ノート:岸信介/過去ログ1
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「佐藤栄作」に記述すべきでは?
[編集]「この受賞と「総理としてのクリーンネス」との真贋を後世の審判に委ねる時、それらに耐えられるかは甚だ疑問と見る向きもある。」 これは佐藤栄作の項目に記述すべきではないか?--忠太 2004年8月19日 (木) 16:27 (UTC)
- 大変失礼ながら、ノーベル平和賞と混同なさっていませんでしょうか? martin 2004年8月19日 (木) 16:34 (UTC)
- これは失礼しました。佐藤栄作の話が出てきたので混同してしまいました。国連平和賞の文の後に「自民党政治家の佐藤栄作は実弟」云々を移動した方が、とんちきな誤解も減り、次の安倍晋三にもつながるので、よいかも?--忠太 2004年8月22日 (日) 03:21 (UTC)
- 佐藤栄作も国連平和賞を受賞してるようです。--61.204.236.193 2004年8月25日 (水) 11:44 (UTC)
表現について
[編集]「表現について(1)」 細かい事で恐縮ですが、本文前半で「戦後、A級戦犯容疑者として・・・(中略)・・・旧体制のもとで活躍したファシストをも利用して、・・・」の「ファシスト」の語句に、やや恣意的な印象をもちます。政治的にネガティブな意味の強い「ファシスト」という語句を用いると、一定の「解釈」が文章に加味されるように思います。岸信介自身をファシストと見るか否かの歴史的評価は別にして、辞典類の記述では、特定の解釈を加えず、可能な限り客観的な「事実記載」に務めるべきかと愚考します。この場合、例えば「旧体制側の人物をも利用して、」などの表現に改めるべきと考えます。--Kogane 2005年9月28日 (水) 14:26 (UTC)
「表現について(2)」 また、同様の意味で、文末の「第1回国連平和賞を受賞している。しかし、この点に関し、疑問を持つ向きもいるのを付記して置きたい。」と言う記述も、このままでは、この執筆者自身の岸信介に対するネガティブな見解を、氏名不詳の第三者に仮託して、ここで述べているようにも読めてしまうように感じます。だとすると、客観的「事実記載」を旨とする辞典類の記述としては、違和感があります。もし、岸の平和賞受賞に対する批判的見解を単に紹介したいのであれば、具体的にその出典、個人名を明記の上、その文章ないし文章の要旨を正確に記述して紹介すべきかと愚考します。--Kogane 2005年9月28日 (水) 19:46 (UTC)
- 「2005年9月30日 (金) 00:46 210.224.41.114」さんへ、上記のコメントに対するご意見を伺えたら幸いです。--Kogane 2005年9月30日 (木) 19:41 (UTC)
- 上の方の指摘の通りだと思う。岸信介の国連平和賞や佐藤栄作のノーベル平和賞受賞に、必ず疑問を示したくなる御仁が居るようだ。別にそれ自体はかまわないと思う。でも百科事典の記述に、そんな個人的意見を書くのはおかしい。たとえば、ノーベル平和賞で言えば、ダライ・ラマ14世の受賞には中国政府が、アラファトPLO議長の受賞には一部のユダヤ人団体が、それぞれ批判していたと思うが、そういう事も全部書かなきゃならないの?どうしてもそういう意見を紹介したいのなら(そんなのがあるのなら)、「註」などの欄を設けて、出典を明示の上書くべきだと私も思う。2005年10月12日 (水)
- 岸信介の国連平和賞受賞に関して「だが、この点に疑問を持つ向きがいるのも事実であるのを付記して置きたい」という一節をどうしても入れたがっている人。まず、ノートに投稿されている「表現」に関する疑問点に答える、あるいは議論に参加してから記述すべきと思います。2005年10月18日 (火) 18:38
東条首相の軍需大臣兼任に岸が不信を抱いたことについて
[編集]「東条首相が軍需大臣を兼ねた事に岸が不信を抱いた事は「岸信介の回想」で本人が言っているので削る必要性を感じないが。」2005年10月30日 (日) 01:46 水野白楓さん訂正について。
