ノート:岩村透
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岩村高俊の「男爵」位の後継者について
[編集]岩村高俊(透実父)の項目ではこの更新にて「甥(通俊の長男)の岩村八作が男爵位を継いでいる。」と追記されていますが、当項目においては初版から「1906年に父が亡くなると男爵位を襲爵した。」となっております。これはどちらが正しいのでしょうか。情報をご存じの方のご協力をよろしくお願いします。--こぶまき 2008年12月21日 (日) 16:24 (UTC)
- 中公新書「華族」(巻末資料)によると、1896年に、岩村高俊・通俊は揃って男爵になっていますので、普通に考えると、八作は通俊から襲爵したと思われますが…? 清見睦郎「岩村透と近代美術」によれば、透は1906年に襲爵し、透没後は次男の博が襲爵したとのことです。 --忠太 2008年12月21日 (日) 16:48 (UTC)
- 即答してくださったようで、ありがとうございました。「高俊の爵位は透が継いだ」という意見に私も同意なのですが、Okapia2さんの反論をもうしばらく待ってみたいと思います。また、機会があれば『平成新修旧華族家系大成』を確認してみようと思います。--こぶまき 2008年12月23日 (火) 07:41 (UTC)
- 確認が大変遅くなって申し訳ありません。主に参考にした資料(國學院大學図書館紀要)には、該当部分の記述がありませんでした。別資料を読んで混同したのかと思われますが、高俊の記事も「透が継承した」という内容に修正いたしました。よろしくお願いいたします。--Okapia2 2009年7月20日 (月) 13:03 (UTC)