ノート:岩月謙司
ここは記事「岩月謙司」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
出典検索?: "岩月謙司" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · ジャパンサーチ · dlib.jp · ウィキペディア図書館 |
準強制猥褻事件関係
[編集]裁判の項目に、香川大学の対応に関する記述が増えてきました。「香川大学の対応」として、項目を分けた方がいいのではないかと思います。--Kimaru 2010年1月19日 (火) 22:47 (UTC)
- 項目を分けるまでもないと思われましたので、休職、懲戒解雇の記述を「裁判」から「経歴」に移動しました。--山田晴通 2010年1月20日 (水) 19:57 (UTC)
- 経歴欄に懲戒解雇の記載をしたところ、香川大学の対応について相当量の書き込みをAkkusさんからいただきましたので、記述のバランスを考え、Kimaru さんのご提案にそった構成に改めました。--山田晴通 2010年1月23日 (土) 18:33 (UTC)
事件関係ということで1つの節にまとめさせて頂きました。--左大文字(会話) 2014年2月4日 (火) 05:37 (UTC)
「論者としての岩月と功罪」における記述の妥当性について
[編集]「論者としての岩月と功罪」の節には、「それまで日陰の存在であった再養育療法など類似療法の知名度が上昇するきっかけとなり、精神療法の進歩に寄与したことも事実である」という記述があります。 これは、何か具体的な裏付けがある記述なのでしょうか。
岩月の一連の著作やメディアへの露出が「再養育療法など類似療法の知名度が上昇するきっかけとな」ったという評価には異論はありません。
しかし、現状の記述では、「日陰の存在」という表現が、単に<知名度が低い>という含意ではなく、もう少し否定的な含意が込められているような印象を受けます。また、類似療法の知名度を上げることが「精神療法の進歩に寄与した」というのは、大言壮語ではないでしょうか。<結果として精神医療の普及に寄与したという見方もできる>という程度の域を出ないのではないかと思います。
念のため「岩月 精神医療 進歩」や「岩月 精神医療 普及」で検索してみましたが、ウィキペディアの記述を写しているもの以外で、特に岩月の貢献を評価する記述は、少なくとも上位に上がってくるサイトには見当たりません。現状では、出典のない独自研究である、あるいは、大言壮語であり、妥当性を欠いていると思うのですが、いかがでしょうか。もちろん、具体的に適切な出典を示して頂ければ、以上の危惧は解消します。--山田晴通 2010年1月26日 (火) 02:00 (UTC)
--Akkus 2010年2月8日 (月) 11:11 (UTC)
- 特にご意見はいただいていませんが、2週間以上経ちましたし、特にご異論がなければ以下のように書き換えたいと思います。
- 現状「一方で、ブームを起こしたことによって、それまで日陰の存在であった再養育療法など類似療法の知名度が上昇するきっかけとなり、精神療法の進歩に寄与したことも事実である。」
- 提案「一方で、ブームを起こしたことによって、再養育療法など類似療法の知名度が上昇するきっかけとなり、結果として精神医療の普及に寄与したという見方もできる。」
- また少し時間を置いて、特にご異論がなければ編集をしたいと思います。いかがでしょうか。--山田晴通 2010年2月9日 (火) 21:10 (UTC)
>山田晴通氏 先月~今月と多忙でしたゆえ、やっと確認できました。 ご指摘の点(日陰の存在)ですが、他意はなく、「マイナー」「報われていない」という意味合いでした。 再養育のような手間がかかる療法は、現在の、特に日本の薬物療法偏重を鑑みると、育てなおしや再養育のような「被治療者に直接接触することを是とする療法」は精神医療業界では無名の部類と言わざるを得ないと思います(私見で申し訳ありませんが、少なくとも、私は寡聞にしてドキュメント2002まで存じませんでした)。 当項の初期バージョンでは、罪の部分ばかりがクローズアップされている感がありましたので、バランスをとる意味合いもあり、多少強調気味に功を取り上げたというのもあります。そして、文字通り功罪ともに公平に執筆したと自負しています。 ただ、苦言を呈させていただければ、大言壮語(http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/大言壮語/m0u/大言壮語/ http://kotobank.jp/word/大言壮語 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C2%E7%B8%C0%C1Ը%EC)はそれこそ口が過ぎませんか?(明らかに悪口ですよね?) ソースは、それこそ育て直し(あるいはそれに類する療法)のWEB記事などの記載日時を虱潰しに追っていただくしかありません。すくなくとも、その広まる経過を私はリアルタイムで7年以上かけて追い、見聞しました。これを記憶をもとにすべて文章に起こすのは、容易なことではありません(消えてしまったサイトや記事もあります)。たった2回の額面通りのキーワード検索の上位ページだけで大言壮語と言われてはたまりません。 これをソースと受取っていただけるかわかりませんが、今念のために「育て直し」「再養育」というキーワードで検索してみたところ、「こうした情報を求める一般人」の立場と思われる方の記事は、2002年2月以前のものがまず確認できません。「育て直し」という言葉は、これ以降に広まったものだと証明できるのではないでしょうか? なお、提案されている「一方で、ブームを起こしたことによって、再養育療法など類似療法の知名度が上昇するきっかけとなり、結果として精神医療の普及に寄与したという見方もできる。」という変更については、私の記述と大同小異でありますれば、「大言壮語」という罵言を全面的に謝罪・撤回していただけるという条件で、同意します。--Kimaru 2010年2月10日 (水) 21:17 (UTC)
- Kimaru さん、ご意見ありがとうございました。とりあえず、別の論点にコメントが書かれていたものを、こちらに移しました。(意図を誤解した不適切な移動であれば、その旨をご指摘ください。)
- まず、「大言壮語」という言い回しについて、不愉快な思いをさせてしまったとすればそれは本意ではありません。私としては、ウィキペディアの編集において通常使われている意味、すなわち「大言壮語をしない」で示されている「事実としての情報なしに、記事を単に引き立たせるための表現」という意味でこの語を用いているつもりです。それでもなお、私のコメントが不適切であるとお考えでしたら、再度ご意見をお寄せください。
- 繰り返しになりますが、私は岩月が「再養育療法など類似療法の知名度が上昇するきっかけとな」ったこと、言い換えれば(認知度を高めるという意味で)「精神医療の普及に寄与した」とは言えると思っていますが、「精神療法の進歩に寄与した」という記述には「事実としての情報」による裏付けが示されていないと判断しています。単にある療法の世間の認知度を上げれば、医療の「進歩に寄与」したことになるのでしょうか?
- なお、百科事典の記述は、執筆者/編集者の間の関係によって、適正であるか否かが変わるものではないはずです。何らかのやり取りの中で、「謝罪」があるか否かで編集結果が異なってくるというのは奇妙なことであると思います。Kimaru さんは、私の書き換えの提案にご異論があるようですが、私が「「大言壮語」という罵言を全面的に謝罪・撤回していただけるという条件」を満たせなければ、現状の記述のままの方が適切であるとお考えなのでしょうか。それとも、部分的に、私の提案を反映させることが記事の改善に繋がるとお考えの部分はあるのでしょうか?--山田晴通 2010年2月11日 (木) 07:39 (UTC)
- その後、「「著作の矛盾」について」の方で、Kimaru さんとのやりとりがありましたが、結論として
- 「「論者としての岩月と功罪」における記述の妥当性について」で提案している記述の修正については、「貴案は私にとって大同小異で、私としては筆がぶれているとは思いません」とのことですから、ご同意いただけたと判断します。
- とした私のコメントへは、その後の応答がなく、1週間以上が経ちましたので、2月9日に提案した編集を実行します。--山田晴通 2010年2月22日 (月) 03:18 (UTC)