- 問題は、岸が東條に対し不信感を抱いたと言う事の真偽にあるのではなく、この一文を入れることにより、後に続く文章も含めた全体の文脈が、岸が早期終戦論に組し閣内不一致により東條内閣を退陣に追い込む最大の要因が、単に閣内人事をめぐる東條との感情的対立にあった、と読めるようになること。もちろん、これが正確な事実、説明であるというのなら、水野白楓さんの訂正に異存はありません。しかし、戦争末期の反東条内閣の動きは岡田啓介や米内光政ら和平派重臣による工作などと連動しているのであって、そのような当時の政治状況全体の説明もないまま、東條に対する岸の個人的感情の1点だけを強調する一文の挿入は、不必要だと思います。--Kogane 2005年10月30日 (日) 13:45 (UTC)
- この対立は単なる人事ではなく、経済政策に由来する人事異動の問題です。(軍需省だけではなく、運輸通信省でも同様の事が起こったのですが、)そもそも軍需省は軍事に必要な重工業などを専門に統括する官庁が必要ということで東条が岸を説得して設置された省でしたが、その後東条首相周辺内で複数次官制等(部門ごとの分割)が検討(藤原銀次郎の入閣問題など)が湧き上がり、岸は自分の出身である商工省を解体してまで協力したのに東条首相の言っていること(軍需省の設置目的)とやっていること(軍需省の実態)が違うという不満を抱いたという事です。この流れが上手く解説できる文章があればこの問題は解決できると思われるのですが…。--水野白楓 2005年11月1日 (火) 10:59 (UTC)
統一教会との関係について
[編集]各方面の政治家に関する記述で、「統一教会との関係」に多くの文量を割いて記載する方が見えるようですが、百科事典に相応しい記載事項とは思えません。せいぜい余談程度の内容ではないでしょうか?。--以上の署名のないコメントは、133.9.4.11(会話/Whois)さんが 2006年9月5日 (火) 12:13(UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。
- 昨年(2006年)米国務省はCIA(アメリカ中央情報局)が親米政治家への支援と、左派野党内から、穏健派を分裂させることを目的として、1950年代後半から1964年まで複数の自民党幹部と野党内の穏健派に秘密裏に資金援助していたことを公文書で公表しました。(『共同通信』、『朝日新聞』、『毎日新聞』いずれも2006年 7月19日付)
- これは生涯の節の「戦犯容疑者から復権まで」の箇所において、アメリカが戦後、日本を反共の防波堤にするため、岸信介ら反共に協力的な人物を復権させたという記述を裏付けるものです。自民党はそのような背景もあって、今日まで「親米」、「反共」の立場を取ってきたと思われます。
- また、岸が断行しようとしたアメリカとの日米安保条約の締結に反対した勢力の中心は「共産主義者」であり(「安保闘争参照)、そういう経緯もあって、「共産主義」に対抗するために、統一教会(文鮮明)が「国際勝共連合」という政治団体を作ることに岸は協力したのです。
- また、岸にとっては外孫に当たる安倍晋三が総理候補として話題になっていた官房長官時代に統一教会系列の団体(「天宙平和連合」 )の集会に祝電を送ったということが多数のメデイアで報道され、大きな波紋を呼びました。この時も、岸時代からの統一教会との関係が取りざたされました(ここを参照)。
- いい悪いは別にして、与党自民党にはこれまで、統一教会、勝共連合が選挙応援をしたり私設秘書を送り込んだりしたことが知られていますから、その団体とどう関わりをもったかということは岸の政治活動においても、メデイアや世の中の関心の度合いからしても、余談程度のものではないと思います。--モトカル 2007年8月17日 (金) 03:32 (UTC)
この記事で、統一教会の批判を書く方がいますが、それは統一教会の記事で書くべきでしょう。岸を中傷したいという思惑が見え見えで中立性に欠けます。--Doom2111(会話) 2015年5月27日 (水) 14:55 (UTC)
記事の執筆は中立性や全体のバランスを十分考慮して
[編集]最近どうも岸のネガティブな一面だけを強調したい御仁が居るようで、内容が肥大化しすぎて以前のような簡潔さが失われている。岸信介の略歴に関しては、特定の評価や感情を織り込まずに事実記載に徹するべき。例えば、ヤクザヤや右翼組織との関係とか、統一教会との関係については、岸信介の多くの面の一部に過ぎないのだから、どうしても書きたいのなら、もう少し内容をコンパクトにして、エピソードの欄などに書けばいい。最近その辺の点を考慮して記述を整理した編集が、理由も示されないままリバーとされているが、これはおかしい。適切な整理だった。単に自分の書きたい事をダラダラ加筆するのではなく、全体のバランスを考えてもらいたい。--61.211.36.198 2007年5月14日 (月) 05:09 (UTC)
- >略歴に関しては、特定の評価や感情を織り込まずに事実記載に徹するべき。
- これは「様々な観点を公正に扱い、どれかひとつを正しい観点として主張するようなことのないようにすべき」 とされている「中立的な観点の方針」からいって当然のことですね。ただ、統一教会との関係については保守派の論客で、安倍晋三のブレーンとも言われる中西輝政の記事に中西氏を過度に評価する加筆をされていると思われるIPユーザーが理由も明示せず、削除してしまっていましたが、「統一教会との関係について」という前節に書いた通り、岸においては単なるエピソード以上の重要性はあると思いますので、再掲しました。ただ、御指摘通り、余分な部分は削りコンパクトにしましたので御理解下さいますように。--モトカル 2007年8月17日 (金) 03:32 (UTC)
最近またもや特定の一面だけを強調した恣意的、バランスを欠いた冗長な内容になりつつある。何でもかんでも書くのではなく百科事典として簡潔な文章を心がけてもらいたい。--61.112.75.132 2008年1月14日 (月) 08:31 (UTC)
最近、スリム化、簡潔、冗長を回避と称して、いきなり削除されてる方がいますね。--59.139.180.26 2008年1月20日 (日) 08:58 (UTC)
- 冗長の意味が知りたいのなら辞書を引いてください。文章の内容の問題点なら、このノートの「記事の執筆は中立性や全体のバランスを十分考慮して」 についての議論を一読されればお分かりになると思います。ここは百科事典ですからね、歴史上の人物や事柄に関して、投稿者の思惑を反映した特定の部分だけを強調した文章を、恣意的な表現を多用して長々と、クドクドと書く(冗長とはこういうことです)ところではありません。あなたは、百科事典とは何かという点をまず理解する必要があるようですね。--61.112.75.132 2008年1月20日 (日) 11:05 (UTC)
- ページ内の章・節が意味も無く細分化されて読みにくいのでちょっと整理します。日韓国交回復との関係は総理辞任後の「晩年」の中に含めれば十分だし、蒋介石との関係はエピソードの一部で十分。独立した項目にしてこれだけクローズアップする必要性はない--61.112.75.132 2008年1月22日 (火) 04:43 (UTC)。
恣意的表現を多用して、岸のネガティブな面を必要以上に強調したがる人が繰り返し出てきて困ります。しかも、ちょっとでも自分の記述が編集されると、十分な説明もせず、ノートでの議論にも加わらず、ひたすらリバートを繰り返すのは、ほとんど荒らし行為といえるでしょう。客観的、中立的な事典の記述とは何かを良く考えてもらいたい。自分なりの岸信介伝を書きたいのなら他でどうぞ。--220.104.152.185 2008年3月15日 (土) 14:24 (UTC)
リバートしました
[編集]「220.104.152.185」さんの編集(記述の削除)がWikipediaの方針を十分に理解していないで行われたものであると判断して、リバートさせていただきました。
「客観的、中立的な事典の記述とは何かを良く考えてもらいたい。自分なりの岸信介伝を書きたいのなら他でどうぞ。」とのことですが、削除された記述の多くは情報源が示されており、Wikipedia:中立的な観点に記述されたWikipediaの方針を(少なくとも外形的には)満たしています。もし、こうした記述が誤りであると「220.104.152.185」さんが主張したいのであれば、そうした意見を「信頼できる情報源」とともに示し、複数の意見が並列する形にすべきです。岸氏に対する批判を控えるというのは、Wikipediaの方針に示された「客観的、中立的な百科事典の記述」にはなりません。
なお、削除された部分の一部には情報源が不明確な記述もあります(平和相互銀行の件など)。そうした記述について、情報源が示されなければ削除することを提案するのは妥当だと考えます。今回は選り分けが面倒なので、いったんそのままリバートします。j8takagi 2008年3月15日 (土) 16:13 (UTC)
- まず誤解があるようなので補足説明いたします。このノートでも、すぐ上の「記事の執筆は中立性や全体のバランスを十分考慮して」で議論されているように、このページでは、岸信介のネガティブな面だけを意識的に強調するような、恣意的でバランスを欠いた記述が横行しています。今回はそのような恣意的で感情的な記述を改めただけで。日韓関係や日華関係(蒋介石との関係)に関する記述は、記述を簡素化して残してあります。よく読んでください。それに、いくら出典があるからといって、岸信介の評伝や伝記の中の、特定の記述を、投稿者が思い思いに抜き出してクローズアップするなどの行為は、実に恣意的で百科事典の記述を作る上では不適切でしょう。岸信介の功罪両面をバランスよく、簡潔に記述するように心がけるべきでしょう。
- また、細かな見出しを乱立することにより記事が肥大化しているの問題だと思います。編集とは記事の加除筆を言うのであって、加筆するだけで削除は駄目だというわけではありません。加えて、Wikipediaの方針を指摘されていながら、情報ソースが不明確な部分があると言いつつ、「面倒だから」との理由で放置されるなどは無責任でしょう。--220.104.152.185 2008年3月16日 (日) 02:40 (UTC)
「誤解がある」とのことですが、私が誤解しているというよりは、220.104.152.185さんが「自分の正しさだけを信じ、主張している」状態なのではないでしょうか?「恣意的でバランスを欠いた記述が横行している」という点について、220.104.152.185さんの「主張」であることはわかりますが、それがすぐにWikipediaに反映すべきものであるとは私には思えません。すくなくとも現時点では、情報源がしっかり書いてありWikipediaの方針を満たしていると考えられる記述を削除するには、220.104.152.185さんの説明が不足しています。また、「面倒だから」については、それこそ220.104.152.185さんの誤解があります(私の書き方に誤解を招く部分があったのも確かですが)。この部分についてはひとまず差し戻し、今後の議論でどうするかを決めるべきというの私の意図です。「細かな見出しの乱立」については、別の問題だと私には思えます。j8takagi 2008年3月16日 (日) 03:06 (UTC)
「(岸が)住友銀行による平和相互銀行乗っ取りに暗躍し」という記述の出典が不明だったので、[要出典]タグを貼りました。もし出典が示されないのであれば、この記述は削除するのが妥当なように思われます。とりあえず、1週間様子を見て、出典が示されないのであれば、この部分は削除したいと考えています。j8takagi 2008年3月22日 (土) 23:19 (UTC)
- 上記の記述を削除しました。復活させる場合は、出典を示してください。j8takagi 2008年4月4日 (金) 12:54 (UTC)
中立的な観点 2013年08月15日(日本時間)
[編集]- [1]
「 CIAの反共政策への協力を申し出て極東国際軍事裁判への起訴を免れ 」
- 正力松太郎同様、CIAの協力者として名前が機密指定の米公文書に載ってたってだけの話ではないですか? よくここまで話を膨らませるもんだと思われます。冷戦時代に米国から見て頼りになる日本の政治家と見られていたってだけの話です。
- [2]
「 暗黒街に強い影響力を持ち 」
- 問題の編集者の名誉毀損欲求以外、意味不明です。
- [3]
「 国内からの戦争責任の追及も免れ 」
- 結局、開戦内閣の閣僚として逮捕されただけで、実質的に開戦を決定した共同謀議(1941年11月29日の大本営政府連絡会議)には加わっていなかったことや東条英機内閣を倒閣した第1の功労者ということなどで、たった3回しか取り調べを受けず、敵国(連合国)からさえ全く不起訴のまま無罪放免された以上、東条内閣を倒閣すらしなかった圧倒的大多数の亡国国民ども(昭和天皇を含む)には、岸信介を裁いてよい資格など全くあり得ないことは極めて自明なはずです。
- [4]
「 強圧的な政治姿勢で革新勢力と対決した 」
-- Beaver Mochimochi(会話) 2013年8月14日 (水) 21:49 (UTC)
あからさまな名誉毀損の羅列だったので、さっさと自分で出典付きで修正しておきました。 -- Beaver Mochimochi(会話) 2013年8月15日 (木) 00:57 (UTC)
- >政界におけるアメリカの有力な協力者になることを交換条件に戦犯不起訴となる
- とありますが、岸が1948年から1952年まで公職追放されていたことと整合性が取れないのでは?
- とっとと公職追放を解除したほうが、より「政界におけるアメリカの有力な協力者」になれると思いますが。
- 1952年まで公職追放されたままだったのはアメリカが「政界におけるアメリカの有力な協力者」にする気がなかったことの傍証ではないでしょうか? --TempuraDON(会話) 2013年12月29日 (日) 04:31 (UTC)
暴漢事件
[編集]1960年6月14日の暴漢事件について「岸は暴漢に刺され、重傷を負った。暴漢は戦前に右翼団体大化会に属していた荒牧退助で、その後は大野伴睦の院外団にいた。岸側近の小川半次は、岸が大野への禅譲を匂わせながら池田が後継となったことへの憤激が動機であるとする。暴漢本人は、樺美智子とその父親樺俊雄への同情が動機であり、美智子の死亡後に俊雄と面会したことがあったという。また岸への殺意は否定している。」とありますが、樺美智子が圧死したのは6月15日であり、時間経緯が不自然です。出典をご存知の方は改善をお願いします。--さんぽーる(会話) 2015年2月27日 (金) 17:32 (UTC)
- 暴漢事件は1960年(昭和35年)7月14日ですね(出典:『実録首相列伝』p.17、『絢爛たる悪運 岸信介伝』p.438)。修正しておきます。--Assemblykinematics(会話) 2015年2月27日 (金) 18:10 (UTC)
- 報告 修正しておきました。--Assemblykinematics(会話) 2015年2月28日 (土) 03:44 (UTC)
- コメント 念のため補足しておきますと、さんぽーる様が編集される前は、「……新安保条約の批准書交換の日の6月23日、岸は閣議にて辞意を表明、7月15日、混乱の責任を取る形で岸内閣は総辞職した。(次段落)この総辞職の一日前の14日、岸は暴漢に刺され、……」となっており、時系列に問題はありませんでした。7月14日は自民党の次期総裁選挙の日であり、池田氏が新総裁に決定してレセプションが始まっていたところで暴漢事件が起こったようです(『絢爛たる悪運 岸信介伝』p.436-439)。暴漢事件は岸氏の去就にほとんど影響がなく、犯人の動機もはっきりしないため、『巨魁 岸信介』のように岸退陣時の記述で暴漢事件に触れていない書籍も見受けられます。--Assemblykinematics(会話) 2015年2月28日 (土) 03:44 (UTC)
- 迅速な修正編集、感謝します。--さんぽーる(会話) 2015年3月2日 (月) 14:06 (UTC)
行過ぎた削除
[編集]編集履歴を確認したところ、利用者さんぽーるが、編集趣旨を基本的に加筆、概要と重複する部分のみ削除・整理としながら、たとえば概要にあたる冒頭に警職法改正がふれられていないにもかかわらず、この改正に関係する部分をごっそり削っています。容量の大幅増加でカムフラージュした政治活動のようです。この他をふくむ、不当に削除された記事の復旧を要請します。--153.207.114.153 2015年9月18日 (金) 13:29 (UTC)
おそらく単純なミスで申し訳ありません
[編集]岡田重臣 という一説がありますが、「と」などの助詞が抜けているのではないでしょうか。私の詳しい分野でないので、どなたか訂正お願いします。 ——以上の署名の無いコメントは、Nannyanenn(ノート・履歴)さんが 2017年5月9日 (火) 23:22 (UTC) に投稿したものです。
出身地
[編集]山口市ではなく田布施町出身。仮利用者名:シーソー 2006年7月22日
- たしかに出身地(本籍地)は田布施町ですが岸の父秀助が山口県庁の官吏で当時一家が山口市にすんでいたときに信介が生まれたので出生地は山口町(現・山口市)となります 岸関連の書籍に書いてありました 23日
--以上の署名の無いコメントは、221.170.51.204(会話/Whois IPv4 ・ IPv6)さんが 2006年7月22日 (土) 21:12 (UTC) に投稿したものです。
国際勝共連合の支援と統一教会
[編集]「国際勝共連合の支援と統一教会」というセクションについてです。児玉譽士夫、笹川良一と文鮮明が会合した、その後の組織に岸信介が加わった、という情報があるが、事実なのか、という趣旨で田英夫氏が国会質問したことを根拠として加筆された箇所のようです。田英夫氏は、「フレーザー委員会」での「ロランド氏」の証言によればそういう情報があるが、という質問をしたのは事実ですが、「……協力した」と帰属もなしで断定的な記述をする出典としては不足でしょう。書くとすれば「田英夫は……協力したという趣旨のロランドの証言があったという趣旨の国会質問をした」とかですが、そこまであやふやで孫引き的なことを書いてもしょうがない気がします。もう少しいい出典はないでしょうか。たとえば、その「フレーザー委員会」の報告書とか・・・? どうすれば手に入るのでしょうか? --49.239.64.214 2017年9月27日 (水) 12:40 (UTC)
- 済 異論なしのため除去。 49.239.69.184 2017年11月19日 (日) 08:55 (UTC)