節の記述)を丸ごと消すつもりはありませんし、消すべきではないと考えています。それぞれの事業についてより詳しい解説を書くならば、この段落はダイジェストとして残しつつ、段落もしくは節をあらためて書けばよいでしょう。--210. 2010年1月14日 (木) 18:49 (UTC) 補筆 --210. 2010年1月14日 (木) 19:43 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

嵯峨野線」上の7個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月3日 (火) 15:41 (UTC)[返信]

路線の沿革たりえない事件・事故について

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オールドアイドルが踏切から線路内に入って写メを撮ったといった類は、路線の沿革ではありませんし、当線区の何たるやを説明するものでもありません。(社会に与えた影響で言えば、金閣寺に放火した小坊主の親族が保津峡付近を走る列車内から投身自殺した件などのほうがはるかに高い。)--126.132.192.24 2019年3月20日 (水) 11:21 (UTC)[返信]

充分に路線の沿革に記述すべき出来事だと思いますが。--Longlongsummer会話2019年3月31日 (日) 11:40 (UTC)[返信]

とお考えになる理由は何でしょうか?--Kone会話2019年3月31日 (日) 12:45 (UTC)[返信]