- その後、「「著作の矛盾」について」の方で、Kimaru さんとのやりとりがありましたが、結論として
「著作の矛盾」について
[編集]まったく別の話題で申し訳ありませんが、著作の矛盾について以下の点について記述するのは公平に値するでしょうか? 岩月の一連の著作では「聖なる父性愛」が実父にあれば実の娘に対し性衝動は発生しないと主張しております。しかし、著作群では「ナイスバディ」、「清楚な」、「セミロングの」、「芸能人の○○似」といった、どちらかといえば性的な視線で岩月はクライアントを描写しています。そして決定的なのが公判で明らかになったタントラ行為です。ここにおいて岩月理論は瓦解すると思うのです。こうした情報は、第二、第三の被害者をださないためにも必要だと思うのです。--Akkus 2010年1月26日 (火) 15:22 (UTC)
- 全く別の話題ですので、セクションを分けました。
- 岩月が著作で「「聖なる父性愛」が実父にあれば実の娘に対し性衝動は発生しない」と主張していることと、著作で「「ナイスバディ」、「清楚な」、「セミロングの」、「芸能人の○○似」といった、どちらかといえば性的な視線で岩月はクライアントを描写して」いることは、矛盾しないのではないでしょうか? 前者は実父の娘に対する性衝動についての話であり、後者は(岩月の実の娘ではない)クライアントに関する描写です。
- 岩月の著作における主張にどこまで整合性があるか、理論的に矛盾なり破綻があるかといったことは、性急に結論づけることではなく、そのような方向で議論するのであれば、「矛盾」の存在をもっと綿密な形で提示して頂きたいと思います。--山田晴通 2010年1月29日 (金) 04:39 (UTC)
- 岩月に相談に訪れたクライアントは岩月の著作を読み、研究室の戸を叩いたと思われます。この場合、クライアントが岩月の「聖なる父性愛」の持ち主であることをを信じていた可能性は十分にあります。しかし、岩月が「聖なる父性愛」の持ち主であるとすれば、性的な視線の描写は不要のものと思いました。矛盾がないとおっしゃるのであれば従います。--Akkus 2010年1月30日 (土) 12:35 (UTC)
- 手元に岩月の著作がないので、私が何かを断定することはできませんが、Akkus さんのご説明を読む限り、「「聖なる父性愛」が実父にあれば実の娘に対し性衝動は発生しない」というのは、<実の父=娘>関係において、父親が性衝動を持つか否かについて述べた文であるようです。岩月の著作には、「聖なる父性愛」を持ち、自分の実の娘に性衝動を持たない人物が、第三者に性衝動を持つか否かについて論じている記述があるのでしょうか?
- 仮に岩月が、<実の娘に性衝動を持たない人物は、第三者にも性的な視線を向けない>と論じているのであれば、Akkus さんの仰りたいことにも一理はあると思います。しかし、その場合においても、岩月が、自分自身について<「聖なる父性愛」の持ち主であり、「実の娘」への性衝動を持たない>と明確に表明していなければ、「矛盾」にはなりません。
- 繰り返しますが、私は現時点で手元に岩月の著作がなく、Akkus さんが書かれたいとお考えのことを、適切な形で加筆できるものかどうか、加筆すべきものかどうかについて、予断は持っておりません。ただ、仰っている「矛盾」が、実際には何も矛盾になっていないと申し上げているだけです。裁判によって認定された岩月の行為は社会的制裁に値するものであるとしても、中立性が重んじられる百科事典的記述において、論理的にみて乱暴な、バッシングととられる記述をするのは慎重を期して頂きたいと思います。論理性、具体性を詰めて、加筆されることを期待します。--山田晴通 2010年1月30日 (土) 13:11 (UTC)
- 確かに文脈上の矛盾はありません。おっしゃる通りです。しかし、著作に目を通されていないのですからこれ以上は不毛と存じます。岩月の著作には鋭い洞察もいっぱい見受けられますから機会があったら見ていただければと存じます。蛇足ながら、乱暴だの、パッシングだのと失礼なことをおっしゃるのでしたら、その前に検索だけでなく文献にも一瞥されるべきではありませんか?これではやってることが、揚げ足取りが上手な、「コピペ論文」の学生さんとあんまり変わりありませんよ。(笑)では、終わります。--Akkus 2010年2月8日 (月) 11:11 (UTC)
- 「矛盾」ではないことをご理解いただけたことは幸いです。また、私の記述で不愉快な思いをされたのであれば、それは本意ではありません。
- その上で、誤解があるようなので付言します。ウィキペディアのルールでは、典拠は記述しようとする側に示す義務があり、記述に疑問をももつ側は典拠を示す義務は負っていません。それはなぜかお考えになって頂きたいと思います。私は岩月の文献を読むつもりはありませんが、読者としてこの項目の記述を読むことはあり得ます。百科事典の記述は、通常はいちいち原典まで遡れない読者が利用するものです。執筆する側は、それを十分お考えの上で執筆して頂きたいと思います。--山田晴通 2010年2月8日 (月) 14:07 (UTC)
>矛盾について これも少し口出しを…。私の記述した「非科学的・非論理的な記述が多い」では不足でしょうか? また、「ここにおいて岩月理論は瓦解すると思うのです。こうした情報は、第二、第三の被害者をださないためにも必要だと思うのです」というような攻撃的動機での執筆は、百科事典を編纂するにおいて、中立性を欠くと思いますが…。--Kimaru 2010年2月10日 (水) 22:15 (UTC)
>著作権 上記で「典拠は記述しようとする側に示す義務があり~」という記述がありますが、その間近に書かれている「私は岩月の文献を読むつもりはありませんが」というのは、「自己での調査は行わないので、情報の転載を求める」姿勢に受け取れます(発言から、著書○○参照と書いても、自身で確認するつもりはないと考えます)。これはWikiタブーの著作権違反に抵触しないでしょうか? たとえば、私はタントラについてはここで初耳なのですが、「タントラが事実認定されるにいたった公判記録を示せ」などと執筆者に迫った記憶も迫る気もありません(逆に、二度も強調するほど重要な事項だろうかと首をひねりつつも、ほぼ原形をとどめて、記載位置を原型に無理なく繋がる裁判の項に移したぐらいです)。 完全に閲覧者に徹するならともかく、執筆側に回るなら、不当と感じた事項を調べてから臨むべきで、それができないなら誹謗の類でもない限り、消去などはするべきではないと思うのですが。
Wikipedia:論争の解決より、中立性と同じく重視している私の考えの下地として、以下の文面を転載させていただきます。「記事を編集しているときに、他者と論争が起きたときは、編集合戦にならないように注意してください。多くは保護の対象となり、編集自体が不可能になります。 編集合戦は、有効な解決手段ではありません。それどころか解決を阻害します。編集合戦が起こっている場合、すぐに中断してください。」--Kimaru 2010年2月10日 (水) 22:15 (UTC)
- 上記の「>矛盾について」の節は私へのコメントではなく、Akkus さんへのコメントかと思います。この点については、私もまったく同意見です。
- 「>著作権」の節は私へのコメントですが、そこで言及されている「著作権違反」というのは、どういうご趣旨でしょうか? こちらとしては「出典を示す責任は掲載を希望する側に」で示されている方針から逸脱しているつもりはありません。具体的になぜ、私のコメントが「著作権違反」に繋がるとお考えなのか、ご説明をいただけるとありがたいと思います。
- なお、Kimaru さんが最後に引かれている論争の解決については、もちろんまったく異論はありません。--山田晴通 2010年2月11日 (木) 00:57 (UTC)
返答: どうも考え違いされているようですが、私がいいたかったのは、正誤の是非を問うならば、ご自身の物言いの是非を見直していただきたいという意味で書いたものです。また、私の知らぬうちに連絡がないから変えますなどと書かれていたのを偶然発見したため、取り急ぎ書いたらば、ややとりとめのない文章になったというのもあります。 ともかくも、「大言壮語」はWiki側に語訳レベルの問題があるようですので、私としては不毛な争いをする気はありませんから、これで手じまいとします。 なお、誤解があるようなので繰り返しますが、貴案は私にとって大同小異で、私としては筆がぶれているとは思いません。 もともと擁護的な項目を設けたのは本項初期の内容が、百科記事ではなく犯罪者叩きレベルのものだと感じたためで、公立中正を欠いているという判断から執筆に携わり、それまでの執筆者の文章を可能な限り破壊せず、なんとかバランスをとってみた次第です(ゆえに、私にはどうしてもソース不足や不用と思える納得のいかない情報でも、あえて可能な限り残してあります。逆に、明らかに事実と異なる部分は訂正しています)。 言い換えますと、当項がもとから中立的な文面であったなら、私も特に蛇足のような文章を書き足す必要もなかったわけです(残念ながら、履歴を見ますに、今なお罪罰の部分だけ突出させようという執筆者が見られるのは困ったことです…)。 私は前述のように最近、そしてこの先しばらく先多忙でありますゆえ筆をいったん置きますが、本項中期を形成したいち執筆者として、今後ただのバッシング記事にならないよう願うばかりです。私は少なくとも、どのような執筆内容であれ、執筆行為の労力を身にしみて知っているので、一定の敬意を払い、明確な侮辱や事実無根の内容でない限り、消去しないように心掛けています。 追記:「私のコメントが「著作権違反」に繋がるとお考えなのか」と回答を求められたので…。「ソース元を自分から読む気はないが、事実を示せ」といわれたならば、原文を転載するしかなくなるからです。--Kimaru 2010年2月11日 (木) 08:59 (UTC)
- まず、「「論者としての岩月と功罪」における記述の妥当性について」で提案している記述の修正については、「貴案は私にとって大同小異で、私としては筆がぶれているとは思いません」とのことですから、ご同意いただけたと判断します。この点について、なお具体的な修正すべき点があるとお考えでしたら、「「論者としての岩月と功罪」における記述の妥当性について」の方で、ご指摘ください。
- 著作権違反云々についてですが、私が求めているのは、記述の根拠となる既存の記述の所在、つまり出典です。何も出典が示されていなければ、それを探して読むこともできません。私が求めているのは「Wikipedia:出典を明記する」「Wikipedia:検証可能性」に記されている範囲内のことでしかありません。そのレベルをいきなり逸脱して、著作権違反にあたるような、引用とはいえない引用を求めるような行為を、あたかも私が求めているように想定されるというのは、飛躍があるのではないでしょうか?
- もし、出典を明示したにもかかわらず「ソース元を自分から読む気はないが、事実を示せ」などと要求する輩がいれば、その要求には応じる必要はありません(もちろん、応じる自由はありますが)。正直なところ、自分がそのような輩であろうと想定されてしまったというのは、実に情けない思いです。--山田晴通 2010年2月12日 (金) 03:48 (UTC)
「取るに足らない資料」では?
[編集]一個人の研究にすぎないと思われる部分を削除。以下その部分。
尚、臨床心理士である矢幡洋は、著作『危ない精神分析―マインドハッカーたちの詐術』(亜紀書房 2003、文庫版改題『怪しいPTSD-偽りの記憶事件』中公文庫 2010)において、「心の問題をすべて”過去”や”親”のせいにする精神療法がある」、「時としてそれは個人に深刻なダメージを与えることがある」とトラウマ療法の問題点を指摘し、精神分析的手法の誤謬性を訴えている。 --ぺぐ 2010年8月6日 (金) 11:06 (UTC)
出展について
[編集]アンチでひどい者になると、岩月の自宅住所・電話番号を調べ上げて岩月の名を騙り、宅配ピザを大量に注文するなどの物理的な嫌がらせを行い、刑事事件となった。 なお、岩月が警察とともにこの犯人の動機を調べたところ、根底は自身が育て直しを受けたかったからであったという。
ソースは後期の著書です。タイトルは失念しましたが。--Kimaru 2010年11月19日 (金) 10:14 (UTC)
いささか、批判に寄り過ぎではないでしょうか? 中立性に疑問を感じます。
[編集]私が以前執筆した「ピザを大量に頼まれて警察沙汰になった」という部分が、彼の著書からの出典にもかかわらず、消されていました。著書一覧では確認できないのですが、「育て直しをやめた理由」という副題がついている 著書がソースです。