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ノート:島津忠剛

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室について

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室の記述に「幸姫」と記述がなされましたが、確認が取れません。どなたか出典がわかる方がいらっしゃいましたら、お教え下さい。--hat2867 2007年12月20日 (木) 09:55 (UTC)[返信]

正室・お幸と息女・於才との統合提案

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忠剛の正室・お幸と娘・於才は現在単独項目が立てられていますが、

  • 生没年と親子・配偶者関係程度の記述しかない
  • 2名とも鹿児島藩政や幕末の中で目立つほど活躍したわけではなく、天璋院関係で記述が出てくる程度であり、今後データが充実する可能性に乏しい

以上の理由から、現在「お幸」「於才」に書かれているデータを「島津忠剛」の親族欄に移行・統合した方が良いと考えます。皆様のご意見お願い申し上げます。--こぶまき 2008年1月31日 (木) 01:40 (UTC)[返信]

(保留)於才は史料文献なども残っておらず、新たな発見にも時間がかかりそうなので、適当というのであれば統合もやむを得ないかと思います。ただお幸は実家の準三男家の文献があれば加筆が可能ですので、保留がよいかと思います。--hat2867 2008年2月1日 (金) 10:00 (UTC)[返信]

提案から1週間経ちましたが、於才に関しては執筆者から「統合もやむなし」との意見を頂戴しましたので、Wikipedia:ページの分割と統合に従い統合いたしました。お幸は取りあえず保留しておきますが、更にご意見をお待ちしています。--こぶまき 2008年2月7日 (木) 02:28 (UTC)[返信]

準二男家の史料を探しましたが、たいした情報も発見できず、没年も墓碑からという事なので、記事の発展は厳しいと判断せざるを得ません。転じて統合に賛成致します。--hat2867 2008年2月9日 (土) 10:25 (UTC)[返信]

ご賛同を頂戴しましたので、お幸も統合いたしました。--こぶまき 2008年2月15日 (金) 09:32 (UTC)[返信